青に生きる 終
12/10(土) 晴れ 体調 良
花音が今月1日に、誕生日を迎えたお祝いに、皆でお酒を飲みに行った。お酒に詳しい藍翔と、殆ど飲んだことがない私、初めて飲む花音の3人。
居酒屋には藍翔と初めて行って以来だったから何だか懐かしかった。あの時とは違うお店。席が少なくて、店員は2人しかいない小さなお店だった。酔っ払って陽気に喋る後ろの席に座っていた人たちの話に店員さんも混ざって一緒に話していたからか、あたたかい雰囲気に包まれていた。
藍翔は、このお店が一番好きらしい。だし巻き卵が美味しいと言っていた。前に行った居酒屋のだし巻き卵も美味しかったけど、今日行った店は格別だった。花音も大喜びで食べていた。
薬があるから相変わらずノンカクテルかジュースしか私は飲めなかったけど、花音と藍翔はぐいぐいお酒を飲んでいた。カシスオレンジで始まった花音がアルコールに目覚めるのに時間はかからなかった。20歳まで我慢して良かったと上機嫌にビールを飲む彼女が面白くて沢山笑った。だんだん酔いが回って笑い上戸な本性を現すと店内を巻き込んで勝負が始まったからびっくりした。店員が出してくれたサイコロを二つ振って、数字が高い人はビール半額、低い人は店内で一番大きいビールジョッキで飲むルール。1位になったのはお店の奥で1人飲んでいた若い男性で、最下位になったのは藍翔だった。ごちそうさまです、と運ばれてきたビールジョッキを掲げた男性に、藍翔はくそぅ、と歯がみして並々と注がれたビールを飲んでいた。
お店を出てから、誕生日祝いに一杯サービスしてくれるからと照輝さんのバーへ行った。照輝さんのお店に行くのは2回目。1回目は藍翔との連絡をやめた頃だから数ヶ月ぶりだった。入り口の手前に座る由梨さんと、二つ席を空けた先に4人組の男性がいて、カウンター越しに片手を上げて歓迎してくれた照輝さん。内装も何もかも、記憶と違わない光景がそこにあった。振り向いた由梨さんが笑顔で迎えてくれたのが嬉しかった。
花音は初めて来るから緊張していたけど、皆のフレンドリーな雰囲気にすぐ打ち解けていた。誕生日だから来たと告げた花音に照輝さんが用意したのは、オレンジジュースに似た色のカクテルだった。ヨーグリートオレンジって名前だった。パッションのある人という意味で花音にぴったりだと思った。私も来年の誕生日に作ってもらえないかお願いしてみようか。
先にお酒を楽しんでいた男性組に、カラオケバトルをしようと言われてバーに備え付けのカラオケ機器で勝負が始まったのは困った。カラオケに行ったことがなかったから。自分がどんな曲なら歌えるのかも知らなかったから選曲に悩み、歌い方に悩み、緊張しきりの上擦った自分の声に羞恥心で顔をあげられなくなったりして大変だった。自分だけお酒を飲んでいなかったから尚のこと恥ずかしかった。でも、誰も悪い顔はしていなくてむしろ楽しんでいた。
カラオケバトルが白熱する横で、由梨さんにあれからどうなったのかと聞かれた。包み隠さず話した。自分の体調が悪いせいで苦しめたこと、藍翔に理解を求めるのに自分は寄り添おうとしていなかったことや、他力本願で生きていること。それから、家出をして両親とは絶縁したことも。早まったな、とか考えなしだ、と怒られるかと少し怖かったけど由梨さんはそっか、頑張ったねと笑ってくれた。
何も咎められなかったから、本音を言ってしまった。自分で自分のことを決められなくて、もういい歳なのに周りに助けられてばかりで情けない自分が嫌だと。ひとり暮らしをする力さえなくて、花音の家に住まわせてもらっているなんてまるで子どもだ。
由梨さんはそれで別にいいじゃないかと言った。トイレに行った時、ハンカチを忘れたから借りるのと同じだって。自分ひとりで何とか出来ない時に誰かに頼るのは誰にでもあることで、だからこそ公共の福祉サービスが日本にはある。迷惑をかけた分は、後からその人に精一杯返す。そうやって人は肩を貸しながら生きてきたんだって励ましてくれた。由梨さん自身も、沢山助けられたそうだ。離婚を経験したときに自暴自棄になって、仲の良い友達や照輝さんの店に逃げて出来るだけひとりになるのを避けた。私のように、友達の家に暫く居候したこともあったそうだ。一緒に何かを楽しめるわけもなく、ただ愚痴と涙をこぼすしか出来ない自分をそれでも付き合ってくれたって。今はその人たちに少しでも恩返しするために生きていると微笑んだ由梨さんがかっこよかった。藍翔と似ていると言うと、だから照輝の面倒見が良かったのねと苦笑いしていた。
私も、由梨さんのようになれたら良いと思った。迷惑をかけた皆には、これから何か出来ることを探してお礼をしていきたい。……書くのは簡単だけど、そんな自信はない。お父さんとお母さんに捨てられた私に、何の価値があると未だに思ってしまうような私だ。この身体に、命に、今更何が出来るというのか。
でも、少しだけ思うのだ。もう一度頑張ってみようかなって。
花音が私を引き留めてくれたあの日。藍翔が私の病気を治すと言ってくれたあの日。由梨さんの話を聞いたこの夜。
何度も、何度も。挫けてもう立てないと思っていた私を、皆が手を引っ張って立ち上がらせてくれた。転けてもまた立てばいいと笑いかけてくれる皆と、一緒に生きていたい。そう思う。
日記を書くという習慣も何度失敗したか分からない。書くのは10日ぶりで、1週間連続で書いたためしがない。そのぐらい自分は何か新しいことに挑戦する勇気を持っていないし気力もない。だけど、それでも頑張りたい。空っぽで、この手には何も残っていないような無価値でも、誰かにお返ししたい。大切な人に笑ってほしい。彼らが泣いている時に、声をかけて黙って寄り添うだけでもいいから力になりたい。
そういえば、帰り際に照輝さんが私の頭をぐしゃぐしゃ撫でてくれた。自分が幸せになるための道をやっと歩き始めたなって。照輝さんと顔を合わせたのはたった3回なのに、すべてを肯定してくれた気がして嬉しかった。
2度も私の命を繋ぎ止めた花音。厳しい言葉も多いけど真っ直ぐに私を見てくれる照輝さん。静かに私の思いを受け止めてくれる由梨さん。人と生きる道を、一番近くで教えてくれた藍翔。
お父さんとお母さんに言われたことみたいに、嫌な言葉を投げかけられるのが怖くて人を信じることが出来なくなった私を、皆が変えてくれた。ひとりで閉じこもって我慢する生き方じゃない。傷つくことも多いけどそれでも手を繋いで生きていく。相手の心と自分の心に折り合いを付けながら生きるのは難しいけど、諦めたくない。
お母さんから絶縁するってお手紙が来て、本当は愛してほしかった2人に捨てられたことがショックだった。花音が私の体調が落ち着くまではうちに泊まってと気遣ってくれたのに、1日寝込む日が何日も続いた。でも、私をおうちに置いてくれた花音と彼女の両親の優しさに触れて、世界は、両親のいるあの冷たいおうちだけじゃないのだと思った。あの家の外には、何も出来ない私のことさえ温かく受け入れてくれる人がいる。毎日、おはようとおやすみだけは欠かさず連絡を入れてくれる藍翔みたいに、綿で包まれたようなむずがゆい優しさがある。あの家を出なければ、きっと気付けなかった。
頑張って、生きていきたい。
鉛のように重たい身体が、花音と過ごす中で少しずつ和らいで外出も出来るようになったのと同じ。少しずつ、時間をかけて変わりたい。出来ると信じるしかないけど信じたい。信じてみよう。
ずっと焦がれた「自由」が呆気なく手に入った9月末の夜明けの空、藍色の空を見て、同じ名前を持つ彼のように生きられたらと出会った頃に何度も思った。でも、自由はとても難しいことだと知った。告白された日に見た海は、希望に満ちていて。どこまでも続くネモフィラと空は優しかったはずなのに、朝起きて目に入る空が青いことを知ると形容しがたい憂鬱に胸が支配されて、天気予報を見ることさえ嫌になった。私が憧れていた青色は、自由は、優しいだけではなかった。
だけど、それでも、私にとって青色は憧れに変わりないと思う。
今、書いていたら花音に日記を読まれた。青色が憧れなんだ、幸福の青い鳥って言うよねって笑っていた。
幸福。
ずっと解けなかったパズルの答えを見つけた気がした。
青色のように「自由」に生きていたいと願っていたのではなく。青色が表す「幸せ」を感じながら生きていたいと願っていたのかもしれない。そう思った。
私は、幸福になりたかったのかな。
これから先のことは、まだ何も決まっていない。殴られた痕はなくなったから、これで不動産にも行けるしひとり暮らしの準備を考えないといけない。仕事のことも。皆に相談しながら、幸せになる道を考えていきたい。
追記
久々に藍翔に会ったけど、やっぱり好きだなって思った。酔っていつもよりテンションが高くて何だか面白かった。あと歌が上手。今度、皆でカラオケに行ってみたい。今日みたいに盛り上がりそう。その時は私も上手く歌えるといいな。
追記
書くと、やっぱり長くなる。今も1時間ぐらい書いていた。多分、また10日ぐらい書かないと思うけどそれでも良いかな。これが私なんだって前向きに思っておこう。
最後までお読みいただきありがとうございました。こちらは、初めて書き上げた長編小説の再投稿となります。
推敲が必要にもかかわらずどうしても踏み切れないまま公募に2回送り、無事に帰ってきた作品です。形にならなくとも、静かに眠っているのはもったいないと考え再投稿しました。
この作品が、ほのかな温もりになればと願っています。




