クリ (しばぐり)
先日、山を歩いていると柴栗を見つけました。
柴栗が落ちていることは、よく有ることですが、そのサイズは尋常では有りませんでした。
なんと栽培種にも負けない位の直径4cm大。
しかも、1個や2個ではない個数が転がっています、此れはラッキー。
こ、これは早速拾わねば……。
そそくさと栗を集めてみると、その数、十数個も有りました、大収穫です。
普段なら、焼き栗、栗ご飯とクリ料理を考えるのですが、今回は違います。
今回は食べずに、埋めて見る事にしてみました。
裏山の深い森の中で倒木があり、ぽっかりと日当たりの良い場所が出来ている場所を何箇所かチョイス、そして浅く穴を掘るとクリの実を埋めて行きました。
(何時の日か巨木となり、其処を通る人に毬栗の洗礼をしてくれる事を祈りつつ)
その数、数箇所。
有る意味、リスかねずみのようですが自分は気にしません。
立派なクリの実も食べてしまえば其れまでです。
でも、撒いておけば何時の日か巨木となり、たくさんの実をつけてくれる……かもしれないですから。
もっとも、そんなに高い確立では無いでしょうけどね。
しかし、有るのと無いのでは大違いです。
遥かな先を見据え、今は無駄と思える物にも投資する。
先人達が投資してきたからこそ、今の繁栄が結果として出ているのだと思います。
再生産を考えず、自分の利益のみを考えていれば、短期的には良い結果を出せるかもしれません。
――けれど、それは借金のようなもの。
いずれ先人達の遺産を食い潰したとき、そこに有るのは何も生み出さない不毛の大地でしょうね。
もっとも、簡単に別の土地に移れる人達には関係ない事でしょうけどね、食い荒らして住めなくなれば、別の場所に移れば済む話ですから。
丁度、イナゴのように。
過去の人々が今を作り、現在の自分達が未来を作る。
先人達の投資で此処に今の結果があり、そして、それは連綿と受け継いでゆくものだと。
巨大な実をつけた柴栗がそう言っている様な気がしました。




