11話 シャンの秘密
迷いし者、それは誰の事なのだろうか?
木は、少しだけ二人に教えてくれる。
ガリアは、迷いし者の道しるべの木をじっと眺めていた。
『西の谷はこちら』
とは書いてあるが、その先にある枝は回り続け、何処に向かえば良いのか分からない。
「こんなんで、道しるべにもならんじゃないかっ西の谷は何処にあるんだよ」
ガリアの問いに、枝の回転する速度が速くなったような気がした。
『西の谷への道は、お前さん達二人の心の中にある。教えてもらうものではないのじゃ。誰にも教えられはせんじゃろうて』
シャンが、眉間にしわを寄せた。
「この道を行けば、川がある。それを渡れば西の谷に向かう道が分かると聞いているんだっ。いい加減な事を言うなっ」
『おお、そうさなぁ……川を渡れば分かるやも知れんなっ。だがそれは、わしの知った事じゃない』
シャンは、木の幹にそっと手を触れた……触れれば、その木の心が分かる事が、魔法の森での生活の中でも、よくあった。
何かをはぐらかすような話し方をする、この木から、真実が探り出せる気がしたのだ。
『名を隠す者よ。ワシから何かを知ろうとしても無駄よ。ワシは何も知らんのでな。その代わり、いい物をやろう……』
「熱いっ」
その熱を感じたときには、シャンの手首にある金の輪に、緑色の石が嵌っていた。
『緑の石じゃ、これは契約の証。緑の精霊はお前さんの友じゃ。お前さんの欲しい時、欲しい薬草は簡単に手に入るだろうさっ』
「あり、がとう……」
それまで黙っていたガリアが、回り続ける枝をひょいと摘まんだ。
「なぁ、じぃさん……名を隠す者と青き剣士は、どんな関わりがあるんだ……」
ガリアが摘まんだ枝が、しなってピッとガリアの指を外した。
『じぃさんと呼ぶでないわっ……しかし、まぁ長く生きておるからのう……仕方ないかのっ』
「はぐらかすなって、聞いたことに答えろよ。迷いし者の道しるべの木さんっ」
しばらくの沈黙の後、はぁ〜っと大きな溜め息が聞こえた。
『運命じゃよ……初めから決まっておった事。お前さん達は、出会うべくして出会ったのじゃ……』
二人は、互いを見つめた。
何も言えず、ただ見つめあい、言葉を飲み込んだ。
『お前さん達は、二人とも迷っておろう……迷い悩んでおる……心に忠実である事じゃ、それが、西の谷へと進む道……さぁ、もう行かんかっ、ワシは寝る時間じゃ……』
そう言い終ると、迷いし者の道しるべの木は、寝息を立て始めた。ガリアは、何も言わずグロウの手綱を握って歩き始めた。シャンも、風には乗らず、腕に革帯を巻きながら、ガリアに付いて歩いた。
運命……出会うべくして出会った……二人の頭の中に、この言葉が何度も繰り返し響いていた。
黙ったまま、川まで辿り付いてしまった。昼を過ぎているため、腹は減っていたが、二人ともあまり食べる気になれなかった。保存食を出して、水で流し込むように昼食を終える。
グロウだけが、黙々と草を食んでいた。川には、橋など架かっておらず、歩いて渡れそうなほどの深さにしか見えない。だが、注意してよく見ていると、川の中ほどは流れが急に速くなっているのが分かる。
「結構、深いのかもしないな……」
シャンが、ガリアの声にビクッと肩を震わせた。
「なっ何?」
ガリアは、シャンの方を向くことなく、川に向かって歩き始めた。
「服、洗うの忘れてた……ついでに身体も洗いたいな……」
そう言いながら、ガリアは服を脱ぎ始めた。傷を負っているため、鎖かたびらは身につけずにいた。
昨夜、シャンが貼ってくれた油紙を丁寧に剥がしてみる。
「…………」
傷が塞がり、かさぶたが出来ていた。
「ガリア、傷は……どう?」
シャンが、ガリアの背中から声をかけた。振り向いたガリアは、思いのほか近くにいたシャンとぶつかりそうになり、慌てて転ばないようにシャンの腕を掴んで支えた。思わず抱きかかえるようになってしまったガリアは、直ぐにシャンの身体を放した。
「あっ悪い、あんまり近かったからビックリして」
「ごめん僕の方こそ……傷の具合が気になって……」
シャンは、ガリアの傷口を確かめながら、顔を真っ赤にして俯いていた。
「これなら、大丈夫だよ……でも、そっと、洗って……」
ガリアは、うんっと小さく答えた。ガリアは自分の身体を洗い終え、スッキリすると、シャンのことが気になった。
「シャンあの大きな岩の陰なら、誰にも見られないし、ゆっくり出来る。身体……洗って来いよ。小屋を出てから、身体洗ってないだろう……俺は、此処で服を乾かしてるからさっ」
シャンは、少し迷っていたが、荷物から石鹸を取り出し着替えらしい物と一緒に持ってから岩の影に向かった。
ガリアは、グロウを連れて大きな岩の陰の裏にやってきた。
「お前は此処でシャンを守れ、俺は服を乾かす。シャンが身体を洗い終わるまで、誰も此処を通すんじゃないぞ! たとえ、それが俺でもなっ」
シャンにも聞こえるように大きな声で、グロウに命令したガリアは、自分は離れた所に火を熾し始めた。チャプンと川に入る音が、ガリアの耳に聞こえてきた。
火を熾し、服を裏返しながら乾かしていたガリアは、おかしな音を聞いた。ゴブゴブッと何かが水に飲み込まれるような音。バシャバシャと水を跳ね飛ばすような音。ガリアは、その音がシャンの身体を洗っている岩陰から聞こえてくる事に気付いた。
「シャン! グロウ。シャンを見ろっ」
ガリアの言葉を理解したように、グロウは岩の前に回り込むと、直ぐにいなないた。ガリアは迷うことなく、岩陰に回って、川の中を覗いた。
「シャン。シャン何処だ!」
そこにはシャンの姿はなかった。
じっと見つめていると、少し離れた場所に白いものが沈んでいるのが分かる。
「シャン?」
ガリアは半信半疑で、川に入っていくが、いきなり川底が深くなっていて、足をとられた。
「がはっ」
一瞬溺れそうになったが体勢を立て直し白いものが沈む場所を目掛けて頭を突っ込む。流れる川の水の中に、不自然な状態でシャンが沈んでいる。何かに捕らえられているかのように、手足と着ている白い下着が水に流れるばかりで、身体は動かない。近付きながら、ガリアは必死でシャンを見つめた。
しゃんの周りの水だけが、生き物の様にシャンに絡み付いていた。慌てて近寄って、シャンの周りにある水を掻き分けようとしたが、ガリア自身にまで水は絡み付いてきた。
ガリアは昨夜、黒の魔術師に剣の魔法を奪われそうになってから、自分の剣を一時も手放していなかった。今までなら、川に入る前に剣を置いてきていただろうが、今は腰に下がっている。剣で水を切るなど、おかしな話だが、今のガリアに思いつく方法はこれしかなかった。
絡まる水を押しのけながら、ガリアは剣を抜いた、剣のほの青い輝きが水中を照らし出す。キーンという甲高い音は、くぐもることなく響いていた。シャンの身体に当たらないように気を付けながら、ガリアはシャンの周りの水を切っていく。
その一瞬、水の中にギラリと光る赤い目を見つけた。剣が、水を切るたびに水中で水の渦が出来る。ゴボッとガリアの息が吐き出された。息が続かないそう思った時、シャンの腕から真っ白な光が流れ出し、辺りを包む。纏わり付いていた水ごと、ガリアを引き連れて水面に浮かび上がった。
ガリアは、浅瀬に投げ出され、シャンに絡み付いていたものの正体を見た。ぬめる様な身体を持った大きな蛇……、いやっガリアはそう思ったが、身体は透き通る水で出来ていた。真っ赤な目の間に、昨夜見たものとよく似た、呪文札を見つける事が出来た。
「黒の魔術師っきさまかっ!!!」
辺りを見回しても、黒の魔術師の姿は見当たらない。ガリアは、いまだに水の大蛇に捕らわれたままのシャンを見上げた。瞬時に計算して、屈みこみ反動で高く跳躍し水の大蛇の眉間に剣を突き刺した。パーンと水がはじける音とともに、シャンの身体が水の中に落ちた。
ガリアは慌てて川の中ほどまで入って潜ろうとした時には、ゆらゆらと揺れる水に乗ってシャンがガリアの元に戻ってきた。シャンは、規則正しい呼吸をしていて、溺れて死に掛けているわけではなさそうだった。自分は息が続かなかったのに、シャンはまるで水の中でも呼吸が出来ていたようだ。シャンの周りで水がピチャピチャと嬉しそうに跳ね回っている。
ふと見ると、シャンの手首の金の輪に、白い石が嵌っていた。
「何の石だ?」
ガリアの言葉に、周りの水が大きく跳ねた。
「水の石か……じゃあ、さっき助けてくれたのは、シャンを救ってくれたのは……水の精霊かっ」
だが、昨夜はあんなに攻撃してきた黒の魔術師が姿を見せなかった事が、逆にガリアに不安を抱かせていた。
「何を考えてやがるっ……」
ガリアは、シャンの身体を抱えた。ガリアは、その様子をじっと見つめている影の視線には気が付かずにいた。影は、煙が消えるようにふっと消えてしまった。
影には気付かなかったガリアだが、全く別の事にガリアは気が付いた……
「シャン……お前……女……」
シャンが着ていた薄く長めの下着は膝上まで隠していたが、水に濡れたそれは透けていてシャンの身体をはっきりと浮かび上がらせていた。
白い首、細い肩その中心の鎖骨の下を目で辿れば、柔らかそうな膨らみが写っている。細くくびれた腰に、ガリアが抱える弾力のある尻は、紛れもなく女性のものだった。
「はぁ〜、お前が女でホッとしたって言うか……俺……我慢限界……これじゃ、天国か地獄か分からん……お前は、一体どれぐらい隠し事があるんだよ……」
ガリアは、大きく首を振った。
シャンが女! ガリアは、嬉しい反面、隠し事の多さに淋しく思う……。