【未来を奏でる少女】 ボクの道 キミの道
【プロローグ】
「キミに会いたい」
いつもは心に秘めているコトが、つい、口から漏れてしまった。
朝のひんやりした空気に、想いが溶けていく。
新緑の甘い香りの漂う林を、涼しい風が吹きぬけていく。
今は5月のゴールデンウィーク中。
学校がお休みなので、早朝から近所の自然公園に来ていた。
公園の奥には、雨をしのげるくらいの屋根が付いた休憩スペースがあって、ボクはその木製のベンチに座っている。
早朝。まだ、街の喧騒は聞こえてこない。
この場所は、とくに景色が良いわけでもないので、来る人は少ない。
今も、ボクしかいない。
心地のいい風に身を任せる。
――キミに会いたい。
この季節になると、3年前――小学5年生の頃を、強く思い出す。
ボクを変えてくれた出会いに。
あの子と一緒にいた時間は、短かった。
だけど、ずっとボクの心に住み続けている。
鞄からボロボロになったノートを取り出す。
古ぼけたノートに、そっと手をそえて、最後のページをやさしく開いた。
◇◇◇◇◇
【1.大掃除と、ロボット】
せっかくのゴールデンウィークなのに、ボクの家では大掃除の真っ最中だった。
「明日、資源ゴミの日なんだから、今日中に掃除しちゃうわよ」
母さんは、張り切って、押し入れから次々と物を出している。あちこちに、いろんなモノが散乱していた。
家族で旅行している友達もいるのに……。ボクの家は掃除なんて……。
ボクは、無言でのろのろと手を動かしていた。
「これは、もう使わないから、捨てましょ」
母さんが要らないと判定したものは、段ボール箱に放りこまれていった。
「進、これは要らないわよね?」
母さんの手には、おもちゃのロボットが握られていた。
買ってもらった時は銀色に輝いていたのに、すっかり輝きを失っている。小学5年生になった今では、使っていない。
……たしかに、もう使わないけど。
友達と、ロボットで遊んでいた記憶が、頭をよぎる。
心のすみっこに、ロボットを残しておきたい気持ちがあった。
「捨てていいわよね」
「う、うん……」
母さんの強い口調に、つい、頷いてしまった。
そして、ロボットは、段ボール箱に放り込まれた。
「塾の宿題、もうやったの?」
「……まだ」
「それじゃ、先にやってきなさい」
「……うん」
4月から、母さんや父さんに言われて、塾に通いはじめた。
そのせいで、友達と遊ぶ時間が減ってしまった。
塾通いを始めた子は、ボクだけじゃない。クラスメイトの何人かは、ボクと同じだった。
塾に通っていない子と、通っている子で、違うグループができつつあった。
昔は仲が良かった友達とも、今では立ち話をするくらいだ。
2階にある、ボクの部屋へと向かう。
気持ちが沈んでいるとボクと比べ、
「あら、こんなところに、アルバムがあったのね」
と、母さんは楽しそうに、片付けを続けていた。
◇◇◇◇◇
【2.ロボットの行方】
「進、ごはんよ~~」
宿題が半分くらい終わった頃に、昼ご飯の呼び出しがあった。
母さんは片付けに夢中だったらしく、いつもよりも遅めの昼ご飯だった。
食べ終えたころには2時になっていた。
……やっぱり、あのロボットが気になる。
まだ散らかっている部屋を見渡して、要らないモノが入った段ボール箱を探す。
あれ、……見当たらない。
「段ボール箱は?」
「お父さんが、ゴミ捨て場に持って行ってくれたわよ。
なに?
やっぱり、捨てられたくなかったの?
なんで、言わないのよ……」
ぶつぶつと文句を唱え始めた母さんに背を向けて、家から飛び出した。
近所のゴミ捨て場にやって来た。
ゴールデンウィーク中に片付けをする人が、他にも居たようで、
たくさんの段ボール箱や、雑誌が山積みになっていた。
どこだ、どこだ?
キョロキョロと見回す。
すると、麦わら帽子をかぶった子が目に入った。
きっと、近所の自然公園に遊びに来た子だろう。大きなリュックサックを背負っている。
淡い緑色の長袖に、長ズボンといった格好だ。
今日は5月にしては暑い日差しなので、長袖では暑そうに見えた。
……あ。
その子の手には、ボクのロボットが握られていた。
麦わら帽子の子に駆け寄って、勇気を出してお願いした。
「それ、返してくれない?」
「えー」
……え?
女の子の声だった。
てっきり、男の子だと思っていた。
「知り合いの子にあげようと思ったのになー」
不満そうな声だった。
ボクよりも、頭一つ分くらい小さい子なので、麦わら帽子に隠れて、顔がよく見えない。
ちょっとだけ膝を曲げて視線を低くすると、への字に曲がった口だけが見えた。
ボクも引き下がらない。
麦わら帽子の子も、ロボットを手放そうとしない。
ロボットを握りなおすと、
「せっかくだから、公園で話しましょ」
と、提案してきた。
たしかに、ゴミ捨て場で立っているよりは良いかもしれない。
しぶしぶと、その提案にのることにした。
◇◇◇◇◇
【3.公園と、勝負】
自然公園には、たくさんの親子たちが遊んでいる。
フリスビーやボール蹴りなどで、みんな楽しそうだ。
山の一部を整備した大きな公園で、ゴールデンウィークとなると、キャンプする人たちもいる。
女の子は、リュックサックを芝生に置いて、そのまま腰をおろした。
ボクは立ったまま、彼女を見下ろしていた。
「それで、なんで捨てちゃったのよ?」
ちゃんと話せば、返してくれる……かな?
素直に、大掃除していることや、母親に捨てられてしまったことを語った。
女の子は相づちをつきながら、真剣に聴いてくれた。
「なるほどね……むむ……」
話し終えると、ロボットを見つめながら唸りだした。
……返すか悩んでいるようだ。
公園では、あちこちで楽しげな声があがっている。
女の子から視線をずらし、まわりを見る。
ボクも友達とよく遊んでいたな……。
つい1年前のことなのに、遠く感じる。
塾通いを始めてからは、遊ぶ機会が無くなってしまった。
女の子がポンと手を鳴らした。
「じゃ、勝負をして、あんたが勝ったら返してあげる」
「勝負? どんな?」
女の子は、ごそごそとリュックサックを開けると、赤色のビニール袋を取り出した。そして、その袋にロボットを入れた。
「ロボットを取り返せたら、あんたの勝ちでいいわよ」
麦わら帽子が邪魔して、彼女の顔は見えないけれど、自信ありげな声だった。
「時間は……そうね、3時までってことで」
公園にある大時計に目をやる。
……今は、2時45分だから、15分で取り戻せばいいのか。
赤いビニール袋をもって、女の子が元気よく立ち上がった。
「はい、スタート!」
「え?」
ぼんやりしている間に、距離が広がっていく。
あわてて追いかける。
でも、あっという間に、見失ってしまった。
ど、どこだ?
たくさんの親子が遊びまわっている公園。
目をこらす。
見つけた!
緑ばかりの公園だから、赤い袋は目立つ。
立ち止まって、赤い袋を振り回している。ボクを待ち構えているようだ。
息を整えると全速力で駆けた。
距離が縮まると、女の子が再び走り出す。
駆けっこが得意なボクが走っても、追いつけない。
ボクと一定の距離をたもったまま、公園のあちこちを走り回る。
公園の中を流れている小川をピョンと飛び越えたり、大きな巨石のまわりをぐるぐると何度も回ったり、林の中に入ったり……。
ボクが見失うと、視界のすみに、麦わら帽子や赤い袋が、ひょっこりと見え隠れする。
完全に、もてあそばれている。
ゼエゼエと息を切らして立ち止まる。汗を手でぬぐう。
この公園のシンボルとなっている大きな巨石に寄りかかって、息を整える。
そのまま公園を見回すと、遠くの水飲み場で休んでいる女の子がいた。
50メートルくらいは離れている。
「あたしの勝ちね~!」
遠くにいるボクに向かって、女の子が大声で叫んだ。
公園の大時計に目をやると、もうすぐ3時になりそうだ。
でも、まだ時間は残っているはず。
女の子は、赤いビニール袋をブンブンと振り回している。
握り拳をつくって、気合いを入れる。
よし、いくぞ!
全速力で突撃だ!
少女は逃げずに、ボクを待ち構えていた。
みるみるうちに距離が縮まって、赤い袋に、手が届きそうになる。
奪い取ろうと手を伸ばすと、
「はい」
赤い袋が、ボクに向かって、ポンと放り投げられた。
え!?
時間切れ?
あわててキャッチしてから、時計を確認する。
時計の長針が動いて、ちょうど3時になった。
ぎりぎり間に合ったはず。
「ぼ、ボクの勝ち?」
奪い取ったというよりも、最後は渡されてしまった。
息が荒いボクにくらべ、女の子は平然としている。
あれだけ走り回っていたのに。
女の子は勝負の行方を答えずに、赤い袋を指さした。
……ん? あれ?
袋の中身が、妙に小さい。
もしかして、壊れちゃっているんじゃ!?
あわてて、袋を開ける。
中には小石が入っていた。他には何もない。
「……ロ、ロボットは?」
どこかに隠してあるのか?
女の子を、上から下へと視線でチェックしていく。だけど、ロボットを隠しているようには見えない。
「ついてきて」と、女の子が歩き出す。
帽子に邪魔されて、口元しか見えなかったが、ニヤリと笑っていた。
大きな巨石の前で、立ち止まった。
おいかけっこ勝負の時に、何度もぐるぐると回ったところだ。
あ。
岩のくぼみに、ロボットが置いてあった。
「少しは、回りを見ないとね」
……。
勝負は、袋を取り戻すことじゃなくて、ロボットを取り戻すこと……。
気づいていれば、勝てた……のか。
「そんじゃ、あたしの勝ちってことで」
ボクに近寄って、赤い袋を奪いとっていった。
「ま、追いかけっこの間に、良いものを見つけたから、
もう少し、付き合ってくれたら、返してあげてもイイわよ」
女の子は、ロボットをビニール袋に入れると、置きっぱなしにしていたリュックサックへと走っていってしまった。
◇◇◇◇◇
【4.林と、語らい】
公園の奥の林に、ボクらは居た。
休憩スペースの木製ベンチに座っている。
ここは、休憩スペースがあるけれど、うっそうと木が生い茂っているだけなので、あまり人は来ない。涼しい風が、体を冷ましてくれる。
「この石、鳥みたいでしょ?」
ビニール袋から、小石を取り出して、ボクに見せつけた。
……ただの小石にしか見えない。
だけど、麦わら帽子の下からチラリと見える、女の子の瞳はキラキラと輝いていた。宝物を見つけた子供みたいだ。
女の子は、リュックサックから絵の具やらを取り出す。手慣れた手つきで、小石を青く塗り始めた。
「あんたは、今、楽しんでる?」
作業しながら、女の子が、そんな質問をしてきた。
楽しくなんか……。
やり残している塾の宿題を思い出す。
大きくため息を吐くと、つい、ずっと心に貯まっていた不満をぶちまけた。
――塾に通わされていること。
――前よりも遊べなくなったこと。
全部しゃべって、スッキリした。
女の子のそばには、青い小鳥に見える小石が完成していた。
「あ、これ、返しておくわね」
すんなりと、ロボットを返してくれた。
知り合いに渡すアイテムが無事に作れたから、ロボットは用済みとなったらしい。
小石の小鳥は良く出来ていて、ロボットと交換してほしいと思ってしまったほどだ。
「そういえば、まだ名乗ってなかったわね。あたしは、ミカナ」
女の子は、足下に転がっていた枝をつかむと、
「未来を奏でるって書いて、ミカナ」
地面には、未奏、と書いてあった。
枝が手渡されたので、ボクも地面に名前を書く。
「ボクは、道本 進」
「ふむふむ、それじゃ、ミッチーね」
いきなり、微妙なあだ名を付けられた。さっき負けたこともあって、言い返せな
い。
気づくと、夕焼けになっていた。
そういえば、ミカナは、家族と一緒に公園に来ているはずだ。
自己紹介をしたばかりなのに、サヨナラしないと……。
「キミは帰らなくていいの?」
「ん?
あー、あたしは大丈夫。ここには一人で来たんだし」
腕組みをして、胸をはる。
でも、夕焼けを見上げて、むむむと唸りはじめた。
「んー、でも、今日中に着くかなぁ」
公園に遊びに来ていたわけじゃなくて、どこかに向かっている途中だったらしい。
ボクが足止めしてしまったみたいだ。
「そんじゃ、ミッチーの家にとめてもらおっかな」
……とんでもないことを言った。
「それは……ちょっと……」
友達を家に泊めたことなんて、一度もない。
母さんや父さんに、なんて説明すればいいんだ??
今度はボクが頭を抱えてしまう。
ふと、我に返ると、ミカナの姿が消えていた。
あれ?
どこにいった?
ぜんぜん見当たらない。
探すのをあきらめかけた頃、休憩場所に、誰かが来た。
白いワンピース姿の少女だった。黒髪は、肩に届かないくらいの長さで切りそろえられている。
お嬢様のような品の良さがあった。
少女は、ベンチに座って、足をパタパタを動かしながら林を眺めている。
つい、じっと見とれてしまった。
ボクの視線に気づいたのか、女の子がこちらを向いた。
きれいな黒い瞳と、ボクの瞳が合う。
柔らかい微笑みを浮かべている。
「あ、あの。キミは……?」
口ごもっていると、少女の口元がつり上がった。背中に片手を回すと、何かを取り出す。
出てきたのは、麦わら帽子。
……え。
だまされた!!
「気づかなかったの~?」
ミカナはお腹を抱えて、クククと盛大に笑った。
◇◇◇◇◇
【5.ボクの家と、夕食】
結局、ボクの家に向かうことになった。
「荷物はどうしたの?」
ミカナは、ピンク色の小さなリュックサックを背負っている。
さっきまでは、大きくて重そうなリュックサックだったのに。
「隠してあるわよ。ま、一晩くらいなら、大丈夫でしょ」
あっけらかんと答えた。
家に着くまでの間、ボクの家族について、あれこれと質問してきた。
いざ泊まると、心配なのかもしれない。
だいたい答え終えた頃には、家に到着していた。
母さん、驚くだろうなぁ……。
だいじょうぶかな……。
自分の家に入るのに、これほど気持ちが重いのは初めてだ。
玄関の扉を、音をたてないように、そっと開ける。
ちょうど、玄関を掃除していた母さんと目が合った。
な、なんて言おう。
そんな時、ミカナがひょっこりと、ボクと母さんの間に入ってきた。
「パパとママが居ないから、泊めてくれませんか?」
「え……」
行儀よく、ぺこりとお辞儀をするミカナ。
まじまじとミカナを見つめていた母さんは、
「うーーん、しょうがないわね……」
と、あっさりと許可してくれた。
家の大掃除は、まだ終わっていない。片付いていないものが、部屋中に転がっている。
捨てるモノは捨て終わったようで、必要な物を仕舞うのは明日らしい。
母さんが夕ご飯の料理を始めると、ミカナが台所に行ってしまった。
「あら、未奏ちゃんは、包丁の使い方がうまいのねぇ。うちの子とは大違い」
さっきから、母さんは、ミカナを褒めてばかりいる。
いつもは不機嫌そうな顔なのに、ニコニコとしている。
ボクの家は、父親と母親と、ボクの3人暮らし。
弟や妹が居たら、こんな風に、親をとられたような気持ちを味わったのかもしれない。。
でも、1人増えただけで、家の雰囲気がずいぶん変わった気がした。
リビングに、カレーの匂いが広がっていた。
テーブルの上には4人分のカレーライスが並んでいる。ミカナは、水洗いした葉っぱを持ってきて、カレーライスの上に置き始めた。
「それは?」
お店で売っている野菜ではなく、自然公園で生えている雑草だった。
「公園にあったから採ってあったのよ。ちゃんと食べられるから、大丈夫」
ミカナは胸を張って、自信満々だ。
父さんが「たしかに、食べられる草みたいだな」と、ノートパソコンを取り出して確認していた。
「いっただきまーす!」
ミカナが、もぐもぐとカレーを食べ始める。
今までは3人だから、四角テーブルの1カ所は空いていた。
今は4人いるから、全部埋まっている。
いつもと違う光景に、ちょっと戸惑ってしまう。
葉っぱを少しかじってみると、苦い。
でも、カレーと一緒に食べると、妙に合っていた。
「それにしても、進にこんなガールフレンドが居たんだな」
「が、ガールフレンドなんかじゃ……」
嬉しそうな父さんに、あわてて否定を入れる。
母さんはミカナを気に入ったようで、会話がはずんでいる。
最近、家族の会話が少なかったのに……。
楽しい会話が途切れることなく続いていた。
今日は運動したせいか、カレーをおかわりしてしまった。ミカナは3皿たいらげていた。
「そうそう、かしわ餅があったんだ」
カレーを食べ終わった頃、父さんが冷蔵庫から、かしわ餅を3個持ってきた。
それぞれ色が違っている。
緑、白、そして、ピンク。
母さんとミカナも、かしわ餅に注目している。
「どう分けようかしら?
ミカナちゃんは、ピンク?」
「ピンクは、何なの?」
「たしか、味噌あんよ」
「へ~~」
「父さんは、いらないから、3人で食べていいぞ」
「だいじょうぶ!」
ミカナは、かしわ餅を持って、台所に行ってしまった。
母さんと父さんも付いていく。
ボクは、リビングから台所を眺めていた。
ミカナが包丁を取り出して、かしわ餅を切り始めた。
「なるほど……」
「ミカナちゃんは、頭がいいのね」
ミカナが褒められると、ボクはなぜか、モヤモヤした気持ちになる。
最近、ボクが両親から褒められていないせいかもしれない。
台所から視線を外そうとすると、
「こっちこっち」
ミカナが、ちょいちょいとボクを手招きした。
しかたなく台所に行ってみる。
「はい」
「え……?」
包丁を渡された。
そして、まな板の上には、緑のかしわ餅があった。
「切ってみて、簡単でしょ?」
すぐ隣には、きれいに4等分された、白とピンクの餅があった。
包丁を握るのは初めてだ。
……まぁ、切るだけなら、簡単だろう。
まず、かしわ餅を半分に切る。
きれいに、真っ二つになった。
もう1回切って、4等分にしようとする。
――しまった。
ずるりと包丁がすべって、斜めに切れてしまった。
出来たのは、大きい餅が2個、小さい餅が2個。
「もう、何やってるの。
ミカナちゃんは、こんなに上手に切れたのに……」
すかさず、母さんから、厳しい声があがった。
気まずい空気に、逃げ出したくなる。
いきなり、ミカナが大きな餅に手を伸ばしたかと思うと、
パクン
と、食べてしまった。
「大きなのを、ありがとね」
ボクにむかって、笑顔でお礼をいってくれた。
その笑顔で、気まずい気持ちは消えて、胸があたたかくなる。
ミカナは、白とピンクの餅もペロリと食べて、リビングにそそくさと戻ってしまった。
ちょっと恥ずかしくて、視線を動かすと、母さんが目をパチクリとさせていた。
「……すごい子ね」
そう、ぽつりとつぶやいて、母さんは小さい餅を口に入れた。
それから、父さんにも小さい餅を渡す。
「あなたは、こっちを食べなさい。育ち盛りなんだから」
ボクに向かって、優しい顔をみせて、大きい餅をくれた。
◇◇◇◇◇
【6.写真と、思い出】
父さん、母さん、ミカナの3人が、ノートパソコンの画面をのぞきこんでいる。
そこには、父さんが撮り貯めた写真が映し出されている。
ボクは離れたところで、へんな写真を見せやしないか、監視中。
「これは、進が赤ん坊の時のものだな」
父さんが、次々に写真をスライドさせて、ミカナに見せていく。
ミカナは興味しんしんに見つめてる。
「お母さんや、お父さんの写真もあるの?」
ミカナが、そんなコトを言い出す。
「そうそう。今日、アルバムを見つけたのよ」
母さんがリビングから出て行く。
すぐに、数冊のアルバムを抱えて戻ってきた。
そして、アルバムをひろげて、写真を眺め始めた。
両親のアルバムなんて、見たことがなかった。
少し興味があったけれど、妙に意気投合している3人の輪に入りづらい。
そんなボクの気持ちを見透かしたように、ミカナが、
「こっちに来ないの?」
とボクに手招きした。
ミカナに続いて、母さんや父さんも手招きする。
むむ……。
嬉しい気持ちを顔に出さないようにして、ボクも輪に加わった。
写真には、若い父さんと母さんが写っていた。母さんが1枚1枚解説していく。
「お父さんは陶芸をやってて、
わたしは油絵を描いたりしてたのよ」
陶芸をやっている写真や、油絵を描いている写真が何枚かあった。
そんな趣味があったんだ……。初めて知った。
「今は、やってないの?」
「う~ん……。才能が無かったから」
ちょっと残念そうに、母さんが答えると、ミカナが立ち上がった。
「上手くても、
下手でも、
世界で1つだけのものが出来るのは同じでしょ。
作っている時、
描いている時って、楽しかったんじゃないのかな?
あたしは、それだけで十分!」
ミカナはリビングの隅に置いてあったリュックサックに駆け寄ると、
「今日は、こんなものを作ってみました!」
と、色を塗った小石を持ってきて、見せていた。
にっこりと笑うミカナに、両親は微笑んでいた。
◇◇◇◇◇
ボクがお風呂からあがって、ボクの部屋に戻ると、ミカナがスマホに何やら打ち込んでいた。
ピンク色のスマホ。たぶん、ミカナのもの。
「両親にメールしてるの?」
「うーん? 違うわよ~。
師匠っぽい人に連絡しないといけないのですよ」
「師匠……?」
ボクが首を傾げていると、母さんが大声で「ミカナちゃん、一緒にお風呂入らない?」と声をかけた。
ミカナは元気よく返事をすると、ボクの部屋から出ていってしまった。
お風呂場から、鼻歌が聞こえる。
母さんとミカナの声。
こんなに機嫌の良い母さんは、久しぶりだ。
息苦しかった家が、ずいぶん変わってしまった。
いつまでも、こんな日が続けばいいのに……、そう願ってしまった。
◇◇◇◇◇
【7.メッセージと、別れ】
翌朝。
明るくなったばかりの早朝。
ボクとミカナは、公園を歩いていた。
ジョギングの人たちと、すれ違う。
……ねむい。
いつもなら、まだ寝ている時間だ。
ミカナは、朝に強いようで元気いっぱい。
今もボクの前を歩いていて、気を抜くと、置いて行かれそうになる。
どうしても早く出発したいと、ミカナがお願いしたので、ボクや両親は2時間くらい早起きした。
昨日、一緒に過ごした休憩所にやってきた。
ミカナが立ち止まったので、ボクも足を止める。
朝日の柔らかな日差しが、林を照らす。
くるりと振り返り、ボクをじっと見つめた。
ミカナは大きく深呼吸をして、口を開いた。
「……ミッチーが何をやりたいのか、自分で、ちゃんと決めるのよ」
「え、どういうこと?」
「昨日、いろいろと愚痴っていたでしょう?
それに対する、あたしのメッセージよ。
あんたの両親は大丈夫。
ミッチーが話せば、ちゃんと聴いてくれるわよ。そんじゃ、改めて……」
コホンと、小さく咳払いをするミカナ。
「ミッチーが何をやりたいのか、自分で、ちゃんと決めるのよ。
そうして、
自分で選んだ道を、歩き続けるの。
ときどきは、立ち止まってみて、
自分の道が合っているか確認したら、また歩き出すの」
……どういう意味?
少ししか理解できなかった。
考えこんでいるボクを置いて、白いワンピース姿のミカナは、木々の中へ消えていってしまった。
しばらくすると、出会ったころの服装に着替えたミカナが現れた。
大きなリュックサックを背負っている。
麦わら帽子は手に持ったままだけど、緑色の長袖、長ズボンになっていた。まるで、シンデレラにかけられた魔法が解けてしまったようだった。
「またね」
「あ……うん、また……」
ミカナが手を差し出す。
ボクらは、短く、握手をした。
手が離れると、ミカナは麦わら帽子を被る。すっかり出会った時の姿に戻ると、走っていってしまった。
ボクは別れの実感がないまま、その背中に小さく手を振った。
◇◇◇◇◇
【8.その後と、ノート】
しばらくの間、ミカナに出会えないかと、公園を探し回ったこともあった。
でも、出会えなかった。
ボクの家の中が、少しずつ変わっていった。
父さんと母さんは、何かを思い出したように、趣味を始めた。
父さんの作った食器が食卓を彩って、
母さんが描いた油絵が家の壁を彩った。
ある日、母さんがボクの部屋にやってきた。
「塾は、どう?
他に、何か、やりたいことはある?」
何も答えられなかった。
塾には行きたくないけれど、他にやりたいことが思いつかない。
黙っていると、母さんが言葉を続けた。
「塾に通っているのに、成績は良くなってないのよね。
でも、他に、やりたいこともない……。
それじゃ、塾を……」
わざとらしく、そこで言葉を止める。
満面の笑みになると、
「いったん、やめてみよっか?」と、やんわりと提案してきた。
「……え?」
「あれ? 続けたいの?」
母さんは、真顔に戻って口を尖らせる。
「つ、続けたくない!」
力いっぱい本音をもらすと、母さんは「わかったわ」と受け入れてくれた。
「そうそう、ミカナちゃんは遊びにこないの?」
「ミカナとは……」
口ごもる。
連絡先すら知らない……。
母さんは、少し寂しげにボクの頭をなでた。
そして、何も言わずに、部屋から出ていった。
ボクは、算数の宿題にとりかかった。
問題の答えを書こうと、ノートの最後のページをめくる。
そこには、活き活きとした文字たちが踊っていた。
『ミッチーが何をやりたいのか、自分で、ちゃんと決めるのよ。
そうして、
自分で選んだ道を、歩き続けるの。
ときどきは、立ち止まってみて、
自分の道が合っているか確認したら、また歩き出すの』
ミカナが別れ際に言ったメッセージが書いてあった。
あのときは、意味が分からなくて、もはやメッセージを忘れかけていた。
あたたかな思い出が、頭を駆け巡る。
このメッセージは、ボクが夕方まで語った悩みに、ミカナが答えてくれたものだ。
ずるい、不意打ち……。
ノートの上に落ちそうになった涙を、あわてて手のひらで受け止めた。
◇◇◇◇◇
【エピローグ】
陽が明るくなるにつれ、
……遠くから、街が動き出す音が聞こえ始める。
ノートを、そっと閉じる。
あの時のボクには、理解できなかったメッセージ。
今なら、ミカナが伝えたかったことが、痛いほど分かる。
あれから、自分の気持ちにまっすぐ向き合って生きている。
つい先日も、絵が描きたくなったから、文芸部から美術部に部活を変えてしまった。
ときどき、自分に問いかける。
そうして、出てきた答えで、自分の道を選択して歩いている。
3年前、偶然、ボクとミカナの道は交わって、出会えた。
もう、ボクらの道は、交わらないのかもしれない。
でも、できたら、
もう一度、
……会いたい。
そろそろ帰ろうとベンチから立ち上がる。
朝の爽やかな風が、誰かが上ってくる足音を、ボクの耳に届けた。
誰だろう?
たびたび来ているけれど、こんな朝早くに、誰かと会ったことはない。
足音に目を向けると、麦わら帽子が目を引いた。
大きなリュックサックを背負っている。
まさか――、
でも……。
登ってくる子が、ボクに気づいたのか、立ち止まった。
――と思ったら、バッと駆け上がって、ボクの目前で急停止した。
「お久しぶり、ミッチー」
彼女は、麦わら帽子を放りなげた。
あの頃の面影が残っている、太陽のような笑顔が飛び出す。
――伝えたいことが、たくさんある――
それなのに、
唇は震えるだけで、
何も声が出てこない。
――何かを言わないと。
焦る気持ちで、ぐるぐると伝えたい言葉が、浮かんでは消えていく。
その中で、消えなかった一言が、勝手に口から飛び出した。
「ずっと、
……、
会いたかったよ」
[後書き(裏話)]
もともとは、「わたしの目指すもの」という物語を、男性主人公バージョンで書いていました。
でも、「大人の男性・見知らぬ少女・夜の公園」の組み合わせって怪しい……と思い直して、「夜じゃなくて昼間にしよう」「大人じゃなくて少年にしよう」「4月じゃなくて5月にしよう」と色々といじっていたら、できあがった物語です。