グリニス
バシッチと魔剣グリニスの戦いは、最初、互角に推移するように思われた。バシッチは衣服のいたるところに武器を隠し持ち、予想外のタイミングで意外な攻撃を繰り出し、魔剣の裏を掻こうとした。だが魔剣は生物としての限界を超えているのか、反応速度が尋常ではなく、至近距離から繰り出されたバシッチの必殺の一撃を難なく躱した。
すると魔剣グリニスがコーラの必死の抑制にも関わらず、その剛風を発揮した。バシッチの繰り出した小剣にまともに刃をぶつけ、ちょうどノコギリのように凹凸のある刃をギュルギュルと振動させ鉄粉を巻き散らす。変幻自在の魔剣グリニスは鋭利な刀身を光らせることも、相手の武器を破壊するのに適した形に変化することもできる。もしその遣い手が優れていたなら、これほど恐ろしい武器はないだろう。
今はまだ、コーラがまるで戦闘に参加せず、むしろ魔剣の動きの邪魔をしているから、大した脅威はない。しかし、もしフェリックスが武芸を仕込み、魔剣と動きを合わせるようなことができたら。その潜在能力は計り知れない。そういった意味でも、フェリックスはコーラの師匠になどなりたくなかった。
グリニスによってバシッチの武器が切断された。その勢い衰えず、魔剣がバシッチの片腕を傷つけた。素早く距離を取ったバシッチだったが魔剣の反撃に驚いているようだった。
「馬鹿な……。前に戦ったときより動きが俊敏だ……。何よりその力強い攻撃は……。成長しているというのか」
しかしすぐにバシッチは余裕を取り戻す。
「――好都合だ。ここまで抵抗してくれるなら、つまらん言い訳を用意せずとも、殺害が肯定される。オレの能力では無傷でこの少女を捕まえることはできそうにない。いいな、フェリックス」
バシッチの言葉を聞いてコーラが跳び上がる。
「えっ。師匠が来てるですか!? どこどこ!?」
コーラが闇の中に目を凝らすが、夜目がほとんど利かないらしく、畑の外に立つフェリックスを見つけることができないようだ。
フェリックスは微動だにしなかった。バシッチの言葉は正しい。コーラは賞金首であり、その生存に関わらず、懸賞金がかけられている。生きたまま捕まえられないなら殺すべき。生かしたまま逃がすよりかは、殺すことが推奨されている。
だがそれは未熟な賞金稼ぎが、自分の能力を超えた賞金首と対峙したときの理屈。フェリックスは嘆息した。
「いいだろう、バシッチ、魔剣を殺してみろ。だが、お前にそれができるかな」
「フェリックス――見ているがいい」
バシッチがコーラと魔剣グリニスに突進する。彼が懐から出したのは黒い刃の剣―――夜の闇に刃が溶け込む。それを見ていたフェリックスは眩惑された。
フェリックスだけではない、魔剣グリニスも反応が遅れる。いや遅れるどころではない、歯車を一つ欠いたカラクリのようにぴたりと動きを止める。
「魔剣グリニス……貴様の正体は闇の眷属たる魂喰の形質……! この剣の気配は掴めまい? この剣もまた、闇に属するものだ」
そしてバシッチはコーラの懐に潜り込む。
「そしてこのオレも闇の眷属――陰精である。オレを知覚するのに苦労するはずだ、なあ、グリニス?」
魔剣の柄を握るコーラが驚愕の表情を浮かべる。その少女の手の甲に、バシッチの手が重なった。そして柄を握り込み魔剣を奪い取る。魔剣は完全にバシッチの姿を見失っていた。
バシッチはコーラを突き飛ばした。少女は後方に一回転して畑の窪地に嵌まり込んだ。
魔剣を握った彼は勝ち誇っていた。そしてその刀身を地面に叩きつけるが、下はふかふかの畑だったので尖端が土に埋もれただけだった。
「このっ! 壊れろ!」
バシッチは土に埋めった剣の刀身を蹴りつけた。例の黒い刃の剣で叩き割ろうと打ち付けた。
「やめてえ!」
コーラが叫んでいる。だがバシッチは魔剣への攻撃をやめようとしなかった。
「ずっと追っていた……! いつかこの手で殺してやると……! お前は覚えているか? 家を破壊され、家財を奪われ、妻にも子供にも見放されたこの憐れな男を!」
コーラはかぶりを振った。
「な、何のことだか……」
「ふん、そうだろうな。お前はあのとき魔剣に振り回され、気を失っていた。覚えているはずがない」
バシッチの眼は血走っている。この感情の高ぶりを慰められるなら何でもしてやる。そういう眼だった。
「だが知っておくべきだったな! お前を殺す為にオレは! 陰精の形質をこの身に刻み込んだ! 無力な男はこうして闘う力を得たわけだ! 魔剣が壊せないなら先にお前を殺す!」
バシッチが黒い刃の剣をぶらりと下げながら、コーラに近付く。魔剣はバシッチの存在を見失い、コーラを守ることができずにいる。コーラが悲鳴を上げ、魔剣が暴れ始めるが、バシッチがその凄まじい腕力で押さえ込んだ。
「大人しくしていろ。すぐに後を追わせてやるから……」
「ぐ、グリニスちゃん……」
コーラが瞼を閉じる。早くも諦観のポーズか。フェリックスは呆れた。
「少しくらい抵抗しろよ……。ったく」
フェリックスは彼らに近付こうと歩み出した。しかしそのとき、魔剣が眩く光り始めた。
「なに……?」
バシッチが呻き声を発する。魔剣の柄が発熱でもしたのか、バシッチがその柄を離した。
魔剣は地面の上に落ちた。と同時に白い蒸気を発し始める。闇の中の蒸気が完全に魔剣の姿をその視界から覆い隠してしまった。夜に生きるバシッチでさえ、魔剣を見失ってしまったようだった。
「くっ……、しまった……」
バシッチが闇の中でもがく。フェリックスは蒸気の中でむっくりと起き上がる影を見た。目を凝らす。そしてすぐにそれが若い女性の姿をしていることに気付く。
コーラではない。コーラよりも年長。成人している。銀色の長髪を腰まで垂らし、透き通るような白い肌としなやかで官能的な躰の輪郭線をそこに見て取れる。
その女性は全裸だった。彼女はにこりと笑む。上の歯の一部が欠けている。バシッチがそれを茫然と見ている。
「なんだこの女は……! まさかあの魔剣だというのか?」
銀髪の女性――恐らくその名はグリニスというのだろう。彼女はゆっくりとバシッチに近づいた。
「そんなに殺したいなら私を殺しなさい。でも、コーラには手を出させない」
グリニスは緑色の瞳を怒りの色に染め上げながら言う。
「今の私は闘う力を持ちません。簡単に殺すことができるでしょう。どうぞ、その闇の剣を、私の腹に突き立ててください」
バシッチはまだ動揺している。その全裸の女性を見回し、自分が今まで殺そうとしていたモノの正体を掴もうとしている。
フェリックスもまた、その女性を遠巻きながら観察していた。彼には分かってしまう、彼女に戦う力がないことを。一瞬でバシッチは彼女を殺せてしまうだろう。バシッチもその事実にすぐに気付くはずだ。
「駄目! ダメだよ、グリニスちゃん!」
コーラが叫んだ。その裂帛がバシッチの覚醒を促してしまったようだった。彼は闇の剣を握り込み、雄叫びを上げながらグリニスに突進した。それは、一瞬のことだった。




