アイオン
フェリックスは死神の形質を刻むにあたって、眠れない躰となった。魔人の中でも結構珍しい現象らしく、グラント市の形質研究者たちの好奇心を一身に浴びることとなり、たまに血液を採らせてくれだの髪の毛を一本くれだのと依頼を受けることがある。
フェリックスはそれに応じたことはなかった。ただ、山賊たちの報復を恐れてグラント市に潜り込んだことをどこかで聞き知ったのか、フェリックスとコーラが寝泊まりすることになった衛兵たちの宿舎に男が押しかけてきた。
「フェリックスくん! いるんだろう! な! な! いるんだろ!」
グラント市の形質研究者の中でも一番厄介な奴に見つかってしまったようだ。ベッドの上で寝具にくるまっていたコーラの衣服を引っ張りながら、
「うわあ、痩せたな、フェリックスくん!」
と言い放ったのは、形質研究者の中でも倫理を度外視し常識の埒外に君臨していると評判の銀縁眼鏡の男だった。いつ牢獄行きになってもおかしくないと噂されているが、実際に前科が二桁あるらしい。その男はアイオンといった。
アイオンはさんざんコーラの衣服を引き剥がそうと力を込めていたが、悲鳴を上げたコーラの声に気付いて首を傾げた。かけていた眼鏡がずり落ちる。
「おや、フェリックスくん、痩せただけじゃなくて縮んだのかね? これは興味深い……」
「お前の目は節穴か」
部屋の隅で座っていたフェリックスが呼びかけると、アイオンは硬直した。そしてコーラから手を離す。
「なんだ、そこにいたのか。フェリックスくん、きみも姑息な手段を使うな」
「お前が勝手に勘違いしただけだろ……」
コーラが涙目になってフェリックスに抱きついてきた。がたがた震えている。
「しっ、師匠! 見ましたか、見たでしょ! 今、私、大人の階段を上りかけました!」
「お前は落ち着けよ。この男は俺に用件があるようだ。ちょっと出てくる」
「師匠とこの男性が、仲睦まじく……?」
「それ以上言うとぶん殴るぞ。俺はこいつと話してくるから、お前は寝てろ」
「ひええぇ~! 一人にしないでくださいぃ~! 師匠! 師匠の背中でなら眠れそうです~!」
「勘弁してくれ……」
結局、巡視当番だったフィスを見つけて、コーラの相手をしてくれないと依頼したが、物陰から弟を見守っていたパメラがその役目を買ってでてくれた。姉の思わぬ登場にフィスはぎょっとしていたが、パメラは気にしていないようだった。
「コーラさん、私が一緒ですから、安心してください」
「パメラさぁん……」
フェリックスはとりあえずパメラにコーラを任せて、部屋を出た。アイオンはぶつくさ言いながら採血道具を取り出していた。
「さあ、フェリックスくん。とりあえず血を貰おうか。定期健診だよ」
「ふざけるな。アイオン、お前と前回会ったときのことを憶えているか」
「さあ……。記憶にないな。ほら、血液検査……」
「お前、俺の家に勝手に上がり込んで、死神の形質を引き剥がそうとしたな? 危うく死ぬところだった」
「大袈裟だな。そうそう、思い出した、あの後のきみの幼稚さといったら!」
アイオンがほざくのでフェリックスは彼の胸元を掴んだ。拳に力を込めてぐいと引き寄せる。
「よ、よせ……。暴力はいかんだろう、それでも文明人か?」
「前回は腕を一本へし折るだけで許してやったが、今回はそうはいかんぞ。覚悟はあるんだろうな?」
「こ、殺すな。しかしぶん殴ることは許可する。試料が欲しいんだ、殴って気が済むのならそうすればいい、ただし私の要求を……」
頬を一発殴り飛ばした。近くに立っていた衛兵がぎょっとしていた。フェリックスが睨みつけると見なかったフリをしてくれた。アイオンはよろよろと起き上がる。眼鏡の水晶体が割れていた。
「今、殴ったな! だったらくれよ、きみの試料を! 研究したいんだよ、分かるだろうフェリックスくん!」
「分からん」
フェリックスはにべもなく言った。不安定な足取りで歩み寄ってきたアイオンを、もう一度ぶん殴った。
無様に転がった彼は、鼻血を出しながらもすぐに立ち上がった。
「に、二発だ……。二発分だ! やったぞ!」
「お前、まだ分からないのか。お前が死ぬまで殴り続けてやる。さっさと消えろ」
「いやだ! フェリックスくん、私ときみは、親友だろうに!」
「俺にとってお前は宿敵だよ。俺に死神の形質を定着させてくれた、その手腕は評価してやってもいいがな……」
そう。普通の人間なら、死神の形質を人間に刻み込もうなんて考えない。ほとんどの人間がその負荷に耐えられず、絶命するからだ。その行為はほとんど人殺しと変わらない。普通の人間なら許可しない。
だがアイオンは嬉々として死神の形質をフェリックスに刻み込んだ。アイオンの形質研究者の腕前は本物だが、それでもやることは常軌を逸している。
「きみは、私の最高傑作なんだ……。私の協力がなければ、きみはその魅力的な肉体を得ることはできなかった! 恩は感じないのか! 大恩だぞ!」
「いいか」
フェリックスはつかつかと歩み寄った。そしてアイオンの胸元を再び掴む。激しく揺すった。
「俺はお前に感謝したことは一度もない。お前がやっていることは全て知っているんだぞ。身寄りのない浮浪者に幾許かのカネを握らせて、実験と称して禁種を刻み込む。大半の実験体は死ぬが、かろうじて生き残った魔人は、更なる実験素体として、死ぬまでいたぶり続ける……!」
「人聞きの悪い! いいかフェリックス! きみは私の実験成果の恩恵を余すことなく享受しているのだぞ! 私がいなければきみは――」
「平凡な男として、世の誰にも知られることなく、今頃死んでいたかもしれない。そうだ。俺は確かに恩恵を受けている。だが感謝はしない」
「なぜだ!」
「分からんのか、アイオン。俺は……」
アイオンはにやりと笑った。
「知っているぞ。私は知っている! きみはそのせっかくの力を持て余しているそうだな。所詮きみに、その力は過ぎたものなんだ。言っておく! 一つ言っておくぞ! きみはけして平穏な人生を送ることなんてできない! 魔人とはそういう生き物なんだ!」
アイオンは唾を飛ばし、フェリックスの手を振り払った。
「様々な環境に適応した魔物たち! 彼らの強靭な生命力、摩訶不思議な異能! それらを何とか人類に役立たせたい! そんな一部の科学者が、魔物の形質を抽出する方法を編み出し、それらを人体の形質と融合させる方法を確立させた! これにより人類は、刻み込む形質によって、海で暮らすことも、空を旅することも、毒沼に臥することも可能となった! 人類の可能性を拡張する! それこそが形質が織りなす未来なのだ!」
その最前線に立っているのがきみなのだ! そうアイオンは絶叫する。
「なぜきみはその自覚を未だに持てないのか! フェリックスくん、私は残念だよ!」
「狂人め……」
フェリックスは吐き捨てた。アイオンは奇声を上げながら走り出した。そしてその姿は夜の街に消えた。
フェリックスはしばらくその場から動けなかった。アイオンの言葉には狂気が混じっているが、真実である。それが痛いほどよく分かっていた。
「師匠……?」
いつの間にかコーラが近くに立っていた。フェリックスはかぶりを振る。
「どうした、コーラ。まだ起きているのか。もう遅いぞ」
「眠れません。あの、師匠……」
コーラは神妙な顔つきになっている。フェリックスは緊張した。まさか今の会話を聞かれていたのだろうか。聞かれたからと言って困ることなんてないはずだ。それなのに緊張している。フェリックスは自分の心理状況がよく分からなかった。
「……何だ」
「パメラさんがフィスさんの寝室に忍び込んでいってしまって……。あの、一人じゃ眠れません……」
フェリックスは額に手を当てた。そして溜め息をつく。
「パメラのことは放っておけ」
「でも」
「分かった。俺も部屋に戻る。お前は安心して眠ってろ」
「み、見張っててくださいね! さっきの変態さんが襲ってこないように!」
「はいはい」
フェリックスにとっては長い夜になった。都市に戻るとこんな思いにさせられることがよくある。だからこそ郊外に居を構えているのかもしれない。魔物を引き寄せてしまう死神の形質を言い訳に、比較対象物のない自然世界の中で、気ままに生きていくことを欲しているのかもしれない。自分が異常者であると常に意識し続ける人生なんて窮屈過ぎる。そんなの御免だ。フェリックスは心底そう思っていた。




