逆襲
夜明けを目前に控えた。コーラはいびきをかいて眠っていたが、ときどき恐怖に囚われて目を覚ますらしく、夜中に何度も起き上がってフェリックスがそこにいることを確認した。フェリックスがぼうっと薄目を開けてそこに座っているのを見ると、「うわははは、師匠ったら」と寝言ともつかない声を上げて、そしてぱたりと寝台に倒れ込んでまたいびきをかき始めた。
なので、起床予定時刻になってもコーラは寝足りないようで、目の下に薄く隈が出来ていた。フェリックスはもっと眠っているように促したが、聞かなかった。
「山賊討伐に行きましょう、師匠!」
フェリックスはかぶりを振った。
「行かない。行くわけがない。もちろんお前も行くんじゃないぞ」
「どうしてですか!」
「殺されるだけだ。今度の敵の強さはギボンズ兄弟の比じゃない。討伐は軍隊に任せておけよ……」
「でも、ディールさんが単独で討伐に行くって……」
「それはあの男が無謀なだけだ。真似することはない、あれは悪い例だ」
フェリックスの言葉にコーラは頬を膨らませたが、眠気が勝ったか、再就役にころんとベッドの上を転がり、寝息を立て始めた。その直後のことだった。
「フェリックス殿! どこにおられるのか! フェリックス殿!」
ディールの声だった。フェリックスはうんざりした。門前で待つとか言ってなかったか。わざわざ宿舎まで迎えに参上するなんて、そこまで図々しい奴だとは思わなかった。コーラも目をぱちりと開けてしまった。
外に出ると太陽が地平線の向こう側から顔を出すところだった。眩しさに顔を顰めながら、ディールの姿を認める。
「どうした、ディール。俺は行かないぞ……」
「死体が」
ディールは顔面蒼白だった。
「来てください。恐れていたことが起こってしまったかもしれません……」
フェリックスは首を傾げた。何か尋常ならざることが起きたことは明らかだった。
ディールの案内で門前まで向かうと、血と臓物の濃厚な臭いが襲ってきた。一緒についてきたコーラが鼻を押さえる。
「うっ、師匠~……」
「お前はここで待ってろ。グリニスを暴れさせないようにしてけよ」
「はーい」
フェリックスとディールは臭いの元に近付いた。石造りの門の上部に取り付けられている突起物に何かが括りつけられていた。血が滴り落ちている。人の死体にしか見えなかった。
「ついさっきまで生きていた感じだな」
フェリックスは言い、近くにあった梯子を使って、死体のあるところまで近づいた。甲冑姿のディールではあんな高いところまで行くのは骨が折れるだろう。
その死体は激しく損壊していた。右腕がない。片目を抉られている。皮がところどころ剥ぎ取られ、焼かれた跡もある。山賊どもに喰われたのだろうか? ただし、躰の大部分は手をつけられた形跡はなく、顔も比較的綺麗だった。
そう、顔は綺麗な状態だった。フェリックスはその死体の顔を見たとき、うっと声を漏らした。さすがに彼も動揺した。
「ヤング……」
フェリックスはそれきり絶句した。死体を下ろすのに相当に時間を使ってしまった。地上に降りると、いつの間にか野次馬が集まっていた。ディールと聖騎士たちが彼らを遠ざけている。
「やはり、お知り合いですか」
ディールが言う。フェリックスは頷いた。
「ヤングという男だ。商工会に照会すれば分かる。行商人で、傭兵の斡旋なんかもやっていた。この辺ではよく知られているだろう。結構顔が広かったみたいだからな……」
フェリックスに頻繁に会いに来る人間は、狂った形質研究者たちを除けば、ヤングが唯一と言ってもいいくらいだった。それだけに衝撃が多かった。
フェリックスと親しい人物を、山賊たちが殺した――仲間を殺されたことへの報復。間違いなかった。
ディールは渋面を作っていた。
「酷いですね……。喰われたのでしょうか?」
「あるいは拷問でもされたのかもしれん。少なくとも楽に死なせてくれた感じではないかな……」
「フェリックス殿……、申し訳ございません」
「なぜお前が謝るんだ」
「私が――俺が! あの食人鬼をさっさと討伐していれば! あの悪鬼を野放しにしていたのは、俺の責任なんです……!」
ディールは震えていた。この若者は口先だけで正義感を振り翳しているのではない。自らの心に正義の炎を灯し、その光が示す方向へ全力で挑んでいる。それが良いことなのかどうかフェリックスには判断できない。
「気負うな」
「しかし……!」
「青いなお前。ヤングを殺したのはポルたち山賊だ。悪いのは山賊。お前にいったい何の非があるんだ?」
「私は……。いったい何の為に剣を振るっているのか。こんな思いを誰にもさせない為に、戦ってきたというのに……!」
「殊勝なことだな。だが、この世に存在する悲劇を全て解決できると思うなんて、傲慢に過ぎる」
ケリは自分でつけるさ。フェリックスは言う。ディールは小さく首を横に振った。
「ケリ、ですか?」
「連中は俺を指名している。仕方ないから討伐には俺も参加するさ。これ以上だんまりを決め込んでいたら、他にも狙われる人間がいるかもしれん」
「……フェリックス殿。私も参ります。私は未熟者かもしれませんがこの聖剣アウェーカーの霊験は本物です。きっと役立ててみせます」
「好きにしろ……、俺にはお前の行動を制限する権利がないからな」
ディールは頷いた。そして叫ぶ。
「来いセイバー!」
葦毛の見事な馬が嘶きと共に颯爽と現れ、ディールはそれに跨った。フェリックスは門を睨む。山賊たちがここにヤングの死体を括りつけたのなら、近くでフェリックスたちの動向を窺っている可能性が高い。
「お前らの張った蜘蛛の巣にあえてかかってやる。だから俺だけを狙え。自分の実力に自信があるのなら、な」
フェリックスは呟いた。門を抜けて都市の外に出る。不審な気配はどこにもなかった。しかしフェリックスとディールには分かっていた。ただこの道を進めば接敵する。そうでなければ話が始まらない。
「師匠!」
コーラが門のところまで来ていた。フェリックスは振り返った。
「コーラ! お前は衛兵たちと一緒にいるんだ。来るんじゃない!」
「師匠! 私も行きます!」
「やめろ! ヤングのようになりたいのか!」
「でも!」
コーラは泣きそうな顔をしていた。お前は師匠が敗れると思っているのか? まだまだ弟子からの尊敬が足りないようだな。
「ディール、お前、強いのか?」
「え? いや、どうでしょう……」
「もし俺が死んだらコーラを牢獄にぶち込んでくれ。俺の後を追って山賊に挑みかねん。どういうわけだか、俺はあのクソガキに随分気に入られたようだからな」
「約束はできませんよ。フェリックス殿が死ぬようなことがあれば、私も無事ではいられないでしょうし」
そしてディールは薄く笑う。
「まあ、ただやられるなんてことにはなりませんけどね。最低でも一人は倒す。それくらいの自信はあります」
「ふん、結構な自信家だな……、気に入った」
二人は道を進む。山賊の目は遠く、誰の気配も感じなかった。




