7−5
コンコン。
二回、部屋をノックする。それが、優華さんと沢先輩が決めた俺が来た合図。
何も言葉を発することはせず、沢先輩はドアを開けた。
「風紀野郎」
俺をギリッと睨んだ沢先輩は、俺のお腹を目掛け、拳を放つ。
「ぐはっ」
早い、早すぎる。避ける暇もなかった。まぁ、元から避けるつもりはなかったのだが。
部屋に入ると部屋の電気は消えていて、明日香の姿が見当たらない。
真っ暗の中、きょろきょろと明日香の姿を探すと、ベッドの上で布団の中にうずくまっている明日香を見つけた。
多分、俺が来たことに気付いているのだろう。そりゃそうだ。沢先輩があんな音を立てて俺を殴るから。
俺は意を決して言葉を放とうとする。
「ぁ…」
勇気が出ない。声が喉の奥で止まってしまう。
怖い。
明日香が俺を許してくれなかったらと思うと。
「あす、か」
やっと声になったその声は、明日香のところへ届かないほどの小さな声だった。
「明日香!!」
俺は軽く叫ぶ。
ほら、声が出るじゃない。
そんな声がどこからか聞こえてくる。俺の心からなのだろうが、優華さんがどこかで見ているような気がした。
「明日香、聞いて」
俺はそっと口を開く。
「やだ」
「明日香…」
明らかに泣き声だ。声がかすれている。
こんな声にしたのも俺だ。全て、俺が悪いんだ。
「明日香、ごめん」
「……」
俺の言葉に明日香は何も反応しなかった。
「昔もこういうことあったよな」
俺は明日香がいるベッドの隣にすっと腰を降ろし、懐かしむように言葉を発した。
「一年生のとき、覚えてるか?」
「覚えて…る」
ここは意地でも覚えてることを明日香も通したかったのだろう。あの日は俺達にとって特別だから。
「凛ちゃんと…」
明日香はそれ以上を言おうとはしなかった。…辛いのだろうか。
俺は少しだけ、昔のことを思い出していた。
学校で凛が不意をついて、俺にキスをしてきて…
その場面を、明日香は見てしまったのだ。…俺はそのとき、うっすら明日香が好きだと気付き始めたんだ。
いや、本当は前から自分の気持ちには気付いていたんだけど、認めることが怖かったんだ。
「あの時も明日香に見られちゃったんだよな。俺、力が出なくて逃げることも出来なかったし、明日香を追うことも出来なかった」
泣きそうになるのを必死に押さえる。
心が震える、声が震える、体が震えた。
自分の情けなさに。明日香を悲しませたことに。
「俺、今回も明日香を追うことが出来なかった!」
俺は声を張り上げた。そうしなくちゃ、自分の涙が押さえられそうになくて。
「……」
一息ついて、俺はゆっくりと話し始める。
「本当にごめん、ごめんな。五十鈴を突き放すことが出来なくて」
「そんなことしたら、もっと許さない」
「え?」
「五十鈴ちゃんを突き放すなんて絶対駄目。告白って、すごい勇気が要ることだから…。だけど、ちゃんと言ってほしかった」
泣きながら頑張って話す明日香の声を聞いていると、俺はもう耐えられなくなった。
一粒、また一粒と涙があふれ出てくる。
「…俺は明日香と付き合ってるんだっ! って、ちゃんと言って欲しかったの」
「ご、めん」
俺は涙声を抑えることは出来ず、明日香が隠れているベッドに顔を伏せた。こんな自分を見せたくない。そんな気持ちで必死だった。
明日香の大きく息を吸う音が聞こえる。
「ねぇ、風紀」
俺は名前を呼ばれ、明日香のほうを向く。そこにはベッドからひょこっと顔だけを出している明日香がいた。
「私たち、ずっと一緒に居られるの?」
明日香もまだ涙がこぼれていた。そんな俺も止めることが出来ない。この溢れ出ていくダム崩壊のような涙を明日香に晒すことになっている。
「も、ちろんだ!」
ニッコリ笑ってみるが、やっぱり止まらない。
そんな俺を見て、明日香はちょっとだけ笑った。
その笑顔を見る事が出来て、俺は心から安心した。明日香を手放すようなことは絶対にしたくない。
大好きだから、愛しているから。
俺はそっと自分の涙と、明日香の涙を自然に伸びた手で拭った。
「へへっ」
明日香が嬉しそうに笑うのを見て俺は、ベッドの上に片足のひざを立てぎゅっと明日香を抱きしめた。
心が爆発しそうだ。嬉しすぎて…。
明日香が笑ってくれたことに。
「うへっ!?」
最初のうちは明日香も驚いているようだったが、フフッと笑うと明日香もそっと両膝を立てて、俺の背中にそっと手を回してくれる。
この温もり、久しぶりに感じた。
温かい、とても。
ずっとこのままでもいい、ずっと抱きしめていてもいい。
明日香と一緒なら何も怖くない。
「明日香、好きだ」
口に出してみると、ちょっと恥ずかしい。
そっと明日香を抱きしめる力を強めた。
「痛いよ、風紀」
まだ泣いているのだろう。俺の腕の中から声が震える明日香の声が聞こえる。
「ごめん…」
そして腕の力を弱め、明日香が少しだけ俺との距離をあける。
「……」
「……」
俺達は暗闇の中、ただ無言で見つめあった。
少しの間そうしていると、明日香がふっと俯き、呟く。
「キス、しよ?」
明日香は顔を真っ赤に染めながらそう言った。
その言葉にビックリしたが、俺はもう一度、明日香の頬に流れている涙を拭い、目を瞑る。
もう、言葉は要らない。
俺は息をするのと同じぐらい自然に、明日香の唇に触れた。
二人で向き合って、少しだけ笑った後に、心から愛しているという気持ちが湧き上がってくる。
明日香との初めてのキスは、少しだけしょっぱかった。