弟子入り志願
フェリックスの家をその剣風で吹き飛ばし、コーラは猛然と迫ってくる。いや、コーラは必死にその魔剣を抑えようと頑張っている。フェリックスは少女への怒りを霧散させていた。だから対応が中途半端になってしまったのかもしれない。
コーラが根っからの極悪人なら、魔剣もろとも攻撃し、怪我をさせることも厭わず強引に無力化するのに迷いはなかった。だがどうやらあの少女は魔剣グリニスに振り回されているだけのようだ。フェリックスが抜き放った鉄剣には迷いがあった。
魔剣グリニスが少女を引き摺りながら迫る。まともに正面から受け止める。その勢いは凄まじく、危うく躰が宙に浮きかけた。素早く剣で下への圧力をかけてねじ伏せた。魔剣が悶え狂う獣のように刀身を回転させ、フェリックスの剣を弾こうとしてくる。
もしコーラが魔剣の柄を掴んでいなければ、自由自在な動きを見せるその魔剣についていけずに負傷していたかもしれない。だがコーラの抵抗が魔剣の動きを僅かに鈍らせ、フェリックスに攻撃の機会を与えていた。
「逃げてええぇ!」
コーラの叫び。涙ぐんでいるようにも見える。フェリックスは舌打ちした。どのような経緯があってこんな魔剣に付き纏われているのか分からないが、いいだろう、こんな茶番はここで終わらせてやる。
フェリックスは人間としての本質に魔物の形質を刻み込んでいる。それは彼に超人的な身体能力を付与している。しかも彼が刻み込んだ形質は死神……、人間との適合率が著しく低い禁種であり、ほとんどの人間はその形質にを取り込もうとした瞬間死に至るが、稀に適合に成功する者もいる。フェリックスはその分の悪い博打に勝った。そうして得たのは魔人の中でも最強クラスの戦闘能力。
フェリックスはその平凡極まりない鉄剣を振り抜いた。魔剣は力で押し勝てると踏んだか正面からぶつかってきたが、フェリックスの爆発的な膂力の前に屈服した。コーラもろとも地面に転がる。
「すまんな、クソガキ」
フェリックスは動きを止めた魔剣に駆け寄った。魔剣を叩き割るつもりだった。だが意外にも、それに立ち塞がったのはコーラだった。
「どけ、ガキ。俺がその魔剣をぶっ壊してやる」
「駄目ぇ! グリニスちゃんは……。グリニスちゃんは友達なの!」
「何が友達だ。理性を失った粗悪な魔人となり果て、周囲の人間を傷つけることしかできない魔物ではないか」
しかしコーラは首をぶんぶんと振ってそこをどこうとしなかった。その間にも魔剣グリニスはひとりでに動き始めた。衝撃から回復したようだった。
「ちっ、その剣、空を飛ぶんだろ。逃げられたら厄介だ」
しかしその魔剣は逃げようとはしなかった。コーラの前に進み出て、彼女を庇うように、直立する。柄を天に向けて空中に浮かぶそれは、もはやフェリックスに攻撃をしようとはしなかった。完全に序列というものを理解したか、もう彼とは戦闘する気がないようだった。
しかしそれでもコーラを守るようにそこに浮かんでいる。フェリックスは魔剣を睨みつけた。
「……俺がそこのクソガキに危害を加えるとでも思っているのか? それで庇っているというのか? 舐めた奴だ……」
コーラが魔剣の柄を掴んだ。そしてぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい! グリニスちゃんは私のこと守ろうとしただけなんです! この子、ときどきやり過ぎることがあって……」
「何だと?」
「ちゃんと言って聞かせますから! だから!」
「……よく分からないが」
フェリックスは剣を下ろそうとはしなかった。
「言って聞かせて大丈夫なら、お前は指名手配されていないのでは? その魔剣グリニスが暴走を繰り返し、人々を傷つけるから、犯罪者としてお前は追われることになるんだろう」
「で、でも……。グリニスちゃんは私の……」
「友達? だがな、そのグリニスとやらに傷つけられた人々は、誰かの親であり、子であり、友人であった。まだ死人は出ていないようだが、いずれ犠牲者が出るぞ。そのときお前はどう言い訳する。この物騒な剣は友達だから大目に見てください。そう言うのか?」
「う……、うう……」
コーラは涙目になった。そのとき魔剣の切っ先が二つに割れた。それを見たコーラが必死に縋りつく。
「駄目! 駄目! 駄目ぇ!」
彼女の双眸から大粒の涙が零れ落ちたとき、魔剣の切っ先ががばりと割れた。裂け目から現れたのは獣の牙のような無数の突起だった。更にその奥には赤くぬめりとした巨大な舌――
この剣には口がある。フェリックスはぞっとした。元々人間だったものが、魔物の形質を刻み込んだことで姿を変え、剣となった。この口と牙は人間だった頃の名残だということか?
「おぞましい生物だ。呪われた生だ。やはり人間の友にはなりえない」
魔剣グリニスがコーラを振り払った。そして宙高く浮かび上がり、その切っ先をフェリックスに向けた。そして滑空し鋭い一撃を見舞ってくる。
フェリックスはそれを受け流そうと剣を構えた。だが尖端が二つに分かれた魔剣は、最初からフェリックスの躰を狙っていなかった。剣に噛みつき、力任せに振り回す。
「悪食が……!」
フェリックスは魔剣の柄を蹴飛ばした。しかしなかなか離さない。見れば、鉄製の剣の刀身に、魔剣の牙が食い込んでいた。もうこの剣は使えない。フェリックスは悟り、潔く剣を棄てた。
魔剣は剣を奪うと、ぼりぼりとそれを噛み砕いた。咀嚼の後は呑み込む。げっぷの後、何の武器も持たないフェリックスを確認し、勝ち誇ったようにその口を歪ませた。
「おめでたいやつだ。もう勝った気でいるのか?」
猛然と魔剣が突っ込んでくる。丸腰のフェリックスはしかし全く慌てていなかった。切っ先が割れ、フェリックスの頭にかぶりつこうとしてくる。何と隙の大きいことか。フェリックスは回り込んで魔剣の柄を掴んだ。そして力任せにその刀身を地面に叩きつける。
「分不相応なやつだ。剣なら剣らしく大人しく使われていればいいものを」
剣の切っ先が変形し、柄を掴んでいるフェリックスを攻撃しようとする。だがその割れた先端をフェリックスは掴み、ぐいぐいと引っ張ってやった。そして拳でその牙の一本を叩き割る。魔剣は悲鳴のような金属の軋んだ音を発した。
「や、やめて!」
コーラが叫んでいる。フェリックスは舌打ちした。
「いい加減諦めろ。この剣は危険過ぎる」
そして魔剣を再び地面に叩きつけた。魔剣はもう抵抗しなかった。ぐったりとして、もう普通の剣として振る舞っているように見える。
それを見たコーラが首を振った。
「そ、そんな……。死んじゃったの?」
「そう簡単に殺せるようなやつじゃない」
実力差を悟った今度こそ大人しくなっただろう。フェリックスは柄を強く握り込んだ。魔剣はときどきその身を震わせるが、フェリックスが軽く威圧をかけるとすぐに大人しくなった。
「す、すごい……。グリニスちゃんを力ずくで……。今までグリニスちゃんに勝てた人なんていなかったのに」
コーラが茫然としている。フェリックスはまだ油断していなかった。
「離れてろ。破片で怪我するぞ」
「は、破片って……」
「ぶっ壊す。これ以上の好機はないからな」
「だ、駄目ですー! 駄目! 絶対に駄目!」
「甘ったれたことを……」
「駄目!」
コーラがフェリックスに突進してきた。魔剣を持っていたフェリックスはそれに咄嗟に反応できず、少女が彼の腰に頭を押しつけながらぽかぽか腹を叩いてくる。
「グリニスちゃんを返して! 絶対に壊させないから!」
「離れろ、鬱陶しい奴だな」
「グリニスちゃんが悪さをしなければいいんでしょ! だったら、私がちゃんと面倒みるから!」
「無理だろ……」
「でもお兄さんにはできた!」
フェリックスのことをお兄さんと呼んだコーラの眼差しはきらきらしていた。
「ううん、師匠と呼ばせてもらいます! 私に剣を教えて! そうしたらきっと私もグリニスちゃんを止められるようになるから!」
「師匠だと……?」
悪い冗談だと思いたかった。しかしコーラの眼差しは本気だった。これは賞金首を追いかけるより厄介なことになったかもしれない。フェリックスは崩壊した我が家とぐったりとしている魔剣を一瞥し、大きな溜め息をついた。




