(十)新商品を売ろう その二・悪戦苦闘
■この部分からの登場人物
ひさ子:ミステリアスな女泥棒。藤兵衛とは昔からの知り合い。
おじさんが起きたところで、せりが藤兵衛たちを紹介する。
「こちらは凛ちゃんで、いろはの同僚なの。で、こちらの男性は、凛ちゃんの知り合いの藤兵衛さん。この人が、おじさんの新商品を売ってくれるって」
「おう、あんたか、悪いねぇ。俺は玉次って言うんだ、今回はよろしく頼まぁ。……こんな体じゃなかったら、俺が売りに行くんだが…… あがっ!」
ぎっくり腰が痛むのか、玉次は時々つらそうな声をだす。
「いいえ、こっちも売上の幾分かは頂くので、お互い様ですよ。で、新商品っていうのは?」
藤兵衛が返すと、玉次はせりを見た。
「はいはい、私が持ってきますね」
勝手知ったる我が家といった感じで、せりは部屋の隅から小さな箱を持ってくる。
「何これ?」
凛が尋ねると、せりは黙って箱の蓋を開ける。二人が覗き込むと、中には無色透明の液体が入っていた。
「「……水?」」
二人とも、この液体が何なのか皆目見当がつかなかった。すると、玉次が説明する。
「こいつは俺の一世一代の新商品、名付けて『洗い汁』よ!」
「え? あ、あら汁?」
「そいつは浜の料理だ、茶髪の嬢ちゃん。こいつは洗い汁と言って、その名の通り、洗い物の時に使うのさ」
凛のボケにも丁寧に返すと、玉次はふと尋ねてくる。
「時に嬢ちゃん。食器を洗う時は、何か使ってるかい?」
急な質問だったが、凛は考えを巡らせる。
「え~と、大体は灰汁を使ってるかな」
「油を使った後は?」
「それも同じかな。でも、なかなか取れないんですよね~」
「それよ! そんな時にこの洗い汁を使えば、どんなしつこい油汚れもササッとよ」
玉次はどこかのコマーシャルのような言い方をする。
「実はこれは葦っていう植物から取り出した液体に、一工夫加えたものなのさ。これを使えば食器だけじゃねえ。洗濯や、風呂で体を洗うのにだって使えるんだぜ。まさにこれは、今までの常識を覆す新商品って訳だ」
「それは凄い」
「へ~、凄いですね」
藤兵衛と凛が素直に感心すると、せりは嬉しそうな表情を見せる。
「だから、あとは売り方次第って訳だが…… 頼むぜ、兄さんよ」
「藤兵衛さん、すみませんがお願いします」
玉次とせりに改めて頼まれ、
「お任せください」
と藤兵衛は答えるのだが、まさか試練が待ち受けていようとは、この時は気付いていなかった。
◇
翌日、玉次から預かった一樽分の液体を小さな箱に小分けし、それを天秤棒の荷台に乗せて意気揚々と出かけていった。そして、いろはの仕事が終わった凛が裏長屋で帰りを待っていると、夕方頃、ひさ子と一緒に戻ってきた。
「た…… ただいま……」
藤兵衛が死人のような生気のない顔をしているので、凛は驚いてひさ子を見る。
「さあ? さっきそこで会ったんだけど、最初からこうだったわよ」
彼女も訳がわからない、という風に首をふった。
「ど、どうしたの? 藤兵衛さん? ……ところで、売れた?」
「う“!」
藤兵衛は、何かが心に突き刺さったような顔をし、やがて気まずそうな表情に変わった。
「い…… 一個も、売れなかった……」
「え? 一個も!? ホントに?」
凛が聞き返すと、藤兵衛はカクンとうなずく。
「な~に、藤。あなた、一日あったのに一個も売れなかったの? よくそれで、おめおめと帰ってこれたわね!」
「……ここ、俺の家なのに……」
ひさ子が面白がって悪ノリすると、藤兵衛は真に受けてシュンとなる。
「こらこら、イジメないの! ……う~ん、状況がよくわからないから、明日は私も一緒についてくわ。さ、まずはご飯にしましょ」
そう切り替えて、三人で食卓を囲むことにした。夕飯の場で、ひさ子も面白そうだからついて行くと言い出し、明日は三人で行商に出ることになった。
◇
翌日。藤兵衛、凛、ひさ子の三名は両国橋に近い大通りにいた。ここは人通りも多く、行商には最適な場所である。そのせいか、既に多くの棒手振りが売り歩いていた。
「さて、と。じゃあ、まずは昨日の状況を聞きますか。藤兵衛さん、どんな感じだったの?」
「昨日は……」
藤兵衛は、とつとつとあらましを語り始めた。
~昨日のあらまし・始~
「え~、洗い汁~、洗い汁でござい~」
天秤棒を担ぎ、商品名を掛け声にして歩いていましたが、誰一人見向きもしてくれませんでした。そのうち疲れたので、荷を下ろして立ち止まっていたら、
「おら、どいたどいた。なんだ、訳のわからんもん担いで」
荷物運びの人に邪魔だと言われ、慌ててどきました。すると、その後すぐに、
「邪魔だよ、兄ちゃん。そこは俺の場所だ、どいてくんな」
と、他の行商の方に文句を言われたので、別の場所へ移動しました。
ですが、行くところ行くところで、縄張りにしている行商人たちに追いやられ、どんどん隅の方に押し込まれました。最後は、ほとんど人が通らない場所にまで追いやられ、なんだか悲しくなったので地面に小箱を並べて座りました。
ふと空を見上げると、とてもきれいな青空で、鳶がくるくると回っていたよ……
~昨日のあらまし・終~
「あらら」
凛は額に手をやった。一方のひさ子は、
「お前はマッチ売りの少女か!」
と、よくわからないツッコミを入れた。
昨日を思い出したのか、遠い目をしている藤兵衛に向かって凛はびしっと言う。
「あのね、藤兵衛さん…… いい? 棒手振りってのは、アピールが大事なのよ、アピールが! ……ほら、例えば向こうの繁盛してる同業者を見てみなさいよ」
凛が指し示す先では、
『さあさあ皆の衆、とくとご覧あれ!』
『これを塗れば、キズも、かかあの機嫌も、あっという間に治るってもんよ!』
威勢があり、かつ調子の良い掛け声で人々の注目を集めている棒手振りがいた。
「おお……」
感心している藤兵衛に、続けてひさ子がアドバイスする。
「そうよ、藤。あとはね、天秤棒はただ担ぐだけじゃダメなのよ。腰が大事なのよ、腰が!」
「こ、腰?」
「ええ。ほら、見なさい! あそこの棒手振りは、荷が全く揺れてないでしょう!?」
ひさ子が指し示す先には、水売りの棒手振りがいた。水売りは言われるように腰の使い方が絶妙で、水が入っているはずなのに、一切水をこぼしていなかった。
「……なるほど、声と腰、か。……よし、やってやるぜ!」
「頑張って! 藤兵衛さん!」
「とにかく腰よ、腰。わかった!?」
やる気を出した藤兵衛の背に二人は声援を送るのだが、果たして結果は如何に?
◇
「あ、洗い汁で、ござ、ござ、ございますう~~」
藤兵衛はおかしな調子の掛け声を入れ、おまけに腰をカクカクと前後に振って、荷が揺れないように歩く。その姿ははっきり言って、近寄りたくない種類の人間だった。案の定、藤兵衛が近づくと、蜘蛛の子を散らすように人が遠ざかっていく。
その様子を見た凛は大いにずっこけ、ひさ子は大笑いする。藤兵衛は必死の表情で半刻(一時間)ほど粘ったが、一個も売れなかったのであった。
つづく




