グラトニを知る者
グリニスの喪失は、コーラにとって凄まじい痛手だったらしい。少女はずっと泣いていた。涙が涸れることはなかった。あまりにも泣き続けるので、彼女の顔面は涙だか鼻水だか分からない液体でまみれ、それを衣服の袖で拭い続けていたので、袖がびっちょりと濡れていた。そんなになっても涙が止まらない。泣き腫らした双眸を見てフェリックスは舌打ちした。
「いい加減、泣くのをやめろ。グリニスが死んだわけでもない」
「でも……! グリニスちゃんが、私を……!」
「グラント市で、ディールあたりに守ってもらうしかないな」
フェリックスは言う。
「普通の衛兵どもに庇護を求めたところで、連中の手に負えないだろう。あの魔剣に対抗できるとしたら、聖剣アウェーカーを持っているディールくらいだ」
「都市なんかに行ったら、恐ろしいことになるんじゃないですか? グリニスちゃんが私をまた襲ってきたら……」
「しかしこのまま外でぶらぶら歩いているわけにもいかない。あの魔剣は明らかにお前を狙っている。俺だけじゃ守り切れん」
フェリックスの言葉にコーラは俯いた。
「……師匠」
「なんだ」
「もう、師匠に守ってもらわなくても、いいです……。私、グリニスちゃんに殺されるなら、それで――」
「くだらんな」
フェリックスはにべもなく言った。涙を流しながらコーラは師匠を睨みつけてきた。
「くだらない?」
「お前にとってグリニスがどんな存在だったのか、俺には分からない。だがこれまでさんざん生きたがっていたお前が、グリニスの暴走であっさり心変わりをするなんて、くだらねえ人生だなって言ったんだ」
「でもっ……! 私は!」
コーラは黙り込んだ。フェリックスはそんな少女を見下ろす。生きたいと思っていたのはグリニスが傍にいたからか? それならそれでいい、だがどうしてまだそこにグリニスがいるのに暴走を止めてやろうとは思わない。お前のその消極性が気に喰わない。フェリックスはそう思った。
「魔剣グリニスの形質……。俺は詳しくは知らない。もしグリニスを元に戻したいのなら、詳しい人間に話を聞く必要があるだろうな」
「えっ?」
「お前はラグトの聖騎士に庇護を求めろ。ディールと常に一緒に行動するのが望ましい。俺は出掛けてくる」
「で、でも……」
「師匠の言葉だ。従え」
フェリックスの強い言葉に、コーラは最終的に頷いた。
二人は揃ってグラント市に入場した。ポル撃破の余韻がまだ都市に残っていて、その立役者がフェリックスであるということは一部の人間しか知らず、多くの都民がディールこそポル撃破の張本人であると信じていた。ディール本人が否定しているのに噂が広まってしまうのだから、前評判というのは重要なものである。
フェリックスは、別に名誉など興味がなかったので、それならそれで構わないと考えていた。それによってディールが負い目を感じてくれれば、コーラを快く預かってくれると思っていたので、むしろ好ましい状況だと言えなくもない。
「たのもー」
聖騎士が詰めている教会の施設に乗り込んだコーラは、そんなことを言いながら中に乗り込んでいった。さすがにこのときになると涙は止まっていた。もしコーラが指名手配犯だとばれても、構わない。頑丈な牢の中のほうが安全だろう。
それから、フェリックスはあてもなく歩き始めた。市中をぶらぶら歩いていればやがて会えるだろうと思っていた。そしてその予想は当たっていた。
フェリックスは人通りの少ない路地に入った。尾行している人間がいる。フェリックスは立ち止って振り返った。尾行していた人間がすぐ物陰に隠れたが、やがて観念したか、姿を現した。
そこにいたのは、赤い瞳をした陰気な男だった。バシッチ――陰精の形質を刻み込んだ男である。コーラとグリニスを追って諸国を渡り歩いてきたという賞金稼ぎだ。
「久しぶりだな、バシッチ」
「ああ……、だが、フェリックス、あんたも妙な男だな」
「どうしてそう思う」
「オレがあんたとコーラを尾行していたことは、とっくに気付いていたんだろ。危ないとは思わなかったのか。オレが一人になったコーラを襲うとは思わなかったのか……?」
「どうだろうな」
フェリックスは肩を竦める。
「尾行されていることには気付いていたが、本当にお前だったのかは自信がなかったんだよ。コーラは大勢の人間に恨まれていてもおかしくないし、俺自身、ろくな人間じゃない」
「そうか。だが、目当ての人間はオレだったんだろ」
「そうだ。こっちについてきてくれて助かった」
「話があると見た。あの魔剣について、知りたいんだろう」
フェリックスは静かに頷いた。
「そこまで分かっているなら話が早いな。慧眼恐れ入る」
「何を言う。魂喰の形質はそう簡単に御することができないと思っていたよ」
フェリックスはそんな名前の魔物も、形質も、つい最近まで聞いたこともなかった。
「その魂喰ってのは、どんな形質なんだ」
「一言で言えば、大喰らいだ。何でも喰う。そして喰ったモノの性質を自らの形質に溶け込ませる特徴がある」
「ん……、ちょっと分かりづらい表現だな。要するに、喰った人間や魔物を吸収するということか?」
「まあ、そう言ってもいいが……。あの魔剣の場合、元々の魂喰の形質は、剣自体に刻み込まれたものだろう」
バシッチは顎に手を当ててしみじみと言う。
「剣に魔物の形質を刻み込むなんて、とんでもない荒業だし、そもそも魂喰自体、希少な形質でデータが不足しているし、あの魔剣の存在自体が奇跡みたいなものだが」
「その後で、魔剣がグリニスを喰らったのか」
「恐らく、そうだろう。そして魔剣にグリニスの人格が宿った。ここで重要なのは、グリニスは既に故人であるということだ」
バシッチは言う。
「あくまで魔剣の形質に、グリニスの形質が溶け込んでいるに過ぎない。もしまた別の人格を取り込むことになれば、二つの人格が魔剣の中に混在するのではなく、特徴が混ざり合った一つの人格が形成されるということだ」
「……一度取り込まれた人間を、吐き出させることはできないのか」
「できない。少なくともオレが調べた限りではな。まあ、発見例自体が少ない形質だから、可能性は皆無ではないが」
それは望みと言えるのだろうか。フェリックスはかぶりを振った。
「だが、ポルを喰らった魔剣は、中で二つの人格が争っているようだったが」
「消化が終わっていないだけだろう。いずれ人格が融合するはずだ。……それより、お前、ポルといったか? あの竜精のポル?」
「ああ」
「竜精を取り込んだ魂喰……。恐ろしい戦闘能力になるぞ。グリニスは普通の人間だったので、今までの魔剣の能力は、魂喰に依存していたが、ポルの力が加われば」
バシッチはそれ以上は言わなかった。フェリックスは頷く。
「しかもポルは人肉を好んで食っていた。魔剣が人を襲う頻度が高まるかもしれない」
「手に負えないようなら殺せ」
バシッチは冷たく言い放つ。
「今の段階でも十分に危険だが、大勢の魔人を捕食し、その力を増大させれば、かの魔人狩りのディールでも勝てない敵に成長するかもしれない」
「分かった……」
「あの魔剣を仕留めることになったら、オレも呼んでくれ。この手でぶち壊してやる」
フェリックスはふと笑う。
「分かった。色々とすまんな」
「いや……。オレにとってあの魔剣は宿敵だ。あんたが賢明な判断を下すことを願ってる」
「ああ」
俺もそう願っているよ。フェリックスは呟いた。ポルと融合した魔剣グリニスを元に戻す方法などあるのか。あるとしてもそれができるのか。フェリックスは歩き出した。同じく歩き出したバシッチと擦れ違った。二人とも一度も振り返らなかった。




