剥がし屋
アイオンの話を信じるなら、一度刻み込んだ形質を引き剥がすことはできない。魔物の形質は人間本然の性質と密接に結び付き、人間から人間ではない何かへと進化させる。魔人は生殖能力を失い、けして彼らが繁栄を極めることはない。魔物の形質は人間の本性の奥底まで浸潤しあらゆるモノを根っこから変えてしまう。そんな異物まみれの生命体を純化する技術を、今の人類は持ち合わせていなかった。
だから魔剣グリニスからポルの性質だけを取り除くことは絶望的な状況だった。それは最初から分かっていたことだ。ただ、今回の場合、魂喰がグリニスを捕食し、次いでポルを捕食したという点で、通常の形質の刻印とは事情が違う。
つまり、そもそもフェリックスはグリニス本人とは会ったことがない。グリニスと思っていたあの銀髪の女は、グリニスの性質を吸収した魂喰が変化した姿だった。コーラがグリニスを失いたくないと泣きじゃくったことは、言うなれば故人の喪失を認められない駄々に過ぎない。とっくにグリニスは死んでいる。
コーラとグリニスがどんな関係だったのか、フェリックスは知らない。ひょっとすると、実の姉妹かもしれない。残酷な魔人だ、あの魔剣は。親しい人間を屠りながら、その幻影を周囲の人間に見せる。
早々に叩き割ったほうがいい。そうに決まっている。フェリックスには分かっていた。だが、こうして魔剣グリニスからポルを追い出す方策を追い続けているのは、いったいどうしたことか。魂喰の幻影に振り回されているのはコーラだけではないとでも……。
「フェリックスくん! こんなところにいたのかね!」
アイオンがフェリックスの前に立っていた。フェリックスはうんざりして溜め息をついた。
「……治療の対価は既に払ったはずだが、しつこいやつだな、お前も」
「そうではない! フェリックスくんの力になりたくてね」
アイオンがにやりと笑う。そして気安く近付き、長身のフェリックスの肩に手を回そうとするが、背が低く腕の長さが足りなかったので妙な格好になる。
「なんだ、力になりたいとは」
「なかなか興味深い形質を追っているようじゃないか。魂喰だって?」
フェリックスは再び深い溜め息をついた。
「誰から聞いた」
「バシッチを名乗る男からだ。魂喰を剣に刻み込み、人間を捕食することで進化を果たす――そんな面白そうなことを独り占めしようだなんて、フェリックスくんは強欲だな!」
どうしてバシッチがアイオンに事情を話したりなんかしたのか。あの男のことだから、フェリックスに味方したいのか、それとも邪魔したいのか咄嗟に判断がつかない。
「お前にできることはない……」
「以前、きみは私に訊ねたね。一度定着させた形質を剥がすことは可能かと。私はできないと言った……、しかし技術的にできないとは言っていないよ!」
「は?」
「せっかく刻み込んだ形質を引き剥がして人間に戻してしまうなんて、そんな勿体ないことはできないと言ったのだ! 世の中には剥がし屋と呼ばれる職種がある。彼らは人間に刻み込まれた形質を剥がすことを生業としている!」
フェリックスは目を見開いた。
「なんだと。そんなことが……。本当にできるのか!」
「ただし形質を剥がされた人間にとっては非常に危険だ。荒業中の荒業と言えるだろう! しかも剥がした形質はボロボロになって、二度と使えなくなってしまう。私のような人間からすれば百害あって一利なし、といったところだがね!」
「お前の価値観などどうでもいい。その剥がし屋の居場所を教えてくれ。この街にいるのか?」
「いや。この街にはいない! 西方のケナルラに腕の立つ剥がし屋が一人いるらしいが」
ケナルラ。行ったことのない街だ。一応大体の位置は地図で把握している。馬で駆けてもそこそこ長い旅程となるだろう。ケナルラに向かう途中、グリニスの襲撃を受ける可能性が高い。
「剥がし屋か……。暴れるグリニスに処置を施すことができるのか、未知数だが……」
「ふむ? フェリックスくん、一つ思い違いをしていないかね?」
「なんだと」
「私の言い方が悪かったかな。形質を剥がすこと自体を商売にしているのではなく、それは一つの方法なのだよ」
「方法? 何のだ」
アイオンはこほんと咳払いする。
「魔人を殺す、その方法だよ。どんな凶悪な魔人の犯罪者と対峙しても、形質を剥がしてしまえば無力化できる。そういう意味では、暴走する魔剣に処置をするのは得意かもしれないな」
フェリックスは直感した。先ほど会った、明星戦士団のリーダー、スレイド。あの男がその「剥がし屋」であることを。彼もケナルラからやってきた。魔人殺しを生業としているくせに当人はただの人間。そうだ、間違いない。
「その剥がし屋の名前は、スレイドか?」
「いや、知らないが。なぁんだ、きみ、知り合いだったのか?」
「知り合いというか……。この街に来ている。先ほど会った」
「ほう! 無粋なやつがこの街に来てしまったものだ! 剥がし屋なんて、私は認めたくないのだよ。これは人類の損失だよ、せっかくの形質を破壊してしまうなんて」
フェリックスはここにきてバシッチの意図を理解した。バシッチはスレイドのことを知ったのだろう、アイオンをけしかけてフェリックスに剥がし屋の存在を知らせた。迂遠なことをするものだ、フェリックスに直接伝えてくれればいいものを。
フェリックスは悩んでいた。スレイドはグリニスを救ってくれるかもしれない。同時に、グリニスにとどめを刺すかもしれない。
スレイドたち明星戦士団はサヴェリオを追ってこの近辺を捜索している。グリニスとも邂逅する可能性が高い。
「俺も行くしかなさそうだな」
フェリックスは足早に歩き始めた。アイオンが慌てて追ってくる。
「どこに行くのかね、私のフェリックスくん!」
「誰がお前のだ」
「一つ言っておく。もしスレイドと戦うつもりなら、彼の槍に気を付けたまえ。それが彼の剥がし道具だ」
「……どうしてスレイドの名前も知らなかったお前がそんなことを知っている」
「スレイドという名前には興味がなかったが、剥がしの技術には興味があったのでね、調べたことがあるんだ」
「なるほどな……」
フェリックスは今度こそグラント市の門へと向かう。コーラにはこのままここにいてもらおう。そちらのほうが安全だ。
スレイドと戦うことになるだろうか? フェリックスにはまだ分からない。自分がどうすべきなのかが。
雑踏の中を突き進むフェリックスの歩みには、そんな彼の思いとは裏腹に、迷いがなかった。誰かと肩がぶつかり、怒声を浴びせられたが、構わなかった。やがて門を潜ろうとしている明星戦士団の面々の後姿を目視した。
『同道願えぬか?』
スレイドの言葉を思い出す。フェリックスは一瞬躊躇したが、歩行速度を更に上げて彼らに近付いた。




