勇者とラルフ
「まだ生きてはいるみたいだな」
その反応のするほうへ、俺は駆け出した。
清らかなマナの反応を追って行くと、魔族の集団の中に見慣れた銀の鎧を見つけた。
「ルーク!」
「…ラルフ?」
ルークは一瞬だけ驚いた表情をつくる。
しかし自分を囲んでいた魔族たちの注意が俺に向いた隙を見て、すぐに表情を戦場でのそれに戻し自ら包囲を破った。
隙をつかれた魔族たちが勇者に注意を戻した瞬間、今度は俺が魔族に急襲をかける。
突然の挟撃に浮き足立つ魔族たちを、俺とルークは一気に蹴散らした。
「やっぱり君も生きていたんだね」
「情けないことに森で寝ててな。気がついたら街がこの有様だ」
「君らしいね。でも君だけでも無事でいてくれて良かった」
君だけでも。
その言葉とルークの表情で、現状は十分に理解できた。
「敵の頭は殺したのか?」
「最初に出てきた女性はオレが相手をしたんだけど、逃げられた。後から続いてきた魔族はオレのパーティの人たちが相手をしていたんだけど…」
「負けたのか」
「…そうらしい。その魔族たちももうこの街にはいないみたいだ」
「で、残ったザコの掃討か」
「…………」
ルークは黙ってしまったが、恐らく街に生き残りがいないか探しまわっていたのだろう。
だが現実は残酷だ。
俺もここに来るまでに、様々な惨状を目にした。
ただ死体を発見しただけならまだいい方だ。
魔族には死体を食うものや、いたずらに辱める輩も多くいる。
生きたまま拉致された人間だっているだろう。
彼らの末路は想像に難くない。
街の連中と一線引いていた俺ですら胸くそ悪くなった惨状を、彼らを家族のように思い接していたルークがどう感じたか。
そしてルークは彼らを守る使命を負った勇者でもある。
果たすべきを果たせず、家族も仲間も失った勇者。
「…………」
俺は何も言えなかった。
俺とこいつが逆の立場であったのなら、こいつは俺にどう声をかけただろうか。
「…街を出ようぜ」
結局、そんな言葉しか出てこなかった。
「オレは、行けないよ」
ルークは、そんな言葉を返してきた。
いつの間にか降り出してきた雨が、ルークの端正な顔に雫を落す。
「何を言ってる」
「街にはまだ魔力の反応がある。誰か生き残りがいるかもしれない」
「…マナの反応はねぇよ。お前が一番わかってるだろ」
「死体を弄ぶ魔族だっているだろう。オレは奴らを許せない」
「ルーク。冷静になれよ。死体を守ることが今お前の一番やらなきゃならないことなのか?」
「…………」
「違うだろ。この襲撃をしかけた主犯格たちがこの街を出ていった。そいつらが大人しく自分たちの家に帰るとでも思ってるのか」
「…………」
「そいつらはきっと近辺の町や村を襲うだろう。そこにはまだ生きてる奴がたくさんいる。お前はこんなところで時間をつぶして、そいつらを見殺しにするのかよ」
「……ラルフ」
心中でくすぶる怒りや失意を抑えながら語る俺に、ようやくルークが口を挟んできた。
「オレは、この街を護れなかった。勇者になって、聖剣まで手に入れて、それでも、この街を護れなかった」
「…………」
「初めて会ったオレに命を捧げると誓ってくれた仲間たちや、オレが勇者になったことを満面の笑みで祝ってくれたひとたちを…オレは護ることができなかった」
「…………」
「オレの目の前で、たくさんのひとが死んだ。オレを祝ってくれたひとが、オレに恨み言を言いながら死んでいった。死にたくないと言いながら死ぬひともいた。…オレは無力だった」
「…………」
「オレは、勇者失格だ」
ルークはそう言って言葉を締めくくった。
雨に濡れた髪が彼の目を隠し、その表情は伺えない。
俺はルークの方へ一歩近づき、
「………ッ」
確かな殺意をもって剣で斬り掛かった。
「ッ!?」
ルークは瞬時に反応し、手に握った聖剣で俺の剣を受け止めた。
聖剣が眩い輝きを放つ。
ルークは剣を弾き返すと、戸惑った表情で俺から距離をとった。
「さすがだな。確実に殺せると思ったんだが」
「…ラルフ…いったい…?」
「これでわかっただろ」
「…?」
「お前は無力じゃない」
「…!」
俺の言葉に、ルークは目を見開いた。
「お前は確かに誰も護れなかったかもしれない。だがそれは、そいつらが無力だったからだ。例えお前が勇者だからって、そいつらの命すべてを背負わなきゃならないなんて俺は思わない」
「……それでも」
「お前はこの戦場でまだ生きている。それはお前が無力じゃない証拠だ。…お前に力があるのなら……生きている限りは…。何回だってやり直せる」
「………! ラルフ…」
俺の言葉を聞いて、その裏に隠された真意を見抜いて、ルークはその表情を少しだけ輝かせた。
それを見て、俺も安堵する。
「…お前の弱音なんて聞きたくない。しっかりしてくれよ、勇者様」
そう言うと、ルークはこらえきれないように笑いを漏らした。
「君に励まされるなんて思わなかったな」
「言ってろ」
「でも、助かった。オレらしくなかったね。…ありがとう、ラルフ」
「…とりあえず雨をしのげる場所を探そうぜ」
俺はなんだか照れくさくなって、話題を逸らそうとした。
しかしルークは話題を変えようとしない。
「そうだ。さっきのことなんだけど」
「…なんだ」
「何回だってやり直せるって、君は言ったね」
「……ああ」
「それは、君が手伝ってくれるって考えて、いいんだよね」
「…………」
「ありがとう」
「まだ何も言ってねぇ」
「君の沈黙は肯定のしるしだ。そのくらい知ってるよ」
ルークはそう言ってまた笑う。
くそ。
「これから、よろしく頼む、ラルフ」
「…………」
笑顔で差し出される手を、俺が無言で取ろうとした…。
そのときだった。
「「…ッ!!!?」」
圧倒的な脅威を、肌が感じ取った。
戦慄を覚え、考えるよりも先に視線が動く。
その畏怖の正体へと。
それは女だった。
背中に流れる漆黒の髪。
輝く黄金の瞳。
闇を思わせる黒のドレスに身を包んだ女は、目を奪われる美貌だった。
ただ、そのきめ細やかな肌を彩る冷たい青が、その女が人間ではないことを物語っていた。
俺は、この女が件の襲撃者だと、直感した。
だがその判断は、反応は、遅すぎた。
妖しく嗤う女は掌をこちらに向けており、その手から、紫色の光線が放たれていた。
間に合わない。
そう思った瞬間、俺の視界がぶれた。
「…え」
自分の口から、なんとも間抜けな声が漏れた。
視界が街並みを横向きに映していることで、自分が倒れかかっていることに気付いた。
体も宙に浮いている。
俺は突き飛ばされたのだと理解した。
誰になど、分かりきっている。
でもそれを、信じたくなかった。
そちらを見やれば、その男が笑っていた。
しかしその笑みを浮かべる口元からは、血の糸が漏れていた。
そしてその下半身は紫の光の奔流に飲まれ、どこかへと消し飛んでいた。
「………!!!」
この目で認識して、俺は気が狂いそうになった。
無様に尻餅をついて、しかしすぐに立ち上がり、無惨に転がる親友を抱きかかえた。
「ルークッッッ!!!」
俺の呼びかけにルークは血を噴き出すことで応えた。
「お前ッ! なんで…!!」
「…ラルフ。…無事…かい…?」
「…………ッッ!! …おまえはァッ!!」
やりきれない思いが、声にならない叫びとなる。
この状況で、俺の心配なんて……やめてくれ。
「ラルフ…。…君に、頼みがあるんだ…」
「…………」
しゃべるな、と言えなかった。
治癒魔法など使えない俺が言っても、ただの気休めにしかならなかった。
俺のそんな思いなど知らずに、ルークは俺の沈黙をいつものそれと受け取って、話を続けた。
「…君に、聖剣を託したい」
その言葉に、反射的に体が拒否を示そうとした。
しかし、俺は何も言わなかった。
「…………」
「…君は、…聡明でやさしいね…」
「…………」
違う。
ただ俺は、ごねてこいつの時間を奪いたくなかっただけだ。
「………ほかに、言い遺すことはないか」
「……君は、オレとの手合わせで、一度も本気を…出さなかったね…」
「…………」
「明日の手合わせ……たのしみだったんだけどなぁ……」
「…………」
ルークの頬に、雫が落ちた。
「……最後に…君を護れて、よかった…」
「…………」
雨が、ルークの頬に、何度も雫を落していた。
力をなくしたはずのルークの体が、小刻みに震えていた。
誰かの嗚咽が、ルークの言葉を所々遮った。
「……君を……信じている…。………ありが……と……」
「……………………るぅぐッッ………!!」
俺は、親友の名すら、満足に呼ぶことができなかった。
親友は、最後まで、笑顔だった。
嫌に軽いその体を、俺は無言で、力強く抱きしめる。
雨が、冷たかった。