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青に生きる 3

 あの月曜日から三週間が過ぎた。

 愛生とは二回目のデートを楽しみ、その後は予定が合わず定期的に電話とSNSを活かして連絡を取っている。

 このまま交際となれば嬉しいが、マッチングアプリで知り合い、アプリ上で連絡を取り続けている桃花とユリとの進展もあった。

 正確には、二人とも関係が深まったわけではない。

 愛生と初めて対面する前から、桃花とも会う予定が決まっていた。彼女と会った時には既に愛生に心を奪われていたが、それは別として桃花には真剣に向き合うつもりだった。

 やってきたのは、ピンクベージュに染めた胸下まである長い髪をゆるくウェーブさせた、可愛らしい顔の女性だった。身長は160センチ程度、ブラウスには大きめの襟にフリルがついた真っ白なデザインのもの、ボトムスは膝上丈の黒いプリーツスカートにショートブーツを会わせた身なりから、今時の流行を追っていることが分かる。

 にこやかに現れた女性に、笑顔で会釈をする。今からどんな会話をしようかと考えようと言葉を探そうとしたのだが。

 耳を疑う言葉が飛んできた。

「私、好きな人が既にいまして」

 二度瞬きをする。桃花は、頬を染めて恥ずかしそうにもじもじとしている。

 既に好きな人がいる。

 それはつまり、自分には一切の興味がないということで。

「…じゃあ、これで、解散しようか?」

「待って!待ってください!これには訳があって」

 席を立ち上がりかけたところを、慌てて桃花に止められる。座り直して、改めて桃花に向き合う。彼女は肩を小さくして、白状するように話し始めた。

「大学生の時から好きな男の人がいて…その人とは、大学に入った初日に出会いました」

 桃花は、環境の変化に弱く、学校の入学式などではよく体調を崩す体質だったようだ。大学でもそれは変わらず、初日からお腹を下してしまい、気分が悪くトイレから離れられなくなった。

 どうしたものかとトイレの入り口で頭を抱えていたところ、偶然男子学生が通りかかった。顔色が悪くなっている桃花を見て、医務室に誘導してくれたという。礼を言うと、彼は笑ったという。

『僕も、入学式とか苦手だったから、放っておけなくて』

「その時の笑顔が、王子様みたいにすっごく格好良くて…」

「惚れちゃったんだ」

「はい…」

 言ってしまったと言わんばかりに両手で顔を覆う桃花。その気持ちは分かる、と先日経験したことを思い出しながら大きく頷いた。

「その人がいるサークルに私も入って、友だちの力も借りて、一緒に勉強会もやったり…仲良くなって、連絡先を交換できたのがついこの前の話です」

「良かったじゃん」

 青春だね、と親父のような感想を抱きながら相槌を打つ。しかし、桃花の顔は曇った。

「そこまでは良かったけど…私、彼の気持ちが分からなくて」

「分からない?」

 桃花は、綺麗な顔を歪めて口元だけで笑った。

「今まで恋愛したことがないせいで、男の人が何を考えているのか分からなくて。私と勉強したり、連絡とったりするのも、本当は嫌なのかなとか」

 自信なさそうに彼女は言うが、それはないだろうと口を開きかけて桃花は言葉をかぶせてくる。大人しく口を閉じて続きを聞いた。

「嫌だったらそんなことしないっていうのは分かります。でも、分からないです。だって、彼は…他の女の子が好きみたいだから」

 再び、二度瞬きをする。

 なるほど、三角関係か。初恋の相手が他の女性を好いているというのは、確かに心苦しいものがある。

「講義のひとつが彼と同じなので一緒に受けるのですが…そこに、大学で一番綺麗な女の子がいて。その子のこと、よく目で追っていることに最近気付いてしまいました」

「あー…」

 その男子学生は、なぜ桃花と連絡を取り合っているのか。好いてないなら、拒否するはずだ。それをしないということ多少桃花に気があるのか、それとも遊びか。

「だから、同じ男の人にお話を聞いてみたくて…彼は私のことを、どう思っているのでしょうか?」

 切実な相談だった。好きな相手が、何を思って自分と仲良くしているのか知りたいと思うのは自然なことだ。だからといって。

「だからといって、見ず知らずのアプリで知り合った男に話すのはおかしいような」

「ごめんなさい!本当にごめんなさいっ」

 桃花は泣き出さんばかりに何度も頭を下げた。彼女の斜め方向に振り切れた行動力があれば、上手く乗り切れる気がするのだが、それは言わない方がいいのだろう。

「同級生に話したら、私が片想いしていることがみんなにばれてしまいそうで怖くて。でも、誰かに聞いてみたい。そう思ったら、こういうアプリで知り合った人なら、相談しやすいと思って」

 それならそうと、始めから言ってくれたら良かった。好きな相手がいるのに、他の男と会うのはあまり心象が良くないだろう。誰かに聞きたい気持ちはもちろん、分からなくはないが。

「好きな人が他の子見ていたらそりゃあ嫌だよな。自分だけ見てほしいって気持ちは分かる」

 この言葉に、桃花の表情が明るくなった。涙を目に浮かべて。

「そうです!私のこと見てほしくて、でも、私以外の人が好きなのかもって思ったらそんなこと言えない。でも、でも、私は彼が好きで」

 ぐす、と鼻を啜り今にも溢れそうな涙を堪える。ハンカチを差しだそうとポケットに手を入れるが、ありがとうございますと言いながら自らのそれを取り出した。

「俺で良ければ、気が済むまで聞くよ」

 その一言に、彼女の涙腺は決壊した。店内の客が全員訝しげにこちらを見ているため、店を出ることを説得して落ち着いて話せる場所を探した。結局、桃花が落ち着くまで公園で彼女の思いを聞いたのだった。

 桃花が目を真っ赤に腫らした頃、絡まっていた心の糸と感情がほどけたようで冷静になれたらしい。すっきりとした表情で、今までにない晴れやかな笑顔になった。

「偶然アプリで知り合った私に、わざわざ時間作ってくれてありがとうございました」

「何もしてないけど、落ち着いたなら良かったよ」

 桃花は深々とお辞儀をした後、訳知り顔で微笑んだ。

「藤島さんも、素敵な人を見つけられたのですよね。応援しています」

「え」

 虚を突かれて言葉を失うと、桃花はくすくすと笑った。

「だって、この前の月曜日からチャットの勢いが全然違うから。嫌でも分かってしまいますよ」

「…はは、そっか」

 自分では気付いていなかったが、どうやら態度に出ていたようだ。女性の勘の鋭さには勝てない。

「もし、悩むことがあったら、いつでも言ってくださいね。その代わり、私の話もまた聞いてくださいね?」

 甘え上手な女性の表情で、上目遣いに見上げられる。これを見せられたら、意中の相手だけでなくどんな人でもイチコロになってしまうのではないだろうか。今、自分は愛生に溺れているから効果を示さなかっただけで。

「あ、連絡先だけ交換していいですか?」

 平然と言う桃花に舌を巻きながら、連絡先を教える。マッチングアプリとは、不思議な縁を呼び込むアイテムなのではないだろうかと的外れな考えが浮かぶ。。

 ちなみに、彼女の名前は桃谷(ももたに) 花音(かおん)というそうだ。連絡先を納めたアプリに、新たにその名が刻まれた。




 穏やかな気候が心地いいと思ったつかの間、気付けば初夏が訪れていた。

 仄かに霞がかった空気は一変し、照りつける陽光が少し痛い。気温も上昇しニュース番組では連日、真夏日と聞くようになった。肌寒さはなくなり、同時に服装も大きく変わった。薄手のカーディガンを羽織ることはなくなり、半袖や丈の短いボトムスを着る人が増えた。例に漏れず、自身も衣替えを行い最近は毎日半袖のスタイルだ。

 愛生と初めて会った日から3週間。あの日から彼女と再び会えたのは一回だけ。仕事の休みが合わず、電話とチャットでの連絡のみ行っている。

 愛生への気持ちは日を追うごとに強くなっていく。恋焦がれるとはどういうものなのか、この歳になって初めて知った。

 愛生は、同じ気持ちだろうか。ふとした時に思うのは、いつもそれだ。

 電話で声を聞くと、喜びと同時に安心感をもたらした。今日も話せたと理由なく安堵するのだ。それを彼女に伝えたら、面日い人だと笑われたのは数日前のことだ。

 季節が変わりゆく間、連絡が途絶えなかったことが嬉しかった。これから先、同じ時間を過ごし、幾度となく巡る季節を共に過ごせたらいいのにと思わずにいられない。

 今日は愛生が夜勤入りした日のため連絡できなかったのは残念だが、帰りを待つ時間も悪くはない。

「すんごい惚気聞かせてくれるねえ」

 呆れ顔で言ったのは、かり上げた髪を金色に染め、つり目の奥に覗く黒い瞳を生き生きと輝かせている目の前の人物。黒シャツにジーンズというシンプルな格好だが、はっきりとした目鼻立ちによく似合っている。片手に持った缶ビールを仰って、カウンターにコンと音を立て置いた。

「照にいには昔散々聞かされたからお(あい)こだろ」

「まあな。それにしても、若いって良いねえ」

 カラカラと笑う彼は、雨見(あまみ) 照輝(てるき)。今年で34歳になる。

 個人で経営するバーのオーナーであり、昔馴染みの男。照輝とは家が隣同士で、幼い時から面倒見の良い彼によく遊んでもらっていた。大人になってからも関係は続き、彼がこの小さな店を任されるようになる前からの付き合いのため、知らない話はお互いにない関係と言える。愚痴に始まり、吉報も含めて何かあればこの店に来て酒を飲みながら話に花を咲かせる。ある種の習慣のようなものだ。

 仕事終わり、夜が更けてからいつもより深くアルコールに浸りたい気分の時に訪れることにしている。今日もそんな気分だから尋ねた。

「それで、いつ告白するわけ?」

 聞かれると痛い質問が飛んできて思わず唸る。実を言うと、悩んでいるのだ。

 いつ、愛生に告白するかを。

「ぐいぐい行けば良いじゃん」

「駄目。向こうにとっては初めての恋人になるから、もっと慎重にいかないと」

 愛生は清い。純粋で、疑うことを知らないような性格だ。インターネットで知り合った相手に、簡単に心を許してほしいとは言えない。彼女が怖い思いをしないように、丁寧に距離を縮めたい。

「別に気にする必要ないと思うけど。相手もいい歳をした大人だし」

「俺の信条は分からないか…」

 大袈裟に溜息をついて見せると、照輝は肩を竦めて苦笑いを浮かべた。

「ま、良い子が見つかって良かったな。去年フラれた時はどうなることかと思ったよ」

「まあ、確かに…」

 苦虫を噛み潰したような顔で頷けば、気を悪くするなと肩を叩かれた。

 照輝が言っているのは、以前付き合っていた女性のことだろう。

 一年前。その女性とは、同棲まで至りあとは両親に挨拶をするという段階まで進んでいた。一緒に過ごす毎日は楽しかったし、このまま結婚するのだろうと思っていた。

 だが、一瞬で未来は崩れ落ちた。

 ある日、仕事へ出た彼女が携帯を家に置き忘れていた。気付いてからすぐ、届けようと携帯を手に取ったその時。

 知らない名前からの通知が、表示された。

 明らかに男の名前。

 画面には、その人物からのメッセージもはっきりと表示していた。

『また今夜会おうね。愛しているよ』

 今夜は仕事が遅くなると彼女は言っていた。大きなプロジェクトが急遽入ったから、残業を皆でするのだと。帰りが遅い日はお互いによくあるため、疑ってなどいなかった。

 だが、それが、違う男に会うための嘘だったとは、思わなかった。

 彼女が帰ってきてすぐ、言った。

 今まで一度として笑顔を絶やさなかった彼女が、ぴくりとも笑わなくなった。

『あんたとはつまらない恋愛ごっこしかできないからよ。ばれてせいせいしたわ』

 何故かこちらが酷い言葉を浴びせられる形で関係は終わった。何で、という言葉すら出てこないほど、心が冷えた。

 翌日には、彼女は同棲していた家を出ていった。残ったのは骸になったように感情の凍りついた男だけ。

 もう、誰のことも愛せない。そんな気がした。

「あれからよく立ち直ったよ」

 照輝が微笑む。

 過去は変えられない。別れた時は、自分の存在価値を疑い、いっそ消えた方がよいのではないかとさえ思った。生きながらに死んでいるような気分で、荒んだ心はなかなか癒えず自棄になる日もあった。

 それでも今、こうして生きて、新しい出会いに辿り着いた。

 荒れた日々の中で、変わらず接してくれた人がいたからだ。職場の頼もしい先輩と気遣ってくれる後輩たち、学生時代からの友人、酒を片手にどんな時でも話を聞いてくれる照輝。

 自分を傷つけたのは人間だが、救ってくれたのもまた人間だった。

「お前が前向いて生きられるようになったならそれで十分だ」

 子供の時から、いつも彼の笑顔に救われてきた。

 学校で嫌なことがある度に泣きついて、何とかなるから胸張って生きろと激励してくれた日々。悲観的だった少年は、いつも空を見上げ歩いていく背中を見て育った。

 その過去が、今に繋がっている。

「今度は、ちゃんと幸せになれる。そんな気がする」

 確証のない自信。また痛い目に遭う可能性はある。だが、愛生なら大丈夫だと彼女に会った瞬間に直感した。彼女と一緒ならいつか来る終わりの日まで一緒に歩けると。

「そうか」

 空になった俺のグラスを照輝が取り、背後にある棚からガラス瓶に入った一本のウィスキーを取り出した。

「それ、ここで一番高い…」

 困惑する俺を見て、照輝はウィンクを一つ寄越し、

「新しい恋に一杯奢ってやる」

 慣れた手つきで用意してくれた、氷で割った一杯のウィスキー。

 この一杯があるだけで、生きていて良かったと思える。

 顔を見合わせ、どちらからともなく笑顔になる。

「乾杯」

 缶とグラスが当たり、祝福と感謝の音が狭い店内に響いた。

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