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夏の季節/水

コンビニ帰りの異世界

 夏草の茂る庭園は妖精の恰好の遊び場だった。

 背の低い垣根を越えて顔を覗かせる愛らしい見慣れた顔にやさしい笑み向けるのは、この庭園と彼の背後に建つ屋敷の主だ。夜の暗闇の中でもくっきりと浮かび上がる金髪はくるりと愛らしくカールし、陽の光を知らない肌は白くきめ細やかだ。

 すてきね。ほんとうにね、すてきね。

 美しいものを好む妖精たちがそよ風に紛れてささやき合う。

 彼はいつものように庭先に用意された椅子にゆったりと腰掛け、机の上に分厚い本を開いた。革張りの本は流れるような美しい文字が並び、所々斜線が引かれて修正を加えている。しかしその半分以上が白紙の状態で、彼が開いたページもまた白紙だった。

 少しすると、静かな庭先に羽音が聞こえてきて一羽のミミズクが舞い降りた。


「こんばんは、少年。今夜もよき月夜だ」

「こんばんは、先生。穏やかな月夜です」


 向かいの空いた席の背もたれに止まったミミズクは、さっさと羽をたたむと小さな嘴をカチカチと鳴らした。

 ミミズクは彼にとって唯一言葉を解する友人だった。彼はミミズクから聞く様々な話を手元のノートに書き取り、それを読み返すことを何よりの楽しみにしている。


「今日はどんなお話をしてくださるのですか」


 待ちかねた様子で先を促す金髪の青年に、ミミズクはちょっと頭を傾げて考えてから、嘴を開いた。


「では、ある異世界の話をしよう。実は、つい今し方コンビニに行ってきてね……」


 と言いながら、ミミズクは羽を広げて見せる。


「先生、コンビニってなんです?」


 意気揚々と続きを話そうとしていたミミズクは、目の前で困り顔をつくる金髪の青年を視界に入れて、慌ててコンビニが異世界において果たす役割や仕組みをしゃべり始めた。




 ようやくコンビニについての談義が終わってみると、空は白み始めていた。

 青年は慌てて立ち上がり、ミミズクも飛び上がった。


「先生さようなら!」

「またな、少年」


 ミミズクが森に向かって飛び上がった背後で、屋敷の重い扉が閉められる音がした。

 結局肝心な話はできずに、コンビニなるものに説明の時間を費やしてしまった。だが、まあいいか。

 ミミズクはのんびりと朝焼けの空を飛びながら考えた。

 そしてその晩、いつものように夜の座談会を始めようとした一人と一羽の前に、思わぬ来客があった。

 Tシャツ短パン姿の、右手にコンビニ袋を提げた彼女は、短く切り揃えた髪のために男の子のようでもあった。

 彼女こそ正真正銘の、コンビニ帰りの異世界人だった。




「すみません、お茶を淹れてもらって……いやはや~、まさか片道三分のコンビニ帰りに迷子とは世も末だね!」


 彼女はティーカップに口をつけると、「あちちっ」と顔を顰めてカップをソーサーの上に戻した。その様子をミミズクと青年はじっと見つめる。


「先生……順応能力がこうも逞しいものですか、異世界の方って」

「聞くな、少年。さすがに知らん」


 ぼそぼそと低い声で話し出した一人と一羽を前に、コンビニ帰りの異世界人はガサゴソとビニール袋からさきイカなど取り出してテーブルに置いた。


「これチューハイのお伴に買ってきたんだぁ~、うふふ。あ、そだ。お酒飲める? ぱっと見、ハタチ過ぎているかと思ったんだけど、外人さんだから外見は大人びてるだけで判断むずかしいところじゃん」


 いいながらさっさと缶チューハイを二本、さきイカの隣に並べる。青年は困り顔でミミズクに視線を送った。


「少年はまだ十七歳ぐらいだ」


 青年のかわりにミミズクが答えると、


「そか。やっぱりね!」


 順応能力が驚異的な異世界人は、人語を話すミミズクの存在などさも当たり前だという様子で両手を胸の前で打ち合わせて笑った。

 プッコンという間抜けな音を立てて缶の口を開けると、彼女は「迷子に乾杯~」と声も高らかに告げてぐいっと一口呷りさきイカの袋の封を切る。つまんださきイカをいくつか口に運ぶと、一缶をあっという間に開けてしまった。

 そのたった一缶でいい感じに酔ってしまった異世界人。珍しそうな顔をする青年にミミズクが「人種の違いでアルコールに強い者と弱い者がいるんだ」と簡単に説明する。青年はその教えを律儀に書き留め、好奇心からさきイカをひとつまみ手に取ってしげしげと観察したあと口に運んだ。


「すこしクセがありますね」

「でもそこがおいしいぃんだよぉー」

「酔っていますね」

「ね、おいしいぃんだおぉーー」


 二本目も開けてすっかりできあがっているへべれけ異世界人は、もしゃあーっと空いた右手でさきイカをわし掴みにして、なぜか振り回しはじめた。ピョンピョンといくつかのさきイカがその手から零れ落ち、庭の草影に隠れていた妖精達が何事かと顔を出した。しばらく様子を覗っていた彼らのうち、勇気のある妖精がさきイカを草影に持ち帰った。


「なんだかとても興味深いですね、異世界の方って」


 机に頬杖をついた青年は向かいに座る異世界人を眺めて呟く。ミミズクは首をきっちり九十度曲げるが、何も言わなかった。

 分厚い本をパタンと閉じて青年は立ち上がると、さきイカを机の上に一本一本並べているへべれけ異世界人の前に膝をついて、彼女の手を握られていたさきイカごと掴んだ。


「わたしの名前をあなたに教えます。わたしの名前を覚えて下さい。わたしの名前は……」





 コンビニ帰りの異世界人だった娘は気付くと近所の自販機の前にうずくまっていた。ぐらぐらする頭で記憶を辿ろうと努力する。

 学校のテストが開けたお祝いに缶チューハイでも飲もうかとコンビニに向かい、目的のものを買い込んだ。そしてブラブラと田舎くさい畑や田んぼのそばを歩いて、道の向かい側に見える家に戻ろうとして、なぜか素敵な洋館の前に辿り着いていたのだ。あぁそうそう、そうだった。そこで美人さんとお茶しちゃったのだ。その後一人で酔っぱらっちゃって……なんか、名前を教えてくれたなぁ。なんだっけ?

 必死に記憶を辿るが、何せ酔っぱらっていたので記憶があやふやだった。

 とりあえず、家に帰ろうっと。

 彼女は軽くなったコンビニのビニール袋を片手に家へ向かい、今でテレビを見ていた両親と弟に顔を見せてから自室へ引っ込む。


「よっしゃ、仕切り直しだ!」


 酔いの回りが早い彼女は覚めるのも早い。少し歩いただけで気分もさっぱりだ。

 とりあえず台所からサイダーとガラスコップを拝借し、しわしわになっているビニール袋からさきイカを取り出した。次の瞬間、パッと彼女の脳裏に過ぎった言葉は声となって現実世界に引き出された。


「ムーン・チャイルド」


 そして現実世界に引き出されたのは言葉だけではなかった。

 細く開いたカーテンの透き間から差し込んでいた月光の中に、まるでその光を溶かし込んだような金髪の青年が横たわった状態で現れた。

 唖然とするコンビニ帰りの元異世界人の目の前で彼は緩やかに伸び上がり、猫のようなしなやかさで立ち上がると宝石のような美貌で微笑んだ。


「さあ、コンビニへ連れて行って下さい」


 元異世界人の娘は、過去の自分の行いを真剣に振り返った。そうしている間にふと思いついた考えから思考が離れなくなって、恐る恐る青年に尋ねてみる。


「あのう、帰り方はわかっているんですよね……?」


 しかし返ってきたのは沈黙。そして沈黙。

 ようやく口を開けたかと思えば出てくる言葉は「先生がわたしを見つけてくれるでしょう……」という頼りないものだった。

 かくしていつ終わるとも知れない、元異世界人と異世界人の奇妙な共同生活が始まる。

ちょっとワクワクする感じで終わりです。

ずばりコンビニ、さきイカ、月という単語に尽きると思います!(笑)

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