11話:1年後のアルフォンス
「少し高いんじゃないですか?」
店頭に並んだジャガイモを一つ手に取り、髭面の店主に訝しげな視線を向ける。
ここは、人が行きかう街の大通り。道の両端には露店をはじめとした雑多な店が軒を構えている。僕は食料品を買い込みにそのうちのひとつに立ち寄った。
「……どこもかしこもこんな値段だよ」
髭面の店主は、顎の髭を触りながら言う。
「あちら側の店では3割ほど安く売られていましたが」
僕は親指で自分の斜め後ろを指す。
店主はじろりと僕を見ると、苦笑する。
値引きできるか?と僕は淡い期待を抱く。
「中々良い度胸をしてるな坊主。だが残念ながら俺とあの店の品質は天と地ほどの差がある。もちろん俺の店の商品の方が品質がずっと良いという意味でな。それが分かってるから坊主も俺の店に来たんじゃないのか?」
図星だった。もうひとつの店のジャガイモは半ば腐りかけていて、あれを食べることは熱処理の限界を探ることと等しかった。
「すいません。では一袋お願いします」
ローブから財布を取り出し、お金を払う。
「あいよ。まいどどうも」
なるべく金は節約しなければならない。
不運な事故のせいだった。
王都から持てるだけの貯金や換金可能な品物は持ってきたが、まさかここまで滞在が長引くとは思わなかったのだ。
自分の目的がいつ果たせるのかも分からない以上、無駄な浪費は避けるべきだろう。
王国から北に北上した、商国の地方都市。そこに僕は今隠れ住んでいる。
魔物は北からやってきたため、基本的に北上すればするほどその打撃を大きく受けたことになる。
国としての存続すら危ぶまれ程の傷を負った国もある。
となれば、当然難民が発生する。
僕はそんな北からやってくる難民に紛れ込んで、この商国にやってきた。
「あれ、やだ……」
「じろじろ見るなよ。失礼だろ」
自分を指さしながら何かを言い合いう男女のカップルを横目に、ローブのフードを目深く被る。
どうやら、黒髪が見えていたようだ。
魔王が黒髪黒目だったという情報がどこからか流れ始め以降、同じ髪と目を持つ人間はこの世界では居心地が悪くなってしまった。
魔王が死んでから1年。
まだ世界には問題が山積みだ。
◆
大通りから小道に逸れる。
そこから薄暗い路地を何度も曲がると、お目当ての店があった。
看板も何もないみすぼらしい店。およそ日の当たる世界で暮らす人間には用がないだろう。
挨拶もなしに扉を開けると、しわくちゃの老婆が店番をしており自分を出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「前に言ってたやつをくれ」
前置きも無しに用件だけを告げ、財布から銀貨を取り出す。都合10枚。決して安くはない出費だ。
これのせいで、僕は質素倹約な生活を強いられている。
王都からそれなりの財産はもってきたけれど、それもいつまで持つか分からない。なにかしらの稼ぐ手段を見つけることも視野に入れる必要があるだろう。
「ひっひ。あいよ。毎度ありがとねぇ」
老婆は金を受けとると、後ろの棚からひとつの小瓶を持ってきた。毒々しい紫色の液体がガラスの向こう側で漂っている。
それを受けとり、素早くポケットに忍ばせる。
そこで気づく。
「涎ついてるよ」
僕が店に入る直前まで居眠りでもしていたのだろう。老婆の頬には涎が付着していた。
「おっと。すまないねぇ」
恥ずかしそうに頬を染め、老婆は服の袖でそれを拭う。こんな後ろ暗いブツを販売してる老婆だというのに、可愛らしいところもあるものだ。僅かに口元が綻んだ。
それを見た老婆は苦笑し言う。
「歳は取りたくないもんだねぇ」
妙に和やかな空気が二人の間に流れたいた。そのに気をよくしたのか思わず、といった風に老婆は聞く。
前々から疑問に思っていたことの答えが今なら聞けると思ったのだろうか。
「ほんとにあんたは一体誰を殺す気なのかねぇ。今まで買っていった毒薬を全部合わせれば魔王だって殺せるんじゃないかい?何に使おうってんだい」
老婆の言葉にドキリとしながらも、僕は努めて冷静に言う。
「……店主」
「あぁ、別にあんたのことを詮索しようってんじゃないよ。今のはただの世間話さ。こんな商売をしてるんだ。そこんとこのルールは肝に叩き込んでいる」
慌てて老婆は取り繕う。
「それでいい。またくるかもね」
そう言って僕は店を後にした。
僕の現在の住処は、街から少々離れたところにある。
街の端から山の方面に向かって2時間程歩いた山中の小屋が、僕の今の家だ。
正直かなり不便な場所にあるが、仕方ない。
ここに越してきた当初は、こんな場所に半年以上留まることになるなんて想像していなかったのだ。
軋むドアを開けて、小屋の中に入る。
当然ながら僕の他には誰もいない。みすぼらしいこの小屋で、僕は半ば世捨て人めいた生活を送っている。
荷物をテーブルの上に置いて、一息つくと僕はローブから、怪しげな老婆が店主をやっている店で、買った小瓶を取り出した。
小瓶の透明なガラスの中には、毒々しい紫色の液体があった。
キュポン、と蓋となっているコルクを開ける。
口元に小瓶を近づけると、微かな刺激臭が漂ってきた。
「さて、買ったジャガイモが無駄になるか、ならないか」
それを見つめ、意を決する。
一息に液体を全て飲み込む。
「ぐう、があぁァァああ ああァあああああーーーーッッ!!」
のどが焼け、胃を中心に身体全体に激痛が奔る。
視界がチカチカと明滅し、呼吸をすることすら苦痛になる。
椅子に座っていられなり、転げ落ちる。
受け身もとれずに、頭を打ったはずだが痛みは全く感じない。
いや、そんな小さな痛みなんて感じる暇はない。
自分は今一秒ごとに死に向かっているのに、頭を軽く打ったことなんかに頓着できようか。
口から接種した劇薬が全身を燃え上がらせる。
発汗が止まらず、体全体が炎に焼かれているように熱い。
「がぼっっ」
口からついに血が溢れだした。
意識が薄れていく。
あぁ、自分の命もここまでの様だ。
僕はその事実に安堵してーーーー。
僕の痛みはそこまでだった。
僕の意志に反して身体から闇色の魔力が溢れだす。
それらは僕の全身、内部の器官にまでいきわたり、毒に侵された箇所を治療する。
毒を除き、荒れた粘膜を癒す。
身体の痛みがみるみる引いていき、数秒のうちに僕は全快した。
「……今回も失敗だった、か。一滴で人を数十人は殺せるって触れ込みだったんだけどな」
のそりと立ち上がり、台所へ移動する。
魔法で火をつけて湯を沸かす。
なんとなく喉がひりひりするため、飲み物で潤したい。
落胆は少ない。
流石に『100回以上も』失敗すれば、慣れてくる。
「毒方面からのアプローチはもう止めた方がいいかな。見込みも小さいし、何よりお金がいくらあっても足りない……」
先ほど飲んだ、小瓶の毒薬で自分の王都勤め時代の給料1カ月分が吹っ飛んだのだ。
そろそろ別方面のアプローチが必要になってくることだろう。
「ただ、物理方面は最初の方にあらかた試したんだよなぁ。崖から飛び降りたり、体に石を括り付けて湖の中で窒息死しようとしたり」
どれも無残に失敗したけど。
仕方ない。それらについてはまた後で考えるとしよう。
沸いた白湯を飲みながら、とりあえず今日買ってきた品物の袋を開ける。
中には髭の店主から買ったじゃがいもがびっしりと入っていた。
「まあ、買ったジャガイモは無駄にならなかったということで」




