お人好し
フェリックスは死神の形質をこの身に刻み込み、常人とは比べ物にならない身体能力を有している。自らの匂いで魔物を呼び込み、そしてそれらを狩るのに、戦闘能力が低いというのでは話にならない。
フェリックスが素手でバシッチの剣を弾き飛ばした。バシッチは驚愕し、フェリックスを睨みつける。
「どういうつもりだフェリックス! 邪魔をするというのならあんたも殺す!」
「できるかどうかは別にして。……感謝してもらいたいもんだがな、バシッチ。この状態のグリニスを殺したら、ただの殺人だぞ」
「何を! そいつは賞金首だ! 殺しても問題はない、法がそう定めている!」
フェリックスは昂奮して頭が回っていないバシッチを宥めた。
「確かに賞金首だ。だが、ギルドはまだグリニスが元々は人間で、普段は魔剣の姿をしているなんて知らない。今のグリニスは、その……」
フェリックスはちらりとグリニスを見た。一糸も纏わぬその姿は、闇に紛れているとはいえ、夜目の利くフェリックスにははっきりと見えた。
「……ただの女だ。まさかコーラが持っている大剣がこの女性であるなんてこと、ギルドは信じようとしないだろう」
「だが事実だ! 釈明や抗弁は殺してから考えるっ! たとえ世間から犯罪者と指差されたとしても構うものか、正義はこちらにある! そして正義は我が心の内に飼っておくだけで満足! そうではないのか!」
「冷静になれ。賞金稼ぎを名乗るなら、最低限の規則は守らなくっちゃな」
フェリックスは剣を握っていた。それはバシッチが魔剣との攻防の中で投げ出した、刃半ばで切断された剣だった。
「……まさかフェリックス、オレと戦うなんて言い出さんよな?」
「そのまさかだよ。お前が引き下がるというのなら話は別だが」
「なぜだ! なぜそのような悪鬼羅刹を庇う! 無頼漢を気取るか!」
「賞金稼ぎの規則だよ。俺は今、無職だが、カネが必要になったら、賞金稼ぎとして働くのが常だからな」
フェリックスは嘆息する。
「つまりだな、コーラもグリニスも、今は無力な女だ。捕まえるだけならいいが殺すのはどうか。そう言っているんだ」
「馬鹿な! 屁理屈を言うな! その魔剣は、放置すれば必ず人を傷つける! まだ死人が出ていないのは運が良かっただけだ、そうだろうが!」
「確かにそうだ。だが今は待て。今の状態のグリニスを殺せば、お前は立派な犯罪者だぞ」
「構うものか!」
バシッチが更なる武器を懐から取り出し、突進してくる。その姿が闇に溶け込み、不可視の存在となる。
しかし無駄だった。フェリックスには分かってしまう、風の動き、バシッチの体温、その生命の在り処。
バシッチが繰り出した剣撃を剣の柄で受け止めた。ぎょっとしたバシッチの腹に拳を一発繰り出す。ごふっ、と血の混じった唾を吐いた彼は、そのまま地面に倒れて気絶した。
「格が違うんだよ、俺とお前とじゃな……」
フェリックスは肩を竦めた。そして振り返る。
全裸のグリニスがまだそこにいた。隣にはコーラが立っている。
「――合点がいった。いくら移動速度に優れているからといって、賞金稼ぎたちの追跡からこんなガキが逃れ続けられるわけがないと思っていたが」
フェリックスの言葉にグリニスは微笑む。
「大剣を持った少女。手配書にはそう書かれている。だが、たまにグリニスが人間の姿に戻り、コーラを引率するような形で旅を続ければ、追手の目を誤魔化すことができる。そういうことだったんだな」
「フェリックスさん」
グリニスは微笑みながら言う。
「あなたは優しい人です。それが今回の一件で分かりました。私はこれまで、コーラちゃんと旅をしながら、コーラちゃんを守ってくれる人を探していました」
「なに?」
「優しいだけでは駄目。強いだけでは駄目。強さと優しさ、それから甲斐性、あるいはコーラちゃんを正しい方向に導くだけの厳しさも持っていなければならない。あなたはまさに適任と言えるでしょう」
「あ? ちょっと待て、俺に何を言おうとしている、嫌な予感しかしないぞ。助けたのは今回だけだし、そもそもお前が魔剣の姿に戻ったら即刻叩き割ってやる」
「ふふふふ。怖い怖い。でも、私が魔剣の姿になって死んだとしても、死体は魔剣の残骸としてではなく、この女の姿になるでしょうね」
「は?」
「つまり、殺人の罪にあなたは問われるわけです。何の罪もない無辜の民を粉々に破壊した残虐極まりない魔人として追われることになるでしょう」
「馬鹿な」
フェリックスは舌打ちした。
「お前は俺に何を求めているんだ……」
「コーラちゃんのお師匠様になってください。あなたになら、コーラちゃんを任せられます」
「冗談じゃない」
「ええ、冗談ではありませんとも。うふふ、もし善意で協力できないというのなら。乙女の歯を叩き割ったその罪を贖うということではどうですか?」
フェリックスが叩き割った歯を示したグリニスは愉快そうだった。
「お前が暴れなければあんなことはしなかったというのに」
「魔剣の姿になった私は、理性が働かないのです。かと言って、人間の姿でいるのは体力を消耗しますし。あなたがコーラちゃんを守ってくださるなら、たぶん、私も大人しいですよ? ああ、お腹が空いても暴れるかな……、空腹状態が続くと、苺と人間の頭をしばしば誤認するので、そこは注意してくださいね?」
「はあ!? ちょっと待て、本当に俺にこのガキを押し付ける気か?」
「もちろん。そうそう、最後に一つ」
「なんだよ」
「あなたが魔剣を持つときに握る柄――あそこ、私のお尻の部分にあたるので、もうちょっと優しく……。ね?」
冗談なのか本当なのかよく分からなかった。グリニスは光に包まれ、魔剣の姿に戻った。
コーラがその魔剣の柄を掴み、フェリックスの様子を探るように見る。
フェリックスは舌打ちした。
「どうして俺がこんなガキの世話なんかしなくちゃならない。こいつは賞金首だぞ……。しかも何の義理もない」
コーラは泣き出しそうだった。フェリックスが帰宅の途に就き、農区の泥道をゆっくり歩き出しても、まだ畑の中で立ち尽くしていた。
しばらく行って、振り返る。なんだあのガキ。ついてこないのか。
「おいコーラ。お前、俺の弟子になりたいんじゃないのか?」
「でも……。ししょ……、フェリックスさんは迷惑なんですよね?」
「そりゃあな。できればお前みたいなクソガキとは関わりたくない」
「じゃ、いいです」
コーラは涙を拭って言った。
「私と関わった人は、みんな不幸になるです。グリニスちゃんと旅を始める前からそうでした。みんな、みんな、私を厄介者扱いして。お父さんもお母さんも、親戚のおじさんもおばさんも、孤児院の院長さんも、神父さんも、みんなみんな不幸になったです……」
「はあ?」
「だから私は旅を続けてるです。同じところに留まったらみんな不幸になるから……。捕まったらグリニスちゃんを壊されちゃうから……」
「……だから俺の弟子になるのは遠慮すると?」
「そうです。だから、フェリックスさん、今回は助けてくれてありがとうございました。ここでお別れですね……」
フェリックスは立ち止まっていた。闇の中で表情が隠れていると思っているのか、大粒の涙が流れるのをそのままにしている。
不安なのか。自らの未来に絶望しているのか。フェリックスは嘆息した。
昔の頃の自分を思い出した。まだ死神の形質をこの身に刻み込む前の話だ。無力な自分に常に苛立っていた。フェリックスはそんな子供だった。
「おい、コーラ。お前、俺の家を破壊してくれたよな」
「えっ」
「弁償しろ」
「むっ、無理です!」
「ならお前にかけられている賞金を頂戴するしかないな。お前を組合に突き出す」
「ええっ! 見逃してくれるんじゃないですか!」
フェリックスはコーラのところまで戻り、その首根っこを掴んだ。てっきり魔剣が反抗してくるかと思ったが、大人しかった。
このアマ……。フェリックスの魂胆を見抜いているということか。本当に突き出してやろうか。
「……とはいえ、そのまま突き出しても、魔剣がまた暴れ出すだろうし、そうなったら魔剣を壊すしかないが、そうなったら女の死体が現れて、魔剣を壊した奴が殺人罪に問われるだろうし……」
「え?」
「同業者があまりに不憫だな。仕方ないから、カネを稼いで俺に借金を返せ。それができないなら新しい家をお前が建てるんだ」
「ちょっ……」
「もしお前がまた賞金稼ぎに狙われて、襲われても」
フェリックスは何でもないことのように言う。
「グリニスを壊した奴が殺人罪に問われるのがあまりに可哀想だから、追い払ってやる。できるだけ穏便にな」
「あ……」
「逃げるのは許さない、だから常に俺の近くにいること。いいな」
「あっ……、師匠……! 師匠って呼んでいいですね! やったー!」
「師匠じゃない! 俺とお前は、債権者と債務者。いいな?」
「やったー! 債権者が私で、師匠が債務者!」
「逆だ馬鹿!」
フェリックスは我ながらよくもまあこんな面倒事を引き受けたものだと呆れていた。何の利益もないというのに。だが、フェリックスは自分が甘い人間だということを自覚していた。だから意外でも何でもなかった。
これだから厄介事に巻き込まれることを嫌っていたのだ。大抵の人間は、厄介事に巻き込まれても、その大きな渦からできるだけ早く逃げ去ろうと努力するだろう。しかしフェリックスはその厄介事から目を背けることができず、なんだかんだとその解決に協力してしまうような、そんなお人好しだった。自分では認めたくないが、他人からいいように利用されて結局損を被る役回りが多い。
「師匠! 最初は素振りからですね!」
コーラがすっかりはしゃいでしまって魔剣をぶんぶん振り回している。けして軽くないはずだが、魔剣グリニスのほうから少女の動きに合わせているのか。
魔剣とグリニスの裸を重ねて見てしまう。あの優美な女が少女の手によってぶんぶん振り回されている姿を想像すると、フェリックスは不覚にも笑みを零してしまうのだった。




