4話:彼女の決意と僕のココロ
陽が傾き始め、王都の街並みがオレンジ色に染まっていく。
夕方になるまで王都見物を続けた僕らは、王都のおすすめスポットの一つである大きな噴水がある公園のベンチに腰かけていた。
橙の陽光が噴水の水面にきらきらと反射して鮮やかでありながら、何処か物悲しい色彩を作り出していた。
「ふう~~~~、遊びましたね~~~!!」
満足げにアリシアが言う。
「僕も久しぶりにこんなに運動をした気がするよ……」
一日中王都を歩き回ったおかげで僕の足はパンパンだ。正直、座っているベンチから立ちたくない。
「いやいや、歩いただけで運動て…」
あきれたようにアリシアは苦笑する。
仕方ない。文官である僕には体力はそこまで必要とされないのだ。
「そもそも、アリシアは昔から体力がおかしんだよ。なんだよ、大人にマラソンで勝つ子供って」
昔からアリシアは身体面においては規格外だった。今にして思えばあのころから勇者の片鱗が見えていたのかもしれない。
自分?自分はアリシアの走るペースに追いつこうとした結果、演習場の横でゲーゲー吐いていた。
アリシアは何がおかしいのかずっと一人で笑っている。
「……何?」
「いえ。懐かしいなぁと思いまして」
「そうですか…」
吐いたり泣いたりしてた自分の過去の痴態はなるべく忘れてほしい…。
やがて、アリシアの笑い声が小さくなり二人の間に静寂が訪れる。
僕は何か話そうと思いアリシアの方を向くと、彼女も僕の方を見つめていた。
自分の胸の鼓動が一際大きくなるのを自覚した。 彼女の翡翠の瞳に見つめられるといつも僕の心臓は早鐘のようになってしまう。
沈黙が続く。
アリシアは何か言いた気だが、どう伝えればいいか迷っているようだった。
大まかな視線は僕の方を向いているが、瞳はゆらゆらと所在なさげに揺れている。
やがて彼女は何かを決意したように口を開く。
「……明日秘密裏に聖剣の力を試す実験が行われます。王都の近くに現れたはぐれの魔物を討伐する予定です。確かワイバーンでしたか」
「……そっか」
ワイバーンは蛇に翼をつけたような中型の魔物だ。
戦闘能力自体はそこまでではないものの、奴らはその翼で飛行することにより地形に左右されない移動を可能にしている。魔物と人類の最前線から離れた王都近辺でも多くの被害と目撃情報がよせられていた。
「聖剣の力が実際に魔王を屠るに足ると証明された場合、その2日後に正式に人々の前で私が勇者だということが明かされ、国王から魔王討伐の任を授かります」
「…うん」
「その次の日、メインストリートを通って人々に見送られながら王都を出立します」
「…わかったよ」
それは僕らがもう二度と会えなくなるかもしれないという事実を伝えるものだった。
僕はアリシアの瞳を見る。宝石のように奇麗な翡翠色の瞳。いつもと変わらず見る者を魅了するその瞳には、だが隠し切れない明確な恐れがあった。
『私はみみっちい人間』、か。
数時間前、彼女が本屋で言っていた言葉を思い出す。
「………怖い?」
「………………少しだけ」
長い沈黙の後、彼女はまるでそれを恥じることであるかのように、その一言を絞り出した。
だけど、怖いの当たり前だ。
世界の人々の命を背負うのにも等しいのだ。
恐れて当然であり、きっと自分なら恐怖のあまり逃げ出してしまうだろう。
突然勇者に選ばれ自分の周りの世界が一変する恐怖。
聖剣に選ばれそれまでの自分とは比べ物にならない圧倒的な力を手に入れた恐怖。
魔物と戦い、魔王を討伐しなければならない恐怖。
人々の希望を背負った重圧感からくる恐怖。
死の恐怖。
あらゆる恐怖が彼女を襲っているのだろう。
僕は鞄から一つの小さな包みを取り出し、アリシアに差し出した。
アリシアが本屋にいるときに近くの店で買ってきたものだ。
「これ、あげるよ」
「私に、ですか?」
色々な意味で意外なものを見る目をしてアリシアは小包を受け取る。
「ははっ。アリシア以外に誰がいるんだよ」
道行く人に突然声をかけてプレゼントを渡すなんて、不審者以外の何物でもないと思う。
開けてもいいかと視線で問いかけてきたので頷いて肯定の意を伝える。
「綺麗ななペンダント……」
僕がプレセントに選んだのは銀でできたペンダントだった。トップの部分には技巧を凝らした繊細な装飾が彫られており、中心には彼女の目と同じ緑色の宝石がはめられている。
「店の店主が言うには魔除けの力があるらしい。…たぶん嘘だけど」
「嘘なんですか!!?」
「そりゃ、まぁ」
すると、アリシアはくっく、と笑い出した。
「な、何?」
「いえ。やっぱりアルはアルだな、と」
「どういこと?」
「私がいつも読んでいる物語の英雄たちはこんな場面だと力強く励ましてくれるものです」
「ご、ごめんなさい」
だが、残念ながら自分にはそんな器量はない。
「器用そうに見えて、ここぞという場面では不器用ですからね、アルは」
「自覚はあるよ…」
「一見人当たりは良さそうですけど実は内心とても人見知りですし」
「自覚はある…」
「よく笑っているから誤解されがちですけど本当は結構根暗」
「はい…」
手元のペンダントを触りながらアリシアは僕を容赦なく罵ってくる。
そんなに、プレゼントが気に入らなかったのだろうか。魔よけの効果を眉唾だとしても結構選んで買ったのだが……。結構ショックだ。
「でも…」
そこでいったん言葉を区切りアリシアは僕の目をまっすぐ見つめながら言った。
「アルは本当に優しいですね」
おおげさかもしれないが、僕はその言葉でこれまでの人生のすべてが報われたような気がした。
魔力がない無能者だと分かった後、僕の世界は大きく変わった。
僕に期待をかけていた父は大きく落胆し、母はちゃんと産んであげられなったことを涙ながらに謝ってきた。腹違いの兄達は口にこそ出さなかったが、明らさまに僕を見下していた。
他人より不幸な人生を送ってきたなんて、そんなことは別に思っていない。
だが、自分の出来る範囲の努力は全てしてきたつもりだった。
全ては彼女の隣にに立って、一緒に歩いて行けるように。
「私の知るどのより英雄よりもずっと、世界中の誰よりもずっと」
涙腺が熱くなるのを感じた。
「あなたは優しい心をもっている」
僕は気恥ずかしさから思わずアリシアから目を逸らす。目尻に溜まった涙を見られたくはない。
「………そんな、ことは、ない」
「そんなことはあります」
僕は否定しようとするが、自信満々といった風なアリシアの言葉にばっさり切られてしまう。
「いやでも、そんなこと」
「この勇者の言葉が信じられないのですか?あなたは魔王よりも恐れを知らない人間ですねぇ!!」
その心意気は買いますが、と彼女は笑う。
「……きっと、君の好きな英雄達なら、君と一緒に魔王と闘ってくれるはずだ。君の代わりに痛みを引き受けてくれるはずだ」
結局僕は、アリシアが勇者になることを止めることなんてできない。
世界の命運を背負った勇者の旅を止めることなんてできないのだ。
僕は自分の手の届く範囲で妥協しているような小物だ。
「それでも、あなたは自分に出来ることをやろうとしている。自分にとって出来る範囲で全力で走っている。物語の英雄達と同じように」
「アルのおかげで勇気が出てきました」
「……大丈夫?」
僕は彼女に問いかける。
その瞳に先ほどまでの恐れはなかった。
「えぇ、もう大丈夫です。魔よけのペンダントを装備した今、私に恐れるものはありませんッッ!!」
「わかったのです。勇者になるよりも不安なことが。魔王と戦うよりも恐ろしいことが。自分の死よりも拒みたいものが。ようやく、分かったのですよ。いえ、再確認した、と言った方が正しいですね」
「アリシア……」
「私は魔王を倒しますよ。アルフォンス」
アリシアは僕が彼女のことことを過大評価していると言った。
だが、やっぱりそうは思えない。
夕焼けに染まる世界の中で、僕にそう宣言する彼女の姿は正に勇者だった。
僕はそんな彼女に何か言おうとして。
ーーーー『■■■ラタ■■■■■。■■■■■■レ■』
ーーーーーーーーーーーー『ワ■■■マ■■』
声が聞こえた。
「が、がぁああああーーーーー!?」
突然視界が明滅し、肺が潰れたような痛みが襲う。
次に感じるのは脳に熱湯でも流し込まれたかのような激しい頭痛。
ベンチにも座っていられなくなり、僕は地面に転がり落ちた。
必死な顔のアリシアが僕を揺すりながら叫んでいた。
「アルッッッッ!?アルッッ!?どうしましたッッ!?」
視界が黒に染まっていき、聴覚もやがて消えていく。
沸騰したように熱く滾る頭に誰かが語りかけてくる。
ーーーーー『ワ■■■■イレヨ』
アリシアだろうか。いや、違う。
コレは彼女と比べるのもおこがましい程、邪悪な存在だ。糞にも劣る世界で最も嫌悪すべきものだ。僕の心が全力でこいつを拒絶するのを感じる。僕の心はこれほどまでに他者を嫌いになることができたのかと、一人感心する程の強烈な感情。
コイツに話しかけられるのはおろか見つめられることすら耐えがたい苦痛だった。
なのにどうしてだろうか。
僕我は自分でも不思議なくらいコイツに対して親近感が湧いていた。
同じ空間にいるくらいなら死を選びたくなるほどの強い嫌悪感と今すぐ話かけて友人になりたいような相反する感情。ソレに見つめられていると平静ではいられない自分がわかった。
闇に染まる世界の中で気づけばコイツと二人きりになっていた。
ソイツは僕の身体の中、或いは世界の果てから僕を見ていた。ずっと、ずっと、ずっと見ていた。
そうか、こいつは。僕は。僕こそが。
そして僕の意識は完全に闇に沈んだ。
「アルッッッ??!!!アルッッ?!アルフォンスッッ?!!!」
ーーーーー『我は魔王。新たな器よ。我を受け入れよ』
◆
「おや、こんにちは。アルフォンス君」
目覚めると一人の老人が自分を見つめていた。
「…宰相?」
自分の直属の上司である宰相だった。方眼鏡がトレードマークの飄々とした白髪の老人だ。
「……えっと、僕は?」
「1週間寝てたんだよ君。何なの?1カ月くらい徹夜でもしたのかな?」
一応部下の労働環境には注意していたんだけどな、と宰相は呟く。
周りを見渡すと、ここは病室のようだった。
そうだ、確か自分はアリシアと王都を見物していて突然気分が悪くなったんだった。
……確か気を失う前に誰かの声を聞いたような。気のせいだろうか。
「というか1週間ッッッ!?」
思わず大声が出てしまった。1週間も休んだらいったいどれほどの仕事が溜まっているのだろうか。
想像するだけでも恐ろしくなる。
「君、倒れて長い間寝てたってのに元気だねぇ。若いって羨ましい」
感心いたように宰相は言う。
「え、ええ。体の方はなんともありません」
シャツをめくって自分の体を確認してみるが目立った外傷もない。では体の内側に異変があるのではないかと疑ってみても、違和を感じる所はない。
長い間動かしていなかったせいか、節々が少し凝っているようだがそれは大した問題ではないだろう。
「うん。医者も倒れた原因が全く分からないって言うもんだからそりゃ大変だったよ。勇者殿ってあんなに取り乱すんだね。王宮での謁見では年齢不相応に落ち着いてたから少し意外だった」
「勇者アリシアは?」
「うん。2日前に大勢の王都民に見送られながら出立しちゃった。私も当然参加させられたけどすごい人の数だったよ。王都ってあんなに人がいるんだねぇ。老人にあの人だかりはちょっときつい」
群衆の熱気を思い出したのか宰相は顔をしかめながら言う。
「そう、ですか」
「勇者殿は君と仲が良いんだね。幼馴染なんだっけ?君に挨拶するまでは王都を出立できない!って大分ごねてた。まぁ、一個人の理由で国の行事を延期することなんてできないから、最終的には納得してもらったけど」
苦笑しながら宰相は言う。
「えぇ、それが正しい判断でしょう」
「私はそろそろ出るよ。というか君が目覚めたことをお医者様につたえなくちゃならんし」
宰相はそう言って病室のドアに手をかける。
「はい。できれば、見たかったですね」
「うん、何を?」
「アリシアが聖剣を持つところ」
結局僕は見ることができなかった。
聖剣は選ばれたものしか抜けないらしく鞘に収まった状態しか知らない。
「…帰ってからいくらでも見せてもらえばよかろうよ」
「……そう、ですね」
アリシアは魔王を倒すといった。
ならばその未来は確実に訪れるのだろう。
その、幸せな結末になぜか僕は身震いした。