6話:闇の中で咲く翡翠の花
「ははっ。どうだ?我は的外れなことを言っているか?違うだろう?」
魔王は親し気に笑いかけてくる。それは僕の神経をひどく逆なでしてくるものであり、同時にこいつが自分の理解者であることを分からせるものだった。
魔王の提案は僕にとって一理ある、とある考えてしまう程度には共感できるものだった。
「そう、かもしれないな」
僕の言葉に魔王は喜色の笑みを強くする。
「それでも…、断る」
「………なぜ?」
魔王は心底不思議そうに僕に問いかけてくる。
気のせいかもしれないが少し機嫌も悪そうだ。そうだとしたら僕も溜飲が下げることができる。
「僕の言葉を聞いてないのか?言っただろう。僕がアリシアの非になることをする訳がない」
僕はこの世界が好きじゃない。
空も大地も真っ黒な不毛の空間が僕から見た世界だ。ここには光も熱もありはしない。
だけど。
それでも。
「たぶんアリシアから見た世界は違う景色なんだと思う。少なくとも彼女はこの世界をもっと綺麗に捉えているはずだよ」
そうでなければ、世界を救ったりしないだろう。
「だったら多分この世界にも意味はある。あると思いたい」
「君も我の言葉を聞いていないのか?言っただろう?我が半身よ。それでは君はあの娘とは結ばれないのだぞ。あの娘と対等に立つ条件はただひとつ。我を受け入れることのみだ」
「僕をずっと見てきたくせに全然僕のことを分かっていないんだな。僕はアリシアと『並んで』立って歩きたいんだ。そのために僕は今まで努力してきた」
だからこそ、宰相補佐まで上り詰めた。
「だがそれではもう駄目なことは分かっているだろう。我は知っているぞ。彼の娘が勇者に選ばれ王都に招かれた時、半身の胸中に去来したのは絶望であることを。
それは世界に対する絶望ッッッ!!!」
「確かに僕はアリシアが勇者に選ばれた時、ひどく絶望したよ。そう、『自分自身』に絶望した」
「なに?」
それはどうやら魔王の意表を突く類の台詞だったらしい。
彼女は立派に夢を叶えて見せたのに僕は全く違うところに来てしまった。
宰相補佐という今の地位を卑下するわけではないけど、自分を恥ずかしいと思ってしまった。
「だから、そう。僕は不甲斐ない自分自身に絶望したんだ」
僕は自分が大したことのない人間だとは理解している。
だけど、世界に対して、八つ当たりする程酷い人間性を有しているとは思いたくない。
「というかごちゃごちゃ語ってきたけどさ。アリシアは勇者なんだ。好きな子に敵対してどうするよ」
確かに魔王になれば彼女と対等になれるかもしれない。
だけどそれは、好きな子が自分に振り向いてくれないから悪戯をするいじめっ子の理論だ。僕はそんな子供でもないつもりだし、そんなことで思い人の気を惹きたくはない。
「それでッッ!?それで、それで思い人と結ばれなかったとしても構わないというのか!?」
「構わなくはないさ。アリシアが別の男と結ばれたとしたら、それこそ世界が終わる位悲しいよ。だけどそれは僕の努力が足りなかっただけの話だ」
魔王は気味が悪いものを見るような目で僕を見つめる。それはあまり心地いい視線ではなかったけれど、こいつの意識を少しでも不快にできるなら嬉しい限りだ。
「馬鹿な。魔王の器は世界に散らばる適合者の中で最も世界に対して恨みがある者が選ばれる…。そのはずだ」
世界に対して恨みがある者が選ばれる、か。
そこまで能動的に世界を恨んでいるつもりはないのだけれど、魔王が言うのならきっとそれは正しいのだろう。
ただ僕の世界に対する恨みは、僕のアリシアに対する想いに比べたらちっぽけなものに過ぎないのだ。
「………やはり、君の説得は無理、か。流石は産まれてからずっと我の誘惑を跳ね除けてきただけのことはある」
魔王は観念したようにため息を吐き、続いて僕を睨みつける。
ーーーー産まれてからずっと我の誘惑を跳ね除けてきただけのことはある。
成程。
目の前のこいつは毎晩毎晩こうやって僕を次の魔王に勧誘し続けていたわけか。寝るたびに夢の世界にこいつが現れるとなると、そりゃあ睡眠の質が下がって当然だ。
僕はこいつの誘惑を常に跳ね除けてきた。もしかしたら先ほどまでのやりとりも何十回、何百回と繰り返してきたものなのかもしれない。
そう思うと、目の前の魔王がひどく滑稽に感じられた。
「説得が無理なら力づくで僕を支配して魔王の器にするつもりか?」
「あぁ、そうだ。……仕方がない」
瞬間、空気が変わる。
背筋が凍り、舌の根が乾く。生物としての根源的な恐怖を僕は感じ取る。
ーーーーーこれが魔王。
世界を掌握しようとする魔の頂点。
この夢の世界に温度なんて概念があるか分からないが、僕は体感として気温が数度も一気に下がった様に感じた。
魔王の周囲の黒が濃くなる。
黒よりも黒い黒という言葉遊びめいた、だけど他に例えようの無い色彩。
いや、これは黒というよりもーーーー。
「闇、かな」
呟きと同時にソレは解き放たたれた。
魔王の周囲を漂う闇が生き物の触手のように蠢き僕を襲う。
僕はそれを何とか回避すようとするが、所詮は僕は魔法も使えない無能力者だ。
簡単に捉えられる。
触手は四肢を絡めとり僕の動きを完全に封じ込む。手足がねじ切られるような激痛が奔る。
だが、僕の頭はそんな手足の痛みが全く気にならないほどの衝撃に襲われていた。
まるで脳に沸騰したお湯を直接浴びせられたかのような熱を伴った痛み。
「がぁぁぁッッーーーー!!!!???」
絶叫は僕の意識とは関係なく飛び出した。
「恐れるな。我と一つになるだけだ」
情報の奔流が僕を襲う。
それは闇に葬られた魔王の歴史だ。
最初の男から続く敗北と憎しみの物語だ。
◆
最初の魔王は英雄だった。彼は神の先兵として地から湧き出る邪なる怪物たちと戦った。
だがやがて彼は知る。
己が屠ってきた者たちが神々の戯れで生み出された哀れな弱者だったということを。
やがて彼は決心する。弱き者達のために剣を持って戦うことを。
だが訪れるのは当然の敗北だ。神に逆らった者がどうなるかなど古今東西決まっている。しかし彼は死の瞬間に魔法を残す。
それは弱者を救うため、時代を超える力。心が絶望に染まった弱き者を見つけてはその者に力を貸す弱者の剣。彼は死してなお弱き者のために戦おうとしたのだった。
だがそれこそが魔王と呼ばれる者たちの力の原初の源でもあった。
◆
次の魔王は少女だった。少女はいつも寝る前に母親から絵本を読んでもらうのが日課だった。
絵本の種類は様々だったがはその終わり方はいつも同じだった。
悪が倒されて正義が勝つ。悪の親玉に囚われた少女は素敵な正義の味方に救われて、最後には結ばれる。
つまりは文句のつけようがないハッピーエンド。
過程はどうであれその結果は変わらない。
世を拗ねた子供なら退屈な物語だと文句をつけるかもしれない。
だけど少女はその変わり映えしない終わりが心から大好きだった。
主人公とヒロインは結ばれた方がいいし、悪い奴は倒された方がいい。
愛と正義は絶対に負けず、世界は優しさでできている。
少女はそう信じていたし、事実少女周りの小さな世界は少女が絵本で学んだルールの通りに動いていた。
ーーーー平穏は簡単に崩れ去った。
村が焼かれた。父が殺された。人間の男たちに捕まえられた。母とは離れ離れになった。
少女はエルフと呼ばれる珍しい種族だった。
たった、それだけ。
たったそれだけの理由で少女は全てを失った。
少女は絶望こそしたがこそ、決して諦めはしなかった。だって知っていたから。
愛と正義は絶対に負けず、世界は優しさでできている。
いずれ絵本のように自分を救う英雄が現れて、自分を苛める悪魔を倒してくれると。
少女の種族の寿命は人間の何倍も長い。
何年も何年も、自分の持ち主が太った豚からその息子に移っても、変わらぬ外見のまま彼女は待ち続けた。
待って
待って
待って
待って
待って
待って。
やがて少女は疑問をもつ。
なぜ誰も自分を助けてはくれないのだろうか。
何年も何年も悩み続けた結果、少女は一つの結論に達した。
自分を苦しめるこの男は実は正義の味方が裁くほどの悪ではないのではないか?
母が少女に読んでくれた物語の多敵は子供心に背筋の凍るような邪悪な存在だった。
正義の味方はいつもそんな悪を討っていた。
だとすれば、自分を苦しめる目の前の悪魔は実はただの正義の味方が見過ごす程度の小悪党に過ぎない?
だって、そうでなければ辻褄が合わない。
少女がひとつの結論に至った瞬間。
その最悪の瞬間にとある英雄が残した弱者のための力は少女に宿った。
少女は何も怖くなくなった。
ただ少女は自分に宿った力を正しく理解して、そして実行した。小悪党は肉塊となった。
それから少女は考えれるだけの罪を犯した。
自分が邪悪な存在となれば、やがて本物の英雄会えると考えて。
少女はやがて魔王と呼ばれた。
この少女によってとある英雄が残した弱者の剣は大きく変質することになる。
次の魔王はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
次の魔王はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
次の魔王はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
次の魔王はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
◆
脳がつぶれる。
視界が回る。
人類の歴史にも等しい圧倒的な情報量は僕ごときの脳みそでは受け止めきれない。
歴代の魔王の怨嗟の意識が僕の思考を侵食する。
今自分が声を発しているのかさえ曖昧になり、視界は記憶の景色とまじりあってぐちゃぐちゃだ。
自分と誰かの境目が曖昧になる。もう駄目だーーーー。
僕はーーーーーーー。
その時、僕の視界足元に見過ごせないモノがあった。
そして感じる懐かしい気配。
そんな馬鹿な、とわずかに残ったなけなしの理性はその直感を否定しにかかる。だけど僕が間違えるはずもない。
すると莫大な情報の奔流の中に見知った顔が浮かんだ。
魔王の歴史の渦の中に彼女がいた。
-------アリシアだ。
アリシアが僕に向かって剣を振るっていた。
止めてくれ。
僕だ。アルだ。
そう叫ぼうとするが声は出ない。彼女は容赦など知らず僕を斬りつける。
僕の注意は思わず自分を切り刻む剣にいく。それは蒼き光波をまとった白刃の剣だった。
装飾は意外にも多くはない。
だが、蒼く魔力を纏って煌めくその刃は僕が見てきたどの剣よりも美しかった。
これが………聖剣。
そしてそれを振るうのは僕の初恋の少女だ。
彼女は灰色のライトメイルに剣が生み出す魔力と同じ色をした蒼のマントを羽織っていた。
その姿は正しく勇者。
翡翠の瞳を細めながら彼女は油断なくを僕を睨む。
どうしてだ?どうして僕がアリシアに襲われている?
そもそも、何故彼女が歴代の魔王の記憶の中にいるんだ?
いや、これは記憶というよりも……。
「-------焦っているのか?」
気づくと僕の口は動いてた。
「何を言う?我が半身。次なる器よ」
「僕を取り込もうと、繋がりを深くした弊害だな。見えているぞ」
「ッッッッッッ!!!!」
魔王の顔に過去最大の衝撃が奔る。それが僕には心底おかしい。だってそうだろう?
世界に敵対する魔王がこんな小僧の言葉に揺さぶられるなんて。
「ははっっっ。あぁ思い出した!!なんで忘れていたんだろうッ!!?アリシアは王都を出立してもう1年が経っているッッッ!!!」
僕は笑う。
相変わらず脳には酷い痛みがそれよりも大事なことがある。
「魔王の仕業かこの夢の世界のルールなのかは知らないが僕はそれを忘れていたッッ!!!
そして、だ!!もうお前は死にかけなんだろう?お前の本体は今まさにアリシアとの戦いの結果討たれる寸前なわけだ!!!」
誰よりも追い詰められ余裕がないのは魔王の方だったのだ。
先程のアリシアが僕を切り刻む光景はきっと、魔王の本体が見ている光景なのだろう。
今も意識を集中させれば戦いの様子が魔王の視界を通じてリアルタイムで確認できる。
「もうお前は限界なんだろう!?もう時間が無いんだろう!!
だから今ッッ!!お前は焦って僕を次の器にしようとしてる訳だッッッ!!!」
眼下を見ると足元に一輪の小さな花があった。
アリシアの瞳と同じ翡翠の色の花弁をつけた珍しい種類の花だった。
僕は思わず微笑みたくなった。本当に微笑んでしまったかもしれない。
この世界には光がない。熱もない。大地も空も黒に染まっている。
だけど花はあった。一輪の小さな花かもしれないが、この不毛の大地にも咲く花があったのだ。
だったら僕は戦える。そのちっぽけな事実だけで、僕は折れずに立ち向かえる。
僕は見据える。
眼前の敵を。魔王を。
相変わらず身体は捉えられ、意識は乗っ取られようとしている。身体にも脳にも激痛が奔っている。
状況は最悪だ。
だけど僕は不思議と諦めようとは思わなかった。
彼女は今まさに最後の戦いに挑んでいる。少し意識を割けば彼女の雄姿が瞼の裏に映る。
だったら、僕も戦えるはずだ。