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(一)始まり・その三 越後屋

 江戸郊外の向島に立派な屋敷があった。のどかな風景の中に目立つように建っているその大きな建物には荷車や人の出入りが頻繁にあり、入口の門の上には『越後屋』と看板が掲げられている。


 この建物は江戸を拠点としている『薬種店(くすりだねてん)・越後屋』の倉庫として使われていた。薬種店とは今で言うところの薬局のようなものである。その建物の奥で、一人の男がイラついた声を上げていた。


「逃がしただぁ~? 何やってんだ! 小娘一人捕まえられないのか!」


 男は四十代半ばぐらいに見える。(まげ)はきちんと結っていて着流しの上に黒の羽織を羽織(はお)ってはいるが、ねめつくような眼つきをしていて左頬のところに十字の傷痕(あと)があった。正直、とてもカタギには見えない。


 一方、叱られていた二人組は藤兵衛に瞬殺されたあの荒くれたちであった。

 二人組は怒鳴られても悪びれもせず、どこか不機嫌そうな顔で言い放つ。


「いや、小娘一人だけだったら何とかなったさ。けどよ、途中で変な奴に邪魔されてよ。そいつがべらぼうに腕が立つ奴でよ。あんただってその場にいたらやられてたさ。なぁ?」


 答えた一人がもう一人に相槌を求めると、そのもう一人もうんうんと頷く。


「変な奴だあ? 仲間か?」


「いや、そんな感じじゃなかった。偶然その場に居合わせただけって感じだったな。顔半分を髪で覆ってて浪人みたいな恰好だったぜ」


 そう言うと、二人はその場をそそくさと離れていった。

 傷のある男は、二人の姿が見えなくなった後に腹の中で毒づく。


(ダメならダメで、そいつの情報をちったぁ探ってこいってんだ! ったく、使えねえ奴らだ!)


「くそっ!」


 どうにも腹の虫が収まらず、近くにある箱を蹴り飛ばす。

 だが、蹴った箱は重量物が入っていたようで、逆に自分の足を痛める結果となり暫く悶絶してしまう。


「うぐぁっ! 痛っ~~~~。 ……ついてねぇ、まったくあれ以来ついてねえぜ」


 うめくように言うと、恰幅(かっぷく)のいい男が声をかけてきた。


「なにしてるんですか、(きち)()さん。あまり、うちの商品を乱暴に扱わないでくださいよ」


太右衛門(たえもん)かい…… お前んところには、もうちっとマシな奴は居ねえのかい?」


「あれでもマシな方なのですよ? 吉佐さんのように優秀な同心(どうしん)みたいな人材はそう転がっていないのです」


 吉佐と呼ばれた男、ヤクザのような風貌とは裏腹にその中身はれっきとした町方役人・同心であった。但し、絶えずよろしくない評判がこの男には常に付きまとっており、実際にゆすりや恐喝などは当たり前の庶民の味方とは程遠い人物であった。


 一方、太右衛門と呼ばれた男はここ『越後屋』の主人で、裕福な商人らしい上等な服を着ており、吉佐とは違って小太りの男であった。


「ふん、嫌味かい。……で? そっちはお目当てのものは見つかったのかい?」


 吉佐がねめつくような目で聞き返す。


「い~え、残念ながら。まったくどこに隠したのやら。困ったもんです」


「とても困っているようには見えねえけどな。しかし、どうする? 次の取引まで、もう一月もないんだろ?」


「しょうがないですね。それまでに見つからなかったら暫く取引は延期して、その間に新しいものを作るしかないですね」


「そんなに融通が利くもんなのかい。扱ってる荷が『阿片(あへん)』だっていうから、てっきりもっと厳重にやってるかと思ったぜ」


 阿片とはケシの実から採取される汁を乾燥させたもので、麻薬の一種である。この時代でも麻酔や鎮痛の為の医薬品として使われており、幕府の明らかなご禁制品目とはなっていない。しかし、多用による中毒性は問題視されていたため、販売には幕府の許可が必要となっていた。


 当然許可はそう簡単にもらえるものではないが、高値で取引されるために密売するものが後を絶たず、太右衛門もそういった輩の一人であった。


「そりゃ厳重ですよ。しかし、何事にも不測の事態というものがある訳でして。そういう時にはそれなりの手順を踏めばいいようになってるんですよ」


「そういうもんかい」


 吉佐は密売組織の柔軟性の高さに素直に感心していた。


「しかし、ここでの商売もそろそろ潮時かもしれませんねぇ。随分長い間やってましたし、誰かが目立つような事もしてくれましたからねぇ」


 太右衛門は何か言いたげな目線を寄こす。


「平助の事かい…… それは今更だろう。大体そうするって決めたのは、俺とお前二人で決めた事だろう?」


「別に責めてはいませんよ。あの時はああするしかありませんでしたし」


「けっ。屑野郎がいっちょまえに脅してきたからな。……しかし、娘がいたのは知らんかった。しかも、その娘がよりによって『いろは』で働いてるなんてよ。お陰であん時からツキに見放された気がするぜ」


 この言葉に太右衛門が何か気にかかったようだった。


「その『いろは』ってのは、なにかあるのですか?」


「あぁ、お前は知らなかったな。店そのものじゃなく、あの店を取り仕切っている女主人がやばいのさ」


「女主人?」


「そうさ、うちら同心の間の噂話なんだがな。その女主人…… 主人って言っても婆さんなんだがよ。お偉いさんと繋がりがあるらしいんだよ。お偉いさんって言っても旗本とかそんなもんじゃねえぜ。どうやら幕府のだいぶ上の連中らしいんだよ。でだ、あまり表立って進められねぇ案件とかを人を使って、上手い事処理するって話さ。まあ、うちら町方が表だとすると、裏の役回りみてえなもんだな」


 太右衛門は驚きの声をあげる。


「なんと…… でも、噂なんですよね?」


「まぁな。酒の席でネタになる程度の話さ」


「じゃあ、問題ありません」


 そう言うと太右衛門は手を叩き、白い布に包まれたものを持ってこさせる。それを吉佐に差し出すと、目の前で布を取り払った。


「うん? こ、こりゃ、短筒か!? どっからこんなもんを!?」


「ふふふ…… 蛇の道は蛇って言いましてね。こういう商売をしていると、こういうものも手に入るんですよ。仮にそのヤバイ女主人が寄こした腕利きがやって来たとしても、こいつに掛かればイチコロですよ」


 吉佐は太右衛門に促されて短筒を手に取ると、目の前に(かざ)しごくりと唾を飲み込む。


「そ、そうかもしれねえな……」


「その代わり、その後のことは頼みますよ? 平助のように、ね……」


「あぁ、わかってるよ。ここら近辺の担当は俺だ。あん時のようにごろつきと喧嘩の末に殺された、そんでごろつきはどっかに逃げちまった、みたいに有耶無耶(うやむや)にすりゃあいいんだろ? ……たとえ死体が一つや二つ増えたとしても、よ」


 そう言うと、吉佐は短筒を懐にしまい込んだ。それを見て太右衛門は満足そうに、にいっと笑うのであった。


 つづく

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