第5話 ツチノコ研究第一人者
オカルト映画でも始まりそうな雰囲気の中、銀騎皓矢の説明が始まった。
舞台上のプロジェクターには当時の未確認生物の死骸が映し出される。頭は蛇によく似ており、胴が短く膨らんでいる。所謂「ツチノコ」を連想させるような見た目だった。体表の色は死骸だからだろうか、全体が黒っぽく少し干からびていた。
「まず、銀騎博士がツチノコと思われる生物の死骸を発見したのは、フィールドワークで出かけておりました山中でした。当時既にツチノコは未確認生物として広く知られており、過去に何度も別種類の蛇であったりトカゲの見間違いであったりしたため、蛇の突然変異種などの可能性が濃厚として採取したのが始まりです」
銀騎皓矢は流れるような口調で朗々と語る。
だが小学生の頃、永に毎日と言っていいほど似たような動画を見せられていた蕾生にとって、この内容は欠伸が出そうなほどに見飽きていた。
「銀騎博士はこの死骸を詳しく分析し、DNA鑑定をした結果、未知のDNAを発見しました。それは蛇やトカゲはもちろん、地球上のどの生物も持っていない全く未知のDNAだったのです」
続く銀騎皓矢の説明に、観客は小さく感嘆の声を漏らしながら聴いている。ツチノコに未知のDNAが存在した話は目新しかった。もしかしたら永が言った事があるかもしれないけれど、最近は話半分に聞いているので蕾生はあまり記憶していない。
科学の講和の割に、まるでSF映画の様な内容になっていく。蕾生は少し興味を惹かれて耳を傾けた。
「このDNAに関しましては、現在も当研究所で研究中であり、全容はまだ解明されていません。しかしながら、とにかく未知の因子を持つ生物が存在している可能性が濃厚だとして、銀騎博士は一年かけて発見場所を詳細に調べました。糞や巣穴の痕跡などが徐々に見つかり、遂には生きている個体の捕獲に成功しました」
銀騎皓矢の説明とともに映像が切り替わる。先程の死骸とは姿は同じでも雰囲気が全く違う、生気に満ちた蛇のような生物が映し出された。土色の体の表面は鱗で覆われ、蕾生が子どもの頃に動画で見たCGでの想像図と良く似た姿だった。
「これが、銀騎博士が新生物として登録したツチノコであります。爬虫類有鱗目……ツチノコは古来ノヅチとも呼ばれたことから、ノヅチ亜目ノヅチ科ツチノコ属ツチノコと分類しました。ノヅチ亜目は今後細分化が可能だと銀騎博士は考えており、ツチノコ研究はまだ入口の扉を開けたに過ぎないのです」
銀騎皓矢の講和は、今や観客の多くを夢中にさせていた。再び舞台上の照明が点く。明るい光を背負って、銀騎皓矢は観客達を真っ直ぐに見据える。そしていっそう力強く言い放つことで、これが希望に満ちた偉大な研究であることを強調した。
「我々銀騎研究所研究員一同は銀騎博士の指導の元、今後も未知の生物の探求とDNAの調査を行い、地球の生物の新たなる謎の解明に邁進していきます!」
若く麗しい研究者がそう結ぶと、観客席からワッと歓声と拍手が湧き上がる。演説に成功した銀騎皓矢は少しはにかみながらその場で一礼をした。最初にした動作と寸分違わぬ美しさだった。
割れんばかりの拍手。熱狂し過ぎていないだろうかと蕾生は不安になる。
確かに銀騎皓矢の講和は興味深かったが、本当に現実にあることなのだろうか。観客達はまるで映画を見て興奮しているように思えた。
ふと、鈍い光を感じて視線をずらす。舞台袖で佐藤が拍手をしている。その眼鏡の奥の表情が見えないことに、蕾生は再び不気味さを感じていた。暗がりの中なのに、赤いルージュが仄かに光って見える。
隣の永を見ると、途中までは楽しそうに眺めていたようだったのに、今では冷ややかに舞台上を見ている。歓声に応えて手を軽く振る銀騎皓矢を見る目は、蕾生でもゾクリとするほどに。
暗く、冷たかった。
「ではこのプログラムの最後に、予め録画しておいたものにはなりますが、銀騎詮充郎博士よりお集まりの皆様にメッセージがございます」
銀騎皓矢のその言葉を合図に、ステージが再び暗くなりプロジェクターの可動音だけが会場内に響き渡る。
これから映し出されるであろう人物、蕾生の記憶ではすでに朧げになっている。
それでも、蕾生の中で何かがざわついていた。
この場に来ていない、姿もまだ見えないのに、追い立てられるような存在感。
銀騎詮充郎、その名前だけで蕾生の中の何かが騒ぐ。
まだ暗い画面。彼の姿が映るその時を、蕾生は息を飲んで迎えようとしていた。
「……銀騎詮充郎でございます」
長い沈黙の後、ようやく白い画面が浮かび上がり、老齢の白衣を着た男性が映った。深い皺が刻まれた痩せ型の姿は、見ている者に畏敬の念を抱かせるには充分の鋭い眼差しをしている。
銀騎詮充郎。齢七十四にして、いまだ現役の生物学者。銀騎研究所創設者にして、現所長。
彼が四十三歳の時、ツチノコを新生物として登録してからその名が全世界に轟いた。
しかし一年も経った頃、いつまでも一般に公開されないツチノコは世間の注目から外れていく。同時にその発見および飼育者である銀騎詮充郎もまた、開けたカーテンをゆっくりと閉じるように限られた世界に再び引き籠った。
それからしばらく経って、蕾生の暮らす街に研究所が移転される。銀騎研究所がこの街の景色に馴染むようになるまでの十年間、銀騎詮充郎は表に出ることはなかった。
それが今日、ようやく街の住民達の目の前に現れた。
どう見ても孫の皓矢の態度とは真逆の、尊大で傲慢な口調で画面の向こうの老人は語りかける。
「本日は当研究所にお越しいただき、厚く御礼申し上げる。私は自らの探究心に従い、この世界の真理というものを追いかけ続けている」
その嗄れた声は、不思議にもよく耳に通る。ガサガサと響くのに、言葉のひとつひとつがはっきりと聞こえていた。
聞いた者の魂を抜くような、恐ろしい響き。まるで異次元にいるような老人は、くぼんだ眼孔を見開いて朗々と演説する。
「一般民衆の諸君、疑問に思ったことを放棄するべきではない。何故ならそこには必ず矛盾があるからだ。考えることを止めるな! 考え続けることだけが、我々人間に与えられたただひとつの武器なのだから!」
その思考が別次元に存在しているような姿は異様だった。一方的にまくしたてた後、突然映像は終わる。
プロジェクターの光源すら消えて、会場は闇と静寂に包まれた。
観客達の浮かれた熱はとっくに冷えてしまった。
銀騎詮充郎はさらなる畏怖を彼らに植え付けて、暗闇の中に再び姿を消したのだった。