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青に生きる 1

 肌寒さが緩んだ夜をバイクで疾走する。安全運転には変わりないが少しだけ急ぐ。いつも引っかかる赤信号が妙に長く感じられた。自宅の賃貸マンションが見えると逸る鼓動をそのままに駐輪場へ入りバイクを止めた。駆け足でエレベーターに乗り込むと手洗いとうがいだけきっちり済ませてソファへ向かう。片手には携帯を持った。

 携帯を操作して、ひとつのアプリをダウンロードする。30秒に満たない待ち時間を永遠のように感じた後、インストールが完了しアプリを開く。耳元でどくどくと鼓動が聞こえるが無視した。

 アプリが開かれると白い背景に「恋ラブ」とピンク色で書かれたポップな文字が表示された。案内に沿って必要な手続きを終えると、連絡を取りたい人を見つけましょうと表示される。説明に沿ってプロフィールと写真を中心に表示された女性へ「イイネ」を送ってみる。相手から許可が下りればメッセージや通話が可能になるらしい。

 15分ほど相手からの反応を待ってみた。しかし反応はなく「足跡」という数字が増える一方で何の進展もなかった。

「・・・・・・そう簡単に進まないか」

 誰に聞かれる訳でもないのに小さな声で呟く。ソファに携帯を投げて、夕飯の準備を始めようと立ち上がった。

 マッチングアプリ「恋ラブ」。昨今、恋愛における新しい出会いとして話題となっているアプリだった。同級生はこのアプリを使って出会った女性と結婚したようで、以前から少しだけ気になっていた。意を決して登録したのは自分のくだらない焦りが原因だ。

 藤島藍翔、28歳、美容師、恋人なし。

 己の肩書きが空しいのは分かっている。問題は、自分が恋愛体質であること。3年前に付き合っていた女性と別れた際に二度と恋愛しないと誓ったのだが最近再び恋がしたいと思い始めていた。痛い目に遭っても恋がしたいなど自分でも呆れる。しかし、失恋から立ち直る際に面倒を見てくれたベテランの先輩から若者は青春すべきだと背中を押されたからという理由もある。言い訳を並べながら情けなさに自嘲したのが正午過ぎのこと。

 アルコールで喉と身体の疲れを癒やしながら、ふとあのアプリはどうなっただろうかと思い出す。恋ラブに登録しておよそ3時間が経っていた。片手にハイボールで満たされたグラスを持ち寝室に入りアプリを開いた。

 最初に目に飛び込んできたのは「イイネされました!」という言葉と31人から「イイネ」をされたというお知らせだった。

 次は自分が好みだと思う相手に「イイネ」を返すようだ。互いに「イイネ」を送りあっている状態になると、マッチング成功となりチャットで会話ができるシステムだった。話が合いそうな人にイイネを返した後に、マッチングした中で会話が続いたのは2人。ひとりは明日は朝が早いからと早々に連絡を終え、ひとりは明日は夕方からの仕事だからまだ時間があるとのことで深夜二時過ぎまで話した。初日にしてはよく会話できた方ではないだろうか。

 知らぬ間に全身が強張っていたことに気付く。お互いに敬語を使っていたせいか。ほっと息を吐き出し、グラスに残った一口のハイボールを呷った。



 アプリを始めて一週間が経った。

 一人は、初日からやり取りしている年下の女性。アキと名乗る彼女はセミロングの黒髪、笑顔になると目が細くなるのが特徴だった。社会人2年目で医療職をしているため生活リズムは不規則、控えめな性格でインドア派のようだ。会話する時に敬語を辞めていいと何度伝えてもなかなか辞めない。

 二人目は、桃花という同じく年下の女性。彼女がプロフィールに載せている写真には、青空がよく似合う人好きするだろう笑顔の女性が写っていた。アクティブで誰とでも仲良くなれる明るい性格が見てとれる一枚だった。アキとは反対に、砕けた口調で話すのが印象的だった。

 三人目は、一歳年上のユリと名乗る女性。彼女はどちらかといえばアウトドア派だが、屋内で過ごすのも苦ではないタイプだという。何の仕事かは聞かなかったが、とにかく勉強熱心という印象だった。彼女が同じ職場にいたら憧れを抱いていただろう。

 何度か、複数の異性と同時に連絡を取って良いものかと悩んだのだが連絡をとっているユリには一蹴された。女性側も同時に4,5人は連絡をとっているものだと。恋に貪欲な人は更にその上を行くということまで教えてもらった。罪悪感や後ろめたさ、相手に悪いのではと申し訳なさを抱えている自分には衝撃的だったが、控えめなアキでさえ自分以外に3人と話しているらしいので気にしないことにした。

 家事も一段落したところで一人ずつ返信を送ろうとチャットを開く。入力しようと画面をタップするが、アキのアイコンに触れてしまったらしい。画面が切り替わり、彼女のプロフィールと写真が表示される。すぐにページを戻ろうとして、あることに気付く。

 本人が公開している写真の下部には、公開している枚数分丸が横並びに表示される。以前は四つだったそれが、今は五つの丸が並んでいた。写真を追加したのだろう。どんな写真か気になり画面を撫でると、彼女の後ろ姿が写っていた。綺麗な室内で少し俯きがちになっており、肩の長さまである毛先を綺麗に外に跳ねさせたヘアスタイルになった女性。最近美容室に行ったのだろう。他の写真では伸ばしっぱなしにしていただろう重たい黒髪が、新しい写真では軽めのボブヘアになっていた。正面から見てもよく似合っているだろう。いち美容師としてヘアカットを楽しむ人は好きだった。アキへの好感が少し上がる。彼女が今後、髪を整えることを楽しめるようになっていればいいと思った。

 暫くその写真を眺めていると既視感を覚えた。何故か見覚えがある。白い床、高層階からの外の景色、大きな窓。

 自分が努める美容室の内装に、よく似ていた。

 ひとつの可能性が脳に浮かぶ。

 アキが、自分のいる美容室に来たというのか。同県内に住んでいると言っていたがそんな偶然あるだろうか。否、似たような内装の美容室は幾らでもある。まさかと首を振って、しかし可能性を否定しきれなかった。自分の中で生まれた期待が冷静な思考を打ち消していく。

 アキとの距離が近づいた気がした。もしかしたら手の届く距離に彼女がいるのかもしれない。そんなことを思った。

 アキには、このことは伏せておくことにした。その夜は皆と当たり障りのない会話をチャットで繰り広げた後、早めに就寝し翌日普段より少し早く出勤した。仕事の準備を素早く済ませ、客について記入しているカルテを開く。アキのカルテがあるかを探すのだ。

 1週間前にはなかったアキの5枚目の写真。だとすれば1週間以内に来ているはずの「アキ」という名前の人物を膨大なカルテの中から探す。一枚ずつページを捲って探した。

 五分ほど探していると、ある名前が目についた。

木山(きやま) 愛生(あき)」。

 アプリで名乗っている名前と同じ読み方の「あき」。アキが偽名を使っている可能性も考えず、その名前が頭から離れなくなる。カルテに書かれた内容を読もうと目を動かすと、見慣れた文字が書かれている。

「三月五日 初回 ボブヘア 初めて短くする 人見知り 変わった名前の読み方を気にしている」

 その文字は確かに、自分の書いた字だった。自分しか読めない崩れた走り書きの文字。間違いなく、自分が愛生という人物のカルテを書いていた。つまり、自分が彼女のカットを担当していた。

 記憶を手繰り寄せる。どんな人物だったか。「愛生」という名前についての話。人見知りだとメモした理由、アプリに載せられていた写真。

「あ」

 来店時、伸ばしっぱなしにしている重たい黒髪、奥二重の両目、話す時は目を合わせるがすぐに逸らされること、美容室に不慣れだと気まずそうに話し、ぎこちなく雑誌に目を通していた。会話は少なく、カルテに書いたことだけをぽつりぽつりと溢していた。終了を告げると、頬を赤らめて目を輝かせ感嘆し、目を細くして笑顔を浮かべ何度もお礼を告げていた。記念に撮りましょうかと尋ねると、おずおずと携帯を差し出し撮った写真を見て喜びを隠そうともせず微笑んだ。

『本当に、ありがとうございます。またお願いしていいですか』

 彼女の笑顔に、じわりと胸が熱くなった。どの客にも笑顔をもらうが初めて施術した相手に喜んでもらえると格別に嬉しい。初心を思い出させてくれるため初めて利用してくれる客との関わりは特に大事にしていた。

 大事な客の一人が「アキ」だったと知り胸が高鳴る。

 ちょっとした運命のようなものを感じた。元々夢見がちな性格ではあるため浮かれやすいのだが特に気持ちが高ぶった。アキもきっと偶然の出来事に驚くだろう。その反応が早く見たいと思った。

 アプリを開き、早速送ってみようかとチャット欄に入力するが止めた。気分が落ち着いたときに聞くことにしよう。もし人違いだったとしたら、彼女を困らせてしまう。

 カルテを片付け店の準備に取り掛かる。同時にスタッフ用の出入り口から先輩と同期たちが入ってきて眠たそうに挨拶された。

「今日早いね。感心感心」

「早く目が覚めたんで」

 できるだけ平静を装って挨拶を返す。軽い足取りで仕事の準備に取り掛かった。



 気付けば日が沈み、辺りは街灯がなければ何も見えない暗さになっていた。2月中頃から随分と日が長くなったと思っていたが、仕事をしているとあっという間に夜が来たように感じる。時間が過ぎるのは一瞬だ。

 バイクに跨がり帰路につく。夜の町を走る時間をいつもなら楽しむところだが、今日だけはまだ家に着かないのかといやに家が遠く感じた。

 自宅へ到着すると、真っ先にアプリを開く。アキに連絡を入れるためだ。アキがカットしに訪れた美容室は自分の働いている店舗であること、担当したのは自分であること、つまりアプリで知り合う前に偶然知り合っていたこと。

 逸る気持ちを抑えながら、アキへ送る言葉を考える。あくまで、もしかしたらというスタンスで伝える。確信していると知られたら、相手は身分を割られたことを不審に感じるだろう。嫌悪感を与えることは避けたい。

 最初に、写真の店は「Illusory Hair」だったかを聞いた。五分足らずでアキから返事がくる。答えはイエスだった。期待通りの返事に胸が高鳴り、質問を重ねる。実は自分が働いている店であることを伝え、当日カットを担当した人の性別を聞き、またどんな話をしたかを尋ねた。当然ながら、アキは驚いていた。

『藍さんが働かれているなんてびっくりしました』

『俺もびっくりしたよ。見覚えのある内装の写真があったから、もしかしてと思って』

 どうやら、アキが来たことを詮索して特定したとは思われていないようだ。偶然気付いたという体で話が進んでいく。

『あの日は、男の人に切ってもらいました。金髪に近い髪で、髪はパーマかアイロンで巻いてあった人です。話し方が優しくて、切り方やシャンプーは丁寧な感じでした。私が黙っていると、話すのは苦手か、どんな髪型がいいかとか聞いてくれて…性格の話の時に、人見知りだと言いました。自信もって人前に出られるような髪にすると言って、写真の髪型にしてくれました』

 アキの話は、自分の記憶と相違なかった。アキは間違いなく、一昨日自分が担当した客だった。物理的にも、心理的にも距離が近づいた気がして鼓動が早くなった。ただの偶然だが、運命というべきか、神様やキューピッドと言うべき存在が引き合わせてくれたのではないかと期待が高まった。

『もしかしたら、俺が担当したかもしれない。珍しい名前だって話したよね』

 この一言でアキも気付いたらしい。再び驚いたようで、絵文字と共に動揺した文章が送られた。

『どうして知っているのですか?まさか、藍さんが担当してくれた方ですか?』

 アキの言葉に思わず口元が緩み、種明かしをするような気分で肯定した。

『そうなんですね!こんな偶然があるなんて凄いです』

 アキは、どんな顔で文字を打ち込んでいるのだろう。施術している時に見た、大きめの瞳をぱちぱちと瞬かせながら驚いた表情をしているのだろうか。

『びっくりしたよ、同じ名前の別人だと思っていたから』

『驚きました。何だか縁があるみたいですね』

 何でもない一言だ。だが、気分が良くなっている今の状況で縁があると言われると、浮かれてしまう。

 運命の相手とは言わないが、特別な繋がりがあるのではないかと。

『良かったら、今度お茶でもどう?』

 するりと指が動いていた。また会ってみたくなった。カットしながらの会話だったためしっかり見ていなかった彼女の表情や、声や、話す言葉を、見たいと思った。

『じゃあ、来週の月曜日とか』

 アキの提案を快諾し、食べられないものや好みの料理を聞いたり、ランチへ行く店をいくつか紹介して店を決めてもらったりと当日の予定を固めた。百貨店前の広場で正午に集合し、予約した店で食事となった。

 久々に味わう恋の始まりを予感させる会話は楽しく、夜はあっという間に更けてしまった。お互いにおやすみなさいと告げてアプリを閉じたときには、夜中の一時前になっていた。

 明日も仕事だというのに、つい話しすぎてしまった。彼女の仕事にも影響がないと良いが。

 壁にかけてあるカレンダーの来週の月曜日を丸で囲み、時刻とアキの名前を書き込む。早く月曜日になればいいのにと、クリスマスを待ち望む子どものような気分だった。

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