第16話 御堂鈴心、十三歳
訪れた銀騎星弥の家にいた「親戚の子」という少女。衣服で飾られていたけれど、その姿は研究所で出会ったリンそのものだった。
御堂鈴心と名乗ったその少女は目を丸くし、口元も開いたまま固まっている。
「リン!?」
蕾生と永は声を揃えて叫ぶ。まさか、目的の人物にいきなり会えるとは思っていなかった。
二人が頭の整理をつけられずにいると、鈴心は先に理性を取り戻し、少し諦めた様な表情で息を吐く。
「運命には、逆らえないということですか……」
そんな呟きが聞こえる間もなく、反射的に動いたのは永だった。
「リン! お前だったのか! この前の態度はどういうことだ!? なんでそんなに若い!?」
永はそれまでの慎重さを失って、頬を紅潮させながら必死の形相で鈴心に詰め寄った。その細い腕を乱暴に掴み、鈴心に動転したままの気持ちをぶつける。
「痛い、痛いです。落ち着いてください、ハル様」
鈴心は顔を歪ませて身を捩った。それでも永は手を離さなかった。
「リン! どうして──」
「周防くん、やめて!」
二人の間に星弥が割って入り、永から鈴心を引き離して守るようにたちはだかる。その顔はそれまでの彼女が見せたことのない、険しいものだった。
「永、落ち着け」
今、冷静でいなければならないのは自分の方だ。蕾生は我に返って永の肩を掴み、低めの声で制した。
「あ──ごめん」
動揺が収まらない永の、焦点の定まらない目。そんなものを見るのは初めてだった。
「とりあえず、座れ」
蕾生は強引に永をソファに沈める。永は黙って従った後、項垂れて両手で顔を覆いながら悲痛な声を絞り出した。
「訳がわからないよ、リン……」
そんなに弱々しい声も蕾生は初めて聞く。その永を見て顔を青ざめ、唇を噛んでいる鈴心の表情には罪悪感が見てとれた。
二人の間に流れる張り詰めた緊張感と、蕾生にはまだわからない空気感に、何も言うことができなかった。
しばしの間、気まずい沈黙が続く。
部屋に流れるその異質な空気を、星弥の厳しい声が刺した。
「なんなの? みんなは知り合いなの? リンってなんのこと?」
まるで自分の住処を荒らされた猫のように苛立ちを隠さない彼女に、鈴心がその背に向かって静かに言った。
「星弥、席を外してもらえませんか? この二人と話があるんです」
「ダメです!」
星弥の放つ大きな声は、猫に引っかかれたかのような衝撃を蕾生に与えた。
「星弥……」
鈴心は呆れたように溜息を吐く。星弥の振る舞いを諌めているようにも見えた。
だが、星弥は子を守る親猫のように、瞳を吊り上げて声を荒げる。
「すずちゃんを見ただけで取り乱すような人と、わたし抜きで話すなんて絶対にダメです!」
「星弥、お願いします」
振り返った星弥の腕に縋って、鈴心は丁寧に頭を下げる。それは打って変わって、星弥を頼る幼子のようだった。
「とても、大事な話なんです」
星弥を見上げて懇願する鈴心。その態度に幾らか心を和らげた星弥は、困った顔のまましばらく何かを考えた後、意を決した表情でまず部屋の鍵をかけた。そして窓のカーテンを全て閉めた後、鈴心の方を見て言う。
「これが人払いできる精一杯です!」
星弥の頑固な態度に、肩で大きく息を吐いて鈴心は永に問いかける。
「ハル様、星弥も同席して構いませんか?」
「……でないと説明してもらえないなら仕方ないね」
永は顔色を少し取り戻しており、薄く笑った。
「ライ、あなたも座りなさい」
立っていた蕾生の方を向いて、鈴心は顎で促した。その偉そうな態度に少し怒りも感じたが、とりあえず何も言わずに蕾生も永の隣に座る。
「星弥、後でわからないことは説明しますから、会話を遮らないように」
「はい!」
永と蕾生の対面に鈴心と星弥が揃って座る。鈴心に釘を刺された星弥は今度は忠犬のような返事をする。それから、鈴心の肩をがっちりと掴んでいた。
「まず……そうですね、今の私の名前は御堂鈴心です。年は十三。今年十四になります」
星弥の過保護な態度に呆れつつも、鈴心は深呼吸した後静かに語る。その言葉に永は意外そうな顔をしてみせた。
「驚いた、初めて教えてくれたな」
「そうですね、今までは私がリンであることが重要だと思っていたので。ですが、今回は私のことは鈴心と呼んでください」
「リンじゃだめなの?」
「星弥が混乱しますので」
短く答える鈴心の言葉に、何故か満足そうに頷いている星弥。この二人の間にある特別な空気を永も蕾生も感じ始めていた。
「私が転生した家は、銀騎の親戚筋のひとつです。ですが、今はこうやって銀騎の家に厄介になっています」
再び語り始めた鈴心の言葉を継ぐ形で、隣の星弥が喋り出す。
「あのね、すずちゃんのお母様身体が弱くて、夫婦で転地療養に行ってるの。そしたらお祖父様がすずちゃんはうちで預かることにしたからって──」
「星弥、黙って」
「ごめんなさい!」
冷たい目で鈴心が睨むと、星弥は弾かれたように謝った後、自分の口を両手で覆った。
星弥と鈴心。二人の関係性は、蕾生の目に少し奇妙に映る。
鈴心を庇護しようとする星弥、それに甘んじる鈴心。そうかと思えば星弥を従えるような素振りも鈴心は見せる。まるで姉妹のようである二人だが、姉と妹の立場が時と場合でくるくる変わる印象だった。
蕾生がそんな事を考えていると、鈴心はすっかり落ち着いており、淡々と永に向かって語りかける。
「これは単なる事実に過ぎませんが、私はいつもより二年遅れて産まれました。それから記憶が覚醒したのはよく覚えていないのですが、とても幼い頃だったように思います」
「おれとライのことも小さい頃から思い出してたのか?」
鈴心に対する永の態度で、蕾生の知る永とは少し違うことに気づく。その口調とともにそれは段々と顕著になっていった。
「そうですね。わかってました。けれど私は行動しませんでした」
「何故!? いつもなら思い出したら真っ先に駆けつけてくれてたろう?」
永は身を乗り出して鈴心に詰め寄る。すると星弥が鈴心を守ろうと半ば抱きつくように手を伸ばす。それをめんどくさそうに払って鈴心は続けた。
「幼かったので、物理的に無理があったのと──今回の転生では自省する時間が多くあったためです」
「……何を考えていたんだ?」
永が聞くと、鈴心は少し躊躇った後きっぱりと言い放った。黒く、大きな瞳には決意を宿して。
「結論から言えば、私はもう嫌になりました。何度も何度も同じ事の繰り返し。希望の光さえ見えない、こんな運命に」
「……リン、お前を巻き込んだことは本当にすまないと思ってる。だけど、そのことは乗り越えたはずだろう?」
永は驚く様子も見せず、むしろ当然のように受け止めて確かめるように言う。もしかしたら過去にも同じやり取りを何度もしたのかもしれないと蕾生は思った。
「そう、ですね。そうだと思ってました。でもやっぱり思ってしまったんです。貴方達に会わなければ、もっと長く生きられるかもしれないって」
「──!」
それは、言ってはいけない言葉だ。
蕾生は頭に血が昇っていくのを感じつつも、ぐっと堪えた。言われた永がとても衝撃を受けていたからだ。
「……お前だけ二年遅れて生まれた理由について考えたことは?」
声を震わせながら、永は話題を変える。今言われた言葉を無かったものにするように。
「わかりません。何度も転生を繰り返しているうちに歪みが生じたのかも」
「御堂の家に生まれた理由も?」
「偶然でしょう。偶々、縁があっただけです」
相変わらず淡々と、一本調子で話す鈴心に、永は苛立ちながら語気を強めていく。
「お前はこれが偶然だって言うのか? 今までのおれ達の運命に偶然なんて一度だってあったか?」
「……私は偶然だと思っています」
「『御堂鈴心、十三歳』! こんなに短い自己紹介文の中に数えきれないほど謎がある! お前だってわかってるんだろう!?」
永は鈴心との距離を遮っているテーブルを叩いて叫ぶ。溜まった苛立ちが爆発したような音が響いた。だが、鈴心は冷静な態度を崩さずに首を振る。
「──もう、考えたくないんです」
その拒絶の言葉は、先日会った時よりも感情が込められていて、説得力があった。
「リン、お前が何か大変なことを背負ってるのはおれだって気づいてる! お前に聞きたくても聞けなかったことだってある! 言ってくれよ、考えるから! おれがお前も助けるから!」
悲しい叫びだった。
助ける、と言っているのに「助けて」と手を伸ばしているのは永の方だ。この表情を一度だけ蕾生も見たことがある。
「僕には君が必要なんだ」と笑って差し伸べた手は、本当は手をとってくれるのを待っている。
鈴心にも永の心中は伝わっているはずだ。それなのに、彼女は微かに微笑んだ後もう一度首を振った。
「ハル様、私にはもう何もないんです」
「リン、どうしてだよ。側に……いてくれよ」
懇願する言葉。隠さずに見せる本音。永の全てを断ち切るように鈴心は立ち上がった。顔を伏せたまま。
「話は終わりです。もう鵺なんて忘れてください。そして、できるだけ長く──生きてください」
小さな背を向ける。諦めたように言い捨てて、鈴心は部屋を出ようとしていた。
「待てよ、鈴心」
「……」
蕾生の呼びかけに、鈴心は一瞬立ち止まった。
「いちいち記憶がリセットされる俺よりも、お前の方が永と濃い時間を過ごしてきたんだろ。なんでそんな簡単に切り捨てられるんだ?」
「……」
永の好意も誠意も踏み躙った鈴心は、ぶん殴ってでも謝らせたい。それ程に蕾生は怒っていた。けれどそれは永が望まないだろうから、努めて冷静に言い聞かせるつもりで言う。
「お前には今の永の言葉が──気持ちが、届かなかったのか? 永はお前が必要だって言ってるんだぞ」
すると鈴心はふと笑って肩だけで振り返る。
「ライ……相変わらずハル様第一ですね」
「相変わらずかどうかは覚えてねえ」
「あなたはそれでいい。ハル様を頼みます」
そう言うと、今度こそ完全に背を向けて、鈴心は部屋を出ていった。
「鈴心!!」
静かに扉が閉まる。
蕾生の叫びは空を切って散っていった。




