1話:歩き続けた僕の御話
夢なんて言葉が嫌いだった。
夢に焦がれれば焦がれるほど、どうしようもない現実が僕を追い詰めていくから。
こっちを見ろ、こっちを見ろ。この無能者め。そう誰かに言われているような気がするから。
夢は叶ってしまえば夢ではなくなると、誰かが言った。
だから叶えられないくらいの無謀な夢で丁度良いんだよ、と。確か僕の祖父の言葉だったか。彼は一体どういう心境で僕にこの言葉を送ったのだろうか。
叶うことのない夢なんて、夢じゃない。だけど、決して叶えられない夢ほど残酷なことはないと僕は思う。
幼いころ、僕は騎士になりたかった。
それは母がよく寝る前に話して聞かせてくれた、悪い魔王と騎士のおとぎ話の影響も大きいと思う。
けれど、何よりも幼馴染の少女の気を惹きたいというのが一番の理由だったろう。つまり、小さい頃の僕はちょっとオマセさんだったのだ。
僕は地方の都市を納める貴族の四男坊で、彼女はその街一番の商人の娘。
僕と彼女の初めての出会いは、父に連れられて彼女の屋敷を訪れた時だった。
お互いの父親の思惑としては、将来の結婚候補の一人として紹介し合うつもりだったのだろう。
幼いうちからお互いが相手のことを気に入れば儲けものといった感じの考えだ。
そして、父のその目論見は見事成功したといっても良い。ナイス父上と、当時の父に喝采を送りたい。
その時僕はまだ、六を数えるか数えないかといった齢で、異性を意識する年頃とはとても言えなかったけれど、彼女の姿を見た瞬間身、体の芯から火照るのを感じた。もちろん初めての経験だった。
金糸の髪に宝石の様に輝く翡翠色の瞳。
彼女と目が合い、可愛らしい口元に笑みが浮かんだ瞬間、例えようもない幸福が胸いっぱいに広がった。それを一目惚れだという事を、僕は後に知った。
僕の恋した少女の名前は、アリシア。
彼女の外見は他の女の子と比べても頭一つ抜けていたが、その内面は比べるのも馬鹿馬鹿しくなる程突飛だった。
この年代の女の子は普通人形遊びやら可愛らしい洋服やらに強い興味を持つはずだろうが、彼女はそれらに全く関心を持たなかった。代わりに彼女は血なまぐさい英雄譚や騎士を主役としたおとぎ話に夢中だった。
彼女は自分の父親に強く頼み込んで剣の先生を雇ってもらい、日がな一日剣を振って過ごしていた。
女だてらに、と僕の父は哂っていたが僕はその光景をとても奇麗だと思った。
貴族の嗜みとして、僕も少しばかり剣術をかじっていたけれど、アリシアには全く敵わなかった。
「アル。私は将来、この英雄譚の様な騎士になりたいのですよ」
聖剣に選ばれた騎士が魔王を倒して世界を救う。彼女はそんな内容のお気に入りの本を片手に僕に宣言した。ちなみにアルとは僕のあだ名だ。アルフォンス、略してアル。
夢に邁進する彼女の姿は僕の憧れだった。
ーーーーーただ、現実は残酷だ。
夢は叶うとは限らない。
この国では女は騎士にはなれなかった。
女性は男性に比べて生まれ持った魔力が低いという理由もある。だが、それ以前の単純な話、僕の生まれ国は男権威主義的なのだ。彼女は天才だった。同年代の誰よりも魔法と剣の才に溢れていた。
だけど。
世界はそれを生かすことを許さなかった。
彼女は泣いていた。
女が騎士になれないこの国を呪い、女に生まれた自分の身を呪っていた。
僕は彼女が泣く姿を初めて見た。
気づけば口に出していた。
「-----だったら僕が騎士になるよ」
アリシアのそんな姿は見たくなかった。
だから、僕は…………。いや、言い訳は止そう。僕は単純に彼女の気を惹きたかったのだ。認めてほしかったのだ、きっと彼女に。
……………その7日後、僕に魔力が備わっていないことが判明した。
数百万人に一人生まれる魔力を持たない無能者。それが僕だった。
僕は夢を見ることを諦めた。
僕らはお互いに一番欲しいものを持っておらず、それは相手の手の中にあった。
なんて、神は残酷なのだろうか。
彼女は決して僕を責めなかった。僕を優しく抱きしめて、ともに泣き悲しんでくれた。その純粋な優しさは真綿のように僕の首を絞め続けた。
だが僕は彼女との交流をやめなかった。時間の許す限り、彼女と共に過ごした。
結局のところ、僕はアリシアという少女にとことんぞっこんだったのだろう。
彼女の金の髪に、翡翠の瞳に、日が暮れるまで剣を振り続ける姿に、興奮しながら英雄譚について語る愛らしさに、無言で僕を優しく抱きしめて泣いてくれた優しさに、僕は二度目の恋をしてしまったのだ。
僕は、彼女に見合う人間になりたかった。彼女の隣に胸を張って立っていたかった。
騎士の夢は決して叶わなわなくても、その思いまで諦めたくはなかった。
僕に魔力がないと分かった父は大きく落胆し、アリシアとの婚約は事実上白紙に戻されていた。
彼女と結ばれるには、大きな成果を出す必要があった。それこそ僕が魔力の持たない無能者だという事実が霞んで見えなくなるような多大な功績が。
自分に才能がないのは理解した。
こっちを見ろ、こっちを見ろ。この無能者め。貴様なんぞなんの役にも立たぬ。
変わらない灰色の現実は、そう言って僕を何度も何度も殴りつけてくるけれど、屈するつもりは初めからなかった。
死にもの狂いで勉強して王国一の難関校に入学した。
「アルがいなくなると寂しくなりますね。私のような奇特な女と付き合ってくれるのは、あなたくらいだというのに」
彼女はそう言って僕との一時の別れを悲しんだ。
アリシアと離れ離れになるのはつらかったけれど、将来のために我慢した。
魔力がないことで学園では酷い差別にあったが、アリシアとの文通で英気を養い、常に試験で一位を取ることですべて生徒を黙らせた。
そして、学園を卒業した僕は王国の宰相補佐の役を任じられた。卒業したての若造の身では過去に類がない栄誉である。
もはや、僕を表立って魔力のない無能者だと罵る者はいないだろう。
これでようやく彼女の隣にたてる。自分の想いをようやく伝えることができる。
そう思っていた。
そう僕が安堵したそんな時、魔王が復活したのとの報が世界を駆け巡った。
魔物の動きは活発化し、世界の至る所で匠気が溢れた。結果として治世は乱れ、人心は荒れた。
やがて不安と狂気が世界を包み込んだ頃、大陸の北の端、かつて魔王が討たれたという伝説が残る地から、数多の魔物の軍勢が押し寄せた。
人も住まぬ不毛の大地から進撃した魔物の群れはまず隣接する北の王国を飲み込み、そこを拠点に周りのあらゆる国を襲い始めた。
世界の終わりを見ているようだった。
実際、世界は終わりに向かっていた。
自分の住まう王国は大陸の中心にあり、魔物たちの前線基地からは遠く離れている。
だが王宮に勤め、各国の被害状況を逐一報告される立場にいると、やがてこの国も魔物に滅ぼされるだろうという予測は簡単にできた。毎日のように村が飲みこまれ、毎週の様に町が業火に焼かれ、毎月の様に一国が沈む。
難民が押し寄せ、治安は悪化し、食料は足りず、病が蔓延する。
希望は、なかった。なにひとつ。
だが、一つの吉報が訪れる。
我が王国の宝物庫の奥深くに眠っていた、過去に魔王を滅ぼしたと伝わる聖剣が突如輝き始めたというのだ。
伝説に対して懐疑的な者も相当いたが、誰もが藁にも縋る思いだった。
希望があるならば、何でもよかった。
僕たちは総出で王都に保管さている文献を漁り、勇者と聖剣に関する情報を集めた。
アリシアが死ぬ未来を回避できるなら、何でもする覚悟だった。
その結果、聖剣に選ばれた勇者が同時に世界のどこかに現れているはずだということがわかった。王国はまだ現存する国々に連絡を取り、勇者を探し出そうとする。意外にも件の勇者は簡単に見つかった。
その者は帝都近くの街で暮らしていた。
やがて聖なる剣に選ばれた勇者が王宮に招かれる。
その勇者の堂々とした佇まいに誰も彼もが希望を抱き、涙すら流す者もいた。
この者ならば大丈夫、きっと魔王を討ち果たし世界に平和をもたらしてくれる。
絶望で黒く染まった人々の心に、小さな、だが爛々と輝く確かな希望の灯がともった。
王都に来たのも初めてだというのに、彼女は緊張の素振りすら見せず、国王からの魔王討伐の任を見事見事承った。
僕はその、歴史が動く光景に膝から崩れ落ちそうだった。
目じりに溜まった涙を必死に押しとどめていた。
「……………アリ…………シア…………」
背中に流れる長い髪はまるで金糸のようでいて、その輝く瞳はまるで翡翠のよう。
昔と何も変わらない。だが、昔よりもはるかに美しく成長した少女が、僕の目の前で勇者として立っていた。
僕の愛しい幼馴染は遂に夢を叶えたのだ。これ以上ない完璧な形で。
その凛とした姿を見た僕の胸に到来したのは、胸いっぱいの嬉しさと、どうしようもない絶望だった。