死神劣勢
フェリックスには直感があった。この女、ポルは自分より強い。明らかな格上、とまでは言わないが、しばらく互角の勝負を演じた後、力負けするだろう、その程度の差。
お互いに必殺の攻撃を持ち、どちらが先に当てるか、といった勝負なら、勝ち目はあったかもしれない。しかしあいにく、お互いに魔人であり、耐久力は普通の人間の比ではなかった。互いに全力を出し合い、そのときどきで優勢劣勢は入れ替わるかもしれないが、幾度もぶつかっている内に力の差は形勢の差へとそのまま反映され、やがて決着に至る。なまじ腕の立つフェリックスには、その道筋がはっきりと見えてしまった。
「……まずいな」
戦いを放棄し、退路を探す。フェリックスはそうするしかないと分かっていた。だがポルの黒鎌が容赦なく襲ってきて辺りを窺う暇さえ与えてくれない。フェリックスは街道を転がりながらもポルの凄まじい戦闘の勘に戦慄していた。フェリックスが逃げる方向へと先回りし、既にその巨大な武器を振りかぶっている。敏捷性ならばせいぜい互角といったところなのに、半秒の余裕さえ与えてくれない。
「どうしたの、死神! 反撃はしないの、反撃は! 反撃はどうしたの!」
フェリックスは砂まみれになりながら逃げ惑った。武器も持っていないフェリックスが反撃なんてできるはずがなかった。もしそんなことをしようと一瞬でも思ったなら、その禍々しい鎌に躰を切り裂かれて絶命するだろう。
「武器……! せめて何か武器があれば」
フェリックスは相当に後退していた。聖騎士や他の山賊たちの死体からも離れている。彼らの武器を借りるなんてこともできそうになった。
しかしこのまま逃げ続けることもできそうにない。フェリックスは覚悟を決めた。
ポルの斬撃を寸前で躱す。そして今までは地面を転がり後退していたのを、一気に踏み込んだ。
「おっ?」
ポルは驚いたが、むしろフェリックスの動きを歓迎するような様子だった。フェリックスはポルに突進を仕掛ける。だが竜精の形質を持ったポルは自在に空を飛ぶことができる。ふわりと浮かんでフェリックスの突進を躱しつつ、大鎌を振りかぶる。
「死なないで!」
そんなことを言いながら鎌を振り下ろしたポルは、しかし一切手加減をしていなかった。もっと粘って楽しませて欲しい。とでも言いたげだった。
普通なら避ける。だがそれでは勝てない。フェリックスは歯を食い縛った。ポルはフェリックスの実力をそろそろ理解してきた頃のはずだ。死なないでと呼びかけたのは、この一撃を躱すことを期待しているということ。
だがその期待を裏切ってやる。フェリックスは腕を突き出した。そしてその鎌の前に差し出す。
「えっ」
フェリックスは自分の右腕が宙を飛ぶのを見た。ポルが大鎌を振り切り、一瞬、体勢が崩れる。フェリックスは跳躍した。空中に浮かぶポルに突進する。
突き飛ばすわけでもなく、フェリックスはポルの躰に密着した。ポルの血走った眼を間近に見た。そこそこの年齢のはずだが、竜精の形質のおかげか、見た目は20前の若々しい姿のままだった。
「何を――」
「片手で使える武器を持ってないか?」
フェリックスはポルの懐に左手を差し入れた。そして衣服の奥に隠し持っていた小剣を探り当て、金具を引き千切りながら引き抜いた。
ポルの腹を蹴飛ばしながら間合いを取る。そしてその小剣で一閃した。ポルはふわりと後退してその一撃を躱したが、フェリックスの行動に度肝を抜かれたようだった。
「まさか自分の右腕を犠牲にして、武器を調達するなんて。なかなかの男前ね、フェリックス」
「犠牲だと?」
フェリックスは道の上に落ちた自らの右腕を拾い、砂を払うと、互いの切断面をぴったりと合わせるようにした。数秒そのままの位置で持っておくと、無事に筋肉や神経、血管などが繋ぎ合わさったようだった。ゆっくりと右手の指を動かす。
「犠牲になんてしていないさ。ただちょっと、身軽になっただけで」
「面白い男だわ、フェリックス……。たまらない。私のモノにしたい。私の仲間にならない? 一緒に山賊として面白おかしくやりましょうよ」
「面白おかしく山賊か……。考えてやってもいい」
「ほんと?」
「ただし条件がある。お前は死ね」
「……ふふ、ふふふ、ふ……」
ポルは小さく笑い声を漏らした。そして妖艶な笑みを浮かべる。
「いいわ、とことんやり合いましょうよ、フェリックス! あなたが死んだ後、じっくり楽しませてもらうわよ」
「俺はお前を殺してもさっさと土に埋める」
「イタズラしてもいいのよ? 勝者の特権ってやつ!」
「権利があっても行使しないということは、察しろ。このクズ女が」
ポルの笑みが凍った。そして何の前触れもなく突進してくる。
実力は互角――だがまともにやり合えば押し負ける。フェリックスには分かっていた。そして怒りで猛然と攻撃を仕掛けてくるポルには、まだ戦いを冷静に進めるだけの理性が残っているようだった。大鎌の攻撃は大胆でありながらほとんど隙がなく、仮に隙があったとしても、それは罠であったりした。フェリックスにはそれが透けて見える。だがあえてそれに乗っかることもときには必要だった。
フェリックスの剣撃にポルがしめたとばかりに体勢を変える。空中を自在に移動できる彼女の機動は変幻自在だった。地上で這いつくばることに慣れ切った普通の人間では思考が追いつかないほどの動きを見せる。フェリックスが突き出した直線的な剣の軌道――それを絡め取るようなポルの大鎌の軌跡。フェリックスは咄嗟に身を引いたが、間に合わなかった。剣を持っていた右腕の肘から先が、大鎌によって再び切断された。
「くっ!」
右腕に力を込めて瞬間的に止血する。しかし痛いのは剣を失ったことだった。ポルの動きはフェリックスの想像以上のキレを見せている。
「……フェリックス。今度もわざと身軽になったのかな? ふふふ……」
ポルは勝ち誇っている。フェリックスは舌打ちした。
「とことん嫌な性格の女だな」
「なんですって?」
「ふん」
フェリックスは嫌な汗をかいていた。こんなものか。死ぬときというのはこんなものか。もっと後悔する暇もなく死ぬと思っていたのに、こんなにも死というものを突き付けられ、恐怖や苦しみと共に果てていくのか。残酷だな、人生というのは。
ポルが大鎌を振りかぶる。フェリックスはもう避けようとしなかった。どうやら武器の有無ではなく、やはり、実力に開きがあったらしい。フェリックスは死を覚悟した。
しかしそのとき、ポルがはっと顔を持ち上げた。
「――なにあれ!?」
フェリックスは目を見開いた。頭上を見る。魔剣グリニスに跨ったコーラがこちらに滑空してくるところだった。
「馬鹿な!」
フェリックスは愕然とした。どうしてくるんだ。どうして来てしまった。死ぬぞ。死ぬしかない。フェリックスはポルに勝つことはできない。コーラを守ることもできない。死ぬしかないぞ……!
この少女のあまりの無謀さに腹が立った。魔剣グリニスが地面に突き刺さり、コーラがその勢いのまま放り出された。ポルは面食らったように少女とその魔剣を見比べている。
「いてて……。あ、師匠! 聖騎士のみなさんが出発したので、私も来てみました! 首尾はどうで……、す……、か」
コーラはフェリックスの右腕を見て白目を剥いた。そしてそのまま卒倒してしまった。どうやらこの子供には刺激が強過ぎたようだった。
「なに、この子? 可愛いわね。死神の娘?」
「……関係ない。ちょっとした知り合いだ」
「あ、師匠とか言ってたわね……。弟子ってこと? ふうん」
「関係ない。俺には関係ない」
フェリックスは感情を押し殺して言った。ポルはにやりと笑う。
「弟子かあ……。師匠を殺した後、じっくり楽しませてもらおうかしら。師匠が右腕を失ったくらいで気絶するんだからねえ……。もっと刺激的なモノを見たらどうなるか……」
フェリックスは歯ぎしりした。どうしようもない。為す術がない。自分だけが死ぬなら潔く死ねた、だがまさかコーラが来るとは。どうすればいいのか。せめてコーラだけでも逃がすことは?
そのとき地面に突き刺さった魔剣グリニスが鳴動した。フェリックスはそんな魔剣を見る。
「まさか」
フェリックスは言う。まさか、俺に魔剣を使えと言うんじゃないだろうな?
ポルの注意は主にコーラに向いている。フェリックスには悩んでいる暇がなかった。すかさずグリニスのほうに近付く。
「動くな!」
ポルが威嚇する。だが構いやしなかった。グリニスの柄を掴み、地面から引き抜く。
一瞬、剣の重みが左腕一本にのしかかってきたが、すぐに重みを感じなくなった。羽根のように軽い。魔剣が生きているがゆえ。ポルが目を丸くしている。
「何よそれ……。私の大鎌より格好いいじゃない」
フェリックスは魔剣を構えた。そして魔剣にそっと囁く。
「俺の動きではポルに勝てない。いいかグリニス、お前も独自に考えて動け。二人でかかれば、あるいは……」
グリニスは頷く代わりにその刀身を妖しく光らせた。いけるかもしれない、フェリックスは柄を握る手に力を込めた。




