「予習と動画」
家に帰ると早速、僕は鞄を自分の部屋に置き、打山くんに借りた――正確には借りさせられたCDをかけた。それには、明日のライブで披露する曲が入っているらしい。
結局、彼からの頼みを断りきれなかった。本番が明日ということで不安ではあるけど、引き受けた以上ちゃんと責任を持って遂行しないといけない。
僕は、部屋の隅っこに置いてあるプレイヤーにCDをセットする。カセットテープと一体型になった古いタイプのプレイヤーで、いわゆるCDラジカセと呼ばれるものだ。
かれこれ、買ってもらってから十年近く経っている。それでも、今も何の異常もなく動く。オーディオの類に拘りがある父が奮発して買ってくれたから、かなりの上等品だ。
再生ボタンを押す。すると、左右のスピーカーから静かな音色……ではなく、開幕から激烈なエレキギターのイントロが流れ始めた。
僕は咄嗟に音量を下げる。「ハードロック」という表現がよく似合う、そんな旋律。
ふとケースに目をやると、一枚の紙が挟まっていた。取り上げて広げてみると、歌詞カードのつもりか歌詞らしき文字が羅列されてあった。ショップなどで流通しているCDではなく、打山くんか誰かがコピーして空のディスクに焼いたものらしいから、ノートの切れ端に手書きされている。
その歌詞を見ながら、曲に耳を傾ける。
よし覚えるぞ、と意気込んだはいいものの、二回か三回くらい聴いただけでは全く頭に入ってこない。やたら英語が多いし。というか、ほとんどの歌詞が英語だし、テンポも速い。
やっぱり素人には無理があるんじゃないかな、と半分諦めかける。
一旦、再生を停止させた。ずっと聴いていると、頭が痛くなりそうだった。僕は気晴らしに本棚の前に行き、一番上の段を見やる。そこには、十数枚のCDがきれいに整列されている。焼いたものではなく、全て市販のCDだ。
その中から、一枚を引き出して手に取る。
――千條ユキのファースト・アルバム『Reversible Teenager』
僕が初めて、自分のお小遣いで購入したアルバムだ。発売されてすぐ、彼女の大ファンだった妹の誕生日プレゼントとして買ったのだ。でも妹も同じ日に同じものを買っていて、それを見比べて一緒に笑い合った思い出がある。だから今も、妹の部屋にも全く同じCDが置いてあるはずだ。
よく妹と一緒に聴いていた、思い出深いアルバム。彼女も、そこに収録されている曲を何曲かカバーしては聴かせてくれた。僕も、彼女のギターに合わせて歌ったりした。
女性シンガーソングライター、千條ユキ。高校生の時にデビューし、三年目くらいに出した曲がロングヒットを記録して以降、活動休止をするまでずっと現代の音楽業界のトップを走り続けてきた。
一五〇センチ未満という矮躯から繰り出されるパワフルな歌声は、聴く人を独特な世界観に惹き込む力がある。僕も妹と一緒に何度かライブに足を運んだが、小柄な体格を全く感じさせないほどの力強い説得力のある歌声に感動すらした。
だけど、あの楽しかった時間はもう二度と来ないんだな、と思った途端、僕は悲しい気持ちになって、深い溜め息をついた。
そしてCDを元の場所に戻し、再びプレイヤーのところに戻ろうとすると、ふと四十谷さんのことが脳裏を過ぎった。千條ユキや妹とリンクしたのだろうか? そういえば、彼女は入学式の日、学校にギターを持ってきていた。
一つ前の席なのに、あの日以来、四十谷さんとは一度も言葉を交わしていなかった。初日にあんな出来事があったから、ただ気まずくて話しかけられないだけだけど、相手も一向に僕に話しかけてこない。
打山くんの話によると、動画サイトで活動している《AA》という名前の歌手に似ているという。僕も、そのことには少し興味があった。
勉強机には、一台のパソコンが置かれている。使い道といえば、調べ物をする程度だからそんなに頻繁には使わないけど、あった方が便利だろうと親に勧められ、数年前に買ってもらったのだ。因みに、妹の動画もこのパソコンで編集していた。
僕はそれを立ち上げ、ログインするとすぐ、検索ボックスに「アスキー・アート 歌い手」と入れてクリックした。そうすると一番上に、動画の一覧が表示される。その中から、適当に一つを選んで、またクリック。
画面が切り替わり、動画の読み込みが終了すると、映像の中にアコースティック・ギターを抱えた人物が現れた。
顔は肩の上で切れて、動画内に収まっていない。下も、膝くらいまでしか映っていなかったが、桃色のブラウスに白地のスカートという服装から、女の人だということは確認できた。それでも年齢まではわからないけど、おそらく高校生くらいだろう。
彼女は無言のまま、ギターを弾き始めた。軽快なリズムを奏でるギター。それを扱う彼女にも、感嘆するべき点がいくつもあった。
華麗なコードチェンジ。指の動きも滑らかで、それは素人目からも、何年もかけて磨いてきた技術だということが窺える。ピックを軽やかに操り、つい一緒に口ずさみたくなるような、キャッチーな歌声。プロ顔負けの演奏にやや興奮し、気がつくと僕は身を乗り出してその動画に見入っていた。
声は、床を転がるガラス玉のように透き通っていて、優しく僕の耳を震わせた。うっとりと目を閉じてしまいそうなくらいに。
演奏もさることながら、ちょっぴり切ない歌詞も深い印象を残す。加えて、おっとりとした静かなメロディーも、それをより強めるのに何役も買っている。打山くんが話していた通り、すぐにでもデビューできるんじゃないか、という気さえしてくる。
曲が終わると彼女が、
「ご視聴いただき、ありがとうございます」
という口上を述べたところで、その動画は終了した。画面が暗転してからも、僕は放心状態になったように、ボーッと余韻に浸った。
あんなにすごい演奏をする人がいたなんて……。どうしてもっと早くに知っておかなかったのだろう、ということまで考えていた。
徐々に余韻が冷めてくると、彼女の他の動画もクリックして再生する。やはりどこの動画でも彼女は自分の顔を映していないが、声は加工せず生の声を録音しているみたいだった。そのおかげだと思うが、活き活きとした歌声がよく通っていた。
一つ見終わると、次の動画、またその次の動画と、僕は彼女の歌を全部聴く勢いで再生していった。早速、虜になってしまったようだ。
そのうち、また僕は打山くんの言っていたことを思い出して、今度は彼女の体型や声などにも意識を向けてみた。
確かに、四十谷さんに少し似ている。いや、「少し」なんてもんじゃない。見れば見るほど、あらゆる要素で似通っていると感じてしまう。洗脳というやつだろうか?
身長も多分同じくらいだし、幼い子のような甘い声もそっくりだった。もしかしたら、本当に本人なのかもしれない。
先程から感じていたそんな予感が、動画を視聴していく中で、確信に変わりつつあった。
それでも、やっぱりこんなことがあるだろうか? という疑問は払拭できない。動画の再生数が軽く数百万回を超えているほどの有名人(ネットの中だけかもしれないけど)と同じ学校に通っているだけでなく、同じクラスでしかも席が超近いなんて。そんな学園ドラマみたいなロマンチックなシチュエーションが、果たして僕の身に起こり得るのだろうか?
僕としてはそうであってほしいというのが本音だけど、考え過ぎということもある。実際、この動画以外に証拠は何もないわけだし。
そこに、下の階から母の呼ぶ声が聞こえた。机の上の時計を見ると、とっくに七時を過ぎている。帰ってきたのがいつもよりだいぶ遅かったのに加えて、動画に夢中になっていたこともあり、いつの間にか窓の外も暗くなっていた。
僕は急いでパソコンをスリープさせると、部屋の電気を消して一階のリビングへ向かった。階段を降りる途中、またAAのことが頭を過ぎった。
突然、夕立のように襲ってきた疑問。彼女の正体が四十谷さんだとする説も、もちろんまだ気にはなっていたが、今度の問題はそこではなかった。
歌詞の内容、曲調、メロディー。それらが妹の制作していた楽曲にそっくり……いや、正確に言うと、影響をもろに受けているのではないかと思うくらい、よく似ていたのだ。
……これも、気のせい……なのかな……?




