解体作業再び
翌朝、フェリックスはコーラが部屋にいないことに気付いた。ぼうっとしている間にどこかに出掛けたらしい。フェリックスがのっそりと躰を起こすと、外から僅かに音が聞こえた。放っておいてもいいが、山賊の一件もあり、少々気掛かりなことがあった。外に出る。
家から少し離れた場所で、コーラが薪を割っていた。魔剣グリニスの形状がやや変化し、手斧のようになっている。それで魔剣のほうからぶんぶん動き、コーラは薪をせっせと並べるだけの役割となっている。とはいえそれでも結構な労働だった。
「何をしているんだ」
「あ。お師匠様」
汗をきらきら輝かせながらコーラが言った。
「おはようございます、お師匠様。お目覚めはよろしいですか。本日もご機嫌麗しゅう」
「誰だお前」
フェリックスがうんざりしながら言うと、偽りの上品さを保っていたコーラが地団駄を踏んだ。
「誰って、コーラですよー! 師匠に見捨てられたらどうしようと思ったから、とりあえず礼儀正しい感じの美少女を演じてみたんですけど……、どうですか?」
「演じるならもう少し長く続けろよ」
「もうっ! 師匠が望んでないのに長く続けたら、それはそれでヒンシュクを買うかなーって思ったんです! 察しろです!」
「ああ、分かったから、朝っぱらから騒ぐんじゃないよ、まったく」
フェリックスは欠伸を噛み殺した。睡眠を必要としない躰を得たといっても、やはり朝は欠伸をしたくなる気分だった。普通の人間だった頃の感覚が未だに消えない。
「師匠、薪はもっと必要ですか? ご用命とあればもっともっと切りますけど!」
「いや、必要ない」
「じゃあ、朝食を作りますよ! コーラ特製、苺の野草炒め!」
「グリニスにでも喰わせておけ。俺は腹が減ってない」
「じゃあ、じゃあ、剣の稽古つけてください! よく考えたら、師匠の弟子になってから一度もそれっぽいことしてませんよね!」
「ああ……、今は気分が乗らないな。明日以降でいいか?」
「じゃあ、じゃあ、じゃあ――」
コーラはそわそわしていた。フェリックスは腰に手を当てて、遠くの丘を見る。
「そうだな。じゃ、おつかいを頼まれてくれるか」
「おつかい?」
「グラント市までいって、フィスを呼んできてくれるか。防壁の上の巡視路にでも立っているはずだ」
「ここに呼んでくるですか? 衛兵さんを? いったいどして?」
「理由は後で説明する。そうそう、魔剣に乗らず、普通に歩いていくんだぞ」
「はーい」
コーラが魔剣グリニスを引き摺りながら歩き出す。フェリックスはその後ろ姿を見送った。そしてちらりと、家の近くまで広がっている森のほうを見やる。
血の匂いがする。それも尋常ではない濃さだった。
フェリックスは嫌な予感を抱いていた。グラント市から比較的近いこの場所なら、危険はないのではないかと少々楽観視していたが、現実はそんなに甘くないらしい。
「あれ。一人?」
小柄な男が一人、てくてくと歩いてきた。緑色の頭髪、白く曇った瞳、擦り切れた外套の奥に見える褐色の肌――魔人であることは明らかだった。
フェリックスはその男に向き直った。
「誰だお前は」
「ねえ、お兄さん。さっきまでここで、薪割りしてた女の子、いたでしょ。どこ行ったの?」
「そんなことを聞いてどうする」
「教えてよ。ケチケチしないでさ」
にやにやしながら男が言う。フェリックスはこの男に対して言いようのない嫌悪感を抱いた。
「あいつは俺の弟子だ。弟子に用事があるのなら俺が聞く」
「弟子って、何の? 木こりの?」
「剣士だ」
男はくすりと笑った。
「へえ、お兄さん、もしかして結構名高い剣客さんだったり? いいねえ、ちょっと遊ぶのもいいかもな。首領への土産にもちょうどいいし」
「首領だと?」
「そうそう。本当は、僕は可愛い女の子の肉しか興味ないんだけど。首領は若い男の魔人の肉が好みだからね。お兄さんならぴったりだね……」
フェリックスは嘆息した。やはりこいつ、食人鬼の山賊連中の仲間か。できれば会いたくなかったのだが。
「人を食べる山賊というのはお前らのことか。意外と普通の見た目をしているんだな」
「おっ。僕たちのこと、知ってるの? いやあ、有名人は辛いね。ちょっと派手に動き過ぎたかな」
「サツメ教徒を襲ったらしいな」
「そだね。どんな味がするのかなーって思ってね。首領はあんまり乗り気じゃなかったんだけど、僕がお願いしたら、了承してくれたよ。いやあ、優しいよね、首領は」
「首領の名はポルというのか。元闘技屋の」
「そうそう。なんだ、よく知ってるじゃないの。ちなみに僕の名前はね……」
「いや、いい。ここでお前を殺す」
男は目を丸くした。
「おやまあ物騒なことだなあ。殺すだなんて。おっかないなあ」
「どうせお前らは今度の作戦で討伐される身だ。それに、お前のほうこそ、俺を殺す気なんだろう。だったら戦うしかないじゃないか」
「そうだねー……。まあ、そうなんだけど。でもさ、風情ってものがあるだろ?」
「は?」
「死にたくない、死にたくない。そんな風に泣き叫ぶ人間をじっくりいたぶって殺して、喰う。そうじゃないと、いまいち美味しくないんだよ。つまりさ、お兄さんには絶望が足りない」
男はにやりと笑った。
「戦意を失ってくれないと、困るんだよな……。あれって、お兄さんの家だよね?」
男の目が光った。次の瞬間、男の頭髪が激しく揺れ動き、周辺の空気が塊の状態で移動する感覚があった。フェリックスはその強い風の圧力に負けて一歩後退した。
後方のフェリックスの家の屋根が吹き飛び、次いで、柱がぽっきりと折れる。せっかく揃えた粗末な調度品がバラバラになって、粗末な家の基礎が剥き出しになる。男はけらけら笑っていた。
「なんだあの家! お粗末にも程があるでしょ! お兄さん、よっぽど貧乏人なんだねえ!」
「……俺の三日分の労力が無駄になったな」
フェリックスは嘆息した。そして抜剣する。
「もう一生分笑ったろ? ならもう死んでもいいな」
「……お兄さん、約束が違うよ? 絶望してくれないと」
「お前みたいな雑魚相手に、どうして絶望しなくちゃならない。さっさと来いよ、薄汚い山賊風情が」
「……カッチーン、と来ちゃったな、あはは」
男の躰がふわりと浮き上がる。瞳が白濁し、背には小さな羽のようなものが生えている。
「僕は風精の形質を備えている! 風を自在に操り、その気になれば風の刃でヒトをぶった切ることだってできるんだ! お兄さんはどんな魔人なのかな? ほら、早く見せてよ!」
フェリックスはゆっくりと男に近付いた。空中に浮かび上がった男は首を傾げる。
「どうしたの、お兄さん。大物ぶってるんじゃないよ。もっと必死にかかってきなよ……」
「お前、一応聞いておくが、ここに来たことを仲間に話したか?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「お前を殺した後、どう動くべきか悩んでいてな」
「ふふっ、お兄さん、とことん僕を挑発するんだねえ。仲間には報告したよ。食事の前には、きちんと申し合わせをしておかないと、ほら、取り分のことで喧嘩が起こるだろ」
「なるほど、面倒だな」
フェリックスは言う。
「お前を殺したことが、いち早く山賊連中にばれてしまうってことか。あまり厄介事に巻き込まれたくないんだがな……」
「言うねえ、お兄さん。そろそろ、死んで」
男が手を動かす。不可視の風の刃がフェリックスの四方八方から襲ってくる。フェリックスは剣を構え、ふぅっと息を吐いた。
「憐れな奴だ。同情するよ。自分が強いと思い込んでいる弱者の、なんと滑稽なことか……」
フェリックスは跳躍した。太陽を背に怪鳥のように腕を広げた彼には、男の驚愕の表情をじっくり眺めるだけの余裕があった。




