お母さんのお弁当には、焦げた卵焼きが入らない
短いお話です。
朝。
台所からいい匂いがしていた。
レンジの加熱が終わる音が響く。
その横で、お母さんはフライパンの前に立ち、箸を動かしていた。
小さな鍋がことことと、揺れる音。
何度も薄く液を流し込む。
層を薄く重ねていく。
きれいに焼けたところが、お弁当箱の真ん中におさまった。
「できたよ」
お母さんが振り返る。
お気に入りの小さなお弁当箱。
赤と黄色と茶色が、並んでいる。
「わあ!」
子供は目を輝かせた。
「これ好き!」
市販のミートボールを指さす。
「これも好き!」
冷食の唐揚げに手を伸ばす真似をする。
お母さんは、少しだけ笑った。
ぱたんと、ふたを閉じる。
その横で、卵焼きがもう一つ、皿に残っていた。
少しだけ、端が焦げている。
それは、お弁当箱には入らなかった。
昼。
テレビの音が、静かに流れている。
お母さんは一人、テーブルに座っていた。
朝の残りの卵焼きを箸でつまむ。
少し焦げたところを、そのまま口に運ぶ。
テレビでは、ドラマの一場面。
「これ、私が作ったの♡」
明るい声が響く。
画面の中で、女の子が笑っている。
テーブルの上には、色とりどりのお弁当。
「すごいね、これ、全部手作り?」
「うん、頑張ったの」
少しだけ、間があく。
「……あれ? でもさ、それ、この前お姉ちゃんが作ってたやつじゃない?」
空気が、ほんの少し止まる。
「え、あー……ちょっと、教えてもらって?」
笑ってごまかす声。
もう一口食べる。
ほんの少しだけ、目を細めた。
焦げた部分を、気にする様子もなく。
テレビの中では、明るい音楽が流れ始める。
お母さんは何も言わず、また箸を動かす。
最後の一切れを口に入れた。
静かに飲み込んだ。
テレビの音だけが、部屋に残る。
夜。
食卓には、湯気の立つ料理が並んでいた。
「いただきます」
家族の声が重なる。
子供はふと、お母さんの皿を見た。
きれいに焼けた卵焼きが一つ、置かれている。
自分の皿に視線を落とす。
「ねえ」
子供が言った。
「お母さん、焦げたの食べてるね」
お母さんは、少しだけきょとんとした顔をする。
「おいしいのかな?」
その言葉に、父が少し笑った。
「不思議か?」
子供はうなずく。
父は箸を置いて、ゆっくりと言った。
「……あれは、最後に残ったやつだ」
「?」
「お前に、いいのを食べてもらいたくてな」
子供は、しばらく黙っていた。
お母さんの皿を見て、
「……じゃあ」
少しだけ迷ってから、言った。
「明日は、それもちょうだい。」
はにかみ笑う。
「お母さんと同じ、焦げたやつ」
お母さんは、少し驚いて、それから笑った。
「うん、いいよ」
食卓に、また静かな音が戻る。
湯気がゆらゆらと揺れていた。
お読みいただき、ありがとうございました。




