(九)麗しの女道場主 その五・急遽門弟となる
若旦那との勝負の一件は、その場の流れで藤兵衛が臨時の門弟となって試合に臨む形に落ち着いた。藤兵衛には異存はなく、
「今回はしょうがないです。私だって、若旦那のやり方が気に入らないしね」
と、凛も承諾をした。かくして、藤兵衛は十日後の試合に備え、特訓をすることになった。
翌日から、早速特訓が開始された。藤兵衛だけでなく、凛も一緒に道場に通い、今もこうして二人のやり取りを眺めている。
「持ち手はこう、ですね」
「こう、ですか?」
「はい、その通りです」
太刀音は藤兵衛の手に触れながら指導するのだが、その様子を見た凛はもやもやする気持ちを抱えていた。
(ちょっと、くっつき過ぎじゃないの? 口で言えばわかるじゃない)
藤兵衛も藤兵衛で、嬉しそうな顔をしているのが気に食わなかった。
(ふん。なにさ、あんなに鼻の下のばして)
やきもきするが、承諾した手前、表立って注意することはしなかった。
「なるほど。この持ち手なら、どちら側から攻撃が来ても、最小限の動きで対処できるのか」
「ええ、その通りです。……藤兵衛殿は筋が良いですね。どこかで剣術を習っていらしたのですか?」
「小さい頃に少し習ったぐらいで、ほとんど我流ですよ。それに当主殿、今の私は弟子なのですから、藤兵衛、と呼び捨てで結構です」
そう言って、藤兵衛はきりっとした表情をする。太刀音は単純に藤兵衛の腕前を褒めているだけだが、藤兵衛の方には明らかに下心が見えた。それでも端から見ると仲の良い男女に見えるので、そのことが凛のイライラをよけい助長させた。
(な~にが、呼び捨てで結構、よ。初めて会った時は、ぼこぼこにされてたくせに)
凛は、心の中でぶちぶちと言う。一方、隣に座っていた平太は、藤兵衛の動きに感心していた。
「は~、凄いや…… あの、凛さん」
「ん? なに、平太さん?」
「藤兵衛さんって、何者ですか? 太刀姉、八分の力を出してますけど、それでも余裕でついてきてる…… 兄上以外で、初めて見ました」
褒められると、凛もなんだか嬉しくなった。
「でしょう? そりゃ~、藤兵衛さんは、天下のはっ……」
『白光鬼』ですから、と続けそうになり、慌てて別の言葉に切り替えた。
「(や、やばい!)は、八幡宮でご神託を受けて、強くなったらしいわ」
「え?」
なんとか誤魔化そうと、凛は別の話題をふる。
「あ、え~と…… そ、そういえば、太刀音さんって縁談話とか無いの? あれ程の美人だもん、引く手あまたでしょ?」
「う~ん…… 確かに縁談話は多くありました。けど、全部断ってしまいました」
「え! なんで!? 勿体ない!」
凛は、つい本音が漏れ出てしまった。平太は迷う素振りを見せたが、やがて口を開く。
「太刀姉は、この道場の行く末を気にしているんだと思います。ここは初代当主、太刀姉の父上が立ち上げた道場なので、太刀姉にとっては形見みたいなものなのかもしれません。だから、自分のことは二の次で、ここを以前のように盛り立てたいんだと思います。……後は、僕のことも考えているのかも。僕は三男坊で、実家はあまり裕福ではなかったので、小さいうちにここへ預けられました。もし太刀姉が結婚したら、僕一人になってしまうから、それも気にしてるのかも」
「そっか…… 太刀音さんは優しいんだね」
凛は軽い気持ちでこの話題を振ったことを、少し後悔した。
「もっとも、太刀姉もちょっと天然が入っているから、わからないですけどね。小さい頃から剣術一筋だったせいか、他の事にあんまり興味がないみたいで、そもそも色恋沙汰に興味が無いのかもしれません。太刀姉、自分の容姿が綺麗だってことも気付いてないんじゃないかな? 大江戸小町番付だって、剣の腕前の番付だと勘違いしているようだし」
「え、そうなの?」
「ええ。この前ですけど、『西の横綱の、笠森お仙殿ってどれぐらい強いのでしょうね。いつか、手合わせしてみたいものです』って、言ってましたから」
「はぁ……」
凛はなんとも不思議な気分になった。江戸で『東の横綱・太刀音』といえば、その名を知らぬ者はいないほどの美人として有名だ。それなのに、当の本人が気づいてないとは……
「太刀姉もなぁ、早く結婚してしまえばいいのに。だから、あんな若旦那みたいなアホが寄ってくるんだから。道場や、僕のことなんてほっとけばいいのに……」
「平太さん……」
平太は誰よりも太刀音の幸せを願っているのかもしれない、と凛は感じた。
ふと特訓の方を見ると、ひとまず練習に区切りがついたのか、藤兵衛と太刀音は仲良さそうに会話をしていた。藤兵衛も見てくれはそれなりに良い方なので、端から見るとお似合いカップルに見える。
(なんか…… 仲良さそうじゃない(苛))
またもイライラが込み上げてきた凛は、椀を持って二人の間に無理矢理割り込む。
「二人とも、お疲れさま~。 どうぞ、お水です」
「あ、ありがとうございます」
「……ちっ」
藤兵衛が小さく舌打ちしたのが聞こえた凛は、三つ載せていた椀のうち一つを藤兵衛に渡す。
「さ、藤兵衛さん。ぐいっと飲んで」
「おう、悪いな」
凛が勧めるままに勢いよく飲むと、
「うぼぉっ」
と、吐き出し、むせ始めた。
「だ、大丈夫ですか? 藤兵衛さん」
「あら~、練習がきつかったから、胃にもきちゃったのかしら」
凛はとぼけているが、実は一つの椀にだけ大量の塩を入れていたのだ。無論、藤兵衛への戒め用である。
「そ。そうがも、じれない、ですね…… えほっ、ごほっ」
文句を言いたかったが、凛の眼力に気圧された藤兵衛は、曖昧な返事に留めるのであった。
このように特訓の間に仲を深めたい藤兵衛と、そうはさせまいとする凛との静かな攻防は繰り返され、あっという間に十日が過ぎていった。
つづく




