ー第4節 伝説の幕開け。世界はピカピカになり、田中は満足してビールを開ける。人々は彼を「清掃神」と呼んだが、本人はただの酔っ払いである
第4節 伝説の幕開け。世界はピカピカになり、田中は満足してビールを開ける。人々は彼を「清掃神」と呼んだが、本人はただの酔っ払いである
数分後。
東京の空は、台風一過のような、いやそれ以上に澄み渡ったクリスタルブルーの青空になっていた。
空気中の塵一つない、完全無欠の晴天。
深呼吸をすれば、肺の奥まで森林浴の香りが満ちてくる。
「ふぅー……。こんなもんだろ」
田中は空になったスプレー缶を振り、満足げに頷いた。
「よし、これでやっと飲めるぞ」
彼は屋上の手すりに寄りかかり、改めてプレミアムモルツのプルタブを開けた。
プシュッ。
軽快な音が、静まり返った街に響く。
一口飲む。
「……美味い!」
これだ。この味だ。
綺麗な空気、美しい景色、そして労働の後の適度な疲労感。
これらが揃って初めて、ビールは完成するのだ。
『お疲れ様、勤ちゃん! 最高の仕事だったよ!』
おつまみも満足げに元のサイズに戻り、田中の肩で跳ねている。
その時、背後のドアが勢いよく開き、玲奈たちが飛び出してきた。
彼女たちは、変わり果てた(綺麗になりすぎた)世界を見て、言葉を失っていた。
「田中様……。貴方は……」
玲奈の声が震えている。
彼女の目には、逆光を背にビールを掲げる田中の姿が、後光の差す神そのものに見えていた。
「ああ、白石さん。換気、終わりましたよ。スプレー一本使い切っちゃったんで、経費で落ちますかね?」
田中はのんきに笑いかけた。
その笑顔を見て、玲奈はその場に跪いた。
彼女だけではない。後から上がってきた避難者たちも、次々とその場に平伏した。
「神よ……!」
「清掃の神よ……!」
「ありがたや……ありがたや……」
屋上が即席の礼拝堂と化した。
「え? 何? みんな飲み会に参加したいの? いいけど、ツマミ足りるかなぁ」
田中は困ったように頭を掻いた。
彼は気づいていない。
自分がたった今、人類を滅亡の危機から救い、世界中を「超・快適空間」へと書き換えてしまったことに。
この日を境に、世界には新たな伝説が刻まれた。
――絶望の淵に現れ、モップとスプレーで世界を洗い流す、作業着姿の神がいる。
その神は「タナカ」と呼ばれ、彼が通った後は草木が芽吹き、病が癒え、すべての汚れが消え去るという。
……まあ、当の本人は、今日も今日とて「あー、明日のシフトきついなぁ」とぼやきながら、安酒を飲んでいるだけなのだが。
世界の衛生環境は劇的に改善された。
ダンジョンはもはや「危険地帯」ではなく、「資源採掘可能な巨大テーマパーク」として管理されるようになった。
そしてその中心には、常にピカピカの床と、ほろ酔いの笑顔があった。
掃除したら神だった。
そんな馬鹿な話も、この現代日本では、あながち嘘ではないのかもしれない。
(第5章 完)
(完結)




