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風の調べ、空の青3

「で、どうかな? 直りそうかい?」俺は目の前にいる気難しそうなオヤジに、恐る恐る訊ねる。俺の声が聞こえたのか、聞こえていないのか、オヤジは眉間に何十ものしわを寄せたままピクリともしない。このオヤジ、名は鈴木源太郎と言うが、この街で一番の鉄工職人だったりする。一見、眼光の鋭さから私服刑事やヤクザに間違われるが、実際は鉄工所の社長だ。


「ね、ね、」隣の優恵が、俺の裾を引っ張りながら物珍しそうにキョロキョロする。俺は小声で、絶対に触るなよ、と念を押した。が、優恵は気まずそうに笑いながら、一部の部品を外してしまった機械類を隠すように机の隅に追いやる。


 俺はあえてそれが目に入らないようにしながら、源太郎の方へ意識を集中させる。

「どうかな?」と、再び俺の問いかけ。


「ん、あ、そうだな。あっ!!」こちらの世界に戻ってきた源太郎が、優恵の壊した機械を見つけ、彼女を睨みつけて怒る。

「触っちゃだめだ! 嬢ちゃん! 怪我するからなぁ」

「ご、ごめんなさいいいいい」優恵は両耳を垂れ下げ、その耳で半ば顔を隠すようにしてすごすごと後ずさる。


「で、拓人よぉ。こいつぁ、直るぜ。ほら、よく見てみろ」

 やはり、餅は餅屋。専門家に聞くべきだ。俺は、そっと胸を撫で下ろし、源太郎の差し出すゼンマイを見た。

「いいか、どうやらネジの巻き過ぎで金属疲労が起きて、ゼンマイの端がかけちまっている。だから、この部分をずらして固定用の穴をあければ、簡単に直るさ。ちょっと、待ってな!」源太郎はそう言うと、あっという間に穴をあけ直し、ゼンマイを元に戻した。


 そして、ゆっくりとネジを巻いてみる。


「これで直ったはずだ」源太郎はニヤリと笑うと、指を離した。すると、ゼンマイがゆっくりと動き始める。

「おおおお、ありがとう!」俺は御礼を言うと、ゼンマイを手に採りしげしげと見つめた。

「このぐらい直せねえんじゃ、便利屋なんてやめちまいな!」源太郎は照れくさそうに笑うと、両手をボロ布で拭った。



 ゼンマイを修理してもらった帰り道、ふと街角から聞き慣れた曲が聞こえて来る。俺が気づいたぐらいだから、優恵はすでに飛び出していた。優恵は俺を手招きすると、商店街の外れにあるレコード屋に入って行った。

「ほらほら、この前、録音できなかった曲ですよー」優恵は嬉しそうに、レコードプレーヤーの前にかじりつく。回転するレコードを見て、うっとりとしている姿を見て、俺は口元が緩むのを感じた。


「じゃあ、約束だから買ってあげるからな」俺がそう言うと、優恵はレコード棚を探し始める。


「あ、お客さん! このレコードは、これが最後の一枚なんです」棚の整理をしていた店主が、優恵に声をかける。

「え、そうなの?」優恵が残念そうに店主の方を向くと、店主は手にしていたぞうきんを置きレコードから針をどけた。


「ええ、この曲、大人気で入荷してもすぐに出ちゃうんですよ。このレコード、一度しか針を通してませんが、これで良いですか? 少し安くしますよ」店主はそう言うと、優恵の返事を聞く前にレコードをブラシで綺麗にし、ジャケットへ入れる。ちょうどその時、別の客が入ってきた。


「あ、あの、さっきまでかかっていた曲のレコードありますか!?」


 振り向くと、まりあが立っていた。


「あー、えっと…」店員は困ったように優恵とまりあを交互に見つめる。

「まりあちゃんも、この曲が好きなの?」優恵は店員に助け舟を出すべく、まりあに話しかけた。店員は少し表情を緩ませると、レコードをジャケットの中に完全にしまった。だが、まだ袋に入れない。どちらの客の手元へ行くのか、様子を見ているのだろう。


「あ、えーと、優恵さんでしたっけ。はい、好きですよ。昔、よく聞きました」まりあは、少しだけ悲しげな笑みを浮かべる。


 昔って…。と、俺は思考を精一杯巡らせた。そう言えば、この曲、リバイバルものだったっけか。

「ちょっと、見せて下さい」俺が手を出すと、店員はレコードを渡してくれた。ジャケットを取り出すと、裏に書いてある曲解説を読む。


 やっぱり、そうだ。この曲は、戦前に流行ったものだ。もともとは、遠くへ行ってしまた恋人を歌ったもの(戦争が始まった頃は、戦地へ向かった恋人を思う歌、なんて解釈もされた)だったんだ。歌詞自体も少し抽象的で、恋人との別れにも受け取れれば、それ以外の家族や友だちのような大切な人との別れの歌とも、感謝の歌とも受け取れる。内容は短い歌詞の繰り返しで、ありきたりだけど楽しかった日々の出来事や、好きだった街角について歌い上げている。


「まりあちゃんは、この曲を一緒に聴きたい人がいるのかな?」優恵のそんな質問に、少しばかり顔を強ばせる、まりあ。

「ううん、そう言うわけじゃないけど。懐かしかったから。優恵さんも欲しいの?」


「うん、欲しかったんだあ。でも、まりあちゃんが欲しいなら、譲るよ?」優恵はそう言うと、俺からレコードを受け取り両手でまりあに差し出す。まりあは、少し考え込んでから、

「ううん、優恵さんが買って。あー、この前聞いたときに、予約をしておけば良かったなあ」まりあは、舌を少しだけバツが悪そうに笑う。


「じゃあ、予約しますか? 来週には入りますよ?」ようやく、レコードの行方が決定し、店主はほっとしたような表情を浮かべる。そして、まりあの様子をうかがいながら、慣れた手つきでレコードを袋に入れた。


「ううん、いいです。ちょっと、時間がないし。それに、あのオルゴールで十分」

「あ、そうだ! 如月さん、オルゴールを三日後までに修理できますか?」

 俺は突然ふられた仕事の話に戸惑いながらも、頷いた。

「ああ、ゼンマイを取付けるだけだからね」


「じゃあ、お願いしますね。絶対に、絶対に期日までに、お願いしますね」


 まりあが踵を返して店の出入り口へ向かうと、笹塚の家の使用人が慌てて店の中に入ってきた。どうやら散歩中に勝手に離れてしまったらしい。使用人は何度も俺たちにお辞儀をし、まりあの手を引いて去って行った。


 俺は代金を支払うのも忘れて、レコードを握りしめながら、じっとまりあの去って行った方向を見つめた。


    *


 オルゴールは、無事に修理できた。といっても、意外と組み立て直すのが難しくて、ちゃんと部品が収まったと思ったら、ギアの噛み合わせがキツすぎて、きちんと動かなかったりした。俺って、もしかしたら修理屋を出来るほど器用じゃないのかも。そんな風に思えたことが幾度もあったが、何とか期日の朝までには修理が出来た。


「だ、大丈夫? 拓人さん」朝食を持ってきてくれた優恵が、冷や汗を流しながら、コーヒーを入れてくれる。

「やー、この歳になると徹夜は辛い…。あ、コーヒーはブラックで、スプーンがおっ立つぐらい濃くな」俺はあくびをかみ殺しながら、席に着いた。


「またそんなに濃いのを飲むと、胃が痛いって大騒ぎするんじゃないかな」優恵は苦笑しながら、コーヒーカップを差し出す。俺は、その芳香を胸一杯に吸い込み、少しでも目を覚まそうとした。ちょっとだけ口を付けてみる。うん、この濃さ。これで目が覚めるだろう。


「大丈夫だって。じゃあ、飲み終えたら笹塚さんのところへ行くかー」俺はそう言いながら、コーヒーを口に含み、オルゴールを丁寧に梱包する。

「あ、私、まだオルゴールが動いているところを見てないなあ?」優恵がこういう物言いをする時、それは『オルゴールの動くところを見てみたい』と言うことだ。彼女はどうも控えめなところがあって、ストレートに物事を言わない節がある。


「もう梱包しちゃったから、向こうでな」俺は最後の一口を飲み干し、優恵の頭を軽く叩くと、彼女は不満そうに何かを呟きながら、例の白いベレー帽をかぶった。


 笹塚の家へ行くのは二度目だ。だから、割とすんなりと辿りつくことが出来た。俺はオルゴールの入った箱を、少しだけ強く抱きしめると、笹塚の家へと続く坂を上ろうとする。と、その時、横からクラクションを鳴らされた。振り向くと、そこには黒塗りの高級車と、窓から顔を出すまりあがいた。


「オルゴールですね。ありがとうございます!」

 まりあの問いかけに頷くと、俺は彼女にオルゴールの入った箱を手渡そうとした。だが彼女は手を伸ばさずに、言葉を続ける。

「あの、どうしても一緒に行ってほしいんです。これから、パパに謝りに行くんです!」まりあがそう言うと、車から品のいい運転手が降りてきて車のドアを開ける。俺と優絵は首を傾げながら、その革張りの豪華な車内へと、身体を滑り込ませた。中には、まりあの他に渋い表情の笹塚がいた。


 静かに進む高級車。国産の高級車なんて、生まれて初めて乗る。もう、トヨタやニッサンの国内工場は再稼働しているのだろうか。なんて、どうでも良いことを考えながら、隣の優恵と、更に隣のまりあ、それに助手席に座る笹塚を順に見つめる。これから、どこへ行くのだろう。どうやら、郊外へ向かっているようだが、街の外には何もないはずだ。


「もう少しです~」俺の疑問をよそに、まりあは嬉しそうな笑い声を上げる。だが、何故か前方の笹塚からは、ねっとりとした空気、あきらめや不安が混じったような、そんな空気が流れてきている。俺は、そんな笹塚を見て、違和感を覚えた。もしかしたら、彼も行き先を知らないんではないだろうか。


「笹塚さん…?」と、俺。

「私も、どこへ行くのかわかりません…」笹塚は振り返らずに、そう低く唸るように言った。


 それから、わずかばかりの時間が過ぎ、ふと外を見ると美しい草原が広がっていた。風で草の海が大きく揺らぐ。人間がメチャクチャにした大地も、百年近く経てば、ここまで元に戻る。だが、確かここは…、もとは街があったはずだ。


 ふいに車が止まった。そして、運転手は降りると、恭しくドアを開ける。


 降りるとそこにあったのは、おびただしい墓標だった。シンメトリックに並んだ墓標。俺は、墓標とその上に広がる空の青さの対比に、胸を強く掴まれた。


「ここは…」優恵のかすれた声が、風に流れる。


「ここは、戦争で亡くなった人たちの眠る場所です。お父さんもお母さんも、皆ここにいるの」まりあは遠くを見つめ微笑むと、墓標の間を駆け出した。

「あの子は、知っていたのか…」

 後方から聞こえるそんな笹塚の声を気にしつつも、俺と優恵はまりあの後を追った。


 すぐ近くにいるはずのまりあ。だが、どうしても追いつくことが出来ない。ふいに、まりあが立ち止まる。それでも、俺たちはまりあの側へ行けないのだ。


 だが、それは自分の錯覚だということにすぐ気づく。まりあは目の前にいる。

「ここが、パパとママのお墓」まりあはオルゴールの包み紙を懸命に振りほどき、ネジを巻いた。そして、ふたを開ける。


 悲しい、そして愛しい歌が流れた。この曲は、優恵に買ってあげたレコードに刻まれたものと、全く同じ。メロディにあわせ、優恵が唄い始める。歌詞は英語だった。


『あなたがいなくなって、すべての色が変わり、すべての景色が変わる。あなたまで、あと数百マイル。私は、歩き続けて、立ち止まっては、あなたを想う』


 そんな素朴な歌が、俺の心に寂しさの碧をたたえながら染み込んで来る。

「良い歌だよね」優恵が唄うのをやめ、再びオルゴールの音が草原にかすかに広がった。

「ええ、良い歌です。私も、退院してからこの歌を聴いて、それで昔のことを思い出したんです」まりあは両手を強く握ると、そのまま目を閉じながら涙を流した。


「お父さんには謝れたかい? 俺は、少しは役に立ったかな?」俺は、まりあの後ろ姿に声をかけた。

「はい、許してくれるかどうかわからないけど、謝ることが出来ました。パパ、ごめんなさい。私、私、もうちょっと、パパのこと…」それ以上、まりあは言葉を発することは出来なかった。


「人は、大切な人が近くにいるときは、その有り難みを忘れちまうもんだ」俺はそう言うと、大きく息を飲み込んだ。


「何気ない日常の幸せ、それに空気のようにあって当たり前な大切な人の存在。そう言うものの大切さは、忘れがちなんだよな」俺は、優恵の肩を少し強引に引き寄せる。優恵は声を出さずに、俺の方に顔を押し付ける。


 まりあは、俺を見て微笑むと、涙がそれ以上こぼれ落ちないように空を見上げた。


    *


「~♪」優恵がレコードにあわせて唄いだす。本人は俺を気遣って音量を下げているようだが、逆に中途半端に曲が聞こえて来るのが気になった。

「おい、優恵。お前、よく何度も同じ曲を聴いて飽きないよなあ」俺は、郵便受けから取り出した手紙の束を分別し始めた。いらないものは、机の上に投げ捨てる。


 まりあにオルゴールを渡してから数週間が過ぎた。修理代金はすぐに振り込まれたが、あれ以降、まりあや笹塚からは連絡がない。優恵が連絡を取りたがっていたが、大変な時期にこちらから連絡をしても迷惑だと言ってきかせている。ただ、その反動からか、優恵はあの曲のレコードを何度も聴いている。すでにすり切れてきてしまっていて、ノイズが絶え間なく乗るぐらいに。


「名曲は飽きないんですよー」優恵は、こちらに背中を向けたまま、曲にあわせて耳を動かしていた。

「おや?」俺は手紙の束の中に、可愛らしい封筒を見つけた。空色で雲が描かれている封筒。差出人は、まりあだった。


「おい、優恵。まりあから手紙だ」

 俺が手紙を開けようとする前に、優恵は俺の前に飛びつくように座った。

「よ、読んで! はやくはやく!!」

「わかったって!」


 手紙の内容は、シンプルそのもの。俺がオルゴールを修理したことに対する御礼と、優恵に今流れている曲をまた唄って欲しいと言う伝言。そして、最後に。


『また、眠ることになりました。場所は南極です。ちょっと遠いけど、良かったら遊びにきて下さい』


 そうか、南極の永久凍土に新しい冬眠場を作るって話があったけ。あそこなら、何があっても、勝手に起こされることは無い。それに、多くの人々が眠ることができる。


「おい、まりあ、また眠るって。今度は、今回みたいに無理矢理起こされることは無いぞ!!」俺が優恵に手紙を渡すと、彼女はそれを受け取りグシャグシャに握りしめて涙を流す。

「よかったあ。でも、次にまりあちゃんが起きるときは、私おばあちゃんかも」


「はは、そうしたら俺はじいさんだな。まあ、良いじゃないか。じいさんとばあさんで見舞いに行けば」俺はそう言うと、優恵の頭を強く何度も撫でた。


「うん!!!」


 優恵は手紙を胸の前に抱きしめ、最後の涙を拭うと、窓から外を眺め笑った。そこにある青は、悲しみの色ではなかった。

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