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検討稿1

翌日。柿崎は午後に出社することにして午前中いっぱいを雅代との話し合いに使った。結局柿崎の話は雅代には上手く伝わらなかったが、幼稚園での出来事ついてお互いが積極的に優太と会話していくという方向で一旦落ち着いた。イジメがあるのかどうかハッキリとしない段階ではこれ以上やれることは余りないとは思われるが、優太の反応を見る限り何かあるのだろう。気を抜かず辛抱強く接して行こうと話し合った。

午後に出社したが、この日はマリンファイター絡みでは特段何も起きなかった。この番組にかまけて疎かになっていた他のプロジェクトをまとめて整理できて有意義な時間の使い方ができたが、頭からマリンファイターが離れることはなかった。森田から検討稿が届いたのは更にその翌日の朝だった。

柿崎の通勤経路は、乗り換えのターミナル駅まで約20分。地下鉄に乗り換えて15分で会社最寄駅に到着するという行程だ。朝10時の始業に間に合うように電車に乗ったタイミングで森田からのメールが届いた。会社のメールアカウントはスマホでも確認ができる。コロナも落ち着きはじめ電車はそれなりに混んでいたが、カバンを棚に預けスマホで書面にコンタクトする位のスペースはあった。

今朝は気持ちよく晴れている。朝から日差しが強く、ビルなどに遮られるたびにフラッシュが点滅するように日光が車窓から入り込む。それまで開いていたマンガアプリを閉じ、慌てて森田が送ってきたPDFファイルのシナリオを開く。柿崎のスマホは画面が小ぶりなタイプで書類を見るには適さないが、パソコンを持ち歩く習慣がないため致し方ない。せめて横にして出来るだけ読みやすい状態に整えた。スマホ扱いが実は苦手な柿崎は四苦八苦しながら森田の脚本を開き読み始めた。乗車して既に数分が経過していた。不器用にスマホ画面をスクロールしたり拡大したり苦戦しながら目を通す。森田が送ってきた検討稿は、いつもと違って誤字脱字の多い乱暴なものだった。

途中の停車駅で柿崎の目の前の席が空いた。が、柿崎は気が付かない。隣に立っていた年配の女性が訝し気に柿崎の方を見ながら体をねじ込んで座った。柿崎は、森田の検討稿からひとときも目が離せなくなっていた。丁度、CMが入るまでのAパートを読み終えた頃に降車すべき乗り換え駅に到着したが、全く気が付かず乗り過ごした。その後何駅も通過したが、読了するまで柿崎は自分が通勤電車に乗っていることも忘れ、一心不乱に読み耽った。最後の一行を舐めるように時間をかけて読み、もう一度最初の頁に戻ろうとしたときにようやく自分がおかしな所にいる事に気が付いた。既に違う地下鉄路線の十に近い駅を通り過ぎていた。頭の中の整理がつかないまま、とりあえず次にドアが開いた駅でホームに降りる。しばらく考えを巡らせ、会社にいるはずの中山に電話を入れ「午前中の予定は全て飛ばせ」と指示をした。中山は不満げであったが「えー、勘弁してくださいよ」というセリフの「勘弁」くらいのタイミングで電話を切った。続いて森田に、興奮して読み耽り電車を乗り過ごした、とメールを入れると、すぐさま折り返しで電話が鳴った。

「森田さん、とても1日半くらいで書き上げたとは思えない力作でした。」と朝の挨拶もそこそこに柿崎が感想を述べると「書き殴りなのでト書きはめちゃくちゃだしシナリオのテイにはなっていないけど。とにかく疲れた。まだ頭から煙が上がっているよ。一昨日から全く寝てないのでとりあえずベッドに入ることにする。」と疲労困憊の様子だったがその声は明るかった。電話を切ると地表へ繋がる階段を駆け上がり駅を出て直ぐにタクシーを拾い、コスギ本社を目指した。電車で移動するのは乗換が少々面倒だが直線距離はさほどでもない。平日の午前中の東京は道も空いていて10分ほどで到着してしまった。朝の六本木の巨大ビルのエントランス付近は多くのビジネスマンが何種類かのうねりを作って蠢いていて、見る角度によっては水族館の巨大水槽のようだ。柿崎もその流れに乗りながら戸川に電話を入れようとスマホを手にすると、意外な事に渡会から着信があった。

「柿崎さん、やられましたよ。」と、渡会は興奮気味だ。「どうしましたか。」と柿崎が訪ねると「森田さんの検討稿ですよ。こんなの書かれたら参っちゃいますよ。柿崎さんもそうでしょうけど、一気に読んでしまいました。」

「そうですか。」と、答えながら人の波から外れて立ち止まる。渡会の勢いは止まらない。

「ビジネス的に無理があるという判断に変わりはありません。でも、これを実現するためにやれる事はやってみたいと思いました。」

渡会は、検討稿で進める場合の様々な条件を川中と整理しておくと伝えると「でも、反対であることに変わりはないですよ。確かに気持ちは動きましたが。」と言い残し電話を切った。ビジネスマンとしての立ち位置は保守的なエリアに保ちつつも、森田の検討稿に大いに心を揺さぶられていたようだ。代理店マンとしてのバランスは無視出来ないものの、プロデューサーとしてクリエイターの熱量に動かされるところがやはりある。さすがの森田脚本だ。渡会の素直な反応を嬉しく思いながら改めて戸川の携帯番号をダイヤルする。しかし電話は繋がらず留守電のメッセージが流れる。またかけ直す、と伝言を残し電話を切ると直後にショートメールで「いま会議中。1時間以内に終わるのでその後であれば」と返答があった。柿崎もショートメールで「一階でお茶飲みながら待ってます」と返信し、夜はヨーロッパのバルのようになるカフェに向かう。店員に、店内かテラス席かを聞かれたので、気持ちよさそうな外に座ることにした。

カフェオレを注文して、再びスマホで森田の検討稿を開いた。テラス席からは六本木の小綺麗な雑踏がよく見える。読み物をするのに決して悪い環境ではないと柿崎は思っているが、今日は朝から天気が良すぎて文字が読みにくい。

検討稿は、前回の打ち合わせで柿崎が提示した大枠に沿っていたが、無軌道に荒々しくエネルギーが迸っていた。特段しゃれたツイストが効いているシナリオではなく、ある意味愚直ですらあるが、人間の複雑さが気持ち良く提示されていると柿崎は感じていた。

マリンファイター達がベクロムの新兵器になす術なく、開発中の新型合体ロボットも間に合いそうになく、間に合ったところで形勢逆転の一手となるかどうかも分からない、というところまでは一緒だが、その後は柿崎が意図した通りのドラマとなっていた。

マリンファイターが属する防衛軍には地球の叡智を結集した研究所があり様々な研究開発が行われている。ビッグオーシャンもここで開発が進められているが、マリンファイター達もよく訪れて意見交換や時には研究に協力もしていた。ベクロムが新兵器を発動させてから、研究員たちには新たに急を要する研究テーマが追加された。汚染された海の分析だ。

変質した海水をビッグオーシャンのそばで3人の研究員が分析している。彼らは新型ロボット開発の任務を解かれ、汚染海水の分析を任されていた。それぞれが主任研究員という立場で、部下は100人単位の一線級だ。彼らは額を寄せ合いデータが表示されるモニターを食い入るように見つめていた。その時彼らの脇を視察に来た隊長が通りかかる。研究員たちが隊長に挨拶をしようとすると、丁度隊長が通り過ぎるタイミングでモニターの海水データが異常を示した。パラメータの異常な動きを察知した研究員はこの3人だけ。彼らの様子がおかしい事に気付いた隊長が更に近づくと未知の成分を示す指標が全てゼロになり、ついに汚染されたサンプルの海水が元に戻ってしまった。それを見た隊長は彼らに他言を禁じ全勢力を傾けての研究を命じる。そしてその時には既に、自らの肉体が何らか作用していることを隊長は悟っていた。マリンファイター5人は失われた海洋民族の末裔が集められており、現在の人類とは違う遺伝子を持つことはこれまでのエピソードでも語られてきたが、その事が何らかの影響を与えているのではないかと隊長は予測していた。指示を受けた研究員たちは、反応を示した際に存在した要素を考えられるだけ組み合わせて検証を行った。その結果明らかな反応を示したのは、汚染海水と隊長、それにビッグオーシャンが干渉しあった時であった。ビッグオーシャンは、スパイから入手したベクロムの進んだエネルギー理論を使用している。恐らくそれが隊長の肉体に作用しているのだと思われるが、その仕組みの解明には時間を要しそうだ。ただ、その組み合わせが劇的な効果をもたらすという事象だけははっきりした。既に地球の海洋の50%以上が汚染されている今、時間は余り残されていない。自らとビッグオーシャンをセットにして投げ出すことになるであろうことを予感した隊長はこの情報を完全に伏せておくことを決めた。

しかし隊長の細胞組織を使って実験を密かに繰り返す研究員達の中で意見が割れる。上官に報告すべきだ、隊長を止めるべきだ、いや地球を守ることに専念すべきだ、と隠れて議論を戦わせる。

隊長は研究員たちの報告を受けた後、気持ちを整理するため海岸を訪れ、眼前の汚染された海に思わぬものを発見する。ベクロムの新兵器が発動してからまだそれほど経過していないが、この短時間で変質した海水に適応した植物が既に生まれていた。地球の生き物にとっては禍いでしか無いが、これに適応する命もあるのか、と衝撃を受ける隊長。

人類が獲得した新たな動力を搭載したビッグオーシャンはようやく完成しようとしていた。

5体のロボットが合体した形態の新型ロボットの威容はこれまでにはないスケールで、まさに聳え立つというものであった。防衛軍幹部が居並んで完成した最後の切り札を見つめる中、隊長が歩み出て試運転を申し出る。幹部たちは困惑するが止める理由もなく、隊長は颯爽とビッグオーシャンに乗り込む。本来は5人で操縦するものだが、中央のホオジロザメコクピットであれば全体をコントロールできる。位置に付いた隊長は最新の技術に取り囲まれ楽しそうに様々な機能を確かめる。凡そ把握すると、表情を変えしばし瞑想する。通信装置に手をやり誰かに連絡しようとするが思いとどまり、代わりにメインエンジンの起動スイッチを押す。新たな動力は轟音を発さない。静かに上昇を開始する。そのさまに合わせるように小さな声で「ビッグオーシャン、発進。」と呟く隊長。

一方そのころ、マリンファイターの他の4人は相変わらず攻めてくる敵戦闘員をただ倒している。しかし敵新兵器に対する対抗手段は何もなく、小さな勝利の後にも虚しく海を見つめるだけ。

と、その時、遥か上空を飛び去るビッグオーシャン。主役のホオジロザメは「遂に完成したのか!」と快哉を上げる。その雄姿に盛り上がるマリンファイターと防衛軍幹部たち。ビッグオーシャンに賭けるしかない司令部はしきりに操縦している隊長に指示を出すが、隊長からの返答は無い。訝しる司令官。研究員達に、何かあったのかをたずねるが、皆くちびるを噛んで俯くのみ。3人の研究員は三者三様で意見は全く食い違ったが、科学的な検証の結果を隊長に伝えるべきという事だけが一致し、汚染海水が中和される不思議な現象を報告していたが、その時の様子で彼らは隊長の決意を既に察していた。

防衛軍司令部の指示に従わず、新兵器が配備される敵基地に向けて真っ直ぐ突き進むビッグオーシャンと隊長。ホオジロザメは、根拠はないもののその意図に気がつく。「やめてくれ、隊長…」

特攻隊なんて誰も喜ばないし、そもそも意味がないと司令部やマリンファイターが説得を試みる。様々な呼びかけにも暫く反応は無かったが、敵基地を視界に捉えたところで隊長と通信が繋がる。

「みんな、決死の説得嬉しいよ。これが正しいかどうか俺には分からないが、やらないと後悔することだけは分かっている。皆と戦えて良かった。ありがとう。」

その意図が掴めない上層部に研究員が解説する。隊長の決意の中身を知った管制室は静まり返る。沈黙を破ったのは妙齢の女性管制官だった。

彼女は、これまでの話数で隊長との大人の恋愛を丁寧に描いてきた人物であった。皆が見守る中、何ということも無い普段通りのやり取りのあと、いつもの様に彼女は隊長を見送る。「いってらっしゃい」「いってきます。」

再び訪れる静寂。管制室も、岸壁に残された4人のマリンファイターも固唾をのんでビッグオーシャンが飛び去った方向を見つめている。

何分か経過しただろうか。遥か彼方の水平線上に微かな閃光が走った。音は聞こえない。

岸壁から閃光を静かに見つめるマリンファイターたち。膝から崩れ落ちるタツノオトシゴ、声にならない叫び声。

管制室では先程の管制官がもう一度「いってらっしゃい」と呟いた以外、音が生じない。 

随分と長い静寂を打ち破ったのは、敵基地に最も近い場所にある遠く離れた研究所からのレポートだった。海原に面した大きな窓に通信のモニターが浮かび上がり、興奮した様子の隊員の姿が写し出される。

「敵基地方面で凄まじい爆発があり、海が沸騰しています!」

隊長とビッグオーシャン、新兵器が融合することで猛烈な化学反応が海で起こっている。沸き立つ姿を見せた海は数秒後には元の色を取り戻し、その反応は凄まじいスピードで地球の色を元の姿に塗り替えていった。

地球最大の危機はこうして去ったが、マリンファイターたちにはとてつもない喪失感と割り切れない思い、そして正面から認めるには憚られる誇りのような感情が残った。そしてもう一つ。潰えた訳ではないベクロムとの最終決戦もまた残された。

森田が一気に書き上げた検討稿をゆっくり時間をかけてもう一度読み終えたところで戸川から携帯に着信があった。会議はまだ終わっていないが、途中で抜けて降りてくるらしい。四十絡みの男の登場をソワソワして待つ自分に違和感を強く覚えた柿崎はその心情を否定しようと努力していたが、それが果たされる前に戸川が現れた。テラス席のシルバーの丸テーブルを挟むように慌ただしく座った戸川は、オーダーもせずに切り出した。

「どうしましたか。と言っても大体要件は想像できますが。」 

柿崎は戸川を前にして初めて緊張していた。

「森田さんからの検討稿は読みましたか。」

「いえまだです。早朝から会議続きで。そんな慌ててノーアポで来るような大傑作ですか。」

柿崎は戸川のからかいには反応せずに、少し残っていたカフェオレを飲み干して少し考え込んだ。戸川は、突然尋ねてきた割には中々話し始めない柿崎を不思議に思ったが黙って見守った。柿崎はしばらく空になったカップを眺めていたが不意に眼を戸川に向けて静かに口を開いた。

「それほど優れた脚本ではないかもしれません。でも、我々はこれを作るべきです。なぜと聞かれても具体的な回答はできないのでビジネスマン失格ですが、これをやるべきだということだけは分かります。」

「優れた脚本では無い?森田さんが怒りそうですね。」

「気の利いた伏線があったりするわけでもないのですが…。隊長の佇まいが良いのです。完成度が決して高くないのは森田さんも自覚ありだと思います。でも、私が考えるカッコいいとはこういう事です。」

柿崎はその後、検討稿の概要をゆっくりと丁寧に解説し、再び、これを進めるべきと静かに熱く語った。戸川は柿崎のいつもと違う理屈抜きの詰め方に気圧されていた。しばらく考えを巡らせ「分かりました。とにかくまずは読みますよ。改めて電話しますので少し時間をください。」と言い残すと、腕を伸ばし柿崎の伝票を掴み颯爽と去っていった。

会計を済ましている戸川の背中を呆然と眺めながら、この朝の自分の行動を振り返って柿崎は少し驚いた。会議をいくつも飛ばし、クライアントの所へ約束も無く押しかけ、言いたい事を脈絡無くぶつけ、お茶を奢らせた。冷静に考えると全くもって褒められたものではないが、なぜか正しいことをしているような気がしていた。会計が終わったので店員がテーブルを片付けにきたが、柿崎はもう一杯カフェオレをオーダーし椅子に深く座りなおし、戸川が戻っていった六本木の巨大ビルを見上げ暫く見つめた。店員が2杯目のカフェオレを運んでくると再びスマホで検討稿を読み始めた。

相変わらず柿崎の数メートル先では水族館のイワシの群れの様に巨大ビルを出入りする人の波が途切れず蠢いていた。


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