青に生きる 5
1月15日。3年前のその日は、日本列島に寒波が到来し積雪が各地で観測された。幸い、県内では公共交通機関が麻痺しなかったため授業は普段どおり行われた。震える身体を擦りながら、頭に入ってこない黒板の内容をノートに書き込んでいく。耳を素通りしていく教師の声は子守歌のようだ。うつらうつらと船を漕ぎ始めた時、終業を告げるチャイムが重々しく鳴り響いた。同時に、室内に賑やかさが戻り号令がかかると各が席を立ち始めた。息の揃っていない覇気のない声で教師に礼をすると、昼休憩が始まる。
鞄から弁当を取り出し、手を洗いに行こうと席を立った。そこに、耳障りな声が飛び込んできて声の方を振り返る。
「今日は来たんだ、不登校ちゃん」
教室の外、廊下の真ん中。胸元まである真っ直ぐな黒髪が特徴的な女子生徒が、4人の女子生徒に呼び止められていた。その黒髪の生徒を学校で見かけるのは、実に半年ぶりだった。私服姿では幾度も見ていたのだが。
「美奈…」
青山 美奈は女子生徒たちを前に固まっていた。両手でスカートを握りしめ、俯いている。周囲にいた生徒たちは面白いものを見るかのように5人を取り囲んで離れた位置に立っていた。
「前に来たのはいつだっけ? 1年前?」
「あんたのこと、もう誰も覚えてないわよ」
「今更来るなんて何のつもり? あんたの居場所は、あんたの臭い家だけよ」
きゃはは、と甲高い声が廊下に響いた。周りの生徒たちは鼻で笑ったり、軽蔑の目で彼女たちを睨んだりと反応は様々だ。当の本人である美奈は、黙っているだけだった。
教室を出て、美奈と生徒たちの前に立ちはだかる。途端に、女子生徒4人は侮蔑するように笑顔を浮かべた。
「来た来たぁ。正義のヒーロー気取りちゃんが」
リーダー格の女が嘲笑した。他の3人はけらけらと笑っている。反吐が出そうになるほどに醜いその表情に思わず顔を顰める。
「大事なお友達だもんね。小学校の時からずっと仲良しなお友達」
「2人して芋臭いのよ。学校に来ないでくれる?」
左端にいた女生徒が、徐に手にもっていた鞄の中を漁る。中から取りだしたのは水筒だった。
「失せろって言っているのが分からない?」
蓋を開けると、此方へ向けて水筒を強く振った。中に入っていたお茶が、己と美奈に向けて飛んでくる。あ、と思った時には頭からつま先までずぶ濡れになっていた。制服が水分を吸って、色濃く染まる。あれだけ煩かった廊下と教室が静まりかえる。背後から、花音、と自分を呼ぶか細い声だけが聞こえた。
「人を詰ることしか生き甲斐を感じられない貴女たちのような人を、愚か者と言うのよ」
覚えておいてね。
吐き捨て、顔を青ざめている美奈の手を取って歩き出す。生徒たちが廊下の端に逃げていくのを一瞥して、構うことなく廊下を突き進む。階段を降りて、そのまま保健室へ入った。他の生徒に応急手当をしている養護教諭は、こちらをちらりと見るだけで何も言わなかった。空いているベッドに向かい、カーテンを閉めて美奈と二人きりの空間を作った。
「大丈夫? 怪我は?」
美奈は唇を震わせながら首を左右に振った。目から涙を流す彼女に、私は大丈夫だと伝わるように微笑んでみせる。
「良かった。今日、学校来ていたのを知らなかった。制服の美奈に会えるのも嬉しい」
本当に久しぶりだった。女子生徒たちが言っていたとおり、美奈は半年ほど学校に来なかったのだ。授業用のプリントを届けたり、遊んだりするために定期的に彼女の家には窺っていた。会う時はいつも私服だった。
「お昼ご飯は持ってきた? 一緒に食べない? …って、私が教室に忘れてきちゃった。購買で何か食べようかなあ」
お腹空いたね、と美奈に言うが反応はない。美奈の涙が、制服に染みを作っていく。
どうしたら彼女は笑ってくれるだろうか。悩み続けて、もうすぐ1年になる。
同じ高校に入学したのは良かった。それぞれの夢を叶えるために自分で決めた進路だった。仲良しだからという甘い気持ちで受験したわけではなく純粋に自身の学力と将来を考えた時に、同じ高校だったのだ。
別のクラスになってもいつでも会えるからと入学式を迎え1ヶ月。異変が起きた。登校すると、下駄箱の前で立ち尽くす美奈の姿があった。声を掛けるが、此方を振り返ることもなく正面を見つめている。彼女の横に立ち、下駄箱の中を見ると教科書やノート、お菓子のゴミなどが乱雑に詰め込まれていた。虫の死骸のようなものが含まれていることに気付き、彼女を庇いながら後退した。
「何、これ。誰がやったの?」
呟くと同時に、どこからか女子の笑い声が聞こえた。4人の女子生徒が喋りながら階段を上がっていく。
「いじめられて可哀想」
「田舎ものだから除け者にされちゃったね」
不快な言葉を吐き続ける彼女たちを内心で軽蔑した。
すぐに担任や学年指導の教員に報告したが、事態は収まらず徐々にエスカレートしていく。物は隠され、体操服を破り、常に陰口を叩かれるようになったという。クラスが異なるため全てを把握することは出来ず、また彼女を助けにいくこともできなかった。休憩時間は共に行動するように努めたが、悪事は授業中や人に見られていない状況下で行われた。どれだけ教職員に訴えても彼らが介入することはなく黙殺されてしまった。生徒たちの間では、自分たちに関わると被害が広まるからと誰も寄りつかなくなった。
夏休みが明けると、美奈は不登校になった。1人じゃないから大丈夫だと力なく笑っていたが、1学期の終盤には休みがちになり、長期休暇に入ると身体が動かなくなったという。詳しくは話さなかったが、病院にも通い始めたと言っていた。
彼女の地獄が早く終わるように、美奈がいない間にも教職員や両親には何度も事情を説明し、状況を打破しなければならないと訴えた。両親が教育委員会に出向いて調査させたらしいが、学校側は塗り固めた嘘で切り抜けてしまった。不登校の生徒がいることについては、持病があるからだとでっち上げたという。それ以上踏み込んだ調査は行われなかった。
冬休みが明けても、相変わらず自分は一人だった。誰からも話しかけられず、休憩中も孤独だった。主犯の生徒たちは何故か自分には何も仕掛けてこなかったが学校が不快なことには変わりない。休みの日や下校時刻が早い日には美奈や中学時代の友人と会うことで堪えていた。
今日のように、美奈が登校した時に味方が一人でもいるように登校を続けた。その努力が報われた気がして、少し嬉しかった。
目の前で涙を流し続ける彼女に笑顔を取り戻して欲しい。そのために、今日も登校したのだ。
だから、美奈の言葉がにわかに信じられなかった。
「わたし、死んだ方がいいのかな」
「…え?」
「わたし、いなくなった方が…いいのかな」
背中に悪寒が這い上る。冷や汗が全身の毛穴から吹き出る感覚を覚え、同時に鳥肌が立った。決して、考えないようにしていた事実が、現実に起きてしまったことを知り身体が震え始めた。
「美奈、何、言って」
上手く頭が回らない。美奈は、やっと言えたと言わんばかりの、穏やかな表情だった。
「ずっと、思っていたの。私がいるから、みんな嫌な気持ちになる。花音を、こんなに、傷つけてしまう」
「そんな、そんなことない。美奈が、美奈がいるからここにいるのよ。あんな奴らのことなんて、一つも気にならない。美奈が…」
彼女の両肩を掴んで、訴える。貴女と一緒にいたいから、頑張れる。何が起こっても、また一緒に笑える日が来ると信じているから、だから。
ばくばくと心臓が跳ねる。一回の鼓動が激しく、心臓を鷲掴みされたような痛みを覚える。我知らず、呼吸が早くなっていく。反対に、今まで震えていた美奈の身体は落ち着きを取り戻していた。
「花音が、学校で一人になっちゃったのは、私のせい。私がいなかったら、花音はこんなことにならなかったはずなのに」
違う、違う、違う。
何もかも間違っている。美奈は悪くない。彼女に難癖を付けて嫌がらせをする人が悪いのだ。傷つけることを遊びと勘違いしている人が。学生生活と、将来のことを楽しみだと語る彼女のどこに、非があったというのか。
ぽろぽろと両目から涙が出てくる。制服の袖で乱暴にそれを拭うと、美奈は顔を歪めた。
「ごめんね。私が、私のせいで、花音が…」
「違う、お願い。謝らないでよ。美奈は、何も」
言い終わらないうちに嗚咽が込み上げて、それ以上言葉が出てこない。狭い校舎の中で起きた他人にとっては小さなこと、自分たちにとってはあまりにも大きなこと。一時の快楽のために人生を壊され精神的に傷を負ったことが、彼女のせいだと言うのはおかしいはずだ。人間は残酷な生き物だ。動物の本能に弱肉強食はある。また、他者を虐げ自分が上位に立つことで欲求を満たすことも本能に備わっている。だからといって、本能に任せて何でもやって良い訳ではない。
止まらない涙を拭っていると、美奈に手を握られた。顔を上げると、眉を落としてこちらを見つめていた。
「花音、もう、泣かないで」
魔法のようだった。その言葉に、自然と涙が止まった。美奈は、安心したように微笑む。
「私が学校に行けなかった間、励ましてくれてありがとう。今日は、花音に会いたいから来たの。最後に会えて良かった」
「…最後って」
美奈の手が離れた。幼い頃から何度も見た、大好きな笑顔で、ありがとうともう一度言った。
「美奈、行かないで」
彼女が遠くへ行ってしまうと脳内で警鐘が鳴っている。伸ばした手は宙を掴んだ。美奈が一歩後退して、避けたのだ。
美奈は晴れた日の海のように静かに微笑んで、一歩、一歩と私から離れていく。
そして、踵を返してベッドを囲んでいたカーテンを開け走り出す。一拍遅れて、彼女の後を追い走り出す。保健室を出た時、予鈴を告げるチャイムが鳴り始めた。
心臓が走る。耳の奥で鼓動の音が鳴り響く。美奈の後を追って階段を駆け上がる。すれ違う生徒が、慌てて二人を避けていく。
「美奈! 美奈…!」
彼女の足は決して速くない。だが、生徒たちに阻まれてなかなか追いつけなかった。3階まで上がったと同時に、生徒の群れが自分の前に立ちはだかった。否、授業のために移動するのだろう。自分より年上の学年だということが一目で分かった。彼らを避けている間に、美奈の足音は遠ざかっていった。
「通してっ」
大きな声が出る。驚いた生徒たちが私の通る道を空けた。礼も忘れて階段を蹴る。息が上がって、喉がからからに渇いていく。全身に汗をかいているため気持ち悪かった。
階段の終わりは、屋上に繋がっている扉がある。それが開かれていることを認め、屋上へと飛び出した。設置されているフェンスの向こう側、何も支えがない位置に美奈は立っていた。
「美奈、嫌よ、こっちに戻って」
悲鳴に近い声で懇願する。振り返った美奈は、首を左右に緩く振った。
美奈、美奈、美奈。
大切な友達。楽しい時、辛い時、いつも彼女と一緒だった。喧嘩は一度たりともしたことがなかった。彼女が笑うと、つられて笑ってしまった日々が、あんなにも遠い。
美奈まであと一歩で手が届く。腕を目一杯伸ばした。美奈も、こちらに手を差し出すと信じて。
だが、現実は非情だった。
唇を引き結んだ彼女の左目から一筋の涙がこぼれた。そして、精一杯の笑顔を作って、一歩後ろに足を引いた。その足は、どこにも着地することなく宙を蹴った。美奈の身体が傾ぐ。頭の重さに引っ張られて後ろ向きに倒れていく。フェンス越しに伸ばした手は、彼女の指先を掠めるだけだった。
絶叫した。止まっていた涙が再び溢れ出す。
美奈の魔法が、解けてしまった。
?
二人の間を沈黙が支配している。
藤島藍翔は、押し黙っていた。テーブルの辺りで握った両手に力が入っていることを滲む視界が捉えた。
「愛生の話をするために来てもらったのに、こんなこと話してごめんなさい」
「謝らなくて良いよ。話してくれてありがとう」
気を悪くした様子もなく、藍翔は言った。それに安堵して、自分のざわつく気持ちを宥めてから続きを話す。
「美奈のことがあったから、愛生を放っておけなくて。…私と会った日、愛生は電車飛び降りようとしていました」
「電車に飛び降りようと…?」
「一歩遅かったら、藤島さんと愛生が会うこともなかったかもしれません」
私の言葉に、藍翔は唇を噛んだ。眉間に皺が寄り、感情が複雑に入り交じっているのが見て取れる。
暫しの沈黙。当然だろう。自分の恋人が自死を考えていた話を聞けば、誰だって言葉を失う。
藍翔の恋人は、木山愛生という女性だ。愛生が駅のホームで立ち尽くしているところを偶々見かけて、線路に飛び降りる寸前で助けたことがある。3年前に遠くへ行ってしまった美奈と彼女が重なって、思わず声を掛けた。年が明けたばかりの、寒い季節の出来事だった。それ以来、彼女とは連絡を取り合うようになり今では良き友人だ。
そもそも、何故愛生の恋人とこうしてお茶を飲みながら話しているかというと。
4月の下旬に差し掛かった頃、自分の恋愛相談をするためにマッチングアプリに登録した。同時に、恋愛など縁がないという愛生にも半ば無理やり登録させた。私たちみたいな中途半端な志で知り合うのは相手に悪いと顔を曇らせた彼女を説得し、二人で利用を始めた。花音の目的は理解できないと言われたが。
登録して最初に会話したのが、目の前にいる藤島藍翔だった。藍翔は真摯に応対してくれたため、目的は隠したまま実際に会って恋愛相談をさせてもらった。彼は、自分に好意を向けられた訳ではないと分かっても、真剣に話を聞いてくれた。今後も藍翔に相談しようと喜んで帰宅したその日に、衝撃の事実が発覚した。
マッチングアプリで二人が知り合い、デートしていたのだ。自分と藍翔が会う1週間前に。
藍翔が当初に比べて、メッセージが素っ気なくなったことは気付いていた。気になる人が出来たと愛生と藍翔の双方から聞いてはいたが、お互いがその相手だとは知らなかった。
後日、愛生から藍翔と食事したことや交際が始まったことなどを告げられる。二人が良い関係を築いたのは朗報だったが、同時に愛生に隠れて藍翔と知り合ってしまったことをどのように告げるべきか悩むことになった。
悩みに悩んで出した結論が、今日のこの状況だ。愛生と自分が知り合いだったことを藍翔に告げ、愛生には知らせない。理由は、彼女は自己を卑下する性格で友人とはいえ自分と藍翔が知り合いだと分かれば藍翔から距離を置こうとする可能性があるからだ。
それだけは阻止したい。だが、愛生の人生と恋愛を応援したい。そして、彼女が自分を大切にするようになってほしい。
よって、愛生には教えないまま藍翔の方から手回しすることが最善だと考えたのだ。
藍翔に打ち明けると、その思考は全くもって理解できないと言われた。
そして今は、愛生に話しかける理由となった美奈という友人との過去と、愛生と知り合ったきっかけを説明しているところだった。
「…愛生は、その時どんな様子だった?」
長い沈黙の後に、藍翔が口を開く。恐る恐るといった様子の彼に微笑みを返す。
「暫くは泣いていました。落ち着いてから、コーヒーでも飲みましょうと言ったら快諾してくれて。彼女自身のこと、色々聞かせてくれました」
当時、愛生から聞かされた話は、耳を塞ぎたくなるほどだった。世間を見渡せば似たような経験をした人は大勢いるだろうが、身近には居なかった。実際の話を聞くだけでも、恐怖心を覚え思わず口を覆ってしまったぐらいだ。愛生は、居心地悪そうに肩を縮めて苦笑していた。
「愛生が話していたことは、伏せておきますね」
彼女の繊細なプライベートに関わることだ。友人とはいえ、赤の他人から詳しい事情を恋人に話されるのは誰だって嫌だろう。彼女と知り合った経緯とはいえ、辛い思いをして駅のホームに立っていたことまで話すことになったのは、謝るべきことだ。いずれ、彼女にお詫びしたい。
藍翔は、愛生から話してくれるのを待ってみるよ、と言ってコーヒーを呷った。その一言に、胸を撫で下ろす。
人によっては、他人の抱える苦痛を無理に聞き出そうとする。もし、藍翔が口を割らせようとする素振りを少しでも見せれば、愛生から突き放すつもりだった。だが、杞憂だったようだ。
たった2回しか会っていないが、藍翔は誠実だと分かる。初めて会った時にも、自分の話を嫌がることなく最後まで聞いていた。彼自身の考えやアドバイスも幾つか述べて、その後の心配も度々してくれた。今もそうだ。身の上話を、決して楽しい話ではないのに藍翔は最後まで聞き、愛生だけでなく自分にも精一杯配慮してくれている。彼の全てを把握したわけではないが、直感が訴えていた。
彼なら大丈夫だと。
「愛生が少しでも笑顔になれるように、彼女を支えたい。でも、私だけでは難しいから」
藍翔は黙って頷いた。脳裏に、線路を見つめて涙を流す愛生の姿が思い浮かぶ。
「愛生が幸せになれるように。藤島さんに、手伝ってもらいたくて」
愛生とコーヒーを飲んだ後に、約束したことがある。彼女は一度大きく目を見開いて、困り顔で笑った。
『一度約束したら、破れないですよ…』
「愛生が、私との約束を破る日が来ないように」
目から溢れる水分を乱暴に拭って、誤魔化すように彼に笑いかける。藍翔は静かな声で「約束って?」と聞いた。
「愛生に約束してもらいました。次、お茶した時は愛生に奢ってもらうこと。それから」
遠い日に友人が流した涙と、愛生の涙が重なる。生きることを自らの手で終わらせた、終わらせようとした二人。
「私が悲しむことがないように、生き続けてって」
これ以上、失いたくない。あの日掴めるはずだった手を、救えるはずだった命を。
二度と手離したくない。
「愛生に、生きてほしい。私が隣にいなくてもいいから、笑っていてほしい」
彼女の全てを分かることは出来ない。辛い過去、変えられない現状、苦痛な日々。いくら話を聞いて分かったつもりになっても、結局は他人だから。どう頑張っても、彼女自身にはなれない。それならばせめて、痛いと言い合える居場所になりたい。別々の痛みを、それぞれの痛みを見せ合って、馬鹿みたいだと笑えるように。自分が悪いのだと泣く日が来ないように。
「隣にいなくてもいいなんて、言わないでほしい」
滲む視界で藍翔を見る。窓から差し込む夕日に、藍翔の顔が照らされている。橙色の光は、全てを優しく包み込むように空を覆っているだろう。藍翔の笑顔は、まるで夕日のような柔らかさを湛えていた。
「皆で一緒に幸せになればいい」
堪えきれず再び溢れた涙が、頬を伝った。
ごめんね、美奈。こんな形で償って。ううん、償いじゃない。私の都合を愛生たちに押しつけているだけ。だけど、どうか許して欲しい。美奈を置いて、生き続けてしまうことを。
いつの日か、三人で笑っている未来が訪れるようにと、願ってしまうことを。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭っていると、ふと遠くへ行ってしまった友人の声が蘇る。何年経っても忘れない、あの日の笑顔で。
花音、泣かないで。
もう一度、魔法をかけてくれた気がした。