2話:目覚め
睡眠の質はあまり良くない方だ。
ストレスかそれとも生来の質なのか、いくら寝ても目覚めと共に陰鬱とした重さが頭に必ずこびりつく。気だるげな眠気が中々取れず、頭が回り始めるのにいつも結構な時間が必要になる。
そのため僕は朝起きるのが苦手、というよりも眠ること自体があまり好きでは無かった。
もっとも、僕が毎朝格闘している眠気将軍は今朝は一目散に逃げていったようだが。
誰かに呼ばれたような気がして目を覚ますと、目の前にアリシアがいた。僕の王宮近くに借りている小さな一人暮らし用の部屋の中にアリシアがいたのだ。
僕は彼女の顔を認識した瞬間、顔が火照り心臓の鼓動が早鐘のように早くなるのを感じた。
眠気なんてとっくに吹っ飛んでいる。
ベットで眠る僕をまるで夫の起床を確かめる新妻のようにのぞき込んでいた。
「おはようございます、アル」
僕の目が覚めたことに気づいたアリシアが口元に優し気な笑みを浮かべながら言う。
「………なんで?」
疑問しか沸かない。
そうなんです、実は僕たち結婚しました!!!なんて事実は当然ない。
アリシアが王都に来て三日、僕は彼女と一度も会話していない。
ならば、これは僕の脳内が見せた幸せな夢なんだろうか。僕自身の脳が作り出している映像とは言え、少し都合が良すぎないだろうか。
「目は覚めましたか?」
うん。
どうやら、このリアルさは現実のようだ。僕は逃避をやめて返事をする。
「…おはようアリシア」
「ええ、おはようございます」
アリシアは僕のその言葉に嬉しそうににっこり微笑んだ。
実際に会うのは学園の長期休暇で生家に帰ったきりだから、だいたい2年ぶりくらいだろうか。
先日の王との謁見の時にも思ったけど、本当に彼女はきれいになった。
だが今はそんなことよりも追求しなければならないことがある。
「…なんでいるの?」
「いちゃ悪いのですか?」
「だって、ここ僕の部屋だし」
「ええ、知ってますが?」
「そりゃ知ってるよね…」
「本当に久しぶりですね、アル。どれくらいぶりでしょうか」
「えぇと、僕が学園の休暇で帰ってきて以来だから2年ぶりくらいじゃないかな」
「2年ですか。本当に長い。ところであなたが王都に移り住んで何年が経つでしょうか?」
「12の頃に学園に通うために移り住んだから、だいたい5年くらい?」
ちなみに僕もアリシアも今年で17歳だ。
「5年ですか。アルの青春はこの王都での出来事が大半を占めているのでしょうね。それほどの月日がたてば、あどけなかった田舎領主の息子も立派な薄情都会っ子に変貌しますか。悲しいことですが……」
いまいち要領を得ない。おかしい。こんなに意思疎通が困難な子だっただろうか。
それにずっと笑っているがどういうわけか少し笑顔が怖い。
そんなことを考えていると、突然彼女は声を張り上げた。
「あのですねッッッ!!私は怒っているのですよ!!アル!?」
その様子に面食らい、つい敬語で返事してしまった。
「え?そうなのですか?」
「そうです、激怒しています!!怒りの余り目が3つに増えた、かのエルガゲリンのように、私の心の内では怒りの業火が今も尚燃え続けておるのです!!」
彼女は英雄譚やら騎士が活躍する御伽噺ばかりを好んで読んでいたためか、なかなか独特の言葉回しをする時がある。どことなく普段の仕草やら喋り方が演劇ぽかったりするのだ。
もっとも、そのお陰で先日の王宮での謁見でも見事な姿を演じることができたのだろうが。
まぁ、ともかく思考を戻そう。彼女は大変怒っているそうである。
「はぁ、それは、それは」
大変なことで。
ビシィッ!!と一刺し指を僕の顔に突き付けて彼女は言う。
「それもすべてあなたの仕業です!!穏やかだった私の心の薪に黒々とした炎をくべたのはあなたなのですよ!?」
「えっ?僕?」
「どうして……!!!どうして私が王都に来てから一度も会いに来てくれなかったのですか?私たちの友情はそんなにも脆く儚いものだったのですか?王都の酷薄な人々に揉まれてあなたも優しさを失ってしまったのですか!!?」
「えっ、それは……」
思わず言葉に詰まる。
そう、彼女が聖剣に選ばれし勇者として王宮に招かれて3日、僕は一度も彼女に会いに行こうとはしなかった。
それらしい理由をつけようと思えばいくらでもつけることができる。例えば僕の仕事が忙しかったからとか、彼女の体調を考慮したからだとか、そこらへんだ。
だが、彼女の真剣な瞳は僕にその安易な選択を許しはしなかった。
そう広くはない僕の部屋に寒々とした沈黙が流れる。窓から差し込んでくる朝の陽ざしはこんなにも暖かく、穏やかだというのに。
やがて、
「……やはり」
アリシアは消えそうな小さな声でつぶやいた。
「……私が勇者に選ばれたからです、か?」
それは先日の王宮での凛とした彼女の様子とは、似ても似つかない程自信なさげで、僕に小さな女の子が泣いている様を幻視させた。
「……私のことを、その……嫌いに」
「それはない」
僕はきっぱりと断言する。
そう、それだけは絶対にない。僕がアリシアを嫌いになる?馬鹿馬鹿しい。
「ですが、あなたは……」
アリシアは納得できないように僕を見る。
あぁ、なるほど。彼女は一人だけかつての夢を叶えた自分自身に対してどうしようもない罪悪感をかんじているのか。
確かに、王宮で彼女の堂々ある姿を見た時、僕の胸には隠しようもない絶望が去来した。
それは揺らぐことのない事実だ。
だけどそれは彼女に対する妬みつらみの類では、決してない。
僕は夢を叶えたアリシアを我がことのように喜んだ。
彼女には才能があって、小さい頃から努力していて、だけど世界をその夢を許さなくて。
彼女はようやくその夢をつかみ取ったのだ。それに対して嫉妬するなんて誰ができようか。
そうだ、それだけは間違いなく断言できる。
そう、
その絶望と怒りの対象は彼女ではなくて。
「それは違うよアリシア。…会いに行かなかったのは、単純に宮仕えのめんどくさい慣習のせいだ」
僕は結局嘘をつくことにした。都会での生活はアリシアのいう通り僕を確かに汚い酷薄な人間へと変えていた。
「下っ端の若造が大貴族の方々を差し置いて会いに行ったら、いい顔をしない連中がたくさんいるからね。それに君もこっちに来たばかりで疲れてると思ったし…。だけど、いらない気の使い方だったみたいだ」
すべて事実だ。
ただ、僕の本音ではないだけ。
「……真実ですか?」
アリシアはそれでも訝しむ。
「ほんとほんと」
「マジでですか?」
「マジマジ」
「………では、そういうことで納得しておきます」
ようやくアリシアの顔に笑顔が戻り、ピンと張り詰めていた空気が緩む。
僕はいい加減ベットから立ち上がった。大きく伸びをする。腰の骨が大きく鳴った。
なんだかもう一日分働い心持ちだ。
「会いに行かなかったお詫びに朝食を御馳走するよ」
5年ほど一人で暮らしていたため、一通りの自炊はできる。
「ありがとうございます。ならお詫びついでに王都を案内してもらっても良いですか?私こちらに来て一度も屋敷と馬車の外に出たことがないんですよ」
「……ちゃんと許可とってここに来たよね?」
「……一応は」
「ねぇなんで目をそらしたの?ねぇアリシア?こっちを向け」
僕はアリシアに疑惑の目を向けながら、台所に向かう。
そこで、ふと疑問が浮かんだ。
「ねぇアリシアどうやって僕の部屋に入ってきたの?」
「………そりゃまぁピッキングで」
「勇者が盗賊の真似事をしてんじゃねえよ」
結局朝食はお詫びとしてアリシアが作ることになった。