テコ入れ
第7回拡大製作委員会の約2か月前。梅雨明けを予感させる乾いた晴天の午後に柿崎はコスギ本社に呼ばれていた。
マリンファイターの制作は概ね順調に進行していたが、ゴールデンウィークを過ぎたあたりから視聴率も商品の売れ行きも伸び悩んでいた。スタートダッシュが効いていただけに、スポンサー中心に落胆が拡がりつつあった。
久保の要件が何かは聞かされていない。同席予定の戸川も知らないらしい。とにかく来てくれと伝えてきた。あれこれ想像し憂鬱な数日間を柿崎は過ごした。地下鉄六本木駅から地上に出ると初夏の日差しが思いのほか強く、歩き始めるとすぐに汗ばんだ。多くの飲食店が入るビルが雑多に並ぶ通りを五分ほど歩くと大手不動産会社が再開発した巨大施設に着き、コスギはその一角に本社を構えている。セキュリティが随分と厳重なビルの受付を通過し、コスギ本社へ入りエレベーターで23階まで上がる。エレベーターのドアが開くと戸川が待ち構えていた。
「わざわざ悪いね。とにかく柿崎さんと話がしたいの一点張りでね。でもどうして俺に教えてくれないんだろう。」
「最近は戸川さんが、こっち側に見えるんじゃないの?」
柿崎が冗談めかしてそう答えると、うーん、と戸川は唸って押し黙ってしまった。
確かにそれは柿崎が狙った事でもあった。マリンファイターを始めるにあたり、プロデューサー三人の結束を固め、そこに更にスポンサーサイドのキーパーソンを加えたいと考えた柿崎は、同年代の戸川を狙った。柿崎も当初はそれほどこの番組に熱は無く、それはビッグプロジェクトを円滑に取りまわす為の作業の一環であり少々政治的な動きだったが、柿崎より三つ歳上の戸川はゲームの開発上がりで物作りのニュアンス共有が期待でき、開発のチームを束ねていた統率力や決断力が魅力的で、頻繁に呑みに誘ううちに深い信頼関係が出来上がっていた。テレビ局、代理店、制作会社、そしてスポンサーの担当者が揃って三十代後半で意思疎通がしやすく、それぞれ立ち位置が違うものの、プロジェクトを前進させる強力なエンジンとなっていた。が、その反面、戸川はメインスポンサーであるコスギの意向を製作委員会に伝える役割を帯びているにも関わらず、少し製作者側に寄り添い過ぎだとの感想がコスギ社内から出始めたのもこの頃であった。
二人は長い廊下を無言で歩きコスギの二十三階オフィスに入ると左側に無機質で巨大なカウンターがあり、モデルの様な受付嬢が立ち上がりこちらに一礼した。戸川は通り過ぎる際に左手を軽く上げ、受付嬢を二言三言からかってから一番近い会議室に柿崎を招き入れた。会議室の窓は南側に大きく面していて港区の街並みが一望できる。気持ちよく晴れているが靄がかかっていてスカイツリーがうっすらとようやく確認できる。平日の昼間に高い場所に来ると現実感が失われて何となく落ち着かない。二人並んでぼんやりと眼下の東京を眺めていると、背後のドアから勢いよく久保プレジデントが入ってきた。
「お待たせしました。わざわざお越し頂いて申し訳ない。」
久保はそう言いながら柿崎達と並んで窓際に立ち、同じように街並みを見下ろした。
「確かに眺めはいいのですが、個人的にはあまり好きではないですね。」
「そうですか。気持ちいいじゃないですか。こんなオフィスだったらずっといたいですよ。」
「たまにですけど、恐ろしくなるんですよ。これだけの数の建物や窓が一度に目に入ると。」
言いながら久保が窓とは反対側の椅子に座る。「どうしてですか?」という柿崎の質問には返答は無く、少し困ったような表情を向けただけであった。
「まあお掛けください。今日は折り入って相談がありまして。」
戸川もテーブルを回り込んで久保と並んで着席し、柿崎は窓を背に久保と向き合う椅子を引いた。久保がノートパソコンを開きながら口を開く。
「マリンファイター、良く出来ていると思います。わが家の小六男子も、もう十一歳だというのに随分と熱心に観てます。先週のクジラの過去エピソードも泣きながら観てましたよ。」
「それは嬉しいですね。ありがとうございます。」
ドアがノックされ先程の受付嬢がアイスコーヒーをトレーに乗せて入ってきた。わざわざ柿崎の後ろに回り込んで丁寧にコーヒーを置く。久保はスマートに軽く「ありがとう。」と労うが、その対応が戸川とは対照的で可笑しくなってしまう。その柿崎の感想を戸川は察知したらしく、久保と同じようなトーンで感謝を表したがどうも様にならない。受付嬢は深くお辞儀をしてから退室した。ドアが完全に閉じるのを確認して久保が続ける。
「番組の評価は社内でも高いですし、ネットでもマニア筋は非常に好意的に受け止めてくれているようです。」
「そうですね。その層は映像商品を買ってくれるので、それなりに重要だと思っています。」
特撮ヒーロー番組も、ブルーレイやDVDといったパッケージ商品や配信事業者を通して映像商品を販売するが、マリンファイターの場合は音楽会社のビートラックが担当している。柿崎の言う通り、主な視聴者である小さな子供のいるファミリーは映像商品を買うことは少ないが、特撮マニア層がお金を使ってくれる。特に最近は、イケメン俳優人気により女性ファンが急速に拡大してきた。マリンファイターでは、主役のホホジロザメが妙齢の女性たちの心を掴んでいるようだが、ビジネス全体から言えば決して大きなものではない。やはり玩具、文具、アパレルといった商品化ビジネスが最も重要である事に変わりはない。
ビートラックの映像商品がまずまず順調だというやり取りは割愛して久保が本題を切り出した。
「しかしながら、ここに来て玩具が上手くありません。」
やはりそれか、と柿崎は思う。久保に指摘されるまでも無く把握していることであった。月に一回のペースでライセンサーである東阪とライセンシーであるコスギの間で商品の監修会議が開かれている。東阪は商品化担当の中山が、コスギは戸川以下の玩具開発担当が中心となって行うが、プロデューサーの柿崎も時間が許す限り顔を出すようにしている。今後発売される予定の商品たちのデザインや仕様を版権元の立場でチェックする場であるが、市況やビジネスの様子も現場レベルで率直な意見交換がなされており、柿崎はその状況を正確に掴んでいた。
「戸川さんの方から玩具の消化状況についてはこまめに伺っております。確かにここのところ売れ行きが少々芳しくないと。」
「そうなんですよ。サブキャラ関連のものはある程度致し方ないのですが、このひと月でクジラのソフビ人形や武器の消化率がグッと下がっています。」
「コスギさんではどういった分析をされていますでしょうか。」
柿崎の質問を受け、久保が戸川に顔を向けて発言を促す。
「ドラマは良質で視聴者は充分楽しんでいます。が、その複雑さが分かりやすい善悪の対立構造を希釈している事は否定しがたく、お子様がカッコいいヒーローの武器が欲しいとおねだりをする気分が生じにくくなっているかもしれません。」
久保が戸川の話を引き継ぎ「そうなんですよね。もちろんそれだけでは無く、他社状況なども絡んでの事だとは思うのですが。」と付け加えた。
「確かにお子様に、これが欲しい!と強烈に思わせる仕掛けが番組に不足していることは認識しています。それもあって、この後の後半戦に向けてもっと武器や乗り物をフィーチャーしたエピソードを盛り込んで行く予定になっています。」
この辺りの戦略も当然ながら戸川とは綿密に打ち合わせ済みだ。向かいの戸川も、これで乗り切れるだろう、という表情をしている。しかし、それらも久保にはレポートされているはずで、ではこの場は単なる儀式なのかという疑問が柿崎に浮かんだが、続いて久保が発した言葉が霧散させた。
「大体のところは戸川から伺っています。今日、柿崎さんにお時間頂いたのは、その戦略に更に追加のご提案があるのです。」
戸川が少し驚いたように久保を見、久保は得意そうにパソコンのモニターを柿崎に見せた。
「ちょっとご覧いただけますか。五体合体の巨大ロボット案です。勝手ながらビッグオーシャンと名付けてしまいました。商標は簡易ですが検索してますので大丈夫です。」
商標の件は久保なりの冗談なのだろうが、柿崎は当然、戸川も慌てた。
「久保さん、この商品企画は来年のもののはずですが。うちの開発チームもそのつもりで準備をしているはずです。」
「私たち東阪も来期シリーズ企画に盛り込んでますが。」
「いや、それは重々承知しています。しかし、マリンファイターがこのまま失速するようだと、そもそも来期シリーズも何もあったもんじゃない。」
久保の言葉はきびしいが、一理ある。シリーズが始まって五年目だがこれまで収支的に黒字には一度もなっていない。競合番組の三十年の歴史は伊達ではなく、あの五色のヒーロー達は日本の家庭に当然あるものとして根付いている。ここに割って入るのが至難の技であることは各社の共通認識だったが、このプロジェクトに最も大きな資金を投下しているのはコスギであるので、その累積した損失も相当なものになっている。久保が持つ危機感はビジネスマンとしては至極真っ当なものと言える。
「柿崎さんもご承知の通り、当社は製作協力金に始まり番組提供費、玩具の開発から生産に至るまでコストを負い、流通では全国の営業所をフル稼働させ小売店周りの販促費も負担しています。そんな事はいまさら柿崎さんにお伝えするような内容でもないとは思いますが、当社としては今シリーズでやれる事は何でもやっておきたいのです。」
柿崎も、こういった番組では頻繁に起きるテコ入れは常日頃から想像していた。想像していたので先回りして戸川と準備していたつもりだったのだが、想定外の矢が戸川を越えて飛んできた。
「しかし、この合体ロボを出すにも、シリーズ構成上むずかしい作業ですし、そもそも玩具の開発と生産が間に合わないのでは。」
「ですから、ビッグオーシャンの登場は最終決戦、つまり四十話以降。商品の発売もクリスマス商戦にギリギリ間に合うはずです。」
「ヒーローのモチーフが違いますので、デザインもやり直しですし、それに伴って玩具の基本的な設計も一からになってしまうのでは。」
「確かにデザインは新たに起こす必要はありますが、合体の機構はこのままで行きます。つまり、ロボットのデザインを玩具の構造に合わせてもらうということです。」
戸川が「すみません」と口を挟む。
「しかしそれでも本当にギリギリの商品開発になります。つまり商品の姿を見せられるのが非常に短期間になりますので、満足なプロモーションが出来ません。やっぱり、現物を見せないと。」
「そこは割り切って、あえてロボットのデザインや実際の商品は隠すプロモーションを張るしかないでしょう。上手く匂わせつつ期待感を煽る必要がありますね。」
戸川は慎重に言葉を選んでいる。
「我々はいいとしても、効果的に発信するには、色々な会社の協力が不可欠ですね。でも、各社とも年間のスケジュールは随分前にフィックスしてしまっています。」
「実は、戸川と柿崎さんには申し訳ないのですが、テレビ誌と他のライセンシー各社には既に軽くヒアリングしてあります。確かに戸川が言うように、アパレルは年二回の流通向け商談会でのプレゼンが不可欠なので難しいようですが、文具や生活雑貨は着ぐるみが二ヶ月後に完成していれば間に合います。テレビ誌は実際の写真がなくても存分に煽ってくれると言っていますので、返って面白いプロモーションになると思いますよ。」
柿崎も戸川もしばらく押し黙り沈黙が流れた。柿崎は、これ以上このプランに反対する理屈が思いつかなかった。
「ということは、遅くとも十二月に発売するとして、想定すべきスケジュールはどのような感じで整理すべきでしょう」
久保は戸川を一瞥したあとに、一拍おいてゆっくりと説明した。
「そうですね。二週間で着ぐるみと玩具の基本デザインを上げていただき、速やかに開発を開始します。同時に他のライセンシーにもビッグオーシャンの素材を配布し合同のクリスマスキャンペーンに乗せるべく協議を行いますが、アパレルの三友商事さんには仁義を切る必要がありますね。その際は委員会を代表して柿崎さんにもご尽力いただけると助かります。」
「もちろん三友さんには製作委員会として説明させていただきますが、その製作委員会にまずは落とし込む必要があります。」
「久保さん、我々コスギの開発現場、生産部隊は勿論ですが、何より大事なのが面倒くさい営業部隊も直ぐに巻き込まなければなりません。」
「その通り。我が社の小煩い営業の反発はいつもの事でしょうから。では早速、お二人には至急各所への根回しをお願いします。もし私が出張った方が良い場面があるようでしたら言ってください。本件を最優先にして時間を割きますので。」
久保はそう言い残すと会議室を出て次のミーティングに向かった。どうやら次は隣の会議室だったようで、入室するや否や英語で快活に挨拶を交わす声が漏れ伝わってきた。残された柿崎と戸川は窓の外に広がる晴天の港区をぼんやりと眺めた。相変わらずなんとも現実感のない眺めだ。視界の中では無数の車だけがゆっくりと動いていて特撮現場のミニチュアのようだ。先に声を出したのは柿崎だった。
「まいったね。本当に戸川さんはこっち側の人間だったんだ。」
「まいったよ。俺、随分と間抜けな会社員だったんだね。いや、これは素直に申し訳ない事態だ。」
「でも、久保プレジデントの主張は一理あるし、不可能な事でもない。やってみるしかないでしょう。」
「そうだね。少し動かしてみるか。」
二人はほぼ同時に椅子を回転させ大きな窓に向き合い、なにも言わず再びぼんやりと妙に静かに感じられる街並みを見ていたが、柿崎が「じゃあ」とだけ言葉をかけ席を立ち退室した。部屋に残った戸川は、箱庭のような六本木の中をゆっくり動く車たちを暫く眺めていた。
その後の一週間、二人はとても慌ただしい日々を過ごした。柿崎は製作委員会とライセンシー各社にテコ入れについて説明し、反発する監督や脚本家始めとする制作現場をなだめつつ、新ロボットの制作を開始させた。戸川も、自分の頭越しに物事を進められた恨みを微塵も感じさせず、精力的に社内調整を行った。この数日間で二人が消化したミーティングは合わせて三十を超えていた。




