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息子1

テコ入れ作業は制作現場だけではなく、他のプロジェクトメンバーつまりコスギ以外のスポンサー企業にも説明を要するが、今回のようなビジネスに刺激を加える方策は概ね好評であった。唯一商品化が間に合わないアパレルの三友商事が若干難色を示したが、最後は「皆さんそれでよろしいなら仕方がないですなあ。」と渋々ながら納得していた。こういったビジネストークは柿崎にはお手の物であった。

 制作スタッフで残る大物は長池監督と北森特技監督。長池は最後と決めていた柿崎は撮影所の北森を尋ねたが、事前の予想通り全く何の抵抗も示さなかった。クライアントの要請に応え続けて数十年の職人にとっては当たり前の事なのだろうが、帰り際に柿崎を呼び止め何かを言い澱んだ姿に違和感を覚えた。

脚本の森田との打ち合わせはその間も何度か行われたが、状況を打開するアイデアはお互いに出せないでいた。森田は既に、ビッグオーシャンを出来るだけストーリーに馴染ませることに心を砕き始めていた。スポンサーの意向に沿うべくプロの技を発揮しようとしているその姿に渡会たちは少し安心していたが、柿崎は妙な居心地の悪さを抱えていた。

兎にも角にも、怒涛の2週間を経てマリンファイターはまた少しずつ前に進み始めていた。何とも割り切れない想いを抱えつつではあるが、それも含み以前と同じ日常とも言える。

 珍しく会議の無い金曜日の午前中、事務仕事を一つ終えた柿崎は椅子の背もたれに大きく体を預け背伸びをしながらオフィスの窓を眺めた。久しぶりの雨が弱弱しく窓ガラスに線を描いていた。雨があらゆる音をアスファルトに閉じ込めているようで街は静かだった。うっかり眠気を感じ始めたところで、携帯に妻の雅代から着信があった。勤務中に電話は珍しい。電話に出ると雅代は一気にまくし立てた。

「優太の幼稚園でちょっと問題があって、明日保護者会があるみたいだけど一緒に出られるかしら。いじめじゃないかって噂で…。土曜日だけどまた仕事?」」

「明日は朝から昼過ぎまで打ち合わせがあるけど、その後なら大丈夫。」

「保護者会は夕方みたいだから一緒にお願い。何か、優太の様子がちょっと変なのよね。」

「変って、どういうこと。」

「何かあったのか話を聞こうと思ったのだけど、押し黙っちゃって。」

「子供のくせに口数が少ないのはいつもの事だと思うけど。」

「それはそうだけど…。今日は出来るだけ早く帰ってきて欲しいの。」

「分かった。今日は会議も会食もないから早いと思う。」

良かった、と安心して雅代は電話を切った。何となくスマホの写真フォルダから幼稚園の運動会や参観日の写真を数枚引っ張り出し眺め、いじめねぇ…と小さく呟く。それら笑顔溢れる穏やかな写真たちと電話の内容のイメージがどうにも一致せず柿崎は落ち着かない。優太の幼稚園での様子を想像していると、そんな時間は許さないとばかりに内線電話がけたたましく鳴り、柿崎は会社の世界に一気に引き戻された。


 翌土曜日も弱い雨が降り続けていた。

この日はシナリオ会議は無く、撮影所で特撮関連の取材の調整を北森特技監督と行うだけであった。ライセンス担当の中山は番組の宣伝もカバーしており、北森との打ち合わせを積極的に取り回していた。まだ20代後半の中山は今時の若者らしい随分とダボダボのファッションで打ち合わせの場に現れ「働く格好かよ、それが。」と北森に呆れられていた。「そっすかぁ?」と返す中山はいまだ軽薄な感じが拭えないが、ここのところかなりマリンファイターに向き合う姿勢が良い方向に変わってきた。理由は明らかで、最近出来た自慢の彼女が特撮ファンで熱心な視聴者らしい。柿崎はそれはそれで良いと考えている。

 この日の中山も、北森との打ち合わせが終わりそそくさと撮影所を退散し幼稚園に向かおうとする柿崎にもっと打ち合わせをしたいと食い下がった。「外せない野暮用があるんだ。」と柿崎は振り切ったが、やる気に満ち溢れている中山は収まりが付かず、再び意気揚々と北森の所へ戻っていった。柿崎はその姿を少し頼もしいと思いながら撮影所を後にした。

 土曜日の午後の電車は空いていた。向いの座席に座る母親が幼稚園児位の男の子にライバル番組のフィギュアを与えていた。どんな会話をするのかが気になったが、男の子が何か言い始めたタイミングで降車駅に到着し、何となく後ろ髪を引かれつつ電車を降りた。

優太が通うひかり幼稚園は駅から歩いて10分だが、自宅と幼稚園のほぼ真ん中あたりに駅という位置関係であるため、通園には時間がかかった。ひかり幼稚園はその教育方針が地域では有名で、のびのびと子供が育つ保育をモットーとしていた。幼稚園の敷地の中には小山がありその中に遊具も配置してある。お行儀やお受験とは程遠い環境ではあるものの我が家の息子には向いているのではと母親の雅代がここを選んだのだが、その選択は正解であったと柿崎は思っていた。あまり多くは語らないが、優太が楽しく通っている事は柿崎には分かっていた。

 改札を出て人気のない住宅街を数分歩くと農道に道が変わり両脇が竹藪になってきた。小雨が笹を濡らして不自然に感じるほど緑が濃い。脇にはまずまず綺麗な小川が流れていたりして、雅代の実家の群馬県の山奥と似ている。いよいよ風景が田舎の物になってきたころに、幼稚園の入り口が竹藪の間に突然現れる。素朴な木造のゲートには、ひかり幼稚園、という文字がカラフルに塗り分けられ描かれている。ゲートから続いている小径の先には少し驚く広さのグラウンドが拡がっており、一番奥にかなり年月を感じさせる園舎が建っていた。

 柿崎が入り口付近に近づくとまだ二十歳くらいに見える先生がよく通る大きな声で保護者を会場に案内していた。柿崎が誘導に従い小ぶりな体育館に入るとパイプ椅子が40脚ほど並べてあり、保護者が既に半分ほど席を埋めていた。その反対側には長机が置かれ、保護者に向き合う形で先生たち3人が既にスタンバイしている。柿崎が周囲を伺っていると最後列の端から雅代が手を振るのが見えた。雅代は柿崎の7歳年下でもうすぐ三十路だが、ショートボブで華奢な体型のせいか20代前半にも見えた。出産以降のスタイル維持に関する努力は涙ぐましいものがあり、その成果は充分出ていた。小さな顔に大きな瞳が無邪気さを際立たせており、ママ友界隈では可愛いお母さんとして有名だった。柿崎は並んだパイプ椅子の後ろを回り込みながら雅代に近づき「お待たせ」と声をかけ隣に座った。

「良かった、間に合って。お仕事大丈夫だった?」

「うん。中山は不満そうだったけど、ぶっちぎってきたよ。」

雅代と言葉を交わしながらビニール袋に入れた靴を椅子の下に押し込んだりしていると、長机の中央に座る初老の女性がマイクを使って話し始めた。

「保護者の皆様、お足元の悪い中土曜日にお集まりいただきましてありがとうございます。園長の榊原でございます。本当は皆さんには楽しい催しの時だけ来園してほしいのですが、本日は深刻なお話をしなければなりません。」

榊原園長は白髪交じりの短髪を綺麗に整えていてとても清潔感のある小柄な女性だった。声は決して大きくはないが澄んでいて聞き取りやすい。それまでは少しざわついていた体育館が急に静かになり、雨が天井を叩く音までが聞こえてきた。ほら、という感じで雅代が柿崎の方に眉をひそめて顔を向ける。

雅代が聞きつけた噂は本当のようであった。園長の説明によると、いじめが優太のいるスミレ組であったようだ。被害者はいるが誰がいじめの主体なのかは分かっていない、つまり詳細は掴めていないと園長が発言したところで、再び体育館が騒がしくなった。

「そんなハッキリしていない段階なのに保護者を招集するのはいかがなものか。」

最前列の中央に座るスーツ姿の恰幅の良い父親が声を上げると騒ぎは一層激しくなった。口々に「無責任だ。」だの「加害者を特定すべきだ。」などと保護者から取り留めなく発言が相次いだが、榊原園長が静かに話し始めると再び体育館に静けさが戻り、彼女のマイク越しの澄んだ声だけが聞こえるようになった。

 園長の話によると、一人の女の子が何度か教室の片隅で泣いているのを担任が発見したが、なぜ泣いているのかが分からない。周囲の子供たちに聞いても何も答えず、当の本人も何も言わない。怪我はしていないようだが空気感はいかにもいじめがあったようなムードであった。園長はそれ以上無理に聞き出すことを一旦止めたが、各家庭で子供たちと少し話し合ってほしいと考え保護者会の開催を決断した、という概要であった。

 何度かの質疑応答の後に、先ほどの最前列中央の大柄な男性が「趣旨は理解しました。ウチの子が関係しているかどうかは私にも分かりませんが、いじめという問題についてお話ししてみます。」と発言すると全体のムードがその方向に流れていき、最後に園長が「園としても引き続き注意を払いますし、慎重に調査も継続していきます。」と宣言すると保護者会はお開きとなった。

あちこちで囁き声やため息が聞かれ、保護者達が帰り支度を整え席を立ち始めた。柿崎が「そういえば優太はどこ?」と尋ねると「教室にお友達たちと一緒にいるの。迎えに行きましょう。」と答えると同時に雅代はスタスタと教室に繋がる廊下を目指して歩き始めた。雅代のショートボブが歩調に合わせて揺れている。柿崎も慌てて靴などを抱えて雅代の後を追う。

「どうしたの。なんでそんなに急いでる?」

「何となくここを早く離れたくて。もし優太がいじめに関わっていたらと思うと…。」

柿崎は優太が加害者である可能性を全く考えていなかったので虚を突かれた。親馬鹿かもしれないが、一人息子の優太は子供ながら思慮深いところがあり、寡黙だが穏やかで人にはとても優しい子供だと感じていた。そんなことがあるだろうか、と思いながら雅代の後をついて歩いていると、スミレ組と紫色で書かれた札が付けられた教室に到着した。教室に入ると、先に迎えに来ていた母親が二人いて、その周りに子供たちが10名ほど集まって騒いでいる。優太を探すと、その集団の向こう側の壁に所在なく寄りかかる様に立ち、はしゃぐ集団を見つめていた。雅代が二人のママ友に軽く会釈をしながら優太に近づき、手を取って柿崎の方に連れてこようとすると、優太の眼が一定の方向を見つめたまま少し首が回る格好となっている事に気付いた。優太が見ていたのは子供の集団ではなかった。柿崎がその視線を辿ると、その先に一人の髪の長い女の子が椅子に座って走り回る子供たちを眺めていた。艶のある真っ黒なストレートロングは紫がかって見え幼い女の子には不釣り合いに感じたが、その整った顔立ちと相まってとても魅力的で柿崎はしばらく見惚れてしまった。雅代が柿崎の隣に来てその視線に気づくと「あ、百合子ちゃんもいたのね。バイバイしてきなよ。」と優太に挨拶を促した。優太は頷くと、雅代の手から離れ小走りで百合子の席まで近寄り軽く言葉を交わした後、再び柿崎達の所へ戻ってきた。「じゃあ帰ろうか。」と雅代が二人に言い教室から出るときに、優太が振り返り百合子に手を振ると、百合子も少し微笑んで手を振り返した。柿崎は何の根拠もないが、いじめを受けているのはこの子なのではないかと直感的に思った。

 幼稚園を出ると既に雨は上がっていた。保護者会は短時間だったのでまだ空は明るく雲間から陽が差し始めていた。歩きながら雅代は先ほどの懸念をすっかり忘れたかのように持ち前の正義感を発散させた。優太の前なので言葉を選んではいたが、いじめに対するストレートな嫌悪感を柿崎に表明した。柿崎はその正論を聞きながらも、この年代の子供達にシンプルな善悪の概念を持ち込むことに薄っすらと違和感を覚えていたが考えがまとまらず、優太に率直に尋ねてみることにした。

「なあ優太。スミレ組で誰かいじめられている子がいるのか?」

右手を柿崎、左手を雅代と繋いで真ん中で歩く優太はゆっくりと柿崎の方に顔を上げたが、少し悲しそうな表情を浮かべただけで何も言わなかった。雅代は少し優太の反応を待っていたが、

「優太は多分関係ないと思うの。この子は大好きな粘土遊びを邪魔されなければ後は何も気にしないのだから。ねえ優太。」

と自分に思い込ませるように語りかけた。

優太は、雅代の方に目を向けたが、その表情は母親の言っている事がよく理解できていないときの曖昧な微笑みだった。それは「そういう事でもないんだよ。」と苦笑しながら言っているような顔にも見えた。


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