表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/15

暑気払い

梅雨が明けた途端いきなり夏になった。

まだ7月に入ったばかりだというのに、気温は連日30度を超え今夏の酷暑を予感させる。

少し霞がかかっている様な青空で、まだ真夏の強い色にはなっていないが、ここ数日快晴が続いている。

柿崎達プロデューサーチームは、本編も特撮も撮影のキリが良いこともあり、少し早めではあるがマリンファイタープロジェクトの暑気払いを今年も撮影所で行う事にした。

セットを組み込んでいるステージを使う簡素な宴席だが、スポンサー各社や製作委員会、俳優の事務所からの差し入れがあり、お酒や料理は結構なものが揃うことになる。よって、現場の若手スタッフ達は例年かなり楽しみにしているようだ。

柿崎は日が暮れる前に、高価な焼酎を抱えた中山を従えて撮影所に入った。

正門から目指すステージまでは歩くと10分ほどかかる。広大な撮影所内をあちこち動く若手は自転車を各人が持ち込み移動に使っているようで、柿崎達を颯爽と自転車で追い越していくスタッフが何人かいた。

撮影所の空は広い。重い荷物に不満タラタラの中山の恨み節を聞き流しながら空を見上げると、青と橙色が混ざり合った非常に複雑な色合いが広がっていた。マジックアワーとはまた違う魅力の夕暮れで、柿崎は自分が抱える問題達には深い意味が無いように一瞬だけ思う事ができた。委員会の主要メンバーも参加するこの宴会は柿崎にとっては気が重いものであったが、気持ちの良い暮れなずむ空のおかげで業務としての宴会モードにスムーズに切り替える事ができた。

ステージに着くと、入り口の外に人溜まりができていた。顔ぶれを見るとスーツアクターのチームだった。「こらこら、外で飲むんじゃない。中に入れよ、みんな。」と声をかけると「いやあ柿崎さん、背広にネクタイの人達が沢山いるので気が引けちゃって。」

主役のスーツに入る福田が代表して柿崎達の相手をする。主役のスーツアクターは何となくチームの中心にもなるようだ。

「じゃああんまりこのステージから離れない様にしろよ。酔っ払いがあんまり所内をフラフラすると怒られるのは俺だからな。中山、焼酎をこの若造達にくれてやれ。」「え?柿崎さん、これ森伊蔵ですよ。」「いいから。」

高級焼酎に盛り上がるスーツアクターチームをあしらって会場に入ると、ステージ中央の空間にテーブルが所狭しと並べられ、恐らくは名店のものであろう和洋中の料理と、場所に不釣り合いな高い酒がひしめき合っており、その周囲には人間が密集していた。

柿崎はまずはスポンサー筋を探して人込みをかき分けながら進む。すると少し奥まったテーブルにダークスーツの集団を発見できた。何となくその周辺は人がまばらだ。足早に近寄りながら声をかける。

「皆さんすみません、お早いですね。もうすでにお揃いとは。」

集団の真ん中の人物が振り返りながら返事をする。

「この催しが楽しみで、会議を調整していますので。皆さんもそうらしいですよ。」

コスギの久保だった。海外出張だと聞いていたはずだが。少し驚いた表情を浮かべると久保の隣に立つ戸川が説明してくれた。

「久保も、わざわざ帰国を1日早めて暑気払いに参加していますから。果たしてそれで良いのかどうかは別問題ですが。」

代理店らしく如才なく顧客アテンドをしていたらしい渡会が他のクライアントにも気を遣いながら口を挟む。

「なかなか皆さんも撮影所に入る機会もありませんからね。三友さんなんて、わざわざ大阪本社からもお越しいただいていますよ。柿崎さん、ご紹介しますね。」

渡会がクライアントの方々を紹介し始め、名刺の交換会となった。彼が言うように、他業種の人からは撮影所自体が物珍しいらしく、普段会議に登場しないVIPの参加もある。また、たまに特撮マニアが潜んでおり、柿崎はもちろん北森特技監督まで捕まえて質問攻めにするクライアントもいたりする。マニアが存在する領域では往々にしてあるがその知識はプロ顔負けに広範で深いことが多い。北森ですら答えられない質問もたまにあるが、二人はいつも嬉しく思っていた。今年は、大阪から参戦の三友商事の部長さんがそうだったようで、近くにいた北森を紹介すると直ぐに柿崎の事は速やかに忘れ、着ぐるみのハイスピード撮影について随分と専門的なことを熱心に尋ねていた。その様子を微笑ましく思いながらその集団を渡会に任せ、柿崎は本日の最重要任務である会場の巡回を始めた。若々しく華やかでひときわ賑やかな役者チームの真ん中にはシロナガスクジラの原田が陣取り、器用に話を回していた。柿崎は俳優陣に少し茶々を入れた後、すぐ隣の本編監督の集団に入り込む。ここでは最もキャリアがある長池を若手監督が取り囲み、過去の映画の話を聞き出そうとしていた。まだ、監督という職種にとっては映画というフィールドは魅力的なのだろう。伝説のように伝わる昔の自作でのトラブルを長池は楽しそうに語っているようだか、喧騒にかき消されて柿崎には聞こえない。しかし長池のそれなりに楽しそうな表情に安心した柿崎はその集団を離れ、順に特撮班若手スタッフ、本編班若手スタッフ、ライターチーム、製作委員会若手集団、と一通り巡った。プロデューサーとしての基本的なお役目を果たし元の製作委員会の集団に戻ってきたころには既に終了の時間が差し迫っていたが、30代から60代までと幅広い年齢帯のビジネスマン達はそれぞれの年代でのヒーロー像について盛り上がっていた。単に格好よくて好きだった、とかではなく、その背景や設定も含め憧れたヒーローは何だったのかという話であったが、年代やパーソナリティによって様々で中々面白い議論となっていた。柿崎が参加したタイミングでは、コスギの久保がガンダムのブライト・ノアについて熱く語っており「久保さんらしいなあ。」と感想を挟むと、周囲から「柿崎さんは?」と尋ねられた。柿崎は幾つかの候補を頭に浮かべた後「ガッチャマンのコンドルのジョー」と答えると、口々に「なるほど。」とか「あれは格好よすぎるよね。」などと50代以上から感想が漏れた。「でも柿崎さん、リアルタイムじゃないですよね。」と戸川から突っ込まれたが、「私も最近配信で全話見ましたよ。ところで最近の配信はですね…」と中山が混ぜっ返し、話が昨今のOTT事情に移っていく。ビジネスマン集団らしく暫くその話題で情報交換がなされていると渡会が、「柿崎さん、そろそろ閉会ですよ。締めの挨拶を。」と水を向けてきた。

開会の挨拶はメインディレクターの加山監督だったので、閉会は柿崎の出番となる。演出部がどこからか調達してきた演台のようなものに登り少し高いところから見渡すと150名以上はいるであろう風景に少し気圧されたが、柿崎は職業柄こういった挨拶は慣れている。いつも通り適切な人物を適度にいじりながら笑いを取り挨拶をこなしていたが、話が終盤に差し掛かり最後の言葉を準備しようとしたその時、なぜか役者の原田の顔が柿崎の眼に鮮明に飛び込んできた。相当な人数が自分を見つめているが、何故かその原田の眼差しは少し違った色合いを帯びているように感じた。何気に視線を横にずらすと今度は長池監督と目が合ってしまった。長池はいつも通り少しはにかんだような笑みを向けていたが、既に柿崎は動揺していた。今日は職業プロデューサーとして役割を全うできていた。上手くやり遂げたつもりだったが、最後のタイミングでプロジェクトに関わる人たちの様々な視線を急に感じるところとなり、ここに来て言葉に詰まってしまった。不意に生まれる数秒の沈黙。聴衆は訝しみ少しざわつく。我に帰った柿崎は「あ、すみません。長池監督の眼が怖くて固まってしまいました。」と不自然な長池いじりで数秒の沈黙を誤魔化し何とか挨拶をまとめ、暑気払いパーティをとりあえず終わらせにかかった。

原田の視線は柿崎がしばらく考えないようにしていたことを思い出させていた。マリンファイターに関わる全ての人が何らかの想いや事情を背負って参加しているという当たり前の事に壇上で久しぶりに思いを馳せてしまった。想いの軽重の違いはあれど、そこにはそれぞれの人生がある。視聴者の人生すら左右するかもしれないと思って作っているわけであり、もっと身近なスタッフについては更に当たり前のことかもしれない。柿崎は思い出したくないことを思い出してしまったと原田を少し恨んだ。

柿崎の最後の一本締めを合図に、いくつかの集団がステージの出口に塊となってゆっくりと移動し始めたが、酒が入って楽しくなった集団の動きは鈍かった。

数分後、ようやく全ての客がステージを後にするのを見送り、10名程度の若手スタッフが後片付けをしているのをぼんやりと眺めているといつの間にか隣に戸川が立っていた。

「お疲れさまでした。さっき、壇上で何を考えていたのですか?」

「特に何も。もともと人前で喋るのは苦手ですから。」

「ご冗談を。まあいいですけど。」

「駅前の居酒屋でメインスタッフとプロデューサーチームで2次会の用意があります。戸川さんもどうですか。」

「いいですけど、スポンサーが行くといじめられますよね。」

「大丈夫ですよ。みんな結構大人ですから。」

「じゃあ、柿崎さんを信用して参りますか。」

戸川と連れ立ってステージを出るとすっかり夜になっていた。初夏の夜空は幾分の明るさを伴っていて現実感が無い。明るい空に数多の星が瞬いていてアンバランスだ。美しいが人の心を少し不安にさせる紺色の空が広大な撮影所の上に大きく拡がっていた。

正門から外に出ると、撮影所を沿うように流れる小川の両脇に備わっている遊歩道をマリンファイターのスタッフが幾つかの集団になってゆっくりと歩いていた。小綺麗な遊歩道は1キロ以上続く中々立派なもので、近隣住民の憩いの場ともなっている。春には見事に咲く桜並木は完全に夏仕様で、濃い緑色の葉が既に分厚く生い茂っており、重たそうな長い枝を川面に向けている。柿崎と戸川は集団の様子を見守りながら最後尾から付いていく。

「柿崎さん、コンドルのジョーの話、なるほどなあと思いましたよ。」

「いくつか浮かんだのですが、一番素直な答えを選んでしまって少々恥ずかしかったです。」

「ガッチャマンはリアルタイムではないのであまりよく知らないのですが、ジョーが最後に皆を守るために犠牲になって死ぬというストーリーでしたっけ。」

「正確には自己犠牲では無いのですが、視聴者にはそのように映ったのではないでしょうか。当時の子供達にはかなりのインパクトだったと思いますね。」

柿崎が語る科学忍者隊ガッチャマンは1972年から2年間にわたって放送されたテレビアニメーションで、柿崎自身は中学生の時に友人からDVDを借りて全話を観た。既に映画マニアになりかけていたこともあり、少々粗が目立つストーリー構成だと感じられたが、最終話に至る流れは技術を超えた熱量が荒々しく登場キャラクター達を躍動させていて、その中心にいるのがコンドルのジョーであった。激しい戦いの中で脳に損傷を受けたジョーは余命が数日であることを知り、地球制服をもくろむギャラクター本部へ単身乗り込む。敵幹部ベルク・カッツェと対峙するが、ジョーが放った羽根手裏剣は敵を掠め地球を破壊する分子爆弾を発動させる機械装置に吸い込まれる。何とか敵の手から逃れるジョーだが既に息も絶え絶え。残された力でできることは大鷲のケン達他の4人を集め突入すべき場所を指示することだけであった。ケン達はジョーを救い出そうとするが彼自身がそれを拒否する。リーダーのケンはジョーを置いていくという苦渋の決断を下し敵本部に突入するが、既に分子爆弾の機械が稼働しており絶体絶命。ガッチャマン達もあきらめかけたその時、不意に機械装置がストップする。ジョーが放った羽羽根手裏剣が歯車に噛み合い動きを止めていたのだ。発動までのカウンターが示していたのは残り2秒。その数字は奇しくも科学忍者隊におけるジョーのコールナンバーであった。地球の危機を救いゴッドフェニックスで帰還するガッチャマン達。しかしその座席にジョーの姿はなかった、というのが最終話に至るストーリーの流れだ。柿崎は記憶をたどりながら戸川にガッチャマンのラストを簡単に説明した。

「と、いうわけで、どうせ死ぬ身だからというエクスキューズはあるのですが、しっかりした自己犠牲の良質なドラマになっていると私は思います。こんな大人になりたいと憧れましたよ。」 

ひと通り柿崎の解説を聞いた戸川が苦笑気味に「なんだか柿崎さんらしいですね。」と返すがその後しばらく考えて少し違った角度から感想を述べた。

「でも最近の風潮ですと、自己犠牲の精神は決して褒められたものではないという感じですよね。」

「それはどういうことですか?」

「単なる優柔不断や八方美人がその動機であったり、場合によってはナルシシズムの発露でしかないという見方もあるようで、ネガティブに捉えられることが多いように思います。」

柿崎は不意を突かれたような気がして歩を緩めた。戸川が披露したロジックを頭の中で辿りなおすと、そういった言説に触れたことはあるような気がした。

「確かにそういった記事を雑誌で読んだことがあります。でも、何となく違和感が。」

柿崎はそう答えるとしばらく黙り込んでしまった。戸川は特に何も返事をすることなく星空を綺麗に反射する川面に目をやる。

柿崎はなぜか優太の事を考えていた。母親の雅代からのストレートな問いかけに対する独特な頑固者の視線は、何かの為に何かを我慢している人のように柿崎には映っていた。柿崎の大いなる勘違いである可能性もあるが、そうではなかったとしても優太と自分にはとても大事なことに思えた。昨今の風潮は、安易な自己犠牲は承認欲求を満たすだけの行為であり集団全体にとっても決してプラスではないというものだと理解している。しかしながら、全ての人間がクリアにそのように割り切ってしまっている世の中を柿崎は好きにはなれそうにないし、実際には、そうでない人間も必ず一定数存在するのだろうとも思う。そして柿崎自身はどちらかというとそうでない人間でありたいと改めて思った。それは「情けは人の為ならず」といった経済的な観点によるものではなく、他者の為に身を削る行為が単なる「お人好し」と理解されることへの違和感であった。戸川と並んでゆっくりと遊歩道を歩きながらあれこれ思案を巡らせていた柿崎は、そこから現在の自分の仕事へと考えが辿り着き、思わず声が漏れた。

「そうか…Show me the moneyだ。」

黙って歩いていた戸川が突然の柿崎の呟きに驚いて顔を向ける。

「何ですか?」

「あ、すみません。おまじないの呪文みたいなものです。気にしないでください。それよりも早く店に行きましょう。皆待ちくたびれているかも。」

柿崎は随分と朗らかにごまかすと、前を連れ立って歩くスタッフたちを「ほら、歩くのが遅いぞ。」と追い立て始めた。その様子を戸川は不思議に思ったが、柿崎の表情は悪いものではなかった。何か着想を得た子供が誰かに話したいが思いとどまって自分の中で整理している表情に見えたが、あえてコメントはせず急に早足になった柿崎に歩調を合わせた。

さあ、急ぎましょうと柿崎は戸川に声をかけると、すっかり濃紺になった星が瞬く広い空を見上げながら再度「Show me the money」と今度は少しハッキリと何かを確かめるように口にした。

「それ、何のおまじないですか?」

「まあいいじゃないですか。話すと長いのでそのうちじっくりとお聞かせしますよ。」

「そうですか。何か釈然としませんが気長にお待ちしますよ。」

戸川はスタスタと自分の前を歩く柿崎の背中を見ながら久しぶりに頼もしさを感じていた。ここのところいつもの快活さが失われていたが少し立ち直りかけているように見える。しかしその背中は戸川自身にも何らかの決断を迫ることになりそうな予感を漂わせており不安を掻き立てたが、憂鬱に感じてはいけないと自らに言い聞かせながら少し駆け足で柿崎に追いついた。美しい遊歩道と川のせせらぎが丁度そこで途絶えた。折角追いついたが、戸川は立ち止まり名残惜しそうに振り返り夏の葉をつけた桜並木を眺めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ