脚本1
テコ入れ作業は、脚本変更が滞っているものの、デザインワークは順調に進行し、既にビッグオーシャン着ぐるみの制作に着手していた。週が明けた月曜日、柿崎は撮影所の美術セクションに顔を出し着ぐるみの打ち合わせを行った後、久しぶりに本編班の撮影に立ち会っていた。俳優のパートである本編班は、撮影所内のステージを一つ使用しマリンファイターの基地内部にある指令室と彼らが共同生活を送る居住区域のセットを組み込んでいた。
昨日すっかり上がったと思われた雨が今日は再び強く降っている。気温もぐっと下がっていて、撮影所の風景もいつもより寒々しく感じた。ちょうどお昼時になり、居住区域での日常的なコメディシークエンスを撮り終えたところで昼食の休みに入った。柿崎は喫煙所に向かおうとステージの出口に向かって歩き始めると、この回の担当の加山監督が柿崎の姿を認めて声をかけた。加山監督は50代半ばのベテランだが、洒落者だ。昭和の大監督のようにハンチングを被り、淡いベージュの麻のスーツを纏ってディレクターズチェアに座る姿がサマになっている。「あれ、柿崎さん。今日はもうお帰りで?」
「いや、ちょっと一服してきます。」
「ビッグオーシャン、どうです?上手く進んでいますか?」
「いや、まあ何とか。」
柿崎が曖昧に答えると、加山監督は少し困ったようなお顔をした。メインディレクターとして心配ではあるものの多分にビジネス領域なので口が出せないし、しかも対象となるのは自分の担当回ではない。何か言いたげではあったが、加山もやはり曖昧な微笑みを浮かべた後、脚本に目を戻し午後の演出プランを考え始めた。柿崎はその姿を確認し、スタジオ出口脇の傘立てにあるはずの自分の傘を探す。が、見当たらない。傘立てには沢山の傘があったがプロデューサーが人の傘を使うのも憚られ、しばらく腕組みをしながら空を見上げた後、意を決して外に駆け出した。喫煙所は少し離れた別のステージの脇に布製のテントが立てられておりその中に設置してある。雨脚の強さと喫煙所までの距離が事前の予測を超えており、ずぶ濡れになりながら喫煙所に駆け込んだ。買ったばかりのサマージャケットから雨を振り払っていると「お疲れ様です。」と柿崎に声をかける先客がいた。マリンファイターのリーダーであるシロナガスクジラ役の原田が喫煙所のベンチに座ってマルボロを燻らせていた。番組の衣装を着ているままだが、彼のイメージカラーが黒であるため革のライダースーツを着込んでいるようであり、そのウェーブのかかった長めの髪も相まって妙に格好良く見える。
「いやあ、参ったよ。思ったより遠くて。」
「スタジオには傘がたくさんあったと思いますが。」
「人の傘を使うのは気が引けてね。」
「柿崎さんは真面目だなあ。」と原田は言いながらハンカチを差し出す。
原田は30代半ばで、マリンファイターの中では断トツの最年長だ。他のメンバーが20代前半で中々話が合わないこともあり、柿崎は現場に原田がいると少し安心する。元々はアイドル的なデビューであったが、昭和的な古風な二枚目であることはどうやらマイナスに作用した。つまり流行りの顔ではないようで、割と早い段階で歌と踊りではなく、芝居の方に芸能活動の重心をシフトしていた。そういった風貌なのでハンカチを差し出す姿も妙に様になる。余りに自然な所作に、中年男性のハンカチであるにも関わらず柿崎は素直に礼を言いながら受け取ってしまった。
「おっさんのハンカチなんて洗って返したりはしないぞ。」と柿崎が言うと、原田は少し笑ってマルボロの煙を口の端から細く吐き出した。
ひと通り原田のハンカチを使って雨をぬぐったところで携帯に着信があった。脚本の森田からだ。原田にハンカチを返しながら電話に出る。
「柿崎さん、困ったよ。どうにも上手くいかない。」
柿崎は、スマホを頬と肩に挟みながら電子タバコをセットしようとするが、スマホがどうにもズレてしまう。
「すみません、タバコ吸いたくて。少々お待ちを。」
「はいはい。いくらでもお待ちしますよ。」
森田の声はかすれ気味で随分と聞き取りにくい。恐らく徹夜明けなのだろう、電話越しでもその疲労具合が伝わってくる。ようやく電子タバコのスイッチを入れ、柿崎が電話口に戻る。
「どうしましたか。どんな風にプロの技を見せてくれるのか、楽しみにしているのですが。」
柿崎はあえて軽い調子で戻すが森田は追い詰められているようで軽口には付き合ってくれない。
「前回お話ししたようにストーリーに破綻が無いようにする事はできますよ。これでもプロなんでね。でもねえ…面白くならないんですよ、どうしても。クライアントの無茶に応えながらもしっかりと良いものにするのがプロだ、なんて今更言わないでくださいよ。そんな事は分かった上で言っているのだから。」
このトーンはどうやらシリアスに対応しなければならないようだ。電話の相手の話を聞くうちに表情が変わってきた柿崎を見て、原田が軽く手を上げながら喫煙所のベンチから腰を上げる。原田はテントから外に顔を出し更に雨脚が強くなった鈍色の空を見上げ傘を開きながら柿崎の方に振り返ると、拳でガッツポーズを作ってみせた。苦笑いをしながら柿崎もガッツポーズを返し、原田が座っていたベンチに入れ替わりで腰を下ろす。その間の少し不自然な沈黙に森田が「大丈夫ですか?いま会議中とか?」と気を遣う。
「大丈夫です。いま昼休み中で喫煙所です。」
「では遠慮なく。つまり、これまで丁寧に積み上げてきたドラマも大切にしながらビッグオーシャンを派手に取り扱うのが思いのほか難しいという事です。この間、東阪の立派な応接室で話した時はもう少し何とかなるかと思ったのですが甘かったですね。このテコ入れロボットをそれなりの扱いに出来るなら良いお話しが書けると思うけど、そう言う訳にも行かないでしょうし。」
柿崎は、何の代案も具体的なアイデアも提示しないまま森田に預けっぱなしにしていた事をまず反省した。それを素直に伝えると「そんなことはいいから。何か材料をください。」と森田は柿崎に要請する。柿崎もこの期間、この難題を解決する方策を考え続けてきたが何も浮かばず、手練れの森田の手腕に頼ろうと半ば思いかけていたところだった。
「クリティカルなアイデアでは無いのですが…。例えば、合体すること自体に何かハードルを設定し、それをクリアするには各人がそれぞれ乗り越えるべきものが存在し、そこでドラマを展開するとか。」
柿崎の話が終わる前に森田が食い気味に返答する。
「そんな事やれるほどの話数が無いですよ。2話程度でビッグオーシャンを番組に定着させて、その後は一気に最終決戦に繋がないと。」
その事は柿崎も重々承知していた。残り話数から言えば、登場と同時に圧倒的な力を見せつけ、その勢いでもって敵を殲滅するしか選択肢が無いであろうことは柿崎も気付いている。ビッグオーシャンが圧倒的に強い事がマストだとそうなる。が、翻って言えば、マストでなければ柿崎案のように色々と検討が可能になる。しかしながら、ビッグオーシャンはテコ入れの為に投入されるわけであり、そこに議論の余地はない。ビッグオーシャンが普通の兵器であるなんて、誰も考えてはいない。
「そうですね。確かに森田さんが言うように、圧倒的な力で一気に持っていくしか無いのかもしれません。」
「いや、だから…」
「でもまあ、ある意味それもヒーロー番組の王道なのかもしれませんよ。」
柿崎は話しながら自らに違和感を覚えていた。いかにもプロデューサー的な言い回しにも抵抗があった。それを見透かしたように森田が急所を突く。
「だから、それだと面白くする方法が見つからないと言っているんです。話を破綻なく整理することはできます。でも、それでいいんですか?」
柿崎の気分と合わせるように雨が更に激しくなってきた。厚い布の天井を雨が叩く音で森田の声が聞き取りにくい。
「私個人の気持ちの上での善し悪しは余り関係ないですね。これでも一応、プロのプロデューサーなので。」
柿崎が感じる居心地の悪さは口を開くたびに増してくる。森田は期待半分で柿崎に詰め寄る。
「本当ですか?柿崎さんがプロである事は認めますがそれで本当に良いと?柿崎さんが、この年代の子供たちに観せたいと思っていたドラマのクライマックスが、突然現れた力によるシンプルな正義の勝利で本当に良いと?」
柿崎はしばらく黙り込んでしまった。雨の音は森田にもしっかり聴こえているだろう。優に30秒は経過していたように思うが森田は辛抱強く待った。職業柄、沈黙は悪だと考える柿崎はかなり無理をして言葉を絞り出す。
「求められている方向で、ちゃんと面白くする方法を探りましょう。きっと何かあります。」
「ありますかねえ。」
「たぶん。」
今度は森田が少し沈黙する。
「きっと、とか、たぶんとか、柿崎さんらしくないじゃないですか。」
喫煙所のテントに新たに2人組が入ってきた。違う組の若い美術スタッフのようで知らない顔だった。柿崎はベンチの端に移動すると、遠慮なく2人は隣に座ってきた。
「らしくはないかもしれませんが、他に言いようも無いですよ。」
「分かっています。半分愚痴みたいなものだと思ってください。でも残り半分は…」
そのタイミングで隣の若者二人が大きな声で笑い合って森田の声が聞き取れなかった。しかし、柿崎にはその文脈は明らかで確認は要さなかった。
「この間の応接室でも愚痴だと言っていましたね。でもSOSだと思っていますので、もっと考えてみますし、長池監督にもそろそろ相談してみますよ。」
「まだ話してなかったのですか。是非意見を聞いてみてください。現役の監督の中では一番ホン作りが上手い監督だと思っていますので。」
「もう少し私の中で整理してからだと考えていましたが、もうそんなこと言っている場合でもなさそうですね。」
「はい。お願いします。」
柿崎は一応了解する旨を森田に伝えて電話を切ったが、まだ本当は早いと思っていた。本心では森田よりもずっと長池の意見を欲しいと思っていたが、折角積み上げてきた信頼を失ってしまいそうで、その事を恐れていた。
隣に座る若者達も柿崎の深刻な様子を見て静かにタバコを吸っていた。なんだか申し訳ない気持ちになった柿崎は無理に笑顔を作ってベンチを立ち上がり、テントの出口から再び空を見上げる。「こりゃ止みそうにないね。」と二人に声をかけて、柿崎は雨が降りしきる中、勢いよく駆け出して行った。




