くぬぎ
近所を襲った大水害から一年。
一時、ご近所は、がけ崩れやら、洪水でどうなる事かと思っていたのですが、
崩れた斜面が補修され始めて、前よりは少しはマシな様子になりつつあります。
さて、この辺りで行う斜面の補修と言うが、崩れそうな斜面を崩れない位にガリガリ削り、
なだらかになった所に、植物の種を含んだ土を吹き付け崩れるのを防ぐ、と言う自然に配慮した工法をとっていました。
自然に配慮すると言う、最近の流行でしょうか?
何にしろ、良い傾向です。
でも、そこで終わらないのが、クロネコだったりします。
日当たりのよい場所に、栄養分たっぷりの土が吹き付けてある……――つまり、其処は植物にとって絶好の場所と言う事です。
遊ばせておくのは、モッタイナイ(ニヤリ
――実益も兼ねて、シバグリでも植えるか……。
一瞬、頭にそんな事がよぎりました。
その為には、栗の実を探さねば……。
しかし、がけに植える栗の実を近所に探している時に、ようやく致命的な事に気が付きました。
がけ崩れが有って補修されている所は、自分は良く通る所です。
つ、ま、り、そこを通過する回数が多いと言う事は、ソコからの落下物に命中する確率も高いと言う事。
――栗のイガが、スマート爆弾のように狙ったがごとく、自分を直撃し、ぎにゃ~と叫ぶ姿が目に浮かびました。
……このアイデアは、却下だな。
でも、何かを植えると言うのは良いアイデアと思い、栗からドングリ(クヌギの実)に変える事にしました。
これなら、当たっても被害は少ない……筈。
そんな感じで、何を植えるかを考え、楽しめるのも、災害が有ったからこそなのでしょう。
元のままなら、植えるも何も無いですから。
災害を完全に防ぐことは、きっと出来ない事なのだと思います。
雨が嫌いと言って、その雨を降りやますことが出来ない様に。
でも、起きた事をどうとらえるか?
災難と思うか、貴重な経験をしたと、捉えるか。
其処は感じる本人次第なんでしょうね。
崖に仕込む木の実を探していて、そんな事を思いました。




