気まずくなりたくないから、私たちは恋人になった
告白したのは私で、別れようと言ったのも私だ。
その間、三ヶ月。私は慎の口から「好き」を一度も聞かないまま、終わらせた。
花火大会の帰りだった。
人混みを抜けて、少し上ったところにある神社の石段。夜店の音が、遠くで鳴っている。浴衣の裾が足にまとわりついて、歩きにくい。
私は、二段上に座っている汐入慎を見上げた。
「別れよう」
慎の顔が、はじけるように上がった。
「っ、なんで......!」
「......」
「なんでだよ。俺、なんかしたか。怒ってるなら言えよ、直すから」
直す、ときた。
この人はたぶん、本気で言っている。記念日を覚えて、手の繋ぎ方を変えて、私の機嫌が直るまで、いくらでも直す気でいる。
そこじゃないんだけどなぁ。
*****
私、東雲栞と汐入慎は、幼稚園からの腐れ縁だ。
家が三軒隣で、朝は待ち合わせてもいないのに、どっちかの家の前で合流する。夏休みの宿題は、八月の終わりに二人でまとめてやる。そういう間柄だった。
小学校のとき、慎が犬に噛まれて泣いた。私は慎より先に泣いて、それから手を引いて、うちまで走った。
中学のとき、私は部活で総スカンを食らったことがある。
先輩が部費を私物に回しているのを見つけて、顧問に言った。正しいことをしたつもりだった。
次の日から、誰も私に口をきかなくなった。三年生も、同学年も、後輩まで。着替えのとき、私の隣だけ人がいない。それが二ヶ月続いた。
私はそのころ、本気で考えていた。正しくても、言えばこうなる。だったら黙っていたほうがいい。
慎は、何も聞かずに、それまで通りの腐れ縁、親友の関係のまま。何も変わらずにいてくれた。
ただ、毎朝、河原を回る遠回りの道を提案してきた。理由は言わない。「こっちのが桜きれいだから」とか、その程度のことを言って歩いた。それを二ヶ月続けた。朝のおしゃべりの時間がちょっと増えた。
一度だけ、橋の上で慎がぼそっと言った。
「お前は間違ってない。俺は知ってる。............親友、だからな」
すぐ「あちーし、アイス食う?」と話を逸らしたけど。
ほんとうに一瞬の、ちょっとしたことだったけど。それでも私はあの一言のおかげで正常でいられた。言うべきことは言っていい、と思い直せた。
そういうのを、十年以上やってきた。
いつから好きだったのかは、正直、わからない。気づいたら隣にいるのが当たり前で、当たり前すぎて、この感情に名前をつけないまま。
意識が変わったのは慎が誰かに告白されたという噂を聞いたとき。成長するにつれてカッコよくなる慎。この噂も、さもありなんという感じだった。
とはいえ、このときの噂は嘘だった。たぶん。本人に確かめたら「なにそれ、誰だよ」で終わったし。
でもこのときに気づいたんだ。この件はよかったけど、いつか、嘘じゃない日が来る。そのとき、隣にいるのが当たり前の親友ポジの女は、たぶん、確実に、負ける。テンプレ負けヒロインだ。
私は物語に出てくるような、好きな男を他人に譲るようなバカな女にはなりたくない。
だから、ある日の放課後、帰り道で告った。
何日も練習した。振られたら距離を置く覚悟も決めた。決めた上で、それでも言うと決めた。ワンチャン、これだけ長いこと一緒にいるんだから、さすがに慎も私のこと好きでしょって思ってたし。
「慎」
「んー?」
「......私、あんたのこと、好き」
慎の足が止まった。
「友達としてじゃなくて。......付き合ってほしい」
心臓が破裂しそうだった。喉が渇いて、声が半分しか出なかった。
慎は、言った。
「......うん。いいよ」
返事まで、一秒もなかった。
「......え、いいの!?」
「うん。じゃ、帰るか」
慎は、いつもの顔で、いつもの歩幅で歩き出した。
私は、天にも昇る気分で、その隣に並んだ。並びながら、顔が熱くて、慎の顔をまともに見られなかった。
見ていれば、気づいたかもしれない。
告白を受けた男の顔が、照れでも喜びでもなく、「困惑」だったことに。
*****
恋人になって、最初に変だと思ったのは、手を繋いだ日だ。
河原の帰り道で、私から手を伸ばした。私から伸ばすのも、なんだかなと思ったけれど、待っていたら日が暮れそうだったので伸ばした。
慎は、ためらいなく握り返してきた。
がっしりと。思ってもない力で。
「痛い痛い痛い痛い! ......ちょっと! なんでそんな強く握るのよ!」
「え? あ、悪い。つい」
つい、って何。
握り直させたら、今度はやたら恐る恐る、指先だけをつまんできた。それはそれで、なんか違った。
デートに誘えば来てくれる。断られたことは一度もない。
ただし行き先は、いつもの本屋、いつもの河原、いつもの自販機。付き合う前と、ルートが一つも変わらない。
「たまには電車乗って、どっか行こうよ」
「えー、面倒じゃね。いつもの本屋でよくね」
「よくない」
「......じゃあ、駅前の本屋」
範囲、広がってないんだけど。
その本屋で、慎は私の好きな作家の新刊を先に見つけて、こっちに渡してくる。そういうところは昔から変わらず、上手なのだ。
上手なんだけど。
映画に誘ったこともある。
「観たいのある?」
「栞が観たいのでいいよ」
「私が選ぶと、あんた寝るじゃん」
「寝ないって」
寝た。
起きたあと、「途中から記憶がない」と正直に言うところが、この人のずるいところだ。責める気がなくなる。
付き合って一ヶ月の日に、私はケーキを買っていった。
慎は、玄関できょとんとした。
「何かの日だっけ。誕生日、まだ先だろ」
「......一ヶ月、記念日」
「あー......そっか」
慎は、目を泳がせてから、笑った。
「悪い、そういうの、ぴんとこなくて。でもケーキは嬉しい。半分こしよう」
半分こは、おいしかった。おいしかったけども。
台所から慎のお母さんが顔を出して、「あら栞ちゃん、いらっしゃい」と言った。
完全に、昔と同じ扱いだった。
実際、私は昔と同じように上がり込んで、昔と同じ場所に座って、昔と同じコップで麦茶を飲んだ。
ノーブラノーパンで大事なところチラ見せした。襲われてもいいって覚悟できた。慎は無反応だった。
なんか悔しくて、だらしなく寝転んでるときに片乳をまろびださせた。慎は「風邪引くぞ」って言って終わった。いつもとなんのトーンも変わらない声で。
帰り道で考えた。この家に、私は何十回来ただろう。今日、初めて「恋人として」来たはずなのに、変わったのはケーキが一つ増えたことだけだった。
教室では、私たちの関係は秘密だった。慎が、そう望んだからだ。
「言うとさ、ほら、みんなが気まずいだろ。冷やかされたり、変に気を遣われたり」
「......そういうもん?」
「そういうもんだよ。今まで通りが一番だって」
今まで通り。
私は、その言葉を聞くたびに、何回目か数えるようになってた。
正確には、慎の口癖のほうを数えた。「気まずい」の数。
気まずくなるだろ。気まずいの嫌だし。それやると気まずくねぇ?
携帯のメモに、正の字を書いた。自分でもみっともないことをしている自覚はあった。そんなことしてもなんにもならないのも分かってた。でも、なんでか、自分を止められない。
そんなある日、クラスの男子が冗談ぽく言った。
「汐入と東雲って、前と全然変わってなくね? 実は付き合ってんじゃねーの」
言った本人はよくある冷やかしとして、冗談で言っただけなんだろうね。深い意味はなかったんだと思う。私たちの関係は誰も知らないままのはずだしね。
その言葉に、私が答えるより早く、慎が笑って言った。
「ないない。こいつ、俺の消しゴム勝手に使うんだぞ」
教室が、わははと沸いた。
私も笑った。笑いながら、ちょっとだけ拳を握った。
放課後、慎は少しだけ気にしたらしい。
「さっきの、悪かったな」
「それはいい」
「じゃあ何が」
「......別に」
別に、じゃなかった。
でも、そこを突いたら、この人が困った顔をするのがわかっていた。
困らせたくない、と思った。
付き合って三ヶ月で、「気まずい」は通算47回。
恋人になったはずなのに、私たちの行動を決めていたのは、恋でも愛でもなかった。慎が居心地悪くならない道を選ぶ。それだけ。
その一環で、私が一度も出してない話題があった。私は、付き合ってから一度も、慎の口から「好き」を聞いていない。
一度だけ、試したことがある。
「ねぇ慎。私のいいとこって、どこだと思う?」
「え。......んー、笑い方とか? ガハハーってやつ」
「ふざけてる?」
「ふざけてねぇよ。栞の豪快な笑い方、漢らしくていいよな」
「はぁ!? 誰が男勝りですって!?」
「あはは、そういうとこだって」
「慎に聞いた私が馬鹿だったわ」
漢らしい。そんなの、恋人から言われても嬉しくない。聞きたいのはもっと恋人として好きなところ。でもその日はそれ以上聞かなかった。
なんかモヤッとしたけど、それが何かよくわかんなかったから。
だけど違和感は日々募っていった。
*****
花火大会の夜、私は今日、何かを変えるって決めていた。
浴衣は自分で着た。髪も自分でまとめた。慎は「お、いいじゃん」と言った。それだけだった。
人混みを抜けて、神社の石段で休んでいるとき、私は聞いた。
「慎。私のこと、好き?」
夜店の喧騒が、遠くで鳴っていた。
慎は、いつもの顔のまま固まって、それから、ゆっくり笑顔を下ろした。
「あたりまえだろ?」
もう嫌ってくらい気づいてしまってる。これはホントの気持ちを言ってないときの顔。なんだ、好きじゃないんだ。
「うそ、なんだ」
「......え?」
「うそだよ。それくらい、わかるよ」
「..................」
「ほんとは、私のこと、どう思ってるの?」
聞きたくないけど、聞かないと。
「......わかん、ない」
「......どういうこと? 三ヶ月、あったんだよ?」
「だな」
「その間に、考えなかったの? 栞のこと、好きなのかなって」
「......考えたら、答えが出ちゃうだろ」
慎は、石段の下のほうを見ていた。
「答えが出たら、気まずくなるかもしれないじゃん」
48回目だった。今ので色々腑に落ちた。
このカウントも、今日で終わりかな。
あ、最後に聞いとこう。答えは予想できるけど。
「一応聞いときたいんだけどさ」
私は、自分の声が思ったより静かなことに、少し驚いていた。
「あの日、私の告白、なんでOKしてくれたの?」
「......」
「好きじゃないのに付き合ったら、こういう日が来るって思わなかった? それも考えてなかった?」
「......」
「断ったら私との関係が全部終わるかもしれない。かといって保留したら気まずい。だったら、とりあえず受けで付き合った形にしとけば何も考えなくていい。何も、壊れなくて済む。そう思ってたんだよね。でもさ、私のこと、好きって言ってくれたことすらないよね。私に欲情したこと、ないよね。いつまでも親友のまま飼い殺しってのはさ、ちょっと酷くないかな」
慎は、否定しなかった。
石段の下から、風が上がってきた。浴衣の袖が揺れて、少し寒かった。
沈黙が長かった。私は、待った。
この三ヶ月、私はいつも先に何か言っていた。場が沈むのが嫌で、笑って埋めていた。だからこの人は、一度も自分で言葉を探さずに済んできたのだ。
今日は、待つ。そう決めていた。
慎は、膝の上で手を組んで、絞り出すように言った。
「......怖かったんだよ」
「何が」
「栞のいない放課後がくるかもしれないって。三軒隣なのに、口きかない毎日がくるかもって」
慎は、初めて私の目を見た。
「告白されたとき、真っ先に思ったんだ。『あ、終わる』って。友達が終わるって。それが怖くて、怖さが消えるほうの返事を、反射で選んだ。......いいよ、って」
「......うん」
「ひどいことしてるかもってのは、思ってた。栞の『好き』に、俺は一回も返事してない。ぜんぶ受け取って、ぜんぶ流した。真剣には、考えないようにしてたんだ」
慎の声が、途中で崩れた。
「ちゃんと考えるのが怖かったからさ。考えて、もし『友達としてしか好きじゃない』って答えが出たら、今度こそ、ぜんぶ終わるから。栞とは、終わっちゃうから」
......ああ。
やっと、全部繋がった。
腕相撲の握手も。変わらないデートコースも。秘密の交際も。四十八回の「気まずい」も。
この人は三ヶ月間、必死で「恋人」を「友達」に薄め続けていたのだ。濃くなったら、本物の答えを出さなきゃいけなくなるから。
......で、話は最初に戻る。
「別れよう」
私は、そう言った。
「っ、なんで......! 直すから」
「記念日も覚えるし、手も、ちゃんと恋人っぽく――」
「そういうことじゃないんだよ」
できるだけ静かに言った。怒鳴りたい気持ちは、正直、あった。でも怒鳴ったら、この人はまた「怒らせないやり方」を探し始める。それでは意味がない。
「形だけ恋人に寄せてもらっても、しょうがないの。私が欲しかったのは、あんたが考えた上での答えだから」
「......」
「あと、先に言っとく。友達に戻るのもなしね」
「......え」
「無理だもん。隣にいたら、私はまた恋人になりたくなる。友達のフリして隣にいるのは、今度は私が私に嘘をつくことになる」
慎の顔から、色が抜けた。
「じゃあ、俺が考え終わるまで待って――」
「待たない」
そこは、はっきり言った。
「待つって言ったら、あんたはたぶん安心する。安心したら、また考えるのやめるでしょ」
「......」
「私は私で生きてるから。答えが出たら、言いに来てもいいよ。そのときは私が別の人と一緒になってるかもしれないけどね」
べーっと舌を出して言う。泣かずに言い切った私、偉い。
言い終わって、私は立ち上がった。
「それじゃあね。バイバイ」
「し、栞!」
浴衣で石段を降りるのは、思っていた以上に大変だった。転びそうになって、二回、手すりをつかんだ。
振り返らなかった。振り返ったら、たぶん全部撤回してしまう。
背中で、慎が一度だけ「栞」と呼んだ。
私は止まらなかった。止まったら、たぶん座り込んでいた。
鳥居を出たところで、私はやっと泣いた。
あの人がいちばん避けたかった状況を、私が作った。悪いとは思う。
でも、ここからだ。こうしないと、なにも始まらないし、なにも終わらない。
橋の上で「お前は間違ってない」と言ったのは、慎だ。間違いを正すことは、間違ってないって言ったのは、慎。
言うべきことは言っていい、と私に教えたのは、あの人なのだ。それを今日、あの人に使った。
*****
それから、一年経った。
私と慎は、口をきいていない。朝の合流もなくなった。クラスも違う。三軒隣は、地球の裏側より遠かった。
正直に言うと、しんどかった。
朝、家を出るときに慎の家のほうを見ないようにするのに、毎回失敗した。玄関から自転車を出す音が聞こえると、体が勝手に止まった。
何度も「やっぱり好きじゃなくていいから付き合ってて」と言いに行きかけて、そのたびにやめた。ここで折れたら、あの人はまた考えるのをやめる。私が「いいよ」を許した瞬間に、あの三ヶ月がもう一回始まるだけだ。
だから私は、私の生活を生きることにした。
進路を決めて、ご飯を食べて、たまに友達と海に行った。慎の家の前で立ち止まりそうになる足を、蹴っ飛ばして歩いた。
一度、別の人に告白されたこともある。
悪い人ではなかった。むしろ、こういう人と付き合えたら楽なんだろうな、と思った。
断った。理由を聞かれて、私はこう答えた。
「今、答えを待ってる人がいるので」
言ってから、自分でおかしくなった。待たないと言ったのは私なのに、待ってるだなんて。慎がまだ考えてるのかも分からないのに。
共通の友達から、たまに話は聞いた。
「汐入さぁ、最近変わったよな」
「そう?」
「前は何聞いても『どっちでもいいわ』だったじゃん。あいつ、めっちゃ適当だからさ。そこがいいとこでもあるんだけど。でも最近はなんか、ちゃんと悩んでる顔するようになったよな。この前なんか、進路の話で三十分黙り込んでたぞ」
「ふ、ふうん」
「やっぱ気にならないわけじゃないんだな。お前ら、去年くらいに急に全く喋んなくなったよな。何で喧嘩したん?」
「別に」
友達には付き合ってたことも別れたことも言ってない。ただ喧嘩しただけだと思われてるみたい。
「ま、いいけどさ。他人事だしな。なんにせよ、慎のやつ、成長してるってことなのかねぇ」
いい傾向なのか、悪い傾向なのか、わからないまま季節が回った。
一度だけ、駅で見かけたことがある。
向こうも気づいた。私たちは目を合わせて、どっちも声をかけずに、それぞれの改札に入った。
その夜、私は自分の部屋で天井を三十分見ていた。
母には、一度だけ怒られた。
「あんた、慎くんと何かあったの。お隣の奥さんが心配してたわよ」
「何もない」
「何もないわけないでしょ。あんな、犬っころみたいにくっついてた子たちが」
「......考え事してるんだって、あっちが」
「あんたは?」
私は、答えられなかった。
答えるとしたら、こうだ。私は待っていない。待たないと自分で言った。言ったくせに、毎晩、玄関のチャイムの音を聞き分けようとしていた。自慰もしてる。慎で。
宅配便が来るたびに、心臓が一回、余計に鳴る。一年、ずっとそうだった。
*****
一年後の、夏の夕方だった。
買い物から帰ってきたら、うちの門の外に、慎が立っていた。
チャイムは押していなかったらしい。あとで母に聞いたら、来ていたことも知らなかったと言っていた。どれくらい立っていたのかは、聞かなかった。
一年ぶりに正面から見る顔は、少し痩せていた。
「......よ」
「......うん」
「ちょっと、いいか」
私は、買い物袋を持ち直して、慎の横を通って家の玄関側に向かう。
「し、栞......!」
「なに?」
慎は、一度、深く息を吸った。
「悪かった」
「......なにが?」
「栞のこと、本気で考えずに告白を受けちまったこと、付き合ってる間も本気で考えてたわけじゃなかったこと。あのとき、俺は栞の告白に乗っかっただけだった。気まずくなるのが嫌で、考えるのをやめた。ずるかった」
「うん、そっか。そうだね」
慎は、顔を上げた。
「考えたんだ。一年、ずっと考えた。......俺は、栞が好きだ。友達としてじゃなく、好きだ。栞がいないと、まったくつまんないんだよ、なにもかも。栞がほかの男と仲良く話してるの見たら嫌な気持ちになるし。だから......」
「......」
「俺と付き合ってください」
一年前と、立場が逆だった。
私は、あの日の慎みたいに反射で答えそうになる口を、いったん閉じた。
1秒。2秒。3秒......1分。頭を下げた慎を無言で見つめる。
「し、栞?」
私は、ちゃんと考えた。すぐに答えは出さない。
「......私のこと、好きなんだ?」
「え?」
「だから、私のこと、好きなのかって聞いてんの」
「え、あ、あぁ! 好きだ!」
「どこが? どのくらい?」
「え、えっと、一緒にいて楽しいとこが! リラックスできるとこが! めちゃくちゃ好きだ!」
「ふーん」
「ふ、ふーんって......」
「それで? 私に赤ちゃん産んでほしい気持ちにはなってんの?」
「は、はぁ!?」
「私に性欲、湧いてんのかって聞いてんの。抱きたいの? そういう好きなの?」
「い、いや、そういうのはまだ早いっていうか......」
煮え切らない男だな。でもまじめなとこも好き。けど、私はいっぱい待ったんだ。待たないって言ったけど。待ったんだからちょっと意地悪するくらい、いいよね。
「なんだ、その程度の好きなんだ」
「ち、ちがっ......! わ、わかったよ! 産んでほしい! 栞とヤりたいんだ!」
「私の処女が欲しいんだ?」
「ほ、欲しい! 栞の処女は俺が奪いたい! 俺だけが栞の隣にいたいんだ! ほかの誰にも渡したくない!」
沈黙10秒。
「こんなとこでなにエッチなこと叫んでるんだか。常識ってものがないのかしら」
「お、お前が言えって言ったんだろ!?」
「私は別に、エッチなことを叫べなんて言ってない。私への愛の深さを表現してほしかっただけ」
「おいおい......」
「ま、私への愛を示すって点では、ご近所の皆さんに慎が変態だって知れ渡ってもいいって思うくらいには、私が大好きってことか」
「〜〜〜〜......っ! あぁそうだよ、そうですよ! 俺は栞の処女を食って孕ませて、そのまま一生そばにいたいだけの変態だよ! これで満足か!?」
慎は恥ずかしさからか、叫んだからか、ふーっふーって荒い呼吸してる。面白い。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
「う、嘘だろ............」
考えるまでもないことを、それでも、ちゃんと考えた。いや、ただのフリだな。必死な慎が面白すぎるのがいけない。
嬉しすぎてニヤけちゃうのをとめるのが大変。でもま、そろそろいいか。
「ま、いいよ。しょーがないから付き合ったげる」
慎の顔が、くしゃっと崩れた。
「〜〜っ、長ぇよ! 死ぬかと思った!」
「考えたの。大事なことだから」
「あー、......うん、そうか、そうだな。考えるのはだいじだ」
「慎、変わったね。前よりもっといい男になった」
私は、買い物袋を足元に置いた。
「......抱きしめてみても、いいか?」
「いいよ」
慎は、ゆっくり私に近づいてきて、優しくハグしてくれた。それで笑いながら泣いていた。ひどい顔だった。一年ぶりに見る顔として、私の中では、これ以上ないやつだった。
「ねぇ、一個だけ聞いていい?」
「なんだよ」
「あの夜、私が『考えるまで待つ』って言ってたら、あんた、考えた?」
慎は、少し黙った。それから、正直に言った。
「......考えなかったと思う」
「だよね」
「待たないって言われて、初めて焦った。......情けない話だけど」
「うん。情けない」
「そこは嘘でもフォローしろよ」
私は笑った。一年ぶりに、この人の前で声を出して笑った。
それから、慎がそっと手を差し出してきた。
私は、その手を握った。
握り返された手は、今度はちょうどいい握力で。
..............................じゃなかった。
い、痛い。ちょっとだけど強すぎるよ......?
「じゃあ栞早速ヤるぞ」
慎の目は、さっきまでの涙の跡に加えて、ギラギラとしてた。握る力が強くて離れない。あー、これが獣欲を滾らせた目ってやつかぁ。
「え、で、でもいまうちにお母さん居るんだけど......?」
「ま、俺が叫んだ恥ずいこと、ご近所さんに聞かれてるんだ。お義母さんにも聞こえてたろ」
「さ、さすがに今日の今日でってのは早すぎないかな!?」
「考えなくていいことも、あるんじゃね?」
「よくよく考えたほうがいいことだと思うな!?」
「心配すんな、避妊はするから」
そ、そういう問題じゃない!
「あ、お義母さん」
「え!?」
気づけば背後には玄関から顔をのぞかせてるお母さんがいた。ニコニコ笑顔で。どっから聞いてた......? いや、それよりも......。
「これから栞を女にしますけど、いいですかね?」
「今夜はお赤飯ね!」
「娘のこと、もうちょっとちゃんと考えて! 迷って!」
<終わり>




