賞金稼ぎ
グラント市は、夢占の国ガノク全体を見回せば、さほど大きな街ではなかったが、様々な人種、職業、商いが入り乱れる異文化の坩堝だった。国際的にその入手や売買が禁止されている魔物の形質が、公然と取引され、魔物の形質を取り込んだ魔人が昼間から出歩いている。他の国では形見の狭い思いをしなければならないフェリックスのような人間も、ここでは堂々と宿に泊まることができる。
縄梯子を使ってグラント市に入ったはいいが、この街の衛兵たちからやたら好かれているフェリックスは、是非宿舎に泊まっていってくれと熱心な誘いを受けた。フェリックスにとってはそれでも十分贅沢な施設と言えたが、
「お前らみたいなむさ苦しい奴と一緒に寝られるわけないだろ」
と、なぜかヤングが拒絶し、強引にフェリックスを街の中心地に連れていった。
「女を手配しろというのなら、すぐに連れてくるが、どうするよ」
ヤングは道中、そんなことを特に声を低くするわけでもなく、言ってのける。フェリックスは肩を竦めた。
「売春は違法だろ……。この街では」
「確かに。だがここは自由恋愛が保障されている街だ。そして俺は奔放でしがらみのない恋愛を斡旋する手段に通じている」
「モノは言いようだな。必要ない」
ヤングは珍獣でも見るような目でフェリックスを見た。
「おいおい、人里は久しぶりだろうよ、恋しくないのか、女の柔肌が……」
「下手をすると殺しかねないからな。もし俺の相手ができるとしたら、闘鬼の形質を宿した化け物みたいな女だろう」
冗談でもなく真実だった。死神の形質がフェリックスの肉体に刻み込まれたそのときから、相当注意しないと、ちょっと抱き締めただけで相手の息の根を止めかねない。
ヤングは苦笑した。
「なるほど……。それでは確かに『柔肌』とはいかないかもな。悪いことを言った」
「いや」
「しかし、それでもやはり、手配できないことはないぞ? 世の中には物好きがいるもんでな、恐るべきことに、心当たりが一人いる。まさしく闘鬼の女でな」
「必要ないと言っている」
「ああ、すまん。ちょっとしつこかったな。まあ、その女、今は刑務所に入っているしな……」
二人は街の宿に向かった。既に深更だというのにグラントの通りには人で溢れており、ぺちゃくちゃと陽気に話をする集団がいたかと思えば、暗がりで顔を寄せ合ってこそこそ話している連中もいる。歩行速度や進行方向もまちまちで、人とぶつからずにまっすぐ進むことは極めて困難だった。
「いつもこんな感じなのか?」
客引きの手を払いながらフェリックスが訊ねる。ヤングはかぶりを振る。
「いや、今は観光が盛んな時期だからな。ここを出歩いている人間のほとんどが、市民じゃないだろ。それはそうと、宿に向かう前に、一杯やっていかないか?」
「酒は嗜まない」
酔えないから。フェリックスにはありとあらゆる種類の毒物に耐性がある。だがそれでもヤングは諦めない。
「そう言うなよ。美味しい店を知ってるんだ。料理だけでも十分楽しめるから」
フェリックスはさっさと宿に向かいたかった。面倒事は嫌だったし、ゆっくり料理を食べていたい心境でもなかった。しかしヤングはいやに熱心だった。
「カネは俺がもつから。な?」
「俺みたいな余所者が出歩いたら、騒ぎの種になるぞ」
「大丈夫だよ。俺もここでは余所者だが、妙なことに巻き込まれたことはない。治安は良いし、衛兵が見回りをしてるし、馴染みの店だし。な?」
フェリックスは、ヤングが何か企んでいるのではないかと疑った。誰かと会わせたがっているとか。しかし確証はないし、ヤングの案内がないと宿がどこにあるか分かりやしない。フェリックスは何度かグラント市に入ったことがあったが、ろくに出歩かなかったので、道などを全く把握していなかった。ぼんやりと、こちらは商業区、こちらは農区、といった認識があるだけだった。
結局、ヤングと共にとある小料理屋に入った。騒がしい大通りから少し外れた路地にひっそりと佇む小さな店で、席が十五人分ほどしかなかったが、清潔感があり、照明も明るく、印象は悪くなかった。鼻孔をくすぐるのは香草の匂いだろうか。
「いらっしゃいませ! あ、ヤングさん! 一番良い席を空けて待ってましたよ!」
給仕をしていた中年女性が愛想良く言う。ヤングは笑顔で返事をしたが、フェリックスは嘆息した。予約していたということは、最初からここに連れてくるつもりだったということか。
「あ、勘違いするなよ、今夜、俺はここで食事をする予定だったが、一人で来るつもりだったんだからな」
ヤングの弁解を聞き、フェリックスは頷いた。
「まあ、信じてやってもいいが」
フェリックスとヤングは席についた。窓際で広々とした卓に並んで腰掛けた。注文をヤングに任せ、フェリックスは窓の向こうを見た。街灯に照らされて行き交う人々の陽気な話し声、あるいは暗鬱な顔、あるいは無表情、そういったものを眺めているだけであっという間に時間が経った。普段静謐な世界で微睡んでいるだけのフェリックスには刺激の多い場所だった。少々気疲れする。
「お待たせしました」
注文した品々が運ばれてくる。魚を牛酪で焼いたものや、甘藍の発酵塩漬け、大蒜の調味料で味付けした子羊肉の蒸し焼きなど、普段の生活では食べる機会のない「まっとうな」料理だった。
「普段、獣の肉を喰いちぎるくらいのお前には、ちょっと手が込み過ぎるかもな」
ヤングの指摘にフェリックスは頷かなかった。しかし図星だった。栄養さえ摂れれば文句はない。フェリックスは出された料理をろくに噛まずに食べ始めた。おかげで食べる速度が尋常ではなかった。ヤングがもたもたしている間にあらかた食べ終わってしまった。
「おいおい、もっと味わえよな。ったく……」
そのとき、向かいの席にどっかと腰掛ける男がいた。フェリックスもヤングも思わず顔を持ち上げてその男を凝視した。
男は普通の人間ではなかった。瞳がくすんだ赤色をしている。静脈血のような色だ、とフェリックスは思った。
「なんだお前は」
ヤングが訝しげに言う。どうやらヤングが呼び付けた人間ではないらしい。男は明らかにフェリックスを意識していた。黒い外套の奥には物騒なものをしこたま仕込んでいるのが見て取れた。
賞金稼ぎだな。フェリックスは確信した。少なくとも、身のこなしからして、戦士であることは間違いない。
「西の郊外にある家――お前の家だな?」
男は尋ねてきた。フェリックスは真っ直ぐ男の眼差しを受け止める。
「西の郊外に家はない。家だったものが転がっているだけだ」
「その家を破壊した女――その名もコーラ……、あの女にやられた。そうだな?」
男には他人に有無を言わせぬ凄味がある。ヤングが躊躇しつつも割って入る。
「おいおい、なんだいきなり。不躾な奴だ、名前くらい――」
「よせ、ヤング。この男は俺に用事があるようだ」
男はヤングのほうを全く見ようともしなかった。ただフェリックスの一挙手一投足に注目している。見定めているのだ、フェリックスの戦士としての力量を。
「オレの名はバシッチ。賞金稼ぎをしている。これ以上の自己紹介が必要か?」
「いや。俺の名はフェリックス。無職だ」
「無職か……、この街の衛兵の間では結構名の知れた存在らしいじゃないか。この街の窮地を何度も救った凄腕、そう聞いている」
噂というのはときとして尾鰭がついて広まるもので、それが良い方向にも、悪い方向にも働く。グラント市が大規模な魔物の攻勢に見舞われたとき加勢したことはあるが、別にフェリックスがいなくともグラント市は無事だっただろう。個人の力なんてものが大勢に影響することは滅多にない。それなのにやたらとあのときの戦いが称賛されるのは、少々派手に立ち回り過ぎたからか。
「凄腕かどうかは知らんが……、まあ、戦闘を生業にして食っていく自信はあるかな」
「そんなあんたを、今日、コーラという女が打ち破った。情報が欲しいんだ。オレはあの悪魔のような女を追って、ここまで辿り着いたんだ」
随分と情報が早い。フェリックスがあの少女と会ったのは、日が沈んでからだ。数時間しか経っていない。
「情報か。情報なら、俺の隣にいる男のほうがたくさん持っているだろう。俺は普段、家で微睡んでいるだけの野暮天だ」
「どんなことでもいい、あの女が向かったところに心当たりはないか? 戦ったときの感触を教えてくれ。あんたは無傷のようだが、どうやって切り抜けた?」
フェリックスは男がしつこく尋ねてきたので、今日起こったことを全て話した。家の壁にコーラがひっついていたこと、魔剣が少女を守るべく暴れ回ったこと、それで家が破壊されたこと、そして、フェリックスが魔剣を一度取り上げたことなど。
「愚かな」
バシッチは立ち上がった。
「なぜそのとき魔剣を破壊しなかった? なぜあの悪魔のような女を殺さなかった? 犠牲者が増える一方だというのに」
「お前とあのガキの間にどんな因縁があるのか知らんが、俺がそうする義務はなかったからな」
「……話を聞かせてもらったことには礼を言う。おかげで次の目的地の見当がついた。これで失礼する」
バシッチが退席した。ヤングが安堵したように一息つく。
「……いったい、何だってんだ、人が気持ち良く食事しているときによ……」
「ヤング。お前、情報を売ったな」
「え?」
フェリックスの指摘に、ヤングはきょとんとした。
「な、何のことだよ、今の男のことは、本当に俺は何も知らんぞ」
「お前があの男に直接情報を売ったとは思っていない。だが、お前が懇意にしている機関なり組織に、コーラと俺が交戦した情報を売っただろう。幾ら何でも出足が良すぎる」
「何のことだか……」
「ついでに、俺がこの時間帯にこの店を訪れているという情報も流しておいたはずだ。違うか?」
「そんなまどろっこしいこと、しねえよ。……いや、確かにお前がコーラと戦ったことをギルドに報告はした。だがそれだけだ。あのバシッチとかいう男がお前に接触できたのは、きっと、尾行でもしてたからだろ……」
それより、とヤングは誤魔化すように言う。
「あの男を行かせて良かったのか?」
「何がだ」
「あのコーラとかいう女――魔剣にとり付かれてるんだろ? あの男、返り討ちに遭うんじゃないか」
「その心配はないな」
フェリックスは勘付いていた。あのバシッチとかいう男、普通の人間ではない。魔人だ。まともに戦ったら、まず間違いなく、コーラが敗れる。
魔剣が破壊され、あの少女は殺され、その生首が賞金稼ぎの組合に持ち込まれるはず。あの男が本当にコーラの次の行き先を探り当てていたらの話だが……。
「ったく、すっかり料理が冷めちまった。おい、フェリックス、追加はないか? 今夜は俺の奢りだぞ」
「いらん」
「そんなことを言うなって。おーい、おばさん、食後の茶菓を! 例のやつね!」
しかし給仕の中年女性は申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、いつものは品切れでね……」
「えっ。売り切れ?」
「いやあ、売り切れというか……。材料が手に入らなくなっちゃったのよ」
「材料が……?」
女性は渋面を作って頷く。
「近くの畑が荒らされちゃってね。輸入品じゃあの風味は出ないから、ちょっとね……」
「なるほど……。俺、楽しみにしてたんだけどな」
「ごめんなさいね」
女性給仕は忙しそうに仕事に戻った。フェリックスは、普段だったらこんなくだらない話に興味を持てなかったが、ちょっとした直感が働いて尋ねた。
「おい、その食後の茶菓とやら……」
「おっ。食べたかったか? でもなあ、材料がないらしくて」
「その材料ってのは、何なんだ」
「え? あ、そういえば、聞かなかったな。具体的なこと」
でも、とヤングは続ける。
「小麦粉とか卵だったら他の料理も出せなかっただろうし……。たぶん、苺じゃないか」
「苺?」
「そう。苺をふんだんに使った焼き菓子なんだよ、これが旨いのなんのって」
フェリックスは黙り込んだ。確か、コーラの指名手配の似顔絵には……。それに、あの魔剣の刃先に付着していた赤く透明な液体……。
フェリックスは立ち上がった。ヤングが呆気に取られる。
「お、おい、なんだよいきなり。便所か?」
「ちょっと出てくる」
「出してくる、の間違いじゃないのか? あ、おい、おーい」
フェリックスは店を出た。フェリックスは夜目が利く。通りを足早に歩いていくと、やがてバシッチの背中を捉えることができた。
「やはりこちらの方向か」
バシッチの歩みには迷いがない。フェリックスは普通の人間ならすぐに見失ってしまうような遠い距離から彼を尾行し始めた。人の波に揉まれ、その流れに逆らいながらも、二人の魔人は確乎とした足取りで夜の街を歩き続けた。




