孟宗竹 (もうそうちく)
外来種。
外来種とは、元居た生態系の後から人によって新たに入ってきた生き物の事を言います。
外来種と言えばブタクサ、ブルーギル、アライグマなど諸悪の根元のように思われていますが、見近にある意外な生き物たちも外来種だったりします。
荒れ地に生える月見草、立派なタケノコが採れる孟宗竹、果ては猫ですら経文と一緒に渡ってきた生き物です。
それらの生き物が最初渡ってきた時元居た植物と生息場所の奪い合い、獲物の取り合い等々、今日目の敵にされているような外来種が入ってきた時と同じように在来種と仁義なき戦いが事が起きていたに違い有りません。
でも、今はどの生物も元の生態系に組み込まれ我々の生活の傍に居ます。
元居た生き物と折り合いをつけてにいつの間にか馴染んでいるのでしょうね。
まるで野良猫が街中に溶け込んで居るように。
通常の生態系は人間が思うより柔軟な物です、まるで大河の流れのように。
新たな生物が入ってきても一時的には流れが乱されるかもしれません。
しかし、暫く経つと新参物を加えつつその中で適者生存の原則のもとで取捨選択が行われ、新たな生態系が何事もなかったように流れていくのです。
――まるで大河に住む小魚が跳ねた所で小さな波紋はでるけど、川の流れは変わらないように。
そして元有ったもの新たな物それら全てを巻き込んで生態系は進化して行くのでしょう。
しかし、長期間外界と閉ざされた島などの可塑性の少ない生態系では進入者達によって生態系の破綻が起きることもありますが……。
その場合ですら、生存競争に生き残った進入者によって新たな生態系が作られるのです。
小説家も同じだと思います。
読者の好みの変化が大きいこのご時世、キッチリしたプロットでガチガチに固めて可塑性の無い小説家より緩いプロットで柔軟に変更できる小説家の方が今の時代に合っているのかもしれません。
読者の意見を取り入れ、柔軟に話の枝葉末節を変更する。
たとえば人気ヒロインが死んで退場する場合でも読者の反応が悪いときなら、ほんの虫の息で助かって再起不能で静養の為に離脱して退場される。 に変えるなどなど……。
キャラの運命はほんの数行で変えられるものです。
そして話の大筋は変わらないように些細なズレも含めて話を紡ぎなおしてゆく。
読者としては死亡して退場と生きて居てその後の展開を夢見させるのでは後味は段違いですから。
ある尊敬する作家のお言葉をお借りすると。
――今後の展開までも読者に夢見させるのがプロ、ちらりと具を見せる事で次につながる。
正しくその通りだと思います。
小説は娯楽読者の気持ちを汲むのも小説家の大切なスキルなんでしょう。
そうなると其処は既に筆力以前に人間性の問題かもしれませんね。
清濁あわせて飲み込み大きくなるか、異物と見なすと排除し内向きに籠もるか。
ドチラが将来性が有るかと言えば言わずともでしょうね。




