青髪の少女
クォーティス。
おそらく、のどかであっただろう街並みに、その面影はない。
レイヴより建物は無事だが、人の死体や魔物の死骸がそこかしこに転がっている。
たまに襲いかかってくる魔物を蹴散らしながら、俺は街の奥へと進んでいく。
「…………」
街の奥から、マナの反応がある。
それに、魔力の反応も。
偶然居合わせた冒険者が戦っているのだろうか。
まぁ、行けばわかる。
俺は聖剣を握り直し、歩を進める。
「…そろそろ、のはずだが」
マナと魔力が混濁して、気配がつかめなくなってきた。
「!」
今、物音がした。
何かいる。
ただ、魔物じゃないな。
人か、魔族か。
俺は立ち止まり、身構える。
その俺の眼前に、ひとりの少女が現れた。
「………?」
青い髪の、儚げな美少女だ。
背中まで届くだろう長髪を、後ろでひとつにまとめていて、この辺りの街にいそうな、典型的な街娘の服装をしている。
この少女からは、殺気も魔力も感じない。
俺は警戒レベルを少し下げ、少女に問いかける。
「…おまえは誰だ」
「………?」
少女はうつろな瞳で俺を見つめ、小首を傾げる。
言葉が通じないのか?
「もう一度訊くぞ。おまえは誰だ」
「…あなた、だれ?」
「訊いてるのはこっちなんだが」
「あなた、いいにおいがする」
「…………」
これは、言葉じゃなく話が通じない輩か。
俺は溜息をついてから、一応名乗っておく。
「俺はラルフ。おまえは?」
「わたしは、リル」
「リル、おまえはこんな所で何してるんだ」
あらためて探ってみても、リルからは何の力も感じない。
魔力も、冒険者と呼べるだけのマナも。
今この街は、そんな少女が平然と出歩ける状況ではない。
俺が不審がっていると、少女がゆっくりと口を開く。
「…狩り」
「狩り?」
「レインが、めずらしく怒ってる。だから、狩り」
「………?」
いまいち要領を得ないな。
「レインってのは?」
「レインは、王様」
ますますわからん。
「まぁいい。とにかく、ここは危ねぇ。どこかに避難しておいたほうがいいぞ」
「…どうして?」
「魔族の気配がある」
「…………」
俺がそう告げると、リルは固まった。
魔族の襲撃を受ければ驚きはするだろうが、街がこの状態なのにそれは考えなかったのか?
「…ラルフ、魔族をころすの?」
「殺す。だからおまえは…」
「………そう」
リルが俺の言葉を遮るように呟くと、空気が変わった。
その中心は、紛れもなく眼前の少女だった。
青髪の少女が静かに俺を見据える。
「だったら、ラルフはわたしの敵」
「………!!」
少女から放たれた殺気に、俺はどっと冷や汗を流す。
先程までただの街娘にしか見えなかったが、今のリルは完全なる魔族だった。
高濃度の魔力が少女の体を包み、両手に禍々しい篭手が出現する。
やばい、と思った瞬間だった。
「………ッ!?」
殴り飛ばされた。
辛うじて聖剣で受け止めることはできたが、踏ん張りが効かずに背後の家屋の壁を突き破るほどに吹き飛んだ。
あまりにも急な展開に動転しつつも、体が先に動く。
派手に突っ込んだ場所から急いで飛び退く。
「…!!」
直後、矢のように疾く、リルが突っ込んできた。
圧倒的な魔力を込めた拳により、俺がさっきまでいた場所が跡形もなく吹き飛ぶ。
その青い瞳は、鋭い眼光を放ちながら俺を貫く。
さっきまでの儚げな雰囲気など、欠片も感じられない。
「くそ!」
不意打ちではあったが、警戒を怠った俺の落ち度だ。
気持ちを切り替え、リルに向かう。
リルの行動ははやく、すぐに俺へと追撃を仕掛けてきた。
その速力は、ボアなどの比ではない。
俺は防御に転じる。
「ぐッ!!」
聖剣が輝く盾を展開し、魔族であるリルを拒絶する。
「……ッ」
聖剣のマナにあてられたのか、リルの瞳が驚きに見開かれる。
一瞬だが、足下がふらついた。
それを見逃してやるほどオレにも余裕はない。
「らァッ!!」
リルの攻撃を受け止めた反動で少し開いていた距離を詰め、リルめがけて剣を横になぐ。
リルは俺の追撃に気付き、聖剣を篭手で受けつつ背後に跳び退いた。
さらに攻めたてようかとも思ったが、すでに少女からは隙がなくなっていた。
ここで攻めれば手痛い反撃をくらう気がする。
俺が少女の動向を伺っていると、その少女が俺に話しかけてきた。
「…ラルフ、つよい」
「………そりゃどうも」
返答に迷ったが、応答だけはしておく。
「その剣、なに?」
「教えると思ってるのか?」
「ケガしたの、ひさしぶり」
俺の攻撃を上手く受けきれなかったのか、リルの肩には切り傷ができていた。
「これからもっと痛い目に遭うぜ」
「…………」
スルーか。
…まぁいいが。
「ラルフ、逃げたほうがいい」
「は?」
話しつつも警戒を続けていた俺に、リルが素頓狂なことを言ってきた。
「ラルフ、つよいから」
「……おまえの話は、突拍子が無さ過ぎてワケがわからん」
魔族が人間に対して逃げることを勧めるだけでも意味不明だというのに。
「おまえが言うように俺が強いんなら、逃げる必要はないんだが。それとも、見逃してくれってことか?」
俺が尋ねると、少女は幼い子どものように顔をふるふると横に振った。
「見逃すのは、わたし」
「……どういうことか説明しろ」
「…ラルフは、つよい。でも、レインより、よわい。レインに見つかったら、たいへん」
「かまわねぇよ、そいつ諸共殺してやる」
「ラルフじゃ、できない」
「やってみなきゃわかんねぇだろ」
「やってみた。レインはわたしより、もっとつよい」
「…………」
押し問答だな。
べつに魔族とおしゃべりするためにここまで来たわけじゃない。
さっさとコイツを倒して、そのレインとかいう奴も…。
…?
待てよ。
「……レインってのは、さっき言ってた王様ってやつか」
「そう」
俺はリルの話に疑問を抱く。
リルは魔族だ。
ならばそのレインとかいう奴も魔族なんだろう。
加えて、リルはレインを王だと言う。
魔族の王は、魔王だ。
魔王は、あの女、リースのはずだ。
どうなってる。
「ラルフ?」
「おまえの話が本当なら、レインってのは魔王なのか?」
「そう」
「魔王はリースって女だろう」
「…。ラルフは、リースのこと知ってるの?」
「…色々あってな」
聖剣を握る手に力がこもる。
「リースも、魔王。でも、レインも、魔王」
「? どういうことだ。魔王ってのはひとりじゃないのか…!?」
「そう」
どうなってやがる。
いくら俺でも、魔王についての講義くらい何度も聞いたことがある。
動物が魔力にあてられて変異したものが魔物。
その中でも人型になり知能をつけたものが魔族。
それを仕切る親玉みたいな奴が魔王で、魔王を失えば魔族は統率を失い、脅威ではなくなる。
だから、勇者は魔王を滅ぼすために魔族の領域へと遠征する。
それがこの国での魔王に対する理解だ。
たしかにひとりとは言われていないが、伝承の勇者一行が魔王を何人も倒したなんてことも聞いたことがない。
じゃあ魔族を完全に無力化するためには、魔王をひとり残らず倒す必要があるということか?
「レインは、血鬼族の王。リースは、魔導族の王」
「…? 血鬼族?」
「そう。わたしも血鬼族」
「魔族の中に、さらに種族があるってことか?」
「そう」
失念していたな。
たしかに、魔族の種類は多岐にわたる。
それぞれが独立した王を持っていても不思議はないか。
「その種族は、いくつあるんだ」
「わたしは、そのふたつしか知らない」
「……そうか」
これ以上の情報は、聞き出せそうにないな。
「…………」
リルと話すことはなくなった。
しかし、完全に戦う機も逸してしまった。
正直、少しやりにくい。
この少女から、また殺気が霧散したのだ。
禍々しい篭手と、どぎつい魔力はそのままだが、あっちに戦う気がない。
悩んでいると、リルがくるりと踵を返した。
「おい、どこに行く」
「狩りのつづき」
「行かせると思ってるのか?」
「思ってる」
「…見くびられたもんだな」
「ラルフは、はやく逃げたほうがいい」
またそれか。
「ご忠告どうも。だが、あいにく俺には逃げる場所なんてないんだよ」
「…………」
「全部おまえらに奪われたんだ」
そうだ。
何を躊躇う必要がある。
俺の仇は魔族で、あの女は魔族だ。
魔族が、敵意がないからといって人間を見逃すか?
ありえないな。
俺はマナを高める。
背後からの殺気の高まりに、ようやくリルが振り返る。
その冷たい瞳を見据え、俺は言う。
「おまえは魔族だ。おまえを殺すのに、これ以上の理由は要らない」
「………たたかうなら、つぎは本気」
「…今までは本気じゃなかったってか?」
「…さいご。ラルフははやく逃げて」
そう言って、リルは再び俺に背を向けた。
「…ふざけるなよ」
俺の心に、どす黒い憎悪が宿る。
怒りに視界が紅く染まり、頭が沸騰するように熱くなる。
俺の体が、俺のものではないかのように制御を失う。
眼前の魔族は、俺を軽んじ、また別の人間を虐殺しにいくという。
そんなことが許せるか。
魔族は、奴らは、また、人間を…俺の…!
「ゔぅぅ…!」
体が、熱い。
目眩がする。
喉が、渇く。
視界の端で、聖剣の形が歪んだ。
どう…なってる。
意識が、遠のく。
「ぐぅッ…!」
刹那、胸に激痛が走った。
そして、そのまま熱を放つ。
「なん…だ?」
やがて熱も痛みも収まり、俺の意識は明瞭になる。
先程までの怒りも、どこから湧いたのか不思議に思うほどに失われていた。
「…ほんとに、なんなんだよ」
今までにも、魔族に対する憎しみに駆られることはあった。
しかし、こんな前後不覚に陥るようなことは初めてだ。
そこからの回復の仕方も異常だった。
なぜか、胸の辺りが熱くなって…。
…。
まさか。
俺は首にかけていたチェーンを引っぱり、レガスから貰った指輪を取り出した。
橙色の宝石が、眩く輝いている。
だが、これといって何か効果を発揮したようには見えない。
「…まさかな」
俺は溜息をついて、指輪を胸にしまう。
そこで、ようやくリルのことを思い出した。
「…!」
急いでリルが歩いていったほうを確認したが、そこに青髪の少女はいなかった。