魔族の王
「……死んでしまいましたか。…勇者様は、選ばれし殿方ではなかったのですね」
俺の背後で、女が残念そうに呟いた。
ただの独白だったかもしれないが、雨音以外の音のないこの空間で、その言葉はしかと俺の耳に届いた。
女の足音が遠ざかる。
「……待てよ」
「………?」
「お前、何が目的でここに来たんだ」
「貴方に言ったところで、意味はありませんわ」
「そうか。…じゃあ死ね」
俺はマナをほとばしらせ、爆発的な速力で女へと斬り掛かった。
「ぅらァァァアァァァァァァァァァアァッッッ!!!」
俺の急襲は、女が纏う結界のようなものに阻まれた。
剣と結界の間から激しい光が生まれ、バチバチと音を立てる。
「私を殺してくださるのですか? ふふ、うれしい」
「…ッ!?」
女が結界の力を強め、俺は体ごと弾き返される。
「でも、貴方では力不足」
「!??」
女が俺へ向けて手を翳すと、俺の体が金縛りにあったように動かなくなった。
「生まれ変わって、私を殺しにきてくださいね」
「……がッ…!?」
女の手から光線が放たれ、身動きの取れなくなった俺の体に、腕を通せそうなほどの風穴が空いた。
口から血の塊が吐き出される。
女の束縛が解け、俺は地面に倒れこんだ。
激痛を感じながら、この傷ではもう助からないと直感する。
「…………ッ!」
だが、このままで終わるつもりはない。
かつて俺の村を襲い、家族や友人を奪い、そして今また俺の親友を奪った魔族。
ただですませはしない。
この世の理をねじ曲げてでも、お前等を殺してやる。
たとえ魔道に堕ちてもいい。
この身がどうなっても、眼前の女や、俺の村を襲った奴らを滅ぼしてやる…!
「………ゔぅぅぅゥゥゥッッ!!」
俺の心に呼応するように、俺の体からマナが溢れ出す。
一時的に出血が収まり、力がみなぎる。
だがいつまで保つかは分からない。
俺は再び立ち上がり、狂気の雄叫びを上げ、女に躍りかかった。
「……!」
「ヴアァッッ!!」
叩き付けるような斬撃が、女の結界を打ち据える。
轟音と眩い光が発生するが、結界は破れない。
俺は結界を横切るように飛びながら切り付け、着地と同時にまた跳躍し結界を斬る。
女は再び俺を束縛しようと掌を向けるが、俺の速力を捉えきれないらしく早々に諦めた。
「グゥッッ!?」
次に女は、俺の斬撃にあわせて結界でカウンターを狙ってきた。
俺は吹き飛ばされるがすぐに体勢を立て直し、追撃として放たれた光線を避ける。
「面白いですわ。まるで獣のよう。貴方のような使い手もいるのですね」
女は結界を切り刻まれながら、興味深そうに笑んだ。
そう言っている間にも結界は次第に弱まってきている。
その余裕の正体を俺は見抜けなかったが、そんなことは取るに足らないことだと思った。
「貴方なら、本当に私を殺してくださるかも知れませんね」
女は笑みを崩さない。
結界は次第に薄くなっていく。
そして、とうとうそのときは訪れた。
「ゥヴォォォォオォオォォオォォオォォォッッッ!!!」
俺も限界が近かった。
気力を振り絞り、ノーガードになった女の懐へ飛び込んだ。
「…………ッ!!??」
踏み込んだ途端、俺は強烈な違和感に襲われ、足を止めた。
まずいと思ったが、体が思うように動かない。
束縛の一種なら、マナを暴走させている今ならはねのけられるはずだった。
「立ち止まってしまいましたね」
「……??!」
「ふふ、何が起こったのか分かりませんか?」
俺の眼前で女が嗤う。
振れば剣が届く。
なのに、俺は剣を振れなかった。
この女に対する殺意が、霧散したようかのだった。
「束縛ではありません。これは魅了ですわ」
「み……りょう…?」
「そうです。魔族の女なら程度に差はあれど、だれでも使える魔法です」
「………あ…」
そういえば、勇者になるための授業で、そんなことを聞いた気がする。
魔族の女と闘う際、もっとも気をつけるべきは魅了であると。
その対策としては、聖騎士団が身に付けるお護りや、魔法使いのアンチマジックなどがあると。
その加護をもたずに魔族の女と闘うのは無謀だと。
そんな常識を、俺はすっかり忘れていた。
「…く……そ…!」
「無駄です。貴方はもう私に歯向かうことができません」
そう言って、女が近づいてくる。
鼻と鼻が触れそうなほど近づいて、女は俺の顔をまじまじと見つめた。
女の甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
「あら、こうして見るとよく整ったお顔立ちをしているのですね」
「…だからどうした…!」
「気に入りました」
「…な…ん……!」
薄く嗤う女の顔が更に近づく。
細い腕で抱きすくめられ、女の唇が抗議する俺の口を塞いだ。
「〜〜〜〜ッ!??」
咄嗟のことに頭が混乱する。
その間に女の舌が侵入してきて俺の歯列をなでるように動き、舌を絡ませてきた。
混乱していた脳が、色欲に押し流され思考を放棄する。
「〜〜……! ッ………」
考えることをやめた俺は、女のなすがままに口内を嫐られた。
親友を殺した女が目の前にいるというのに、俺は何もかも忘れて女の行為を受け入れていた。
足腰の力は抜け、女に体を預けてしまう。
脱力してしまった俺から女がようやく唇を離す。
唾液が糸を引き、その淫靡な光景に俺は目を奪われる。
「マナも上質。ここで殺してしまうのは………あら?」
女は満足そうに唇を舐めると、密着する俺の体の変化を感じ、妖艶な笑みを浮かべた。
「まさか、興奮してしまったのですか? 私にとってはただの試食だったのですが」
「…うぅ……」
女は嘲るように言う。
戦場で女に負けて無理矢理襲われ、体が反応してしまう。
しかもそれは魔族で、親友の仇であり、しかも相手はただの食事だという。
屈辱的で、命の危機でもあるはずなのに、俺はどうしようもなく興奮してしまっていた。
「私はこれでも、貴方に敬意を表しています。友人のために私に剣を向け、ここまでの力を示した貴方を。ですからできれば戦士として、貴方の名誉を損なわずに殺してあげたいと思っていたのですが」
女は至近距離で俺を見つめながら、抱きしめる腕に力を込め、下腹部を俺に押しつけてきた。
「……ぅぁ…!」
「貴方が望むのであれば、もうひとつの、魔族の女らしい殺し方をしてあげましょうか?」
「……ま、ぞく…?」
「そうです。この世のものとは思えない快楽を与え、貴方を搾り殺して差し上げます。私には心に決めた殿方がおりますので、膣を使うことはできませんが……例えば手でいじって差し上げるとか。惨めな最期ですが、その快楽は保証いたしますわ」
女の甘いささやきが、俺の耳朶を愛撫する。
どうやら女は、俺に死に方を選ばせてくれるようだ。
女の手は芸術品のようにしなやかで、あの手でしごいてもらえるなら、それは素晴らしい快楽を得られるだろう。
どうせ死んでしまうのなら、せめて最期くらいはいい思いをしたい。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
俺は…。
「さぁ、どうしますか?」
「…ふ…ざけるな…」
「……?」
俺は、声を振り絞った。
女は怪訝そうな顔をする。
俺はすっかり魅了されて働かなくなった脳を叱咤し、この女が行った所行を思い出させた。
こいつは、俺の親友を殺し、この街を壊滅に追いやった張本人。
許せるはずがないのだ。
ましてや、その女の誘惑に乗って弄ばれてしまうなど、あってたまるか。
「お前は…俺が、殺す…。…絶対…だ…!」
「…………」
ただの強がりだ。
それでも、俺は本気だった。
何か、ないか。
この女を殺す、この状況を打開する、何かが…!
「……ご立派な胆力ですわ。感服いたしました。ならば、戦士として貴方を……?」
「………?」
女が何かに気付いたように言葉を止める。
俺が訝っていると、
「ーーーー!」
俺の背後から鮮烈な衝撃が俺を貫いた。
視界が白に染まる。
「く………!」
俺と共にその衝撃に貫かれた女が、慌てたように俺から距離を置いた。
支えを失った俺は、地に倒れ伏す。
それと同時に、今まで靄がかかっていたようだった脳が、鮮明になった。
「この光は…聖剣…?」
その言葉は、女から発せられた。
どうやら聖剣の力で、魅了の魔法を打ち破ったらしかった。
予期せぬ神佑に、俺はここぞとばかりに立ち上がろうとする。
しかし、そう都合良くはいかなかった。
「ぐ……ッ!」
脳が鮮明になってくると、今まで暴走と魅了によって意識の外に置かれていた痛覚が甦ってきた。
さすがに血を流し過ぎたらしく、明瞭になった視界がまた暗転していく。
「まて…よ…! せっかく、力が…!」
指先から力が失われ、四肢が動かなくなってくる。
酷い睡魔に襲われているようだった。
「…く…そ…!」
「………まさか聖剣を継承してしまうなんて…」
もがく俺を見下ろし、感じ入ったような声で女が呟いた。
女はまた俺に近づいてきてかがみ込むと、うつぶせになっている俺を仰向けにして、俺の頭を自らの膝の上に置いた。
「…なんのつもりだ…!」
「お捜ししておりましたわ、ラルフ様」
女は嫣然とした笑顔で俺を見つめ、愛おしそうに俺の頬をなでた。
「な…!」
「名前なら、先程ご友人とのやり取りを盗み聞きしておりましたの」
「そんなことじゃない…! お前…!」
「聖剣に選ばれたことで確信いたしましたわ。貴方こそ私の運命の殿方。貴方をずっとお捜ししていましたの」
「………!」
陶酔したように喋る女の言葉に、俺は恐怖を覚えた。
「私はリース。貴方と結ばれるために生まれた魔導族の王」
「何を…言ってる…」
「本当ならば貴方を城へ持ち帰ってしまいたいのですが、残念ながら叶わぬようです。聖剣の所持者は転移魔法を拒絶してしまうのですわ」
女はうっとりとしながら俺の顔の至る所をなぞる。
先程まで俺を殺そうとしていたくせに、どういう心境の変化だろうか。
それが理解できず、俺はただただこの女を不気味に思った。
「ラルフ様。貴方ならば自力で私に会いにきてくださるでしょう。貴方が早く私に会いにきてくださるよう、もっと貴方に憎まれましょう」
「…憎む、だと?」
「そう、ラルフ様は憎しみのあまり私を殺そうと、私を求め続けるのです。ああ、なんて歪な絆なのでしょう。子宮が熱くなってしまいますわ」
女は悦楽の混じった表情で、俺に顔を近づけてきた。
「はやく、貴方を滅茶苦茶にしたい…。お待ちしています、ラルフ様。私の愛しい殿方…」
「……や…め…!」
そう言って女はまた俺の唇を塞いだ。
さっきは気付かなかったが、この接吻はマナを吸い取るものらしい。
かろうじて意識をつなぎ止めていた俺はとうとう限界を迎え、闇の中へと落ちていく。
こうして、俺はすべてを失い、勇者となった。