9話:アリシア①
人は私を勇者と呼ぶ。
絶望に染まった世界を救ってくれる希望の光だと、口々に囃し立てる。
それを否定し続けるのにも、もう疲れた。
いくら私が否定したところで、彼らにとって私は強く穢れを知らない救世主なのだ。
最近では、私自身も意識してそう振舞っている。アリシアという少女は恐れを知らない勇者なのだと、自分自身に偽っている。
だけど、私は知っている。
自分は大したことのない人間だ。
勇者と呼ばれることなんて、とてもじゃないがこの身には不相応だろう。
アルがもし私のこの告白を聞いたら、全力で否定してくるだろう。
『そんなことはない。君は凄い女の子だ』
『僕は知っているよ。君がずっと騎士になるために努力していたことを。そんな君だからこそ、聖剣はアリシアを勇者に選んだんだ』
とまぁこんな感じの、聞いているこちらが恥ずかしくなるような事を表情一つ変えずに言うはずだ。
彼は私を明らかに過大評価しているきらいがあるから。
アル。
アルフォンス・レビット・レイボルト。
この大陸では珍しい黒髪黒目の私の幼馴染の少年。
………そして私の好きな人。
彼はとても自己評価が低い人だ。
生まれ持ったハンデが彼の人生を歪めてしまった。
かつてと変わらずに優しい人だけど、その心の奥底には黒いもやが漂っている。
彼が魔力を持たない無能力者だと判明して以来、彼の世界は苦難に満ちたものになった。
例えば、その事実が判明する前と後では、アルに対する彼の父親の態度は大きく変化した。
かつて父親の目には、アルに対する確かな愛情と期待が見て取れた。
しかし、あの暖かな目には、やがて落胆の色が混じるようになってしまった。
もちろん長年貴族として生きてきた彼の父親が、他人のそれも親しい付き合いのある商人の娘である私の前で露骨にアルを貶めたりはしない。
だが、確かにあの人の態度はアルを冷遇する方向に変化していた。本来愛を受け取るべき存在である父親ですらそうなのだ。
きっと、私の知らないところで多くの苦難が彼を襲ったことだろう。
特に、王都の学校に通う貴族の子供などはプライドの塊だ。
私には明かしてくれないだろうが、嫌なことや辛いこともたくさんあったはずだ。
だから、なのだろうか。
彼は私を現実以上に奇麗に見すぎている。
自分自身を過剰に卑下して、必要以上に私を持ち上げる。私はアルが魔力を持たないと判明した後、態度を悪化させなかった数少ない人間の一人だ。
きっとそれが原因だろう。
しかし、何度でも言うが私は大したことのない人間だ。
いや、それどころかアリシアという人間は、汚い。
端的に言って性格が悪い。
最悪の部類だろう。
なぜなら、彼が涙目で自分が無能者だということを告白したその瞬間。
私は安心してしまったのだ。アルが魔力を持たないという事実に。
最低だろう。
私は騎士になりたかった。
一番最初の理由は定かではないし、たいして重要でもない。
確かなことは、私は同年代の女の子が興味を示す裁縫やお洋服よりも、御伽噺の英雄譚の方に強く惹かれたということだ。
私はそんな物語を自分の手で紡いでみたかった。
だから騎士に憧れた。
しかしそれは叶わなかった。
それは、才能ではなく制度の問題。
この国は、女性は騎士になることを認めなかった。
私以外の人間にとっての常識に、私の夢は阻まれた。
『だったら、僕が騎士になるよ』
アルは幼い私にそう言ってくれた。
嬉しかったし、誇らしかった。
だけど少しだけ、ほんの少しだけ妬ましかった。彼は私の夢を叶える権利がある。それを決めたのは、努力でもなければ才能ですらない。ただの運。男に生まれたか女に生まれたかの二分の一の確率の結果。
どうしてアルだけが騎士になれるのですか?どうして自分だけ。
もちろん感じた感情の総量では嬉しさのほうが圧倒的に勝っている。
だけど、確かに羨ましいという妬みの感情を持ってしまった。
だから私は安心したのだ。
アルが魔力を持たないと聞いて。
私と同じところまで堕ちてきてくれたと勘違いして。
勘違い。
そう、それは浅はかな私の勘違いだった。
そもそもアルをこんな私と同列に考えたこと自体が間違いだったのだ。
彼は堕ちてなんてこなかった。墜落したと思った瞬間、彼はすぐに羽ばたきはじめた。
国中のエリートが集う王都の学園。その狭き門に彼は首席で合格した。確かに彼は騎士になるという夢には敗れたのだろう。だが現実にまでは負けなかった。
それを私は見ていた。彼の努力を。彼の勇気を。ずっと見ていた。
彼の優しさに救われた。
彼のひたむきさに憧れた。
彼のことを考えると胸が熱くなった。
やがて私は、それを恋というのだと知った。
そして、わたしは言いようの無い恥ずかしさに襲われた。
彼は現実と戦っているのに、自分は何をしているのだろうと。
とても彼と釣り合わない。
私はもう一度、剣と魔法の鍛錬を始めた。
彼が頑張っているのなら私も頑張ろう。そう、思えた。
彼は言う。
『君は凄い女の子だ』と。
それは明らかに過大評価だと分かっているけれど、彼のそんな言葉にふさわしい人間になりたかった。
晴れの日も、雨の日も、雪の日も、病の時も屋敷の庭で鍛錬を続ける。
当然周りの目は厳しい。
本来貴族の淑女として学ばなけらばならないことはたくさんある。ダンス、裁縫、宝石の目利き、日常の所作。必要最低限はこなしたが、多くをスルーして私は鍛錬に打ち込んだ。当たり前だが、そんな私に家族の大部分はいい顔をしなかった。当然鍛錬は独学だ。
なんだ、あの女は。
どうせ、騎士にはなれないのに。
頭でも触れているのかしら。
冷ややかな反応が周囲から帰ってくる。
庭を囲む木々の間から、小声で私を馬鹿にするのが聞こえてきた。
辛くなかったと言えば嘘になる。
だけど、アルの信じるアリシアはきっと周りの声なんかには負けないはずだ。
だからひたすらに剣を振り、魔法を唱える。
ただひたすらに私は鍛錬を続けた。
そして15歳のある日、突然私の手の甲に勇者の証の痣が現れる。
私の夢は思いがけない形で、ある種予想をはるかに超える規模となって叶うことになる。