混沌
ミヤコにとって母はそれほど憎むべき対象ではない。何故なら直接に母の悪意を受けとめていたのは美弥子だったから。美弥子の苦しみは美弥子だけのものだった。ミヤコは映画を見るように美弥子の不幸を見ていただけだ。だから感情が伴わない。いや、感情の種類が違うというべきだろうか。同じ身体を持つ筈なのに、感情は本人のものではなく他人のものだった。「辛い」ではなく「かわいそう」。それがミヤコの感情だった。
高校一年生のある日、ミヤコはある日突然表に出てきた。自由になる身体、言葉に出来る思考。それは不思議な感覚だった。今まで美弥子の身体だったものがミヤコのものになった。今までとは主従が逆になり、ミヤコは多くの時間を、生きた人間として過ごした。
二つの人格は時折り入れ替わった。ほとんどがミヤコであったのだけれど、時折りミヤコの意識は遠のき、気が付くと暗い意識の底からスクリーンに映る美弥子を見ていた。それは決まって母の悪意を受ける時だった。美弥子は母に罵倒された。暴力を伴うことだけはない陰湿な仕打ちを受け、そして母の感情の高ぶりが収まると同時に、美弥子はミヤコと入れ替わり、心の奥底にその意識を沈めた。
何故こんなことが起きるのだろう。美弥子の何かが母の怒りを誘うのだろうか。いや違う。母の感情の針が悪い方に振れた時に美弥子がミヤコを押し込めたのだ。自分が盾になってミヤコを守る為に。心に傷のないミヤコを残すために。
高校を卒業して、美弥子はアルバイトを始めた。毎日くたくたになって貯めた給料は、いつの間にか消えていた。初めて給料をもらった日の帰り道、美弥子は欲しかったスカートを買った。その事で母に罵倒された。そのスカートどうしたの。ちょっとばかり働いたぐらいで、全部自分のお金だと思わないで。全部こちらに渡すのが当然でしょう。二度目の給料日、美弥子は封筒から五千円だけ抜いてまた封をした。母は金額が少ないのに気付き、明細を見せろと迫った。
美弥子は何のために生きているのだろう。辛い毎日をただ過ごすために存在している様にしか見えなかった。
近所によく吠える犬がいた。いつも鎖でつながれて、散歩に出ているのを見た事がない。水と餌は与えてあるものの、汚れた身体。毎日のように棒で殴られているのを見た。ある日、ミヤコは犬を逃がしてやろうとした。けれど鎖を外しても犬は逃げなかった。ただ悲し気にその場に蹲り、くーんと小さな声を出しながらミヤコを見詰めていた。
信頼できると思った大人に、一度だけ母の事を打ち明けたことがある。美弥子は出て来るのを嫌がったので、ミヤコが話をしたのだのだけれど。
その大人は、ミヤコの思い込みだと言った。悪意など受け取る側の感情によって変わるのだと。
殴られたわけじゃないでしょう。怪我をさせられた訳じゃないでしょう。ご飯もある。家もある。世界には、家のない子がたくさんいるのよ。満足に食べられない子供もいる。育ててもらったんでしょう。赤ん坊の世話がどれだけ大変だか分かる? 愛情が無ければ決して続かないものよ。一度でも優しくされたことがあるのなら、そこには間違いなく愛情があるの。恨むのは筋違いよ。子供には血のつながった親が絶対に必要なのよ 。
分からないかしら。まだ子供だから。きっと反抗期なのね。時期が来れば、親の愛情を有難く思える日が来るわ。《《だから安心して》》。
そう、虐待ではないのだ。何故なら、美弥子は生きているから。死んではいないのだから。
ミヤコの現実の中では、母は普通の母だった。特別優しくはなかったけれど、ミヤコを傷つけることはなかった。そして、年老いて優しくなった。
認知症を発症して車椅子生活になってからは、母は可愛い老婆だった。もう少しすればきっと、ミヤコの顔も分からなくなるだろう。
歳を取ってから、母はミヤコに媚びるようになった。ミヤコはそれに微かな疑念を抱いた。媚びるのは、復讐される事への恐怖からではないのだろうか。自分がしてきたのと同じことをされるかもしれない、そう思ったからではないのか。ならば母は自覚していたのか。躾ではなかったことを。あれが、自分のストレス解消の為だけの行為であったことを。
母は狡猾であったのだ。暴力を振るわない。その一点を守ることにより、世間の目から逃げおおせたのだから。
虚しさに包まれて、ミヤコは溜息を吐いた。最近は美弥子はほとんど表に出てこない。いや、出られないのかもしれない。美弥子は弱っている。そう感じた。だから願いを叶えてあげないといけない。
母を、殺さないといけない。
To be continued