不思議な世界時代通過電車(読み切り)
切符を買った。
それだけだった。
駅の券売機に目的地を入力し、表示された金額を支払う。
出てきた切符を受け取る。
切符には、目的地の駅名と、今日の日付、それから小さな番号が印刷されていた。
私はそれを財布にしまった。
今日は少し遠くまで行く。
用事があるわけではない。
ただ、行かなければならない場所があった。
電車に乗るのは久しぶりだった。
ホームには、すでに何人かの人が立っている。
会社員らしい男性。
買い物袋を持った女性。
学生。
ベンチで眠っている老人。
特に変わったところはない。
少なくとも、この駅では。
やがて電車が来た。
白い車体。
四つの扉。
普通の電車に見える。
私は乗り込んだ。
座席に座る。
窓の外を見る。
電車がゆっくりと動き始めた。
いつもの電車と同じだった。
揺れもする。
線路の継ぎ目を通る音もする。
車内放送も流れる。
『次は――』
駅名が告げられる。
私は何となく聞いていた。
目的地までは、まだ時間がかかる。
だから私は窓の外を見ることにした。
しばらくは、普通の街だった。
住宅。
道路。
コンビニ。
学校。
マンション。
見慣れた風景が流れていく。
ところが、次の駅が近づいたころ。
窓の外に見えていた建物が、少しずつ減っていった。
マンションが消えた。
道路が消えた。
代わりに、低い石造りの建物が見えてきた。
私は窓から外を見る。
駅が近づいてくる。
ホームが見えた。
そこに立っていた人たちの服装が、明らかに違っていた。
長い布を身体に巻いている人。
革のようなものを身につけている人。
頭に大きな布をかぶっている人。
どう見ても、今の時代の人ではない。
電車が止まった。
扉が開く。
何人かが乗ってきた。
私は少しだけ横へずれた。
私の隣の席に、古い服装の男性が座った。
男性は何も言わない。
膝の上に小さな袋を置いた。
そして、窓の外を見ている。
私はその人を見る。
男性も、私を見る。
一瞬だけ目が合った。
それだけだった。
私は前を向いた。
男性も前を向いた。
周りの乗客も、特に気にしていない。
スマートフォンを見ている人もいる。
眠っている人もいる。
新聞を読んでいる人もいる。
古い時代の服を着た人が隣に座っていても、誰も何も言わない。
この世界では、それが普通だからだ。
電車が動き始めた。
窓の外の景色が変わる。
石造りの建物が流れていく。
私は考えた。
この人は、どこへ行くのだろう。
旅行だろうか。
仕事だろうか。
誰かに会いに行くのだろうか。
それとも、これから帰るところなのだろうか。
私には分からない。
男性は袋を抱えたまま、ずっと外を見ている。
何を見ているのかも分からない。
しばらくして、男性が立ち上がった。
次の駅だった。
扉が開く。
男性は何も言わずに降りていった。
ホームには、同じような服を着た人々がいる。
男性はその中へ消えていった。
私は窓からそれを見ていた。
電車が動き始める。
男性の姿が小さくなる。
そして、見えなくなった。
私はまた座席に背を預けた。
次の駅へ向かう。
車内には新しい乗客が増えていた。
今度は、見たことのない服を着た若い女性が乗ってきた。
服というより、薄い金属のような素材でできている。
光が当たるたびに、少しだけ色が変わる。
女性は空いている席に座った。
手には小さな透明な板を持っている。
指で触れると、板の中に何かが浮かび上がった。
私はそれを見た。
女性も気づいたのか、一度こちらを見た。
そして、すぐに板へ視線を戻した。
私は窓の外を見ることにした。
次の駅は、さらに変わっていた。
高い建物が並んでいる。
空中に道路がある。
その道路を何かが走っている。
空には、細長い乗り物が飛んでいる。
駅のホームには、同じような服を着た人たちが並んでいた。
電車が止まる。
扉が開く。
数人が乗ってくる。
数人が降りる。
それだけだった。
誰も騒がない。
未来の街に来たことを、誰も驚かない。
私も驚かなかった。
驚く理由がないからだ。
ただ、
「今日は未来側の人が多いな」
と思った。
それだけだった。
車内放送が流れる。
『次は――』
また知らない駅名だった。
私は切符を取り出した。
目的地を見る。
まだ先だった。
私は小さく息を吐いた。
遠い。
それだけは確かだった。
電車はまた走り出す。
窓の外の街が変わっていく。
未来の建物が消える。
森が現れる。
森が消える。
海が現れる。
海の上に線路が続いている。
私は少しだけ身を乗り出した。
電車は海の上を走っていた。
下には何もない。
ただ青い海が広がっている。
けれど、車内の誰も気にしていない。
眠っている人。
話している人。
本を読んでいる人。
私は窓の外を見ながら思った。
この電車は、ずいぶん遠回りをする。
目的地へ行くために、こんなところまで来る必要があるのだろうか。
でも、必要なのだろう。
この電車では、そういうものなのだ。
しばらくすると、海の向こうに駅が見えてきた。
駅だけが海の上に浮かんでいる。
ホームに人がいる。
電車が止まった。
扉が開く。
一人の老人が乗ってきた。
濡れたような服を着ている。
老人は私の向かいに座った。
手には古い紙袋。
紙袋から何かの匂いがした。
魚かもしれない。
私はそう思った。
老人は目を閉じた。
眠っているのかもしれない。
電車が動き出す。
海の駅が遠ざかる。
老人は目を閉じたままだ。
私は少しだけ、その人のことを考えた。
この人も、どこかへ行く。
私と同じように。
目的地がある。
きっとある。
私には、その場所が分からないだけだ。
電車はさらに進んだ。
また駅に止まる。
今度は見慣れた駅だった。
現代の駅。
普通の広告。
普通の自動販売機。
普通の服を着た人々。
さっきまでの時代が嘘だったように見える。
けれど、私は何も思わない。
この世界では、過去と未来と現在が、同じ線路の上にある。
そういうだけのことだった。
私は窓の外を見た。
ホームに立つ人々。
その中に、先ほど見た古い服の男性に少し似た人がいた。
私は一瞬だけ目を細めた。
でも、別人だった。
たぶん。
私は視線を戻した。
目的地まで、あと少し。
そう思った。
ところが。
『次は――』
車内放送が流れた。
聞いたことのない駅名だった。
私は切符を見る。
やはり違う。
目的地ではない。
電車は減速していく。
私は窓の外を見た。
そこには、何もなかった。
建物もない。
道路もない。
駅だけがある。
そして、ホームには大勢の人が立っていた。
古い服の人。
現代の服の人。
見たことのない服の人。
子供。
老人。
誰もが、普通に電車を待っている。
電車が止まる。
扉が開く。
人々が乗ってくる。
何人かが降りていく。
その中の一人が、私の横を通った。
その人は私を見ることなく、電車を降りていった。
私はその後ろ姿を見た。
この人は、どこへ行くのだろう。
そう考えた。
でも、すぐにどうでもよくなった。
私にも行かなければならない場所がある。
その人にも、きっとある。
それで十分だった。
扉が閉まる。
電車が動き出す。
ようやく、目的地へ向かっているらしい。
私は切符をもう一度見た。
目的地の駅名。
その文字を見ると、少し安心した。
窓の外は、いつの間にか現在の街に戻っていた。
見慣れた建物。
見慣れた道路。
見慣れた信号。
私は少しだけ眠くなった。
目を閉じる。
次に目を開けたとき、車内放送が流れていた。
『次は、――』
目的地だった。
電車が減速する。
ホームが見えてくる。
人々が立ち上がる。
私は荷物を持った。
扉の前に立つ。
電車が止まった。
扉が開く。
私はホームへ降りた。
普通の駅だった。
少なくとも、今の私にはそう見えた。
ホームを歩きながら、一度だけ振り返る。
電車の中には、まだたくさんの人がいた。
私がさっき見た人とは違う人もいる。
古い時代の人もいる。
未来の人もいる。
現代の人もいる。
誰かは眠っている。
誰かは話している。
誰かは窓の外を見ている。
誰かは、これから別の駅で降りるのだろう。
電車の扉が閉まった。
私はホームに立ったまま、その電車を見ていた。
電車が走り出す。
駅を出る。
線路の先へ消えていく。
私は思った。
あの電車は、このあとどこへ行くのだろう。
また過去へ行くのだろうか。
未来へ行くのだろうか。
それとも、私が知らないどこかへ行くのだろうか。
分からない。
でも、たぶん大丈夫だ。
あの電車は、今日も走っている。
誰かを乗せて。
誰かを降ろして。
誰かの目的地へ向かって。
その途中で、別の時代へ寄り道をしながら。
それは、この世界では珍しいことではない。
私たちはただ、電車に乗る。
そして目的地で降りる。
途中でどんな時代を通ったとしても。
どんな人が隣に座っていたとしても。
それを気にする必要はない。
そういうものなのだから。
私は切符を財布に戻した。
そして、自分の目的地へ向かって歩き始めた。




