(十三)大火の後で その五・懐柔されてませんよ?
宴が始まり、暫くたった頃になると、凛と藤兵衛はすっかり懐柔されていた。凛は豪華な料理に、藤兵衛は料理に加え上質の酒にほだされ、これに文左衛門の巧みな話術も加わって、四人はすっかり打ち解けていた。
そのころになると、文左衛門は件の噂の真相を語り始める。
「ええ!? じゃあ、あの噂は真っ赤な嘘!?」
「そうなんですよ、凛さん。私たちは江戸では新参の部類に入るのですが、急激に規模が大きくなったせいか、古くからいる商人たちに目をつけられていましてね。それで、今回の材木の値上がりをウチにせいにして、出る杭を叩こうしているのですよ。……調べてもらえればすぐにわかると思いますが、実際彼らの方が材木を高く売っているのですよ」
文左衛門は、みかんジュースを凛の盃に注ぎながら語る。
「あ~、わかるわ~、それ。どこにでもいるわよね、そういう人って。ただ古くからいるっていうだけで、自分らが中心だって勘違いしてるのよね」
凛はほっぺにご飯粒をつけたまま、うんうんとうなずく。
「さすがは凛さん、ベテランの庶民さんだ。綺麗なだけでなく、世の中のことをよ~く知っている。いや~、藤兵衛さんが羨ましい」
「やだ~、褒めすぎよ、文ちゃん!」
文左衛門のヨイショに、凛は照れ隠しで勢いよく背中をはたく。強烈な一撃に、文左衛門は暫し悶絶する。尚、凛の言う『文ちゃん』とは、凛がつけた紀ノ国屋の愛称である。
一方、藤兵衛の方は、才助の見識の高さに感心していた。
「……そうですね。真似ゑもんを描いた晴信も、それと北斎も絵師としての力は十分です。しかし、まだまだ絵だけで食べていける程、この国の文化は育っていません。だからこそ、資金に余裕のある者が育てていかねばならないのです。それこそ活きた金の使い方というもの。……実は晴信には紀ノ国屋も援助しているのです。もし機会があれば、藤兵衛さんも一度工房をご覧になられますか?」
「ええ! そ、それは、ぜひに!!」
予想外の話に藤兵衛が喜んでいると、ちょいちょいと凛が肩を指でつついてきた。振り向くと、凛は藤兵衛に近づいて耳元で囁く。
「ねえ、文左衛門さんって、めちゃくちゃ良い人じゃない!?」
「まったく、同感ですな」
凛の一言に、藤兵衛は大いに同意をする。彼らは、ここに来た目的をすっかり忘れていた。
宴もたけなわに近づくと、文左衛門がそれとなくこんな話を切り出した。
「実は、聞いてもらいたい話があるんですが、良いですか?」
「な~に? いいわよ、何でも言ってよ。私と文ちゃんの仲じゃない!」
すっかりほだされた凛は、何でもこいや状態になっている。
「先程、古くからいる商人に睨まれていると話しましたが、実はそれ以外にも悩みの種があるのですよ。三日ほど前に、こんな紙が屋敷の門に貼られましてね」
文左衛門は懐から紙を取り出すと、凛と藤兵衛に見せる。紙にはこう書かれていた。
『お前の噂は聞いている。少し、調子に乗り過ぎではないですか? 月が満ちる夜、お前を懲らしめにちょっとお金を頂きに伺います。
ぞう小僧より かしこ』
「……何、この微妙な言い回しは? それに、ぞう小僧ってだれ? もしかして、鼠小僧の真似をしているの?」
鼠小僧とは金持ちの家から盗みを働き、それを貧しい人々に配っていたという自称・義賊の泥棒で、大衆に人気があった。凛はそれを真似している輩なのか? と考えた。
「ぞう小僧? 象なのに小僧? それとも小象?」
一方の藤兵衛は、酒が入っているせいか意味不明なことを呟いていた。
「どうやらその『ぞう小僧』というのは、押し込み強盗を行う輩のようで、たいそう腕っぷしが強いという噂なのです。それで警備を強化したのですが、いかんせん不安が拭えないのです」
なるほど、それであんなに大勢の見張りがいたのかと、藤兵衛は腑に落ちた。一方、凛は強気であった。
「文面を見るからに義賊を気取っているようだけど、どうせお金が欲しいってだけでしょ。噂だけで押し込みに来るだなんて、視野が狭い奴なのよ、きっと」
(……あなたも噂だけで突っ走ってましたよね?)
凛の台詞を聞いた藤兵衛は、心の中でツッコみを入れる。
「なるほど。それで、こいつをあたしらで何とか出来ないかってことね? そういうことなら任せなさい。こういうのは得意分野だから。……ね? 藤兵衛さん」
「まあ、今日もその予定だったし…… 御馳走もしてもらったし、ま、一肌脱ぐか」
藤兵衛も、文左衛門の味方をするのはやぶさかではなかった。二人の快諾を得た文左衛門は、大いに喜ぶ。
「おお、さすがはここまで簡単に忍び込んだお二人だ。実に頼もしい! ……当然、ただでとは言いません。お礼に凛さん達が必要としている材木は、優先して回させて頂きますよ」
思いがけない言葉に、凛は俄然やる気を出す。
「まっかせといて! 私たちにかかれば、楽勝よ!」
胸をドンと叩き、力強く宣言するのであった。
ということで月が満ちる夜、つまり満月の夜にまた来ることを約束すると、凛と藤兵衛は紀ノ国屋邸を後にした。その際『前金』ということで、豪華な折詰や反物などの様々な土産物を頂き、二人は非常にご満悦な気分で帰路についたのであった。
◇
「……あんたたち、すっかり相手に懐柔されてるじゃないか」
「いいな~。そんな良い目にあうのなら、私も同行したかったな」
お梅婆さんは呆れた顔をし、たまたま同席していたひさ子は羨ましさと悔しさが入り混じったような表情をする。
「いやいやいや、懐柔されただなんて、そんな、人聞きの悪い。文左衛門さんって、とっても良い人なんですよ。ねえ、藤兵衛さん?」
「ええ。全くもって、その通りです!」
凛は前日とは全く違うことを言い、隣の藤兵衛も追随する。お梅婆さんは尚も呆れた表情だったが、煙管から口を放すと、紫煙を燻らせる。
「ま、あいつの人柄は知っていたから、おかしな噂だとは思っていたけどね。あいつも足を引っ張られる噂を流されるほど、偉くなったってことさね」
どこか懐かしそうな表情をすると、凛と藤兵衛を見る。
「……で、次の満月には行くのかい? その、ぞう小僧とかいうやつを叩きのめしに、さ」
「はい。約束しましたし、前金ももらっちゃいましたし」
「それを、懐柔されたっていうんだけどね」
ひさ子がぼそっと呟いたが、凛は聞こえない振りをした。
「それで、お聞きしたかったのは、その『ぞう小僧』についてです。もし情報を持ってましたら、教えてほしいなと思いまして」
藤兵衛なら問題ないとは思っているが、敵について何も知らないというのはまずかろうと凛は考えていた。問われたお梅婆さんとひさ子は、二人揃って考える仕草をする。
「ぞう小僧、ねぇ…… 私は聞いたことがないね。ひさ子、あんたは?」
「う~ん…… ぞう小僧かどうかはわかりませんが、体が大きすぎて忍び込みが出来ないから、開き直って押し込み強盗になった、っていう男の噂は聞いたことがありますわね」
「……すごい、開き直りですね」
「凛の言う通りさね。……ま、いずれにしても大した輩じゃないだろ。材木を優先的に回してもらえるってのは、こちらとしても有難いからね。ちゃちゃっと片付けておくれよ、二人とも」
大した情報は得られなかったが、お梅婆さんに発破をかけられた二人は、改めて気合を入れるのであった。
つづく




