12話 青い魔石
シャンを寝かせ、身体にマントを掛けたガリア。
それでも、心では気になって仕方ない……
シャンの濡れた体を自分のマントの上に寝かせ、シャン自身のマントをその上に掛けた。火に向い服を渇かす続きを始めるガリア、機械的に動かされる自らの手の動きを、じっと見つめていた。
何度も服をひっくり返しながら乾かすと、あっと言う間に終わってしまった。短い溜息の後、する事のなくなったガリアは、今まで意識的に見ないようにしていた、シャンの方に自然と向いてしまう自分の気持ちに舌打ちした。
シャンの横まで来ると、跪きそっとシャンの髪に指を絡める。ほとんど乾いているシャンの細くて柔らかな髪が、ガリアの指をさらりとすり抜けた。日の光に、きらりと輝く絹糸のようなシャンの銀髪を、もう一度だけ撫でると、ガリアは立ち上がり元いた場所に腰を下ろした。
「シャンが女だったって、何も変わりはしないのに……シャンの気持ちは俺に向いてるわけじゃない……なのに、こんなに……」
ガリアは、肩を落として地面を見つめ続けた……、自分の気持ちに揺れながら、もう二度とシャンの姿を目の中に入れないように……。
シャンは、ぼんやりとした意識のなかで、誰かが自分の髪に触れるのを感じた。
優しく、そっと触れてくる感触が、心地よかった……心が穏やかに落ち着いていく……もう少し、このまま眠っていたいと思った……
ゆっくりと目を開けたシャンは、自分が眠っていたのだと気付くまでに時間がかかった。確か、体を洗い終わり肌着を身につけた時に……後ろから、何者かに川に引き吊り込まれたのだ。声を上げるまもなく、川底に引き込まれて身体を拘束された。目の前で、真っ赤で邪悪な瞳が睨み付けていた事を覚えているが、その後の記憶はない。
少し重たい様に思う身体を起こして、シャンは火の熾してある方を向いた。ガリアが、黙って真っ直ぐ川を見つめている姿があった。
しっかりと座ったシャンの肩から、マントがするりと落ちた。肌着だけの自分の姿をみて、シャンは身体を隠すように腕を回した。
「ガリアっ……何が……あった……僕の身体を……見たのか」
シャンの声が上擦っている。ガリアはシャンを見ることなく頷いた。
「ああ……だから、今更、僕なんて言わなくてもいい……お前は、女だ……」
ガリアの声は、妙によそよそしかった。シャンは、首を思いっきり振った。
「違うっ、僕はっ僕は、男だっ……」
しっかりと身体を隠したシャンの方に顔を向け、ガリアも首を振った。
「もういい、お前の細い首も、小さな肩も、豊かな胸もくびれた腰も……女じゃなきゃ何なんだよ……お前は、いったい……どれだけの事を、俺に……隠してるんだ……」
そう言ったガリアの顔は、悲しそうにゆがんでいた。
「ガリア……」
シャンは、自分が秘密にしている多くの事が、ガリアを傷つけていた事に気付いた。男だと信じていたのに、それでも自分を好きだと言ってくれたガリアに、自分はとんでもない嘘を突き通してきたのだと、シャンはその嘘の大きさに、初めて気付いたのだ。
「僕は……」
それ以上何もいえなかった、シャンは悪気ではなかったとしてもガリアの心を傷つけながら、守ってくれとおこがましくも頼んだのだ……そんな自分自身が許せない……。
「俺にも、お前に言ってない事ぐらいある。実を言うと、俺はオーゴニア国の第5王子なんだ……5番目なんてたいして大事には育てられなかったが、一応、王子様って事……」
シャンは、大きく目を見開いた。
「う、そ……見えない……」
ガリアは、少し笑った。
「ああ、俺は生まれて直ぐに城を出された。警備隊の総大将の屋敷で育てられたんだ。将来は、第一王子である長兄の為に国の警護に当たる任務を与えられるだろう……幼い頃から、結構自由に、庶民とともに暮らしてきた……」
それで、っとシャンは納得した。ガリアには、国の王子などという堅苦しさは微塵もなかったから……だから、自分も打ち解けられたのかもしないと思った。
「父上の書状を持ってアクアリスに入国した時は、美しい海の煌めきと潮の匂いにうっとりした。何処までも広がる薄いブルーの海の色は、俺の心を捕らえた。シャンお前の……その瞳の様に……」
ガリアは、じっとシャンの瞳を覗き込んだ。シャンの瞳から涙が溢れ出す、頬を伝わり顎に流れたそれは、胸に落ち肌着を透き通らせた。ガリアはその様子に顔を赤らめ、横を向いた。
「シャン……服を着ろっ……話はその後だ……」
シャンは慌てて、マントを羽織り襟元を結んだ。後ろを向くと震える手で、衣服を着け始めた。今まで、服を着るのにこんなに手間取った経験はなかった、ガリアが後ろにいると思うだけで、手の震えが止まらず、呼吸が苦しくなる……恥ずかしいと思う気持ちと、それとは別の胸を騒がすウルサイ音に悩まされながら、シャンはやっとベルトを通した。
最後に、手首に革帯を巻こうとして、金の輪に白い石が増えている事に気付いた。
「白い石……これは……」
ガリアは、川を見つめたまま答えた。
「水の精霊と契約したみたいだ。黒の魔術師が送り込んできたらしい水で出来た大蛇からお前を守ってくれた……俺だけじゃ、お前を守りきれなかった……」
そう言って、ガリアは項垂れた。自分は、シャンを守ると言いながら、いつも守られている気がするガリアだった。シャンの手首にある金の輪は、シャンを守るために存在しそれを補強する為に精霊の石が嵌め込まれていく気がしてならない。本当は、自分など必要ではないのかもしれない……このまま、何も知らないまま守り続けていくなど、無理な事なのかもしれない……ガリアの心の中に迷いが芽生えた。
ガリアは、自然に両手で顔を覆うと、大きく溜め息を付いていた。
「俺は……どうすればいい……」
ガリアの態度と言葉に、シャンは不安になっていた。大きな嘘をついていた自分……ガリアは、もしかしたら自分の事を置いて行ってしまうかもしれない……、怖かった……置いていかれて、一人で何者かに追われるのは、とてつもなく怖かった。でも、ガリアがいなくなってしまうかもしれないと、もう一緒にいられないかもしれないと思うほうが、もっと怖かった……シャンは自分自身のそんな気持に、驚いていた……。
シャンは迷った、ガリアに縋って守って欲しいと頼めばガリアは嫌でも付いてきてくれる、そんな人だと分かっている……でも、本当にそれでいいのか……。本当の事も、自分の素直な気持ちも……ガリアに伝えた方がいいのだろうか……守って欲しいのではない、一緒にいて欲しいのだと……。
ガリアが、シャンを振り返った。
「話してくれるか? アクアリスの海と同じ色をした瞳の姫……本当の事を……」
ガリアの茶色のい瞳は、何かを決意したように、しっかりとシャンを見つめている。
「気付いてたの……アクアリスの皇女だって……」
「ああ。ダークピューマが捕らわれている場所が、アクアリス城の裏手にある海に面した洞窟だって、お前は言った。そんな事を知ってるなんて限られた人間だけだし、お前が監禁された地下牢があって、多くの力のある人間が住む場所など……考えれば直ぐに分かる……」
シャンは、自分が話した事がガリアにヒントを与えていたのだと知った。
「そうか……なら話し易い……僕を牢から魔法の森に匿った後、ダルタは僕に男として生きるように言い聞かせた。追われることは想像できたし、身を隠すためだろうと僕も素直に従ったんだ……もう、2年間、男として生活してきた」
ガリアの表情が少しだけ、緩んだ気がした。
「俺を騙す為じゃなかったんだな……」
ふっとガリアが自嘲気味に笑った。
「男でも欲情するんだっ……お前が、最初から女だって分かってたら……やばかったかもな?」
シャンが女性だと分かっていたら、こんなにも悩む事はなかったかもしれない……いつもと同じ様に、感情のまま、自分のものにしようと突っ走っていた事だろうと、ガリアは思った。
シャンに対しては、純粋に守ってやりたいと、それだけを考えていた……たとえ、心の底に恋心を沈めてでも、守ると決めていたのだから。
「っで、何をしに西の谷まで行くんだ」
「青い魔石を探してる……」
ガリアは、眉間にしわを寄せた。
「青い魔石? 西の谷にあるのか」
「いや。西の谷の妖精が、青い魔石の事を知ってる……彼女に聞けって、ダルタに言われたんだ。青い魔石は願い事を一つだけ叶えてくれるって……それを見つけて、僕は願い事をしなきゃならない。アクアリス国の未来の為に」
シャンの瞳が、不安げに揺れている……本当は、シャンにも真実は見えていないのかもしれないとガリアは感じた。
ガリアの中の何かが、真実を探れとわめいていた、シャンにも分かっていない真実を知っている者に聞けと、叫んでいた。
ガリアは、シャンを見つめながらそっと腰の剣に手を掛け、頭の中で話しかけてみた。
『出て来いよダルタ。それとも剣の魔法って呼べばいいのか? 青い魔石をシャンに探させて本当は何をしようって言うんだ』
手の中で、剣の柄が熱くなった。
『私の本当の名は、青の魔法。ダルタの力ではない。ダルタ自身が私、ダルタは存在しない者。青の魔石の力を使うのはシャンの運命。その時シャンは存在しなくなる』
「…………」
ガリアの顔色が一気に青くなった。
シャンが怪訝な表情で、ガリアを覗き込んだ。
「ガリア? どうしたの……大丈夫?」
ガリアは、近付いていたシャンを自らの腕の中に抱きしめた。
「シャンっ、お前は青い魔石に、何を願うんだっ……」
一瞬驚いたシャンだったが、大人しくガリアに身を任せた。
「え? だから、アクアリスの未来の為に……」
ガリアは、大きく首を振った。
「そうじゃない、具体的にだ。なんと願うつもりだと聞いてるんだっ」
シャンの身体が、小さく震えた。
「そっれは、おと……こに、僕を男にして欲しいって頼むんだよ」
ガリアは、自分の心臓が止まるんじゃないかと思った。柔らかいシャンの身体を抱きながら、そんな事が許されるはずがないと、首を振りつづけた。
「そんな事……無理だ……」
ガリアは、自分でも知らぬ間に泣いていた。シャンが女だと分かったのに、本物の男になるという……そんな事、あってたまるかと、心の中で叫んでいた。
「僕が男にならないと、妹が恋人と一緒になれない。僕は男になって、アクアリスの王になるんだ……それに、男なら……あの人の事も、忘れられる……」
シャンの言葉が、ガリアの脳天を打ちすえた。シャンは愛しい人を忘れるために女である事すら捨てようとしている……ガリアには、あまりにも耐え難い切ない告白だった。
ガリアは、シャンの首筋に口づけを落とし、そのまま唇を奪った。何もかも奪いつくすかのような激しい口づけは、シャンの頭の芯も痺れさせるほどに甘く切なかった。
ガリアの涙と、シャンの涙が、二人の唇で混ざり合った……
絡み合う二人の心……忘れられないシャンの想い……
これからの旅は、二人の関係をどう変えていくのか?