風の調べ、空の青1
俺は、長い長いため息をついた。ようやく大きな仕事が片付いたからだ。ここ二週間、そいつに掛かり切りで、俺の神経はすり切れる寸前だ。俺はネット端末の電源を落とすと、椅子にもたれ、そのまま深い眠りに…落ちたかったのだが。
「拓人さーん! テレビ、つけて良い? テレビ!!」玄関のドアが開いたと思ったら、次の瞬間、大きな尾を振りながら少女が転がり込んできた。優恵だ。
「あ、ああ」俺が目を擦りながら、首を縦に振ると、優恵は尾をさらに大きく振りながらテレビの前に何かを置き始めた。おいおい、優恵。まだ、制服姿じゃないか。そんなに短いスカートで尾を振ったらさあ。まあ、いいか。
「これから、歌番組を録音するの! 電気屋さんでテープ買って来た」優恵はそう言うと、どこからかカセットテープを取り出し、テレビの前の黒い物体にそれを差し込む。ああ、あれは優恵愛用のラジカセだな。見かけはゴツくて、しかも再生ボタンをガチャっと押す古くさいタイプだが、音はなかなか良い機種だ。
優恵がガチャガチャとチャンネルを回すと、テレビには歌番組が映った。
「またかよ…」俺はため息をつきながら、優恵を見つめる。外は晴れて陽気が良いのだろう。そんな所を奔ってきたものだから、優恵は額に汗をかいていた。
優恵が録音ボタンを押したのと同時に、優恵の好きなミュージシャンがテレビの中で歌いだす。つまりスピーカーから出る音を、ラジカセのマイクで録音するわけだ。俺は、そんな優恵を横目で見つつ、喉が渇いたので冷蔵庫へと向かった。その時、机に載せていた本を落としてしまう。
「しっ!!」優恵が落ちた本と俺を交互に睨みつけ、人差し指を口元に当てたしなめる。俺は文句を言いたかったが、そんなことを言ったら優恵に噛まれかねないので黙っておいた。
テレビから流れる曲に従い、優恵の耳と尾が大きく揺れる。あの風切り音が録音されていなければ良いけど。と、そんなことを思っていると、ラジカセから突然、妙な音がしだした。
ん、きゅーーー。きゅるきゅる…
そして、ラジカセは沈黙した。
「う、うわん? な、何が起きたですか?」優恵は首を傾げながら、カセットを覗き込む。そして、
「う、ううう。テープが空回りしている…、録音できていない…」と涙目で、こちらを見た。
「貸してみろ」俺の言葉に涙目のまま頷く優恵。テープを取り出してボタンを押すが、駆動部分が回っていない。いや、正確には空回りをしているみたいだ。俺はドライバーを机の引き出しから取り出し、ラジカセの裏蓋をあけた。すると、案の定、モータからの動力を伝えるゴムベルトが劣化して伸びきっていた。
「こりゃ、交換だな。ちょっと待ってて」俺は部品のストック箱から同じようなゴムベルトを取り出し、交換しようとする。だが、元のベルトよりも長いので巧くいかない。仕方が無いので切り詰めて、接着剤で貼付けた。それをプーリーにはめようとするが、滑って巧くいかない。しかも、様々なコードが邪魔をして作業は困難を極める。かなりの時間格闘した後、やっとベルトがはまった。
再び録音ボタンを押すと…、うん、快調に回転している。
「ほら、直ったぞ」俺がそう言うと、優恵は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、これが無かったら生きて行けないから。あ、でも、がーん」優恵は、再び耳と尾を垂れ下げ落ち込む。
「どうした?」
「歌番組、終わっちゃった」
テレビを見ると、既に歌番組は終わり、ニュース番組が映し出されていた。優恵は少し涙目になりながら、未練たらたらにラジカセのボタンを何度も押しまくる。こりゃあ、ちょっと可哀想だな。
「優恵、さっき録音しようとした曲、レコードになっているよな?」俺は優恵の背後に近づき、背中越しに訊ねた。
「…うん、先週、シングルカットされました」優恵は顔を向けずに、どんよりと答える。
「あとで、買いに行くか? シングルだったら、買ってあげるよ。家のプレーヤーからラジカセにダビングすれば良い」優恵はラジカセしか持っていない。ちなみに、このラジカセも俺が中古を買ってきてメンテナンスしたものだったりする。
「え? 本当ですか!!? わーい」優恵はそう言うと満面の笑みを浮かべ、俺に飛びかかってきた。そして、そのまま俺に抱きつこうとする。
「わ、バカ!」俺が優恵の衝突に身構えていると、突然、チャイムが鳴った。
ゴチン
一瞬の気のゆるみが命取りとなった。俺の頭は、優恵の強烈な頭突きに致命的なダメージをくらった。
*
「あ、はい、えっと、オルゴールの修理ですか?」俺は額に氷嚢を当てたまま、今来た客、十歳ぐらいの少女に八十歳ぐらいの紳士、の応対をした。どうやら、今回のお客さんは、オルゴールの修理を依頼しにきたらしい。
「そうなの。壊れちゃって、鳴らないの」少女は両目に涙をためると、俺にオルゴールを手渡し、じっと見つめてきた。そんな少女の肩を、老人はそっと抱く。どうやら、この少女の祖父らしい。
古ぼけてあまり上等そうではない玩具のオルゴール。一見して大量生産品とわかるが、それでもこの少女の宝物なのだろう。大事にされた品物が持つ、独特のオーラを放っている。
「お茶がはいりましたー。う、いてててて」優恵はお盆を運びながら、俺と同じように氷嚢を額にあてている。老人は、この二人はどうしたのだろう、と不思議そうな視線を向けたが、少女の視線はオルゴールに固定されたまま。
老人は、とまどいながらも優恵に会釈をするとカップを受け取った。そして、それをテーブルに置くと、ゆっくりと口を開いた。
「はい、このオルゴールをどうしても修理してほしいのです。何でも、突然、中の人形が動かなくなったらしくて…」
「それにね、もう、ネジもうまく巻けないの」老人に続き、少女が故障の状況を伝える。
「え? ゼンマイ仕掛け?? ちょっと良いですか?」俺はオルゴールを手に取り、ネジに手をかけた。そして、少しだけネジを巻いてみる、が手応えは無い。これは恐らく、ゼンマイが切れちゃったんだろうなあ。こんな精密機械、俺には直せないかもしれない。
「うーん、ちょっと直せるかどうか分かりませんねえ。うちでは修理も引き受けていますが、こういう工芸品的なものは、ちょっと手に余ります」俺の返事を食い入るように聞いていた少女が、ついに泣き出してしまう。
「でもね、でもね、これが直せないとパパと仲直りできないの。パパに嫌われたままになっちゃうの!! お願い、直して下さい!!」少女は泣きながら、俺の服の裾を掴む。老人はそんな少女をたしなめるが、一向に泣き止まない。すると、優恵が少女の手を優しく握り、自分の胸を貸した。優恵は子供の扱いがうまく、こういう時本当に助かる。 あー、でも、優恵の制服がガビガビになりそうだ、なんて考える俺はダメ人間なんだろうな。
「無理なお願いかも知れませんが、少しで良いですから見てやってくれませんか? 如月さんもご存知なように、最近はものを修理が出来る人間はほとんどいません。あなたの噂を街で聞いて、あなたにならお願いできるかもしれないとやってきたのです」老人が悲痛な表情で頭を下げる。俺よりも遥か年上の人が、ここまでするなんて、よほど大切なものなのだろう。
「ええと、あ、まだ名前を伺ってませんでした」
「あ、すみません。私は、笹塚と申します。そして、この子は、まりあと言います」老人は会釈をすると、名刺を丁寧に渡してくれた。俺はその名刺をよく見ずに、すぐにしまうと自分の名刺も机から出して老人に渡した。
「それで、笹塚さん。あなたもご存知でしょうが、今はとにかく物資が不足しています。安物のラジオでさえ、修理をするための部品がなかなか手に入りにくくて、別の壊れたラジオから外した部品をあてがったりします。なので、オルゴールのようなものは、さらに部品が手に入りにくいので、直せる見込みはかなり低いのです」俺はそう言うと、まりあを慰めている優恵に視線を送った。落ち込む笹塚の顔を見たくなかったからだ。だが、優恵も表情を暗くしている。
「とにかく、一度見てくれませんか? お願いします」笹塚はそう言うと、立ち上がり深く深くお辞儀をした。まりあも優恵の胸から飛び出し、同じように頭を下げる。
「さ、さあ、頭を上げて下さい。わかりました、一応見るだけ見ます」俺がそう言うと、俺以外の全員の表情がぱあっと明るくなった。
「お願いできますか! ありがとうございます!!」笹塚は、さらに深々と頭を垂れると、まりあの手を引いて帰って行った。
俺は嬉しそうに帰って行く、笹塚とまりあの後ろ姿を見て、ああ、とんでもないことになりそうだ、と心底後悔した。
*
笹塚たちが帰った後、俺は重要度の高くない仕事を隅に置き、早速オルゴールを分解してみた。大して複雑な構造じゃなかったので、これはさい先が良いぞ、なんて思ったのだが。
「あー、駄目だ。駄目です、はい。何で、ゼンマイをねじ切っちゃうんだよ」俺がドライバーを放り出して床に寝転がると、上から私服に着替えた優恵が覗き込んで来る。
「どうしたんですか?」と、不安そうな優恵。
「いやさ、故障箇所はわかったんだけどな…」俺はそう言うと身体を起こし、優恵に机の上のオルゴールを見せた。
「どこが壊れていたの?」優恵のフサフサの耳が、俺の頬をくすぐる。優恵の毛は、日向の匂いがする。
「まず、オルゴールの中にある人形、こいつが動かない原因は歯車の故障だ。ほら、歯が欠けているだろう?」俺はそう言うと、白いプラスチック製の歯車を指差した。誰かがプラスチックに使ってはいけないグリスを塗ったのか、そのせいで歯車が劣化して力がかかったところで壊れたのだ。しかし、このグリス、いつ頃塗られたんだろう? ここ数年ってわけじゃなくて、下手すれば何十年も前だぞ?
「あ、ああ、確かに」優恵が目を細めて、俺の指先を見つめる。目を細めるのと同じように耳が動くので、見ていて面白い。
「これは、何とか替えの部品を探せば良い。模型屋に多分あるだろう。もしかしたら、駆動比が変わって、動く速さが変わるかもしれないけどな」俺の説明に、優恵が何度も頷く。
「なら、どうして修理できないのかな??」
俺は優恵の素朴な疑問に、苦笑いを浮かべるしか無かった。そう、ここまでなら、すぐに修理を完了させ、明日にでも笹塚の元へオルゴールを届けることが出来る。
「それがさ、中のゼンマイが切れちゃったらしいんだ。きっと、人形が動かなくなって、慌てて何度も巻き直して、巻きすぎたんだろうな」俺はそこまで言うと、まりあが必死な表情で、動かなくなった人形をどうにかしようとしている光景を思い浮かべた。オルゴールは精密機械だ。彼女の歳では、その脆さを理解するまでには至らなかったのか、それとも人形が動かなくなったことが、それほどまでにもショックだったのか。
「ゼンマイは売ってないんですか?」優恵の言葉に、俺は首を振った。
「全く同じ規格のものは、多分無いね。だとすると、一から作らなければ行けないけど、俺には無理だ。専門の職人じゃなきゃな」
「そうなんだ…」俺の言葉に、しょげかえる優恵。その姿に、先ほどのまりあの姿を重ねて見えてしまう。
「んー、まあ、ゼンマイじゃなくて、電気仕掛けにすれば動くかもしれない。ただ、結構時間がかかると思うけど。でも、確か修理の期限が決められているんだよな」俺は、笹塚の話をメモった紙を見つめた。修理期限は、ちょうど今日から十日後。なぜ、そんな期限があるかはわからないが、ちょっとこの日程じゃキツい。
「とにかく、笹塚さんに相談してみたら、どうかな?」優恵が、ちょっとだけ表情を明るくする。
「そうだな、じゃあ、これから行くか」俺はそう言って上着を羽織ると、今日の陽気が良いことに気づき、上着を脱ぎ捨てた。優恵は、そんな俺を置いて、すでに玄関で靴を履き始めていた。